へのへのもへじ
バイトの帰り道、たまには違う道で帰ってみようという気分になり、田んぼや畑の多い道を自転車で走っていた。
夜なのであまり景色は見えないが、やはりいつもと違う道を走るのは新鮮で気持ちがいい。
そんなことを思いながら走っていると、いきなり後ろから「君!」と声をかけられた。
俺はブレーキを力いっぱい握りしめ、その場に急停止した。
後ろにはパトカーが停まっていた。
「ごめんごめん、驚かせちゃったか!」
降りてきた男性が申し訳なさそうに言った。
なんだ? 何かやってしまったか?
自転車で違反になるのってなんだっけ? なにをしたら警察に声かけられるんだっけ?
頭が真っ白になりかけていた。
「君、こんな時間に何してるの?」
非行少年だと思われてるのか?
「バイトの帰りです」
「ふーん」
興味無いなら聞くなよな。
「ちょっと自転車から降りてもらえる?」
えっ。やっぱり俺なにかしたのか?
「分かりました⋯⋯」
怖かったので言う通りにした。
「名前と住所教えてくれる?」
!?
そんなもの、教えていいのか? 確かにパトカーから降りてきたが、本当にこいつは警察官なのか? もし本物だとしても、名前と住所を聞く理由はなんなんだ?
「緊張させてごめんね、そんな固くならなくて大丈夫だよ」
警察官の男性がとても優しい口調で言ったので、俺は名前と住所を教えた。
「ふむふむ⋯⋯うん、OKだね。防犯登録されてる」
防犯登録?
もしかしてこの自転車、盗んだやつだと思われてたのか?
「そういえば、最近ここらの畑の網を切り裂いて回ってる悪いヤツがいるんだけど、犯人に心当たりないかな? ずっと僕が追ってて、切り裂きジャックって呼んでるんだ」
そんな事件が起きてるのか。どうせチャラチャラしたヤンキーとかがやってるんだろうなぁ。
それにしても切り裂きジャックて。恥ずかしくないのか? この人。
「その事件自体全く知りませんでした」
俺がそう言うと、警察官の男性は帽子を取って頭を下げた。
「ご協力ありがとうございました!」
パトカーが走り出したので、俺も自転車に跨り、ペダルに足をかけた。その時だった。
目の前に人が立ってることに気がついた。畑の前に、直立不動で立っているのだ。
こちらが「うわぁ!」と声を出しても全く動かない。もしかしてこれ、案山子か?
持っていたスマートフォンで照らしてみると、へのへのもへじの顔の、つるっパゲの頭の案山子がピンク色の布を纏って立っていた。隣には『泥棒へ 見つけたら捕まえます』と書かれた看板もあった。
切り裂きジャックに加えて泥棒までいるのか。物騒な地域だなまったく。
次の日、俺はあの道を通ってバイトに行くことにした。明るい状態であの案山子を見たかったからだ。今どき『へのへのもへじ』だぞ? 気になるだろ?
畑に着いた俺は目を疑った。
畑の白菜がぐちゃぐちゃになっているのだ。
葉が破られ、散らされ、泥まみれになっていた。
人が頑張って育てた野菜をこんな⋯⋯!
当事者ではない俺だったが、これまでにない殺気が沸いた。
こんなことをしておいて、人の苦労や努力を踏み躙っておいて、犯人は捕まることなく笑いながらのうのうと生きている。そう思うと身体が震えた。
しまった、こんなところで立ち止まっている場合ではなかった。バイトに遅刻してしまう!
そう思い全力で漕いでなんとか間に合った俺は、いつものように夜まで仕事をした。
帰りもあの道を通ることにした。犯人を目撃することが出来るかもしれないと思ったからだ。名前も顔も知らないが、この畑の持ち主のために犯人を捕まえてやりたいと思ったのだ。
しばらくして、畑に到着した。
人影らしきものは見当たらない。
辺りを見渡していると、案山子の様子がおかしいことに気がついた。昨日とシルエットが違う気がするのだ。
頭部を照らして見てみると、髪の毛と耳がついていた。