13.狩りII
刃と牙がぶつかり合い、暗がりに鮮やかな火花が散る。
青年が得物を水平に振ると、ワーグは咆哮と共に倒れ、塵と化した。やがて残響も消え、静寂が訪れる。
「ここ一帯は終わったか」
淡い月光の差すニーヴル森の中で、ソルテ・アスティーズは武器をしまいながら、誰にともなく呟いた。
暗い茂みに目を向けると、しばらくしてからガサガサと物音が聞こえ、人影が現れた。
「遅かったな、グレン」
「申し訳ございません。想定より手間取ってしまい……」
グレンと呼ばれた長身の女性は、長い手足を縮こまらせて項垂れる。ソルテはその様子を一瞥すると、口元に柔らかい笑みを浮かべた。
しかしそれも一瞬のこと。ソルテの表情は凛々しい“魔課の鬼才”のものへと変わる。
「オリヴィエからの報告は」
「万事順調とのことでございます。ユグシルが担当したヴァーサ森も討伐完了だそうです」
「そうか。俺たちは移動しよう。東の方……トゥポル山か? あの辺りに妙な気配がある。行くぞ」
「はっ」
◇◆◇
完全に、周りをワーグの群れに囲まれた。
詰みかと思われたが、しかし、ディアナの目に宿ったのは強い闘志だった。
彼女はこの状況を前に、不敵な笑みを浮かべてすらいた。
「お前ら、上へ退避しろ!! クリスは街に被害が行かないよう、結界を張れ!」
ディアナはよく通る声で、叫んだ。クレニアとラマゼルは即座に重力魔術で宙へ浮き上がり、その場を俯瞰する。
後衛に徹していた3人も飛び、クリスはそのまま街に向かっていった。
ディアナはアイゼルに視線を送る。それを受けてアイゼルは、彼女の意図を察した。
「ヴィクトール」
「あぁ」
浮き上がったアイゼルは、トゥポル山全体に魔法陣を展開する。
「“空間を統べし者”」
詠唱し、指を鳴らすと、瞬きの間に全てのワーグが彼らの足元で団子になった。
ディアナはアイゼルの横に並び、街に結界が張られているのを確認すると、ワーグの塊に狙いを定める。指先に、凄まじい密度で魔力が凝縮されていく。
「“撃ち砕け”!!」
放たれた隕石の如き魔力弾は、ワーグの塊を一瞬にして蒸発させ、その勢いで地面をも抉った。爆風で体が揺れる。
しかし、中心にいたらしい大型のワーグは未だ、ディアナを睨んでいる。
「チッ、まだ足りないのか……!」
ディアナが落下速度を利用して攻撃を仕掛けるも、躱される。続いてクレニアが反対側から氷剣で斬りつけるが、まるで効いている様子がない。ラマゼルの“風弾”が頭上を超えてワーグに命中する。しかし砂埃の中から現れたワーグの毛並みは依然として、憎たらしいほどに美しい。
クレニアは再度斬りかかろうとするが、今度はワーグが攻勢に転じ、攻撃を躱すので手一杯になってしまう。
何とか猛攻を潜り抜けて一旦後ろへ下がったクレニアに、ラマゼルは叫ぶ。
「こいつ、本当にワーグなのか!?」
「……いや、多分、違います」
クレニアも、あのような魔物は厄災以外で見たことがなかった。裏返せば、アレが現れるのは、魔国との“門”が完全に開いた、あの厄災くらいなのだ。
「ぐッ」
「アイゼル先生!?」
ラマゼルの横を吹っ飛ばされたアイゼルが通り過ぎ、そのまま背後の木に激突した。クレニアは駆け寄り、状態を確認する。
服が所々破け、血が滲んでいる。恐らく腹を殴打されたのだろう、口の端から血液が溢れ、呼吸はかなり苦しそうだった。
「先生!」
「僕に構うな……アレは、いくらディアナでも……1人じゃ、手に負えない……」
クレニアは息も絶え絶えなアイゼルに申し訳程度の回復魔術をかけた。アイゼルは回復の為に瞼を閉じる。いくらか、呼吸が楽になったように見えた。
立ち上がったクレニアはラマゼルと目を合わせ、同時に動き出す。
「クレニア! ヴィーは」
「しばらく動けないと思います」
「そうか」
淡白な返事だったが、ディアナの雰囲気が急激に冷たくなっていくのを肌で感じた。
直後に放たれた魔力弾の威力は凄まじく、初めてワーグが身を捩り、痛みによる咆哮を上げた。
「何であれ、お前はここにいてはいけない生き物だ。必ず仕留める」
ディアナの視線は鋭く、正しく“狩人”であった。彼女は同じ場所へ向けて、今度は炎の魔力を帯びた魔力弾を撃ち、追い討ちをかける。肉の焦げる臭いがし、クレニアは反射的に顔を顰めた。ワーグは更に大きな吠声を上げる。凄まじい音圧に、一瞬クレニアの足が竦む。
「立ち止まるなクレニア!」
ハッと息を呑んで顔を上げると、爛々と輝く紅水晶と視線が交わった。
ディアナは氷剣を握り直したクレニアを見て笑みを溢し、大剣を召喚すると、眼前の敵へ一目散に地を駆ける。
驚くべきことに、ワーグの傷は、その速度こそ遅いものの、確実に塞がっていった。再び咆哮を上げたワーグはディアナへと飛び掛かる。
軽々と振るわれる大剣はワーグの右前足を裂き、更に左前足も叩き折る。攻撃手段を失ったワーグは、後ろ足で地面を蹴ってディアナに噛み付かんとするが、その動きは鈍い。
アイゼルに治療を施しつつ戦況を観察していたラマゼルは、いち早く、ワーグの異変に気が付いた。
上体を伏せたまま、ワーグが大きく口を開ける。牙の覗くその口腔に、魔力が凝縮されていく。
誰も、その異変の名を知らなかった。
ラマゼルは本能的に危機を感じ、ほぼ無意識下で固有魔法を展開させていた。
「“守護者の鎧”」
結界の展開とほとんど同時に、ワーグの口から一気に魔力が放たれる。
それは鋭利な風の魔力を帯びていて、直撃していたならば、四肢がバラバラになっていたことだろう。ラマゼルの結界にもヒビが入り、やがて光の粒子となって壊れた。
「……今、のは」
ディアナすらも固唾を飲んで、顔を強張らせている。
薄らと瞼を開いたアイゼルは、ほとんど吐息のようなか細い声で言った。
「あれは……最早、ワーグじゃない……フェンリルに、なろう、と……」
「フェンリル、って」
ラマゼルの唖然とした声に、アイゼルは微かに首を横に振る。
見れば、ワーグの傷は全て回復していた。
「……仕留めるなら一発で、か」
「ラマゼル?」
立ち上がったラマゼルは、ひたと変異しかけているワーグを見据え、ゆらりと右手を掲げる。
ワーグはラマゼルの殺気を感じ取ったのか、唸り、威嚇する。
ラマゼルは皆の視線を感じながら、少し前のことを思い出していた。
◇◆◇
「属性は変えられない。大事なのは、戦い方だよ」
学年末、魔術試験が終わった頃だった。
ディアナとの稽古中に、風属性は殺傷力が高すぎる、と相談したことがあった。ラマゼルは元々好戦的でなく、争いを好む性格ではない。
模擬戦で相手に怪我をさせないようにということばかりに気が向き、今一つ訓練に集中できない、という悩みへの回答が、ディアナのこの言葉だった。
「戦い方……」
「あぁ。アタシはこの通り、撃つことしか能のない脳筋だがね、アンタは違う」
ディアナの紅水晶が、真っ直ぐにラマゼルの瞳を射抜く。
「ラマゼル。アンタは、“護る”ことができる」
「護る……」
「直感さ。アタシにも、よくはわからない。でもアンタはきっと、近いうちに自分の在り方を見つけるだろう」
◇◆◇
ラマゼルの瞳に青が揺らめく。
ワーグが身を屈め、一瞬の後にラマゼルへ飛び掛かる。
その爪が、まさにラマゼルの体を引き裂かんとしたその刹那。
「“水槍”」
ラマゼルの背に現れた無数の槍が、ワーグの頭を貫いた。
「……アレは」
クレニアは目を見張る。
あれは、水属性の魔術だ。まさか、ラマゼル・シェーベールが2種類の属性に適性を持っているとは。だがそれなら、あの魔力量も頷ける。
一気に大量の魔力を消費した反動で、ラマゼルの体がふらりと傾く。それを、ディアナが受け止めた。
ディアナの心配げな視線を受けて、ラマゼルは丸い瞳を細めて微笑った。
「……ディアナさん、俺わかった。俺、人を護る為に力を使うよ。人が、傷つくのは見たくない……」
「……あぁ、アンタは自慢の弟子だよ、ラマゼル」
ラマゼルは喜色を浮かべると、そのままディアナの腕の中で目を閉じた。
それを見ていたクレニアは、ふと殺気を感じて振り返る。が、何もいない。
「……え?」
違う、何もいないはずがない。
ワーグは、いや、フェンリルはどこへ行った。
低く、地を這う唸り声が耳朶を打つ。
「っディアナさん!」
クレニアが氷剣を構えるより速く、今まで気配を断っていたワーグ……否、既に神話の獣と化したフェンリルがディアナに襲い掛かる。
ディアナが振り向き、その瞳に驚きの色が浮かんだ。
クレニアの脳裏に、塗りたくられた鮮烈な赤がフラッシュバックする。
もう、目の前で失うなんて、嫌なのに。
足が言うことを聞かず、根が生えたかのように一歩も動けない。
フェンリルは最早、ディアナの目と鼻の先にいる。
終わりか、と思われたその瞬間。
刃が、青く閃いた。
少しでも続きが気になる、面白いと思っていただけたら評価等々してくださると嬉しいです。何卒。