3.白熱
武闘大会を数週間後に控え、個人同士の模擬戦が多くなってきた。
「クレニア、今日模擬戦に付き合ってくれない?」
入学してから1ヶ月ほど経ち、ルームメイトのスーリエともだいぶ親しくなってきた。そんな中、彼女から模擬戦の誘いがあった。
「いいよ、どこでやろうか」
「そうだなぁ……中庭は上級生が使ってるし、講堂の裏はどう? あそこってあんまり人いないけど、スペースあったよね」
「遮蔽物もないし、良さそうだね」
クレニアは淡々と言葉を返しながらも、思考を巡らせていた。
記憶を辿っても、スーリエとの模擬戦を件の場所で行った覚えがないのだ。何かイレギュラーが発生したのだろうか。だが、今までも全部が全部同じ出来事というわけではなかった。今回もその類だろう。
そう自分を納得させ、内で燻る不安を押し込めた。
スーリエについて講堂の裏に近づいていくと、何やら激しい戦闘音が聞こえてきた。スーリエと顔を見合わせ、講堂の影からそっと覗く。
クレニアは声こそ出さなかったものの、目を見開くほど驚いた。
ネオ・アスティーズ。
彼が、先日クレニアが負かしたギルバートと戦っていたのだ。クレニアはスーリエの腕を引き、耳打ちする。
「スーリエ、やっぱり違うところに行こう」
その時、ちょうどその模擬戦が終わった。そして負けたらしいギルバートが、目敏くもクレニアたちを見つけた。
「おいグレイシス、何コソコソ見てんだ!」
クレニアは舌打ちしかけたのを深呼吸することで押し留めた。やっぱりコイツは好きになれない。
「俺と戦えよグレイシス。今度はコテンパンにしてやるからよ」
ギルバートは拳を鳴らしながら威嚇する。対するクレニアは、負けたばかりだというのに元気だなぁと思っていた。そんな態度が気に障ったらしい。ギルバートは1つ大きな舌打ちをすると、いきなり地を蹴り、クレニアの方へ突撃してきた。
「ほら、この前みたいに避けてみろよ! “火雨”!」
“火雨”は炎の矢を雨のように降らせる火属性の魔術。その範囲は術者の魔力量によるが、どうやらギルバートの魔力量は相当らしい。
クレニアは一歩も動かず、水の膜を薄く広げて炎の矢から身を守る。そしてスーリエに逃げるよう言うと、向かってくるギルバートと自身との間に無詠唱で障壁をつくる。
さすがに気づいたらしいギルバートはその一歩手前で急停止し、まだ一歩も動いていないクレニアを睨みつけた。
「相変わらずムカつく野郎だな!」
「模擬戦終わったなら場所空けてくれると嬉しいんだけど」
「あ? たった今やってんだろ」
模擬戦は双方の同意があって初めて成り立つ。つまり、同意なく始めれば、それはただの喧嘩だ。クレニアはため息を吐く。そしてそれに刺激されたのか、ギルバートが更に眦を吊り上げた。
彼が詠唱しようと口を開いた瞬間、死角からの炎がクレニアとギルバートの間の空間を焼いた。その炎はギルバートの前髪を掠めたらしく、細く煙が上がっている。
クレニアはギルバートの奥へ目を向けた。炎の主は、ネオだった。
「そろそろ止めろ、見苦しい。悪かったな、ルームメイトが迷惑かけて」
「おいアスティーズ! なんで止める」
「お前のそれはただの喧嘩だ。これ以上続けるなら、先生に報告するぞ」
「……チッ」
罰則はさすがに避けたいと思ったのか、ギルバートは悪態を吐きながら去っていった。ネオはクレニアに向き直る。
「グレイシスって呼ばれてたか。俺はネオ・アスティーズ。悪いが、模擬戦に付き合ってくれないか」
これは予想外だった。クレニアは驚きつつも動揺を上手く隠し、これに応える。先程のギルバートとは違い、ネオはクレニアの返事を聞いてから構えた。その辺きっちりしているのだ、この男は。
「“火雨”」
ギルバートと同じ魔術。しかし彼と異なる点は、矢の軌道が一つ一つ違うこと。クレニアは冷や汗を流し、苦笑いともとれる微笑を浮かべた。矢の軌道をイジるなど、普通は出来ないのだ。しかしそれを感覚でやってのけるのが、ネオ・アスティーズという魔術師だった。彼の魔術がまだ感覚頼りだから防げているものの、ここに理論が加わったらどうなるのだろう。考えたくもないな、と思いつつクレニアは次の魔術を展開した。
◇◆◇
結構長い時間戦っていたらしい。
日は沈みかけ、あたりは夕闇に包まれている。その薄暗がりの中で地面に座り込んでいるネオの赤い瞳は、鋭くクレニアを見据えていた。
「お前と戦れてよかった。付き合ってくれてありがとう、グレイシス」
「こちらこそ」
握手を交わし、ネオはクレニアの傍を通り過ぎていった。クレニアはその後ろ姿を見送る。
何か、違う。今までのネオ・アスティーズとは、決定的に。
クレニアはその場で腕を組み、思考を回し始める。
今までのネオの取っ付きにくさは、彼の家庭事情に由来していた。ネオの兄は魔塔に勤める、それはそれは優秀な魔術師だった。グロースフィアに入る前に、ネオが兄に勝てたことは一度も無かったと聞く。加えて水属性で頭脳派ということもあり、クレニアと自身の兄を重ねている節があったのだろう。
しかし、今日の彼はどうだったろう。
前回までのこの時期の彼は、荒んだ空気を纏っていた。だが今し方去っていった彼には、どこか清々しささえ感じる。
何かあったのだろうか。
しかし情報量が少ない今、勘繰ったところで憶測でしかない。クレニアは深く息を吸って思考をリセットすると、踵を返して寮への帰路についた。
寮の自室へ戻ると、青い顔をしたスーリエが出迎えてくれた。
「クレニア、ごめんなさい、ルイスが」
「ルイス……ギルバートと知り合いなの?」
スーリエは、こちらが申し訳なくなるほど弱り切った表情で、ルイスとの関係を話してくれた。どうやら、彼らは幼馴染らしい。昔はあんなに粗暴じゃなかったの、とスーリエは語る。
「昔は本当に優しかったの。でも、妹のシャーロットちゃんが生まれてから、どんどん荒っぽくなっちゃって……」
静かに聞いていたクレニアは、どこかネオと通ずるものがあるな、と感じていた。恐らくは、妹の方が可愛がられてきたんだろう。もしかしたら、妹の方が魔術の才があったのかもしれない。ネオも、環境が違えばあぁなっていた可能性があった。
そして目の前のスーリエは、ギルバートに対して後悔にも似た感情を抱いている。きっと、彼の1番近くにいたのだろう。ならば、彼を変えられるのはスーリエだけだ。
「一度、ちゃんと話してみたらいいと思うよ」
「また、昔みたいになれるかな……?」
「うん。真摯に向き合えば、きっと」
「分かった。ありがとう、クレニア」
やっと、スーリエの表情がいつものように穏やかになった。意外と行動力のある彼女のことだ、もしかすると明日にでもすっ飛んでいくかもしれない。
どうやらその予想は当たっていたらしく、翌々日の昼、ギルバートから一方的に戦いを始めたことを謝られた。その隣にはスーリエがいて、ギルバートの彼女へ向ける視線が何やら意味ありげなものだったので、もしかするとそういうことかもしれない。
◇◆◇
武闘大会は学年別で行われ、トーナメント方式の個人戦だ。トーナメントの準々決勝以降は2日目に行われる。また、準々決勝からは固有魔法が使用可能になるので、観客や見物に来た魔塔職員は2日目の方が多い。
トーナメントの前には人数を絞るため、最初に予選として、ランダムに分けられたグループごとで無属性魔術のみ使用可のポイント制の試合がある。これは胸元に付けた、属性を表す魔石を破壊すれば1ポイントだ。また破壊されずに生き残れば3ポイント。合計したポイントが多い順に、各グループ5名ずつ残れる。
トーナメントのルールは単純で、制限時間内で相手を降参させるか、胸元の魔石を破壊すれば勝ち。時間内に終わらなければ引き分けとなり、どちらも次には進めない。
今日はその武闘大会1日目だ。
まずは予選。これを突破しないことには次へ進めないのでそこそこ本気を出した。結果、難なく予選を突破。トーナメントも順調に勝ち進み、明日は準々決勝へ挑むことになった。
十分に英気を養い、翌日。
空は晴れ渡っており、心地よい風が時折髪を揺らす。
昨日のトーナメントの結果を見ると、ネオも勝ち進んでおり、上手くいけば決勝で当たることになる。スーリエはどうやら、準々決勝の一歩手前でギルバートに負けたらしい。
クレニアの準々決勝の相手は、同じ水属性の男子生徒。彼は過去にも戦ったことがあるので、固有魔法も知っている。たしか、天候を操るといったものだ。それ単体で見ればかなり強い部類の魔法だが、一回使うのにも相当な魔力を消費する。そして彼の魔力量はさして多い方ではなかったはずだ。だがそれを補うように、彼の技術力は学生の中では頭一つ抜けている。
ならば物量で押そう。
「では準々決勝、ノア・ダニエリ対クレニア・グレイシス。始めッ!」
ダニエリは水の矢を様々な速さで飛ばしてくる。軌道をイジるのは難しいが、速度くらいならばまだ易しい。
それらをすべて、クレニアは圧倒的な質量の波でもって彼諸共押し流した。その状態で水の温度を下げ、氷へ変える。
「こ、降参します……」
彼の魔術、魔法ではこの氷をどうすることも出来ない。加えて氷は、じわじわと体の機動力を奪う。賢明な判断だろう。
「勝者、クレニア・グレイシス!」
クレニアの圧倒的勝利に観客が沸き立つ。次の試合はネオが出るらしいので対策がてら見ておこうと、クレニアは目立たない場所で観戦することにした。
結論から言えば、ネオは今までより強くなっている。何があったのかは知らないが、魔術の精度は格段に上がっているし、何なら魔力量も記憶より多いと見える。
しかも、魔術を無詠唱で使っている。
通常、魔術は詠唱した方がコントロールが容易く安定性も増すが、その分発動までのスピードは遅くなる。その点、無詠唱なら瞬きの間に発動できるのだ。
「本当に何が……」
「こんなところで、どうしたんだい?」
「うわぁっ!?」
考え込んでいたところに突然背後から声をかけられ、クレニアは思い切り飛び退いた。声の主は、背の高い、中性的な女性だった。多分、女性だ。彼女は飛び上がったクレニアを見てクツクツと笑い、さらりと謝罪の言葉を述べた。
「驚かせてすまないね。私は魔塔の者だ。今年は粒揃いだと言うんで、見に来たんだよ」
「そうなんですか」
「おっと、そろそろ君も準備しないとね。急に話しかけて悪かったね。それじゃあ健闘を祈るよ」
女性は話すだけ話して行ってしまった。クレニアはしばらく佇んでいたが、出番が近いことを思い出し、その場を後にした。
◇◆◇
クレニアもネオも無事トーナメントを勝ち上がり、残すは決勝のみとなった。
「やっぱりアンタか」
ネオはクレニアをじっと見据え、低く呟いた。
「それでは決勝戦を行います。クレニア・グレイシス対ネオ・アスティーズ、始めッ!」
先に動いたのはクレニア。準々決勝で見せた波を再び現す。それをネオは超高温の蒼炎でもって一気に蒸発させた。会場が一気に沸く。それもそうだ、蒼炎は10,000度を上回る炎なのだから。滅多にお目にかかれるものじゃない。
続いて、ネオが模擬戦の時に見せた軌道を変える火矢を放つ。温度の高い黄炎や白炎が混ざっているのを見て、クレニアは自身の水魔術では防ぎきれないと判断する。
ならば固有魔法を。
「“剣よ”」
「!!」
何を思ったのか驚愕したように目を見開き、ネオの挙動が一瞬止まった。クレニアはそれには気づかず、防御魔術を展開しながら氷剣で矢を斬り捨てていく。その勢いのままネオの懐へ向かう。
虚を突かれたネオはクレニアの剣戟を蹈鞴を踏みながら躱し、そしてすぐに体勢を立て直して無数の火の弾を放つ。距離を取ったクレニアは、ネオを水球で覆うも炎で相殺される。
一歩も譲らぬ攻防。
両者睨み合う膠着状態を動かしたのは、ネオ。
「“雷光、曇天を裂け”」
爛々と真紅の双眸を輝かせ、拳に雷電を纏わせたネオが、空を走る稲光の如くクレニアへ突進する。
その拳を剣で受け止める。両手が軽く痺れているのを感じ、クレニアは武者震いした。記憶の中の彼より、遥かに強い。
ネオ・アスティーズの固有魔法は、雷を発生させるもの。記憶によれば、物に纏わせた状態が1番安定するようだ。魔力もさほど消費しないようで、長期戦にも向いている。
これは長引きそうだな。
クレニアは不敵に笑った。雰囲気が変わったことに気づいたのか、将又焦れたのか、ネオは低く腰を落とし、電光石火でクレニアの氷剣を破壊せんと迫ってくる。
クレニアはそれを、ふわりと飛び上がって躱し、重力魔術によって空中へ留まる。そして両手を広げると、煌々たる青い瞳で地上のネオを見据え、無数の氷剣を現した。
「…それは、反則だろ」
大量の氷剣を翼のように背負ったクレニアを見て、ネオは目を細め、小さく呟いた。
まだ、あんなにも遠いのか。
ほぼ投げ遣りに防御魔術を展開すると、降り注ぐ氷剣を受け入れるかのように両腕を広げた。
「降参だ」
クレニアの氷剣がネオの障壁を破る直前、勝敗が決した。クレニアは氷剣を消し、ゆっくりと地上へ降り立つ。
「勝者、クレニア・グレイシス! よって此度の武闘大会一年の部、優勝者はクレニア・グレイシスです!」
互いに握手を躱し、健闘を讃え合う。負けたと言うのに、ネオの表情には一切の曇りがなかった。
「いい経験になった。ありがとう」
「こちらこそ。また模擬戦、頼むね」
「あぁ」
かくして武闘大会は無事終わり、また日常がやってくる。
◇◆◇
ギルバートのいびきを聞きながら、ネオはクレニアとの戦いを思い返していた。
___「“剣よ”」
クレニアの氷剣を見たあの時、強烈な既視感があった。実を言えば、幼い頃からそういうことが何度かあった。
兄と初めて戦ったあの日、初めてだったはずなのに、彼の魔術には見覚えがあった。最初は、兄が訓練しているのを見たことがあったのだろう、くらいに思っていた。しかしネオが水魔術を目撃したのは、確かに兄との戦いが初めてだった。
グロースフィアに入学した翌日、同室のギルバートが憎々しげに吐いた名を聞き、懐かしさを覚えた。加えて、武闘大会前のクレニアとの模擬戦。高揚感とともに心中を占めていたのは、やはり懐かしさだった。
俺は、こいつと戦ったことがある。
それも、何度も。
クレニアとは初対面のはずだ。実際、そうなのだ。
深く探ろうとすると、頭が鈍く痛む。考えるなという警告なのだろうか。だが、思い出さなければいけない気がする。
その夜、後頭部の鈍痛と何とも言えぬ不安を抱え、ネオは眠りについた。
少しでも続きが気になる、面白いと思っていただけたら評価等々してくださると嬉しいです。何卒。