私がヒールを脱いだとき~幽霊公爵様は溺愛をご所望です
「セシリア、お前の婚約が決まった」
お父様の書斎に呼び出されたかと思うと、突然そう告げられた。
「はい?」
「だから、お前の婚約が……」
「いえ、それは分かりましたが……なぜ急に? 私は自分で言うのもなんですが、殿方からは敬遠されているのでは……」
自分で言うのも情けない気分にもなるものだけれど、私がこの国の男性方には受け入れられない性格の持ち主だとは知っている。
私、セシリア・ラグバードはラグバード伯爵家に生まれた、れっきとした伯爵令嬢。伯爵令嬢であることは間違いない。間違いないのだが……。
我がラグバード伯爵家はご先祖様が武勲を上げ、男爵位から陞爵されたという過去がある。
元々武芸に長けた家だったため、国の危機に立ち上がり、勝利を収め、国を救った。らしい。なんせ百年以上前の話らしいので伝記として残るのみで詳しくは分からない。
しかしそれ故に我が家では生まれた子は皆、武芸に長け、父も八歳年上の兄も国のために闘っている。
そのせいなのか、性格のものなのか、私も幼い頃から剣術や乗馬を好み、男性を負かす勢いだった。
見た目だけはサラサラの艶やかな金髪にルビーのような瞳で、それなりに美人だと言われているのだが、令嬢らしからぬ私のことを、プライドの高い男性は受け入れられず敬遠していた。
『男勝りな伯爵令嬢』『淑女としての嗜みよりも武芸を好む』と、噂が噂を呼び、十八となった私にダンスを申し込む男性は全くいなくなっていた。まあ、噂でもなく本当のことなのですけれどね。
「お前な、自分で言うなよ」
呆れたように笑いながら口にしたのはアレスお兄様。
私と同じ金髪にルビーの瞳のアレスお兄様はとても爽やかな美男子で、さらには騎士としてもとても有望で、女性陣にとてつもない人気があると聞いた。
私たちはよく似た見た目なのに、男女でそのような差があるのは納得いかない、と、いつも釈然としない思いをしていた。
「まあ私もお前は一生結婚しないものだと思っていたのだが……」
「お父様……なにげに失礼ですわね」
「ブッ」
お父様が溜め息を吐きながら呟いた言葉にアレスお兄様が笑った。
それをジロリと睨みながら、私自身も溜め息を吐く。
「ラグバード家はアレスが継ぐことだし、お前はそのまま家で騎士として働きながら暮らすのだと思っていたのだよ」
まあそうでしょうね。実際私自身そう思っておりましたから。我が家で働くのならば、女性であろうが騎士として使ってもらえる。
「それがなぜか先日陛下から直接呼び出しを受けてね……お前の婚約話をいただいたのだ……」
「は? 陛下から?」
「あぁ」
「え? それは王命ということですか?」
「……そういうことだな」
「…………」
あまりに予想していないことだったために、思考が一瞬停止してしまった。
「王命ということは断ることは不可能、ということですね……」
「……うむ。陛下は強要はしない、とは仰っておられた。お前がどうしても嫌だと言うならなにか策を考えるが……」
お父様は真っ直ぐ私を見詰めた。陛下が強要はしないと仰ったにしても、王命ならば断ることなんて出来ないことは私にも分かる。
「それでお相手はどちらのお方なのですか?」
「ロイアス・クラーベル公爵だ」
「え……クラーベル公爵……あの『幽霊公爵様』ですか?」
「滅多なことを言うな」
あまりに驚いてしまい、思わず社交界で噂されている呼び名で言ってしまった。
間髪入れずにお兄様に咎められてしまう。
「も、申し訳ありません。その……あまりに驚いてしまい……」
「まあ……そうだろうな……」
お父様は苦笑した。
『幽霊公爵様』。それは社交界では有名な通り名だった。
ロイアス・クラーベル公爵。アレスお兄様と同じ二十六歳という若さだが、前クラーベル公爵が早くに亡くなられたため、一人息子のロイアス様が若くして跡を継がれたと聞いた。
銀髪に銀の瞳で儚げな美青年らしい、という話は聞いたことがある。
その見た目から『幽霊』などと噂されているのかと思えば、実の所、かの公爵は社交界に一度も姿を現したことがないのだそう。だから誰も姿を見た事がない。本当に存在している人物なのかすら疑わしい。
それ故に『幽霊公爵様』などという、不名誉な通り名が囁かれるようになった。
現国王の甥にあたる公爵ではあるのだが、社交界に全く姿を現さないという行為。国王主催のパーティにすら出席しない。
なぜそれが許されているのか。
それは彼が『未来を予知出来る目』を持っているかららしい。
嘘か誠か、過去に様々なことを言い当てたことがあるのだそう。
彼の目は出会った人の未来を望まざるとも見てしまう。幼い頃にはそのため人々から気味悪がられ、本人も傷付き人を避けて来た。
しかし大人になるにつれ、見ようとしなければ見ないでおくことが出来るようになったそうだ。しかし突発的に見えてしまうことがある。
だから社交界には出ない、人とは会わない、と屋敷に引きこもっていると聞いた。
それからは国が彼の力を頼りにしているため、社交界に出ずとも許されているのだ、と。
それが私も含め、貴族の者たちの間で知れ渡っているロイアス・クラーベル公爵様の情報だった。
「お前は昔に一度だけロイアス様にお会いしたことがあるよ」
考え込んでいた私に苦笑しながら、お父様が言った。
「お会いしたことがある?」
「あぁ。お前が五歳だったか? お前たちの母親が亡くなり、陛下がお言葉をくださったのだ。そのためにお前も城へ行った。そのとき仕事の話でアレスと共に庭園で待たせていたのだ。そのときたまたま城内に来ていたロイアス様にお会いしたのだ」
はて? と、首を傾げる。全く記憶にないわね。
「あのときはまだ幼かったのもあるが、母上が亡くなられたばかりだったからね。お前が覚えていないのも仕方ないと思うよ」
お兄様は覚えているようで、当時を思い出しているのか少し寂しそうな顔になった。
「そのときすでにロイアスは人間不信に陥っていたが、お前とは遊んでいたよ」
「そうなのですか?」
「いや、お前に遊ばれていた?」
腕組みをし、思い出しながら冗談なのか本気なのか分からない暴言を吐くお兄様に呆れながら、私自身記憶を探るが、やはり全く思い出さない。
全く記憶にないと、幽霊公爵と言われている方と共に遊んだと言われても実感がない。
「ん? お兄様はなぜ公爵様を呼び捨てなのですか?」
「ん? あぁ、俺は彼とは幼馴染みたいなものだからね」
「幼馴染?」
「あぁ」
お兄様が頷いたと同時にお父様が説明した。
「ロイアス様は幼い頃から今のお力を発現されたらしくてな。お前がお会いした当時もすでに心を病まれていた。そこで同い年でもあり、普通の貴族とは異なる我が家のアレスに話し相手として声がかかったのだ」
普通の貴族とは異なる……元々身分が低い男爵位だったことから、伯爵位になった後も、我が家を下に見る貴族の方々は多かったらしいのよね。
だからと言って、言われっぱなしではないラグバード家の人間は功績を上げ、さらにはそれなりに口も達者なもので、口さがない方々を反論出来ないくらいねじ伏せたのですけどね。
「まあ話し相手としてよくお屋敷に訪問したのだが、たまにしか会えなかった」
そう言いながらお兄様は笑った。
「人見知りは激しいが、まあ悪い方ではないよ。頭脳明晰で若いながら公爵家をしっかりと守り続けている有能さ。人見知りが激しく社交界に姿を見せないこと以外は、お前とも変人同士気が合うんじゃないか?」
「お兄様……私はともかく公爵様まで変人呼ばわりは失礼ですわよ」
「お前、自分は変人と認めるのか?」
そう言いながらアハハと笑ったお兄様。自分で認めるのはどうかと思うけれど、世間的には変人だと思われているのは分かってますからね……。小さく溜め息を吐き、しかし、公爵様ご自身を知っているお兄様の言葉を不本意ながらも信じることにした。
私は王命とかは関係なく、自分の意思で婚約を受け入れた。
私のような貴族令嬢らしからぬ娘を必要としていただけるのなら、幽霊公爵様とも仲良くなってみせましょう!
そして私はロイアス・クラーベル公爵様の婚約者となった。
婚約式などは行わず、書面を交わしたのもお父様。公爵様とは一度も顔を合わせることなく婚約者となり、花嫁修業という名目で、クラーベル公爵邸での暮らしが始まった。
公爵邸へ到着した当日、公爵様の出迎えはなかった。
どうやら私が到着する日の前日に領地で問題が起こったらしく、公爵様自身が向かうことになったのだそう。
人見知りだとしても仕事はキチンとこなされる方なのね。
一度も顔を合わせることもなくクラーベル邸へ入ることとなった上に、屋敷の主人が不在であるときに屋敷へ上がり込むというのも気が引けた。しかし執事長がひたすら謝ってくれ、旦那様からもてなすように指示されている、と主張され、仕方なくそのまま私室として用意された部屋へと向かった。
「本当に申し訳ございません。しかし旦那様はセシリア様が婚約者として屋敷に来られることを大変喜んでおられました」
にこにこと優しい笑顔で語る執事長。
「公爵様が喜んでおられた?」
「はい」
王命なのに? 私との婚約は嫌ではなかったのかしら? 見ず知らず……いえ、一度だけはお会いしていると言っていたわね。でも一度しかお会いしていない、しかも幼いとき。そんな相手をいきなり婚約者にと言われて喜んでいた? 人見知りなのに?
うーん、どういうことかしら。
執事長は私の私室となる部屋は公爵様が用意してくださったと言っていた。
この可愛らしい部屋を?
部屋に入った瞬間、とても良い香りが漂った。可愛らしい花がたくさん飾られ、真っ白のカーテンは風に揺らぎ、壁紙は淡いクリーム色で温かみがあり、よく見ると薄ら花の柄がさりげなく施されている。
ベッドの天蓋はフリルが可愛らしく、掛け布団にもさりげなく花モチーフがあしらわれていた。机やクローゼット、鏡台に至るまで、全てが可愛らしい調度品。
この可愛らしい部屋を公爵様が? あまりにも違和感があり信じられなかった。
結局、公爵様は私がクラーベル邸へ入ってからも、しばらく帰って来なかった。
私はどうしたらいいのだろう、と手持ち無沙汰にはなったが、クラーベル邸の皆は温かく優しい人たちばかりだった。
私が剣術や乗馬の訓練をしたいと言えば、不快感を表すでもなく、準備や手配をしてくれた。
厨房へ立ってみたいと言えば、快く料理長が手伝ってくれ、庭いじりをしたいと言えば、庭師が私専用の花壇を設けてくれた。
「なぜここまで私の好きにさせてくださるの?」
何もかも自由にさせてもらいすぎていて、贅沢にも疑問に思ってしまう。
執事長はキョトンとした顔になったが、すぐさまにこりと微笑み、
「旦那様が、全てセシリア様の好きにさせるように、と」
またしても唖然としてしまった。
こんなに自由にさせていただいて良いのかしら。確かに花嫁修業として、毎日勉強もしている。
しかしそれも私が学びたいことを伝え、その教師を付けるように、と公爵様から指示されている、と言っていた。
こんなに好きにさせてもらっていると、私自身が我儘な女になってしまいそうで怖いわね。
公爵様が帰って来られたときには、さすがに甘やかし過ぎです、と訴えようかしら。
そんなことを訴える女性もなかなかいないでしょうね。そう思うとクスッと笑った。
「どうされましたか?」
笑った私を見て執事長は首を傾げた。
「フフ、いいえ、なんでもないわ」
この屋敷の使用人たちは皆、公爵様のことを信頼している。
私を自由にさせていることに対し、誰も不満そうな姿を見たことがない。
私に隠れてなにかを言っているかもしれない。その懸念は全くないとは言い切れない。
でも……あちこちに顔を出し、普通なら嫌がられそうなものなのに、どこへ行こうと、皆嫌な顔やそんな素振りは見たことがない。
今までの経験上、人の悪意には敏感なほうだ。陰口を叩かれることも多々あった。しかしそれを受け流すことも私は上手い方だった。
お父様やお兄様のように武功を上げ、周りを黙らせる、なんてことはさすがに出来る訳もなく……。
いや、実力はね、男性を負かすくらいは出来ますけどね、それはさすがにやってはいけないでしょう、と自分でも分かりますから。
夜会で嫌味を言う方々を殴り飛ばす訳にもいかないですからね。ウフフ。
だから受け流すことを身に付けた訳ですよ。相手にしない、これが一番。
「使用人は皆、旦那様のことを大事に思っております。皆、旦那様が幼い頃よりお仕えしている人間ばかりです」
執事長がそう言葉にしたときの優しい顔は嘘ではないと信じられた。
使用人から愛されている方ならきっとお優しい方なのよ。まだ一度もお会い出来ていないけれど、それだけは分かった。
「でも……いつになったら公爵様にお会い出来るかしら……」
「セシリア様……きっともうそろそろお帰りになられるはずですよ!」
私に専属で付いてくれているメイドのサナが私の髪を整えながら言った。
あ、しまった、口に出てしまった。
「あぁ、ごめんなさい、思わず口にしてしまったわ……公爵様はお仕事ですものね、仕方ないわ」
「いえ、お寂しいのは当然です! 旦那様も早くお会いしたいはずですよ!」
「そ、そうかしら……」
「そうですよ!」
サナは力いっぱいそう言ってくれたけれど、ほぼ会ったこともない相手に会いたいと思っているとは思えない……人見知りなんだし……。
私自身も寂しいというよりも……やはりどんな方なのか気になるというか……。
そうやってモヤモヤしながらも、屋敷の皆と楽しく過ごしていると、慌てたサナが私を呼びに来た。
厨房で料理長と和気あいあいとお菓子作りをしていた私に、サナは冷や汗をかきながら声を張り上げた。
「セシリア様! 急いでお部屋でお召し替えを!」
「サナ? そんなに慌ててどうしたの?」
「だ、旦那様がお戻りです! お迎えのお支度を!」
「!!」
公爵様がついにお戻りに!? まずいわ! お菓子作りのために、髪は束ね、服は汚れてもいいように簡素なワンピースを。
サナに促され、慌てて部屋へと戻る。料理長も慌て出し、皆がバタバタと忙しなくなった。
メイド総出で私の身支度を整えてくれ、ゼイゼイと荒い息をなんとか落ち着け、エントランスに公爵様を出迎えるために準備をする。
執事長始め、メイドたちも皆整列をする。皆が必死に息を整えようとしている姿に思わず笑いそうになってしまった。
正面の扉が開かれ、執事長が出迎えたその人は……
美しい銀髪が煌めき、白い肌と相まって、神々しくも見えた。
上着を執事長に預ける仕草すら優雅で美しい。さすが公爵家という品格を感じる。
公爵様は思っていたよりも背が高く、『幽霊公爵』と呼ばれるような儚げさはなかった。
いや、色合いは銀髪に白い肌で儚げだが、体格は細くもなく、鍛えてあるのかスラリとしてはいるが、騎士といってもおかしくないくらいの均整の取れた体格だった。
どこが儚げなのよ! 儚げというからもっと女性のような線の細さかと思っていたわ。れっきとした男性の体格に美しい顔。そのことに予想外過ぎて固まってしまった。
思わず見惚れてしまい、執事長になにか声を掛けられた公爵様が、こちらに目線を向け、目が合った。
その瞳は銀色でキラキラと美しく輝いて……
「!!」
銀髪に負けないくらいの美しい瞳だわ、と思った瞬間、公爵様は大きく目を見開き、その美しい瞳がさらによく見える……
そう思ったのに……
公爵様は思い切り顔を逸らすと、脱兎のごとく逃げ出した……。
「は?」
「だ、旦那様!?」
執事長は声を張り上げ、メイドたちは驚愕の顔をし、私はというと……唖然として固まってしまった。
しまった、私としたことが!
慌てて駆け出し公爵様を追うが、すでに姿はなし。
「いや、ちょっと……」
「セ、セシリア様! 旦那様は戻られたばかりでお疲れですのでまたご夕食時にでも!」
明らかに執事長の顔が引き攣っている。
「そ、そうね……公爵様もお疲れですものね」
ハハハハ、とその場にいた全員が乾いた笑いとなった。
悶々としながら夕食を待ったが、しかし、その日の夕食時に公爵様は現れなかった。
執事長はひたすら謝罪を繰り返し、公爵様から私の好きな料理を用意するようにと仰せつかったと言ってはいたが……いや、どうなのよ!
いくらなんでも全く顔を見せないなんてありえないでしょう!
その日から公爵様は屋敷にはいるはずなのに、一向に姿を見ることが出来なかった。
なんでも好きなものを、と、様々な贈り物をくださるけれど、私はそんなことは望んでいないのよ!
メイドたちに頼み、偶然を装い、公爵様のいる場所に鉢合わせる、といった計画を練っても、どうやって察知するのかすんでのところでいつも逃げられる。
「チッ。今日も逃げられたわ」
令嬢が舌打ちもどうなのよ、と思うけれども、なんせ腹が立ってきた。いくらなんでも全く顔すら見せないというのは礼儀に反する! 我が家でそんなことをしようものなら斬り捨てられても文句は言えないわよ!
「こうなったら意地でも捕まえてやるわ」
夜、暗闇のなか一人呟いた言葉は誰の耳にも届かなかった。
今までメイドから聞いていたからダメだったのかも。彼女らが私を裏切り告げ口をしていたとは思わないが、メイドの行動パターンを読まれていたのだとしたら。それに公爵様は未来が見えると言われているし……その能力で避けられているのだとしたら……。
メイドの力は借りず、さらには公爵様の能力ですら追い付けないほどの素早い行動を! 自分の足だけで公爵様を追い詰めてやるわ!
ん? なんかちょっとおかしな方向へ進んでいるような? うーん、まあいいか。難しいことは考えない!
サナに頼み、動きやすい服装、動きやすい髪型にしてもらい、作戦開始よ!
ひたすら屋敷内を一人で徘徊し、公爵様がいると聞けばそちらに向かう。逃げられてもすぐさま後を追う。
そうしているうちに、じりじりと距離が縮まって来たのが分かった。
公爵様がその場にいた時間がつい先程だったのだ。
その部屋にいたのはつい先程! ということは、あの角の先にいる! そう判断し、急ぎ足で向かった。
その角を曲がった先に公爵様の銀髪が見えた!
「公爵様! お待ちください!」
あ、しまった、声を掛けてしまった! こっそり近付くつもりだったのに!
案の定、ギクリと振り向いた公爵様は目を見開き、逃げ出した。
ブチッ。
なにかが切れた音が頭に響いた。
「もう逃げられませんわよ」
フフフ、と不気味な笑い声を上げ、私はワンピースの裾を持った。そしてヒールを脱ぐと……
「いい加減になさいませ!」
まるで戦闘モードかのごとく、床を蹴り私は裸足で勢い良く駆け出した。
遠ざかっていた公爵様の背中が一気に近付いてくる。
ギョッとした公爵様はさらに速度を上げ駆ける。
なぜ屋敷内で大の大人が追いかけっこをしなければならないのかしら、と冷静に考えながらも、私は怒りから全力モードとなり、男性にすら負けない筋力を発揮した。
「もう逃げられませんわよ!」
そう叫び、公爵様の背中に手が届いたかと思った瞬間、振り向いた公爵様が驚いた顔のままつまずき、勢い良く廊下に倒れ込んだ。
そして私はそれに引っ張られるかのように、公爵様につまずき一緒に倒れ込んでしまった。
バターン!! と鳴り響いた廊下に、近くにいた使用人たちは驚き慌てた。
「「いたた……」」
身体を起こした私の下には公爵様が……。
「!?」
美しい銀髪は乱れ、美しい銀色の瞳は艶やかに揺らめき、白い肌は赤く染まり……
「セ、セシリア嬢……その……降りてもらえないか……」
私は横たわる公爵様の腰に馬乗りに跨っていた。
「も、申し訳ございません!!」
流石にこれは駄目よ! 慌てて公爵様から降りようとしたが、よく考えると逃げられないために追いかけたのよ。ここで離れるとまた逃げられる!
「もう逃がしませんわよ!」
馬乗りになったままそう口走ってしまった。
床に寝そべったままの公爵様は赤い顔のままだが、ポカンとした顔になった。
あれ? なんだか既視感が? 以前にもこんなことがあったかしら?
子供の頃になんだか誰かと遊んだ記憶。人見知りのその子は嫌がり私から逃げようとしていた。しかし幼い私はそんなことお構いなしに、その子と遊ぼうと全力で追いかけ回し、最終的に馬乗りで捕まえた。
『もう逃がさないわよ!』
その子は唖然とし、プッと噴き出し笑った。
『君には敵わないな』
そう微笑んだその子は銀髪がキラキラと煌めき、まるで天使のようだった。
お母様が亡くなって、お父様もお兄様も悲しそうで、なにも言えなかった幼い頃、私はその子の笑顔のおかげで心が軽くなったのだったわ。
まさか……あのときの!?
「やはり君には敵わないな」
公爵様は愛しいものでも見るかのように、爽やかな笑顔で笑った。
むくりと上半身を起こした公爵様ははにかみながらも、やはり顔を真っ赤に染め、片手で顔を隠した。
「逃げないから……その……降りてもらえないか?」
「!! 申し訳ございません!!」
馬乗りになったままだったことを思い出し、慌てて公爵様の上から降りる。
周りでは使用人たちがあわあわと見守っていた。さ、さすがに恥ずかしい……。
二人して廊下の床に座り込んだまま、お互い向き合う。
真っ赤な顔のままの公爵様に釣られて、私まで顔が熱くなるのが分かった。
「あ、あの……幼い頃も今も、大変失礼を致しました。あの幼い頃……あの後物凄く怒られましたわ。それから二度と貴方様には会わせてもらえませんでした」
公爵様に対して馬乗りなんてしたら、それは二度と会わせてもらえないわよね。当たり前だわ、と苦笑した。
顔を隠していた公爵様は私のほうを見た。銀色の瞳はウルウルと揺らぎ、まるで宝石が輝くようだ。
目が合うと、サッと俯いてしまう。前髪で顔は隠れ見えなくなってしまったが、髪の合間から見える耳が真っ赤に染まっていた。
「違うんだ……」
ボソッと言葉にし出した公爵様は、頬を赤く染めながら、懐かしむように話し出す。
「私は嬉しかったよ。あんな風に笑ったのは久しぶりだったから。でもあのとき……」
嬉しそうだった顔が少し悲しそうな顔となった。
「私の噂は知っているとは思うが……。あのとき、一瞬君の未来が見えた気がした。無意識だったんだ。今は見ないように抑える方法も分かっている。でも、それからは君の未来を見てしまいそうで怖くて会えなかった」
未来が見えるという噂は本当だったのね。そのせいで公爵様は人間不信に陥り、人見知りと有名になるほど、他者と会うことを避けた。
「今は制御出来るようになったから突発的になにか起こらなければ見ることはないんだ」
悲しそうな、なにもかも諦めたかのような、そんな寂しそうな笑顔。
この方は見たくもない他人の未来を見てしまい、利用され、恐れられ、拒絶され、そうやって今まで他人との関わりを絶たないと生きて行けなかったのね。
悲しい、可哀想、切ない、そう思ってしまった。でもこれは失礼なことよね……。
公爵様はそれでも当主として、立派に務めていらっしゃる。どれだけ傷付いても責務は果たす。それだけ責任感が強いお方。
私が少しでも心の支えになれたら……。
「今、私の未来が見えますか?」
未来の私はこの方を支えられているのかしら。支えていたい。そう思う。でももし支えられていないのなら……
「見たくない」
公爵様は辛そうな泣きそうな、そんな顔で苦しそうに呟いた。
少し俯き気味で、拳をグッと握り締めている公爵様。
そんな公爵様の綺麗な銀髪にそっと手を伸ばした。
ビクッとした公爵様はガバッと顔を上げると、目を見開き私の顔を見詰める。すると再び真っ赤な顔になっていく。
そんな公爵様が愛おしく思う。
頭に置いた手をそっと撫で下ろし、細く柔らかい髪に触れる。
「見ても良いですよ? 私はもし悪い未来だとしても、それを変えてみせますから。フフ」
そう言葉にし、微笑んで見せた。
もし未来の私が公爵様の傍にいないのなら、もし未来の私が公爵様を幸せに出来ていないのなら、もし悪い未来が起こっているのなら……。
それでも私はその未来を変えてみせる。私の人生は私のものよ!
公爵様は驚いたように、しかし、ふにゃりと表情が和らいだ。
「君たち兄妹は本当に凄いな。君の兄、アレスも私の力を怖がらなかった。『過去は変えられないが、未来はいくらでも変えられるだろう。自分次第だ。俺はそんなものには頼らない。だからお前がいくら俺の悪い未来を見ようが俺は変えてみせるから、お前は気にするな』と、そう言ってくれたよ」
公爵様はフフッと笑った。
「フフッ、お兄様らしいですわね」
まさに兄妹なのだな、と実感する。私も全く同じ考えだった。
「君も私の力を怖がらないんだな」
公爵様ははにかみながら、髪に触れる私の手をそっと握った。
そして掌に頬擦りするように、自身の頬に私の手を添わせたかと思うと、掌に「チュッ」と軽く口付けをした。
「!? こ、公爵様!?」
「やはり君が好きだ」
「は!? え!?」
私の掌に口付けたままチラリと私に視線を寄越した公爵様の瞳は、やたらと熱が籠っているような……。
そ、そんな瞳で見詰められると……カァァッと頬が一気に火照る。
「こ、公爵様!! からかわないでください!!」
「からかってなどいないよ。私はずっと君が好きだった。しかし昔の記憶がどうしても消えない……だから君には会えなかった」
公爵様は寂しそうな顔で笑った。
「しかし陛下からそろそろ公爵家のために身を固めるように言われた。共に公爵家を支えてくれる伴侶を迎えろ、と」
私の手を取り、両手で包み込んだ。
「私は君以外と伴侶になりたくはなかった。だから陛下に君の名を……断りもなくすまない……」
それで……陛下から王命で……。
「そうだったのですね……」
「君は……私を受け入れてくれるだろうか……?」
私の手をギュウッと握り締め、私をまっすぐに見詰める公爵様。その表情は先程までの照れた可愛い公爵様ではなく、まるで「もう逃がさない」と言われているような瞳。
その瞳にドキリとする。
幼い頃の記憶はただのお友達だった。でも確かにあのとき私の心は救われた。私もこの方の心を救いたい、そう思った。
「わ、私は……その……好きだという気持ちは正直まだよく分からなくて……申し訳ありません……でも、その……」
公爵様は私の手を握り締めたまま、じっと私を見詰め言葉を待った。
「公爵様をお支えしたい想いは強いのです。こんな中途半端な私でも、公爵様のお傍にいても良いでしょうか……?」
おずおずと口にしたその言葉に、公爵様はどんな反応を示すのか怖かった。こんな臆病な自分が私のなかにあったなんて、と戸惑いもあり、公爵様の顔を見ることが出来ずに俯いてしまった。
「ロイ」
「はい?」
公爵様の呟いた言葉の意味が分からず、顔を上げてしまった。そしてそこで見たものは……
頬を緩め、嬉しそうに微笑む公爵様。
そして私の頬に手を伸ばした公爵様はふにゃりと微笑み、私の頬をそっと撫でた。
「!!」
温かい公爵様の手がスリスリと私の頬を撫でる。一気に顔が火照るのが分かる。
「ロイと呼んで欲しい」
「……ロイ様?」
「様もいらない」
「ロ、ロイ……」
「うん」
頬を赤らめ嬉しそうに微笑むロイの神々しさが眩しい!
今まで恋愛事には無縁だったから慣れていないのよ! あわあわしてしまうわ、情けない!
「私の傍にいてくれるんだね? 嬉しいよ。私のことはこれから好きになってもらえれば良いよ。私の想いをじっくりと伝えさせてもらうね?」
そうニコリと笑ったロイの天使のような微笑みが、なんだか獲物を狙う獣のように見えたのは気のせい……よね?
それからというものロイは私の欲しいものや気になるものをいつの間にやらメイドたちから聞き出し、あれやこれやと贈られる。さすがにそれはやめてくれと訴えると、しょぼんと仔犬の耳が垂れたような姿となったため、あまり強くも言えなくなってしまった。
そして暇さえあれば、私と時間を共にした。さすがに部屋を共にはしないが、それでも時間がある限り、私と食事やお茶を共にしたり、剣術や乗馬にまで付き合ってくれたり、夜には愛を囁かれたり……
「セシリア、君が好きだよ。愛している。私には君しかいない。ずっと私の傍にいてほしい」
そんな言葉をずっと囁かれ続け、私の思考回路はもう壊れてしまうのではないかというほどの甘ったるい言葉で埋め尽くされてしまった。
耳元で囁かれぞわりとし、手を握られ、頬を撫でられ、頭を撫でられ、そして抱き締められ、ふにゃふにゃになってしまう。
こんな濃密な溺愛……経験不足の私には……も、もう、無理!
「ロ、ロイ!! も、もう分かりましたから!!」
「アハハ。セシリアは本当に可愛いね」
楽しそうに笑うロイは人見知りであったなどとは思えないほど、もう私に対しては全く遠慮なしだった。
「私のことを好きになってくれたかい?」
クスクスと笑いながら上目遣いで聞いてくる。クッ、なんだか遊ばれているような気がするわ!
「もう! 知りません!」
「フフフ、そうかぁ……じゃあもっと私の愛を伝えないとね」
「!!」
これ以上まだ攻められるの!? と、驚き目を見開きロイの顔を見ると、いたずらっぽく笑ったロイがちゅっと私の頬に口付けた。
「!?」
固まってしまった私を嬉しそうに見詰めながら、ロイは私の唇に人差し指を当てた。
「次はここにね」
「!!」
カァァアッと顔が一気に火照った。な、なんだか色々負けた気がして悔しいぃ!!
そうやってロイの溺愛攻めにあいながら、もうすっかり私もロイを好きなのだと自覚する前に、国王主催の夜会への招待状が届いた。私たちの婚約を発表したいとも記されていた。
貴族間では他家の婚約はすぐに知れ渡るが、公に発表するまでは皆口にはしない。だから公爵家であるロイアス様の婚約は、伯父でもある陛下が発表を行う、そう伝えて来たのだ。
「私たち二人に対して招待されていますが、どうされますか?」
「……申し訳ないが、私はやはり出席は……」
「そうですよね……私一人で参加して来ますね」
国王主催ということ、今回の婚約についての発表と、そして陛下への挨拶をするためにも出席する必要がある。なんせ陛下からの王命なのだから。婚約後、一度も挨拶に訪れていない。それはさすがにまずいだろう。
ロイが夜会には参加しないであろうことは、陛下も理解しているだろうから、今回は私一人でも恐らく許していただけるのではないかしら。
そう思い一人で出席することを決めた。ロイはなにか言いたげだったが、夜会に参加させて嫌な思いをさせたくはない。私はなにかあろうが一人でも負けることはない。
陛下へは一人で参加する旨の返信を公爵家の印で送った。
「恐らく会場には私の父も兄もおります。そんなに心配なさらないで大丈夫ですよ」
夜会当日、なにか言いたげなロイは私の手を握っていた。私はにこりと微笑み、そんなロイを諭すように言葉を投げかけ、そして一人王城へと向かった。
夜会の会場へと到着すると、案の定というかなんというか……陰口を叩く方たちばかりで逆に笑ってしまいそうになる。
『あら、あちらの方はラグバード伯爵家のセシリア様では?』
『なぜおひとりなのかしら。幽霊公爵様とご婚約されたのでは?』
『幽霊公爵様は社交界にはお出にならないですからね。一人で行けと言われたのでは?』
『それよりも、そもそも幽霊公爵様って実在するのかしら』
『男勝りなセシリア様と幽霊公爵様ですものね。有名人同士でお似合いではないですか?』
そんな嘲笑の会話が聞こえて来る。あからさまにこちらに聞こえるように話していることに辟易してしまうわね。呆れるわ。そんな話ばかりをしていて楽しいのかしら。本当にお暇な方たちね。
「お前なんで一人で来た!」
急に叱られるように声を掛けられ、振り向くとアレスお兄様がいた。
「お兄様……ロイアス様は社交界にはお出にはなりません。陛下にはお断りの返事を致しました」
そう返すと、お兄様は深い溜め息を吐いた。
「お前たちのお披露目でもあるんだぞ! お前だけの問題じゃないんだ。今後公爵家がどう見られるかの問題にもなってくる。お前たちに子供が出来たらその子もずっとそれを背負うことになるんだぞ」
お兄様の真面目な顔にハッとする。
そう……よね。今後私たちが結婚し、子供が出来たとしたら……私たちはどれだけ馬鹿にされようが気にしなくとも、今後子供たちもずっとそれを背負い続けないといけない……。
私は自分の浅はかさに急に恥ずかしくなった……。あぁ、ロイ……。
◇◇
「旦那様、夜会に出席なされてください」
執事長はロイアスに真面目な顔で言った。普段、執事長はロイアスに意見をすることなどない。ロイアスの考えに反対したことなどないからだ。
しかし今夜の執事長は違った。
「さすがに今回は旦那様の行動を我々は支持出来兼ねます」
周りにいたメイドたちも真剣な顔で頷いた。
「セシリア様が一人で夜会に参加され、なんと言われるかお考えになられたことはございますか? 今まで旦那様一人だったから何を言われようとも問題なかったのです。しかし、セシリア様は婚約者がいながら、誰にもエスコートされず一人きりで夜会に参加されたなら、周りの貴族の方々から嘲笑されるに決まっているではないですか」
ロイアスは目を見開き驚いた顔。そして今までその考えに至らなかった自分の不甲斐なさに怒りを覚えた。
「あぁ……私は……なんて愚かなんだ……」
「旦那様、今は悔やむよりもお急ぎください」
ハッとしたロイアスは執事長の顔を見た。執事長、メイドたちも頷き、そして微笑んだ。
「旦那様ならもう大丈夫なはずです」
ニコリと笑った執事長はロイアスを促した。
「馬車は用意してございます」
「!! すまない! ありがとう、皆!」
ロイアスはもう躊躇うことはなく駆け出した。
◇◇
「男のようなセシリア嬢ならば幽霊公爵殿を連れてくるなど容易いでしょうに、本日はどうされたのですか? まさか国王陛下主催の夜会にすら参加出来ないと?」
背後から一人の男性に声を掛けられる。明らかに私やロイを貶める発言だ。
ジロリとお兄様が睨むと、一瞬その男性はたじろいだが、それでも不愉快な笑みを浮かべながら強気に言葉を続ける。
「僕は間違ったことなど言っておりませんよね? 婚約者をほったらかしにして、国王陛下主催の夜会を不参加出来るほど幽霊公爵殿は偉い人物なのですねぇ。それかやはり幽霊と言われるだけあって実在の人物ではないのですか? セシリア嬢が婚約者すら出来ないのを誤魔化すために幽霊公爵を使った方便ですか?」
ニヤリと侮蔑の笑みが気持ち悪い。
「貴様!!」
「お兄様!」
アレスお兄様は今にも掴みかかりそうな勢いで怒りを露わにしている。まずいわ、このままではなにも悪くないお兄様が罰せられてしまう!
慌ててお兄様を止めるために、前に出ようとした瞬間、私の横を風が走った。
キラリと煌めく銀髪がフワリと揺れた。
「ロイ!?」
私の目の前にロイがいる。
なぜ!? なぜ来たの!? ロイはこんなところには来たくはなかったはず……。私が一人で参加するから、と屋敷に一人残ったはず……それなのに、目の前にロイがいる。
この無礼な男性から私を庇うかのように、間に立つロイ。
「な、なぜここに!?」
ロイに駆け寄り腕を引っ張る。それを宥めるように、私の手にそっと手を添え、大丈夫だと呟いたロイは優しい笑顔を向けた。そして私の手を握ったまま、顔を男性のほうへと向けると、今まで見たことがないような、酷く冷たい顔となった。
ゾクリと身体が震える。
ロイの顔は目の前の男性を見下すかのような目線で射殺しそうなほどの冷たい表情。
そしてその目は銀色からジワリと真紅の色へと変わっていく……。
!? な、なに!? ロイの瞳が!?
「だ、誰だ!?」
男性はたじろぎながらも虚勢を張る。
「貴殿はザイアグダ侯爵家の子息だな? 私の婚約者のなにを知っているのだ?」
「!? 婚約者!? その女の婚約者!? ということはお前……幽霊公爵!?」
驚愕の顔となった男性はロイを指差し震え出した。
「貴殿にお前呼ばわりされるいわれはないが? 私の婚約者であるセシリアのこともその女呼ばわりされるいわれはない」
「!! も、申し訳ございません!!」
ザイアグダ侯爵家? ロイは社交界に全く出ていないのに、この方のお顔を知っていたの?
「謝るということは、私が誰なのか知っているのか?」
ロイの瞳は完全に真紅の色となっていた。まるで血の色のよう……。
真紅の瞳で冷たい顔のまま睨むロイは、いつも私の前で見せる優しい顔とは全く違う。そんなロイが怖くも感じるが、でも……
「幽霊……い、いえ!! ロイアス・クラーベル公爵殿! も、もちろん存じております!」
「そうか……ならば、私の能力も噂で知っているだろう?」
男性はギクリと身体を強張らせる。そんな男性に向かい、ロイは足を一歩踏み出し近付いた。
男性よりも背の高いロイは、男性を見下ろしながら発した声は酷く冷たかった。
「ザイアグダ侯爵家はなにやら他国に密売をしているようだな?」
その言葉を聞いた男性はサァッと顔から血の気が引き青ざめた。
「自国を裏切る行為、そんなことをしている人間が私や私の婚約者を罵るとはどういう了見だ?」
「い、言い掛かりだ!!」
男性はロイに掴みかかろうと腕を伸ばした。
!!
私とお兄様は瞬時にロイの前へと踏み出すと、一瞬にして男性を締め上げ、床へと押さえ付けた。
呆気にとられている聴衆をよそに、私は男性をお兄様に託し、ロイに駆け寄った。
「ロイ!! 大丈夫ですか!?」
ロイの瞳はスッといつもの銀色に戻り、いつもの優しい笑顔となった。
「私は大丈夫だよ。まさか君に守ってもらうなんて」
ハハ、と苦笑したロイ。
「それより君は大丈夫かい? 酷いことを言われていた。すまない、私が一緒に行かなかったばかりに、君に辛い思いをさせてしまった……」
そう言いながらシュンとし、眉を下げた。そんなロイが可愛く思え、先程の冷たい顔を少しでも怖いと思ってしまったことを後悔した。
私は、怖いロイだろうが、仔犬のような可愛いロイだろうが、私はこの人を守りたいのよ。傍にいたいのよ。離れたくはないの……
そうか……私はもうすでにロイのことを愛しているのね……。
「いいえ、私自身のことは全く辛くはありませんわ。だって本当のことですもの」
フフ、と笑ってみせたが、ロイはブスッと納得いかない顔だ。
その顔がまた新たな一面で嬉しくなってしまう。色んな顔を見せてもらえることに幸せを感じてしまう。
「あぁ、私は貴方が可愛くて仕方ないですわ」
思わず口に出でしまった言葉にロイは目を見開いた。
「私は貴方が悪く言われるほうが余程腹立たしいです。相手を殴り飛ばしてしまいそうになるのを抑えるのに必死でしたわ」
そう言い、チラリと周りを見渡すと、何人かのご令嬢方がギクリと身体を強張らせ、そそくさとその場から離れて行った。
それ以外のご令嬢方は、突然現れた『幽霊公爵』がまさかの美青年だったためか、皆、うっとりとした顔でロイを見詰めている。
「ハハハ、やはり君には敵わない」
ロイは楽しそうに笑った。その顔は天使の微笑みのように美しく、ご令嬢方の目を釘付けに! 駄目よ! この方は私の婚約者なのですからね!
「ロイ、私は貴方を愛しています。だから貴方が傍にいてくれるだけで、私はなにも怖くはありません。誰になにを言われようとも返り討ちにして差し上げますわ」
「アッハッハッ!!さすがセシリア嬢だな!!」
大声で笑い飛ばした人物。振り返ると、いつの間にやら後ろに国王陛下がおられた。
「!!」
皆が一斉に最大級の礼を取る。膝を折り頭を下げた。
「良い、皆、頭を上げてくれ」
陛下はそう言ってから、取り押さえられた男性の傍に寄った。
「ザイアグダ侯爵家のラダン。侯爵家がなにやら裏で行っていることはある程度調べがついている。詳しく話を聞かせてもらうから覚悟をしておけ」
陛下は騎士に連れて行けと命令し、男性を会場から連れ出させた。
「いやぁ、まさかロイアスが自ら夜会にやって来るとは。セシリア嬢のおかげだな」
クスクスと愉快そうに笑う陛下は、ロイアスと私の肩をバシバシと叩いた。
ロイアスはとても嫌そうな顔をしていたけれど。
「そう不機嫌な顔をするな。いくらセシリア嬢からの愛の告白を遮ったからといっても」
そう言いながら私に向かいウインクをする陛下。
あ、愛の告白!! そういえば、ロイに見惚れるご令嬢方に対抗心で思わず大勢の前で告白してしまったのだったわ! なんてこと!
一気に顔が火照る。そんな私の前に立ち、嬉しそうな顔で見詰めるロイは、私の耳元で囁いた。
「嬉しいよ。でも皆にそれを聞かれて、こんな可愛い君を見られるのは嫌だな。早く二人きりになりたい」
ボフッと頭が爆発したかと思うほど、私の顔は恐らく真っ赤なのだと分かった。
やれやれ、と陛下は苦笑しながら話す。
「ザイアグダ侯爵家は以前から怪しかったのだが、明確な証拠を掴めなくてね。助かった。お前に頼む手間が省けたよ」
ロイアスにしたら不本意だったようで、苦虫を噛み潰したような顔になり、私のせいでこのような事態になったことを申し訳なくなる。
「さて、これでお前の顔も皆が知ることとなり、さらには婚約者殿の顔も知られることとなった訳だ。ここで公爵家の二人の婚約を正式に発表させてもらうとしよう」
そう言って陛下は皆を見渡した。
「皆、ここにいる二人、ロイアス・クラーベル公爵とラグバード伯爵家のセシリア嬢は先日正式に婚約した。今後二人は結婚し夫婦となり、公爵家を支えていくだろう。皆、前途ある若き二人を祝福してやって欲しい」
声高らかに陛下は宣言した。会場にいる皆は私たち二人に拍手を贈ってくれたのだった。
お兄様もやれやれといった顔でこちらに軽く手を振った。
「あんなに他人から注目されることがなかったから疲れたよ……」
「そ、そうですよね、お疲れ様でした」
陛下の宣言から今まで遠巻きにしか眺めていない方々が、私たちの周りに近寄って来て挨拶や祝いの言葉をかけていった。
次々に訪れる皆様方の対応に、ロイは最初こそは頑張っていたけれど、次第に顔を引き攣らせていた。
私自身も普段とは全く違う周りの反応に辟易しながら、必死で平静に挨拶を交わした。
お兄様に苦笑されながら、一通りの挨拶を終え、ようやく会場から逃げ出し、夜の庭園で二人ベンチにグッタリとしている、というわけ。
「そういえばロイの未来を見る力とはどのように見えるのですか?」
突然ザイアグダ侯爵子息の未来を見ているようだったが、今現在の悪事を暴いていた。未来を見るということはどういうことなのか。
項垂れていたロイは私に目線を寄越すと、ふわりと微笑み私の手を握った。
「昔は突発的にいつかも分からない未来を見ていたが、今は自分で見たい未来を見ることが出来るんだ。今このときが見たいなら今を、もっと先を見たければその先を。今現在見ている姿に投影するように見える」
「そうなのですね……」
「怖い?」
握っていた手にさらにグッと力を込めた。そして少し怯えるような、悲しそうな目を向ける。
「そんなわけありません。私がそんなことを怖がるとお思いですか? 私は貴方を愛している、傍にいたい、と申しました」
真っ直ぐにロイを見詰め、私を信じられないなんて許さない、という強い目を向けた。
「アハハ、やはり君には敵わない。何度そう思わせてくれるのか」
嬉しそうに笑ったロイは顔を近付けて来たかと思うと、ちゅっと口付けた。
「!!」
驚き目を見開くとロイはフッと笑い、片手を私の頬に手を添え、親指で唇をなぞった。
「次はここにするって言っただろう?」
「!!」
そう言って妖艶な笑みを浮かべたロイは再び深く口付けをした。
何度も口付けをされ、あまりの緊張と恥ずかしさで思考回路が振り切れてしまい、思わず彼を押し退けると、なにを思ったのか、私はヒールを脱ぎ捨て走り出してしまった!
それを見たロイはアハハと声を上げて笑い、
「今度は私が君を逃がさないから」
そう言って追いかけられ、どれだけ引き離そうとも、真紅の瞳であっという間に捕まってしまった。
「捕まえた」
お姫様抱っこで抱えられ、再び口付けられる。
「ズルい! 力を使うなんてズルいです!」
ジタバタと抵抗してみせるが、ロイは思っている以上に力強く、ドレスを着た私を軽々持ち上げているばかりか、私の抵抗をものともせず押さえ付けられている。
「アハハ、私はズルい人間だよ? 君を捕まえておくためには何でもする。卑怯な手だって使うよ」
ニコリと笑って、そう言われ、あまりに素直に認められてしまい、なにも言い返せなかった。わ、私、なにか早まったかしら。
「も、もう逃げませんから! 下ろしてください!」
「足を怪我するから駄目」
そう言いながら楽しそうなロイ。
お姫様抱っこのまま、口付けをされながら馬車まで連行されたのだった……。
私の心臓が壊れてしまわないか心配になってしまうわ……。
完
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