ディアナ・ベスティール
それは、一瞬の出来事だった。
家の外で耳を劈くような悲鳴がしたと思った途端、家は倒壊し、幼い娘を庇うように前に出た両親の体から鮮血が飛び散った。
ディアナ・ベスティールは、8歳だった。
ディアナはコルディス領の生まれだ。元々魔物が頻繁に出没する地域だった。
普段は腕利の冒険者たちが応戦するが、運悪く、その時は遺跡の探索のために出払っていた。
あとで馴染みの冒険者から聞いた話だが、ディアナの両親を襲い、殺した魔物はロック鳥と言うらしい。
手も足も出なかった、とディアナは振り返る。
当然だ。当時はまだ、魔術学校にも通っていないただの少女だった。
それでも、目の前で魔物に両親を惨殺された経験は、ディアナの心に深い棘を残した。
ロック鳥の襲来によって孤児となったディアナは、近所に住んでいたアイゼル家に引き取られた。
「俺、ヴィクトールっていうんだ。君の名前は?」
「私はディアナ。宜しくね、ヴィクトール」
「ヴィーでいいよ! 俺たち家族だろ」
2つ年下のヴィクトールは、先の襲来で姉を失ったらしかった。それから彼らは、本物の姉弟のように仲良くなった。
約10年後、ディアナはグロースフィア魔術学校卒業を目前に控え、人生の岐路に立っていた。
ディアナにとって、学校で魔術を修めたのも、学業の隙を見て冒険者たちの依頼を手伝ったのも、すべては強くなるためだった。
しかし、強くなったところで、失った両親の命が戻るわけではないし、まして、両親を殺したロック鳥が見つかるとも限らない。
ディアナはベッドの中で蹲る。
瞼を閉じれば、今でも思い出せる。
ロック鳥の鉤爪で背中を裂かれた父の、眉根を寄せて歯を食いしばる苦悶の表情。
最期まで守るように手を握ってくれた母の、段々と失われていく握力と体温。
そして、ロック鳥が遠ざかる羽音と、耳障りな鳴き声。新たな犠牲者たちの悲鳴、家々が瓦礫となって崩れる轟音。
すべて、鮮明に覚えている。
私のすべきことは、なんだろう。
ふと、何気なくそう考えて、ディアナはハッとした。
今まで、そう考えたことはなかった。
「できること」ではなく、「すべきこと」。
ディアナは1人微笑った。
すべきことならば、ずっと前から分かっている。
これ以上、自分のような被害者を出さないことだ。
そのためには、何が必要だ?
人手と拠点、そして情報。
それから、もっと単純なもの。
強さだ。
1人で魔物の群れを殲滅できるほどの、圧倒的な強さ。
しかしそれを得るには、まだまだ修行が足りない。
「絶対に、もっと強くなる」
ディアナはグッと拳を握り、決意を新たにした。
もちろん、眠っているルームメイトを起こさないよう、小声で。
ディアナが卒業して最初にしたことは、顔馴染みの冒険者で、尚且つ彼女が知る中で最も強い者、アルクスに稽古を頼むこと。
アルクスとは「弓兵」を意味するので、本名ではなく通り名のようなものらしい。
アルクスは、10年前のロック鳥の襲来で応戦した数少ない冒険者の1人だ。その時、顔に傷を負ったらしく、左目の虹彩だけ色が薄くなっている。
「お子様につける稽古なんざねぇよ。帰んな」
「嫌です!!」
そういうやり取りを、恐らく50回は繰り返した頃。
「はぁ、分かったよ……」
アルクスが遂に折れ、ディアナを彼の仕事に連れていくことを約束した。
もしディアナが危機に陥っても、自力で脱することを条件に。
「俺は俺の仕事をする。絶対に邪魔するな」
「分かった」
アルクスが請け負う依頼は、彼の強さに相応しい高難易度のものばかりだった。
例えば、ワイバーンの群れの殲滅。
別の日は、オークの集落の偵察と殲滅。
その次の日は、クラーケンの討伐。
アルクスは戦場が陸であれ水中であれ、危なげなく任務を遂行した。
それについていくうち、ディアナも段々と魔力の使い方や体術、魔物の知識や地形を利用した戦術、撤退のタイミングなどを学んでいった。
「アルクス! 今日はどこへ行く、の……?」
ある日、ディアナが冒険者ギルドの拠点へ行くと、そこに、いつものように気怠げに壁に寄りかかるアルクスはいなかった。
代わりにギルドの女性から、宛名もなければ差出人の名前もない封筒を渡された。
外へ出て開けてみれば、紙が一枚入っているだけ。
雑に折り畳まれたその紙を開き、流れるような筆跡の文を読むと、ディアナは目を見張った。
「俺はイヴァノイへ行く。頑張れよ」
イヴァノイ国は、リディオン国の南東に位置する小さな国だ。だが、そんなことはどうでも良かった。
「頑張れって……直接、言ってくれれば良かったのに……」
きっと、彼なりの優しさだったのだろう。
不器用な人だった。
気持ちが沈みそうになるのを堪え、ディアナは勢いよく顔を上げる。
師匠に頑張れと言われたからには、やるしかない。
アルクスに夢を語ったことはなかったが、察しの良い彼のこと、恐らく気づいていたに違いない。
それも引っくるめて、「頑張れ」と言ってくれたのだ。ならば、期待に応えねば。
「よし!!」
頬を叩いて気合いを入れ直すと、ディアナはもう一度ギルドに入り、先程手紙を渡してくれた受付嬢に尋ねた。
「1番難しい依頼はどれですか?」
◇◆◇
「……しょう、師匠! どうしたんすか?」
「ん、あぁすまないね。少し昔を懐かしんでいた」
「師匠にも、師匠っていたんですか?」
ラマゼル・シェーベールは頬を伝う汗を拭いながら、ディアナに問いかける。
「あぁ、いたよ。今はどうしてるんだろうね。ま、きっとどこかで生きてるんだろ」
時の流れとは早いものだ、とディアナは思った。
アルクスを師と仰ぎ、追い回していた自分が弟子をとるとは。
「さ、休憩は終わり。稽古の続きをしよう」
「宜しくお願いします、師匠!」
次のページから第二章開幕です。
少しでも続きが気になる、面白いと思っていただけたら評価等々してくださると嬉しいです。何卒。