1.目覚め
「___ッ!!」
内側から鈍器で殴られるような激しい頭痛で、クレニア・グレイシスは飛び起きた。
喉元の焼けるような痛みが、まだ鮮明に残っている。
クレニアは首を押さえ、自分の脈を確かめた。いくらか速くなってはいるが、確かに、生きている。
「どういうこと……私は死んだはずじゃ……」
声は記憶より幼い。
ここは天国なのだろうか?ならば何故、死して尚、痛みを感じる?
「生きてる……」
数分間同じ問答を繰り返して、クレニアはやっと結論に辿り着いた。しかしその刹那、再び叫びたくなるような頭痛に襲われる。
記憶だ。
記憶が、雪崩れ込んでくる。
誰の?
___私の。
クレニアはベッドの上で蹲った。歯を食い縛り、血が滲むほど唇を噛んでも呻き声が漏れるほどの激痛。
それもそのはず。流れ込んでくる記憶は、1回分ではないのだ。
99回分の、人1人が生きた記憶。
すべて30年も生きていないとは言え、合計すれば2000年は優に上回るほどの年月。
そのすべての最期が、焼け付くような苦痛と後悔に塗れた哀しい記憶。
どのくらいの時間が経っただろう。窓から差し込む光の位置はさして変わっていないから、せいぜい10分程度だったかもしれない。
クレニアは荒い呼吸を整え、落ち着くために深呼吸を繰り返した。
状況を整理しよう。
まずは年齢だ。以前は17歳になる年に戻っていたが、今回はどうやら違うらしい。今の私の記憶を振り返ると、まだグロースフィアに入学してもいないし、入学許可証を受け取ってもいない。体の幼さや魔力量から察するに、恐らく今は12歳頃だろう。
そこまで考えて、クレニアは苦い表情を浮かべる。
そう、まだ先ではあるが、魔術学校に入学して間もない頃はネオ・アスティーズと険悪な時期なのだ。向こうが一方的に嫌っているだけではあるが。今まではたしか、1年生の武闘大会で打ち負かして以来、何かと目の敵にされていた。
だが彼は未来において、私がどんな選択をしても最後まで味方でいてくれた。早めに引き入れておくべきだろう。
突如、ノックの音が響いた。クレニアは驚いて瞬時に武器を取り出そうとし、そしてここが家だと思い出して、やめた。
「姉さん、入るね」
まだあどけなさを残す幼い声と共にドアを開けて入ってきた華奢な少女は、起き上がっているクレニアを見て、琥珀色の瞳を丸くした。
「姉さん、もう起きて大丈夫なの? 昨日は凄い熱だったんだよ」
「うん、もう平気みたい」
良かった、と胸を撫で下ろす可憐な少女はクレニアの妹で、アディリア・グレイシスという。病弱なために肌はいつも白いが、大きな丸い琥珀の瞳はむしろ、いきいきとした生気を感じさせる。しかし姉の顔を覗き込むと、その瞳に心配が宿った。
「……姉さん、泣いてたの?」
「え?」
「目が赤いし、ちょっと腫れてる……何か冷やすもの持ってくる?」
あの起き抜けの痛みのせいだろうか。それとも、昔の記憶のせいだろうか。妹の提案にクレニアは、微笑って首を横に振った。
「ううん、大丈夫。自分で冷やせるから」
「でも、病み上がりに魔術を使うのは良くないよ、やっぱり何か……」
クレニアは狼狽えるアディリアを片手で制し、目元に指先を当てると魔力を集中させた。
「”水球”」
呪文を唱えると、透明な水の球体がクレニアの顔の前に浮かんだ。温度は低めに設定したので、熱った目元に心地よい。
「わぁ……! 姉さんすごい! 水の魔術でそんなことできるんだ!」
「練習したらできるようになるよ。今度一緒に魔術の練習する?」
「うんっ!」
アディリアはまだ幼いから、話せない。
クレニアは冷静に思考を回す。
すべての記憶があること、そして過去の回帰時点より早いこと。これらには意味があるはずだ。
いつも、後一歩で力及ばずだった。ならば今回は。今から備えれば、きっと記憶の先へ行けるのではないだろうか。
私が必ず、この世界を守ってみせる。
◇◆◇
「……と、意気込んだはいいが」
何から始めようか。
記憶を取り戻してから数日後、クレニアは家の庭に立って、快晴の空を見上げていた。
水属性魔術の基礎を一通りやってみたところ、難なくできた。
その後も無属性魔術の障壁生成や身体強化、重力魔術の応用である飛行魔術も試したが、持続時間が短いことと精度が若干落ちていること以外は特に問題なかった。
持続時間が短いのは、まだ魔力の量が十分でないからだろう。しかし過去の経験からして体力をつければ自ずと魔力量も増えるので、トレーニングをすればこの問題は解決する。
操作の精度は体調と集中力の問題だ。まだ時折頭が痛む。が、さしたる問題ではない。
ならば磨くべきは。
「やっぱり固有魔法かぁ……」
固有魔法。
それは、魔術師が持つ唯一無二の魔法。
そもそも「魔術」というものは、魔力を呪文の詠唱や魔法陣など、定められた回路に流すことで形を成す。
一方で「魔法」は、その仕組み自体明確に分かっていない。あるいは、説明できないものこそが魔法である、とも言う。
固有魔法の発現時期は人それぞれだ。生まれたときから持っている人もいるし、魔術の訓練を積まないと発現しない人もいる。
そして固有魔法の難しいところは、必ずしも本人が望む魔法ではないところにある。魔力の少ない人が、発動するのに大量の魔力を必要とする固有魔法を得た、という例もあった。
クレニアの固有魔法は氷の生成であった。一般的に見れば、特別珍しいものでも並外れて強いものでもない。加えて彼女は水属性に適性を持つため、その延長とも捉えられる。
しかし彼女の魔法の真髄は、その精密さと強度にある。
「“剣よ”」
クレニアの武器は、もっぱら自分で創り出した氷の剣だった。どんなに敵を屠ろうとも決して刃こぼれしない剣。
その剣を顔の前にかざすと、意志の強そうな、けれどもまだ幼い顔が刃に映った。
張り詰めていた意識をふっと解くと、氷の剣は小さな粒子となって宙に溶けた。
大丈夫、まだ時間はある。
クレニアは自分に言い聞かせる。
今成すべきは、己が力を磨き上げること。焦ったところでどうにもならないのだから、地道にいこう。それにまだ12歳だから、中等学校にも通わねばならない。幸い今は夏季休暇中のようだ。恐らく新学年が始まるまで、あと数週間といったところだろう。
それまでに、一度でいいから遺跡で力試しをしたい。いや、遺跡でなくてもいい、たしか近くに魔物が出没するエリアがあったはずだ。思い立ったが吉日。クレニアは父親へ出掛ける旨を伝えると、意気揚々と件のエリアへ向かった。
◇◆◇
グレイシス家から東へ進むこと十数分。薄く瘴気の漂う森へ辿り着いた。クレニアは変わらないな、と呟く。
少し奥へ入れば、たちまち魔物の視線が肌を刺す。耳を澄ませば、獣の唸り声や息遣いが聞こえた。
「“剣よ”」
ひんやりとした氷の柄を握り、近くの茂みに向けて魔力の塊を撃つ。すると、それに刺激された魔物が踊り出た。
襲いかかる爪撃を躱しつつ懐へ入り、その心臓を穿つ。ひらりと身を翻して血飛沫を避けると、ちょうどさっきまで立っていたところに、魔物が力無く倒れた。
すると血の臭いに寄ってきたのか、また数匹の魔物がその首を裂かんと迫る。それを斬り伏せる。
それを日が暮れるまで繰り返し、結果、あたりの魔物をほとんど狩り尽くしてしまったらしい。頬についた血糊を適当に拭うと、クレニアはやっと武装を解いた。
どうやら、腕はそこまで鈍っていないようだ。集団相手に、十分立ち回れる。あとは、魔物が消滅したあとに残る魔石だけ回収しよう。今はあまり知られていないが、あれは魔力を補給するのに役立つ。
「帰らなきゃ」
クレニアは沈みゆく夕日を眺めて呟いた。今頃アディリアが、姉さんはどこにいるのかと両親を問い詰めているに違いない。その光景を思い浮かべ、クレニアは少しだけ口元を綻ばせた。
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