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「お前、いつまでこの部屋にいんの?」

「は?」

 聞き間違いだと思いたかった。けれど、どう考えても聞き間違いなどではなかった。

 外にはチラホラと粉雪の舞う十二月の冬の日。部屋の中には二人いた。一人は、新波。ついさっきキッチンで作り終えた鍋をテーブルの上に置いて、昼飯にしよう、と声をかけた。もう一人は、頬澄。ベッドの上にうつ伏せで寝そべって、布団を被ったままスマホを弄って、「んー」と生返事をしていた。

 そう思ったら、突然これだった。

「どういう意味だよ、それ」

「いや、なんか、いつまでいんのかな、って」

 頬澄は、新波の方を見ようともしない。

「就活とかさ、してんだろ? よくお前、外に出てくし。なんか昼間、家にいないこと多いし」

「いや、してない」

「嘘吐かなくていいって」

「いや、本当にしてない。外に出てるのは、気を遣って家を空けてるだけだ」

「は?」

 それで、とうとう起き上がった。ばさり、と掛布団を持ち上げて、黒いスウェット姿が現れる。

「なんだよ、気を遣うって」

「だって、ずっと家にいたら嫌だろ」

「なんで」

「なんでって……プライベートな時間、お前だって欲しくなるだろ。わざわざ外出しようとしなかったら、本当に動画作成してるだけなんだから、部屋の中にずっと俺がいることになるんだぞ」

「だからなんだよ」

「いや……」もうこの話はいいや、と新波は思って、「そもそも、就活するならスーツくらい着て出るだろ」

「駅のトイレとかで着替えてんだろ」

「なんでわざわざ」

「私がキレると思ってるから」

 まあそれは、と思ったから、新波もすぐには反論できなかった。実際に自分が就活しようと思ったら、頬澄にはバレないようにするだろう。だって、そんなことを知ったら、頬澄はこんなことを言うに決まっている。

「あー、そう。まあそうだよな。お前みたいななんでもできるやつはこんな怪しい商売いつまでもやる気なんかないもんな。はいはいはいはい。精々表計算ソフトの使い方でも自慢してろ。ばーか。死ね。出てけ。二度と顔見せんな」

 そして荷物を纏めて部屋から蹴り出される。自分は職と家のない状態に逆戻り。

 ありありと、想像できる。

 が、完全に濡れ衣だった。もう半年近くが経つが、就職活動なんてひとつもしていない。やっていたのはホラーに関する市場調査と、動画製作の技術向上だけ。あとは家事とか。そのくらい。

「してないって」

「あ、そ。ふーん」

 全然信じてない声で、頬澄はそう答えた。

 まあいいか、と新波はそれを流す。実際にしていないわけだから、そのうち誤解も晴れることだろう。何せ今、一日の間に一緒に過ごしている時間は、そんじょそこらの家族よりもずっと長いのだから。

 炬燵の一辺に座る。いただきます、と言って鍋に手を付け始める。しばらくまだ寝っ転がっていた頬澄も、結局は炬燵に座って、一緒に食べ始めた。

「今日は午後、録音だっけ」

「いや。明日に延ばす。気になるところが出たから、作話ちょっと考えるわ」

「気になるところ?」

「さっき見てたんだけど」

 これ、と言って頬澄はスマホを渡してくる。

 そこに映っていたのは、ドッキリの動画だった。マネキンの振りをしたストリートパフォーマーが、道で急に動き出して通りがかる人を驚かせる、というもの。

「これが?」

「なんか国ごとに反応の違いがあるっぽいんだよな。日本でやると、驚いた人間ってものすごい勢いで走って逃げんだよ。他の国は一歩下がってまじまじ見るのに」

「ふうん」

 再生されている動画を、じっと見る。確かに、画面に映る人々は、わあっと叫んで走り去って、二度と画面には現れない。

「なんかの影響じゃねーかと思うんだよな。ほら、恐怖に対する反応って周りのもの見て学ぶだろ。ガキなんか平気で虫掴むのに、そのうち苦手になんじゃん。あれって苦手な奴の反応見て段々そういう風になっていくんだよ。だからたぶん、和ホラーでは走るっていうのがキーになってると思うわけ。実際、フリーのホラゲとか走って逃げるのばっかだしな。だからこれを上手く研究して話に組み込みてえなーって……」

「洋ゲーでも走って逃げるだろ」

「は?」

 自分のスマホを取り出して、いくつか検索する。前に、動画サイトの人気ランキングを眺めていたときに、有名タイトルは大体浚っておいた。

「これとか、あとこれとか。殺人鬼が来て逃げる系だろ。単にゲームのシステムの問題だと思うけどな。和洋問わず」

「…………」

「あとはストリートパフォーマーに対する認識の違いなんじゃないか? 受け入れやすい土壌があるかどうかとか、」

「もういい」

 お前嫌いだわ、と言いながら頬澄は目を逸らして、鍋から小皿に取った白滝をずずず、と啜った。溜息を吐きながら「そうですか」と新波も言って、同じく鍋を自分の皿に取り始める。ここ数ヶ月で料理が随分上手くなった。二人分作ると思えば買い物の分量が随分やりやすくなったし、自分一人だったらカップ麺で済ませてしまおうか、という日にも、もう一人がいると思えば外からのやる気が多少は湧いてくるから。

「……あのさ、」

 ぼそり、と頬澄が言った。

「別に、他のところに就職しても、怒んねーから」

「は?」

「家もまあ、新しいところ決めるまではいいし」

 何の話を始めたんだ、と新波は頬澄を見る。頬澄は目を合わせない。小皿に口をつけて、もそもそと食べて、もにゃもにゃと喋っている。

「……もしかして、俺、邪魔か?」

「なんでだよ。そんな話してねーだろ」

「いや、してるだろ」

「誰が」

「お前が」

「いつ」

「今」

「…………」

「…………おい」

 黙るな、と言っても、もう喋らない。黙々と箸を動かして、食べる、食べる。けれど元々そんなにたくさん食べる方でもないから、途中でのっそりと動きは遅くなり始めて。

 逃げられないうちに、新波は言った。

「あの百物語に連れていったのって、俺のためだったんだろ」

 頬澄は、答えない。

「呪いがついてるのを見て、恐れ虫を上手く使ってそれをなくすために。本当は助手とかなんとか、そんなのただの口実で」

「……は? 何勝手に想像してんの」

「でも、思った以上に呪いが重かったか何かで、どんどん妙なことになっていって……」

 あのさ、と呆れたような顔で、睨みつけて、

「だからそれは幻の話だって言っただろ。夢の話と現実の私を混同するなっての。頭おかしいんか」

「でも、ワニさんも俺と同じものを見てた」

「だーかーらーあ」

 そう言って、忌々し気に頬澄は説明する。たまたま二人とも似たような幻覚を見るだけの材料があっただけ。五十一話を話して聞いたから、想像の形が似ただけ。そもそも実際には完全に同じものを見たわけじゃなくて、後になって確かめて話していくうちに「あれ、自分もそれを見たかも」なんて考えて、会話の中で二人がそれぞれの記憶を合作しただけ。二人の話が合った程度のことで本物の体験だった、なんて扱いをするな。それはごくごくオーソドックスな怪談の成立過程の一つだし、記憶なんてものはこの世で最も信用ならないもので――――

 遮って、言った。

「絶対に自分では認めようとしないのは、信じてもらえないのが怖いからか? それとも、自分で自分を信じられないからか?」

 ん、と口を噤んで、目を見開いた。

 続けて、新波は言う。

「別に、どっちでもいいよ。本当だったにしても、嘘だったにしても。お前が信じてる信じてないも、どうだって。そっちに合わせる」

「合わせ……」言葉は失ったまま。

「わからないものをわからないまま心に留めておくって、そんなに難しいことじゃない。それに、」スマホを触る。この数ヶ月で読みふけった怪談が、その中に押し込められているように。「その練習も、たくさんしたしな」

「…………んだよ、それ」

 箸を置いた。そして隣にあるベッドにばたっと倒れ込んだ。うつ伏せ。顔に枕を押し付けて、決してこちらを見ようとしない。

「でも、別にこのくらい教えてくれてもいいだろ。助手って、本当はただの口実だったんだろ」

「ちげーよ」

「そうじゃなかったら就活だとかなんだとか言い出さないだろ。もう、別に必要ないからそういうことを切り出したんだ」

「ちげーよ。ただ、お前もう動画編集プロレベルだろ。だから、いくらでも他で働けるし」

「理由になってないだろ。『働ける』は『働く』じゃないんだし」

「んじゃお前いつまでもこんなことやってるつもりかよ」

「ダメなのか」

 ぴたり、と頬澄の動きが止まる。

「ダメなのか、それじゃ」

 何度か、あの日のことを問いかけていた。

 自分とワニが見たあの世界の中に現れた頬澄は本物だったのか。そして必ず頬澄はこう言って返した。「そんなわけないだろ」

 けれど、確かにあのあと、新波の身体に傷は残っていたのだ。虫に噛まれた細かな傷。自分の身体だから、よく観察できた。転んだりして付いた傷じゃない。そして、普通虫に噛まれたくらいではそんな傷はつくはずがない。人の肉を抉るほどの顎を、彼らは持っていないから。

 それに、『イナバ。』の三人が住む不動産屋のこと。結局もう引っ越したらしいそこについて、ふと思い立ってワニに頼みごとをした。退去のとき、不動産屋に訊いてみてくれないか、と。魔除けの札を貼る場所が、決まっていたりするのか。答えはノー。部屋のオーナーが勝手に貼るだけのものらしい。

 頬澄が、自分の前に突然現れたのは? この家に住むようになってから、すぐに不思議に思った。ここから『イナバ。』が住んでいたあの家に向かおうとしたとき、自分が座り込んでいたあの駅を通ることはないのだ。

 ときどき、ぽつりぽつりとそのことを口にした。そのたび、頬澄はそれらしい理由を並べ立てた。

「寝てる間に別の虫に食われたんだろ」とか。

「んじゃあの話はガセだったのかもな」「たまたまだよ」「オーナーの話を調べてたのかも」とか。

「あのへんに銀行でもあったんじゃねーの」「それか買い物か」「んじゃなんだよ。私がお前のことストーキングしてて偶然を装って近付いたってか」とか。

 訊ねるたびに、その理由は違ったけれど。

 でも、一度も触れない理由があるのなら、それが一番、真実にも思えてくる。

 語ることで崩れてしまわないように、大切にしているようにも見える。

「俺は、楽しいよ」

 だから、新波は言った。

「嘘でも本当でも、わけのわからないことが起こったりするのが、誰もまだ歩いていない道を苦労して進むのが、面白いんだ。……箱の外に出て行くのが、楽しくて仕方がない。できれば、ずっとこのままいたいと思ってる。それじゃ、ダメなのか。……お前が俺を助けようとしてくれた口実に乗っかったままじゃ、ダメか」

「…………お前さ、」

 枕に吸われて、くぐもった声で、頬澄は言う。

「私のこと、いいやつだと思ってんだろ」

「…………いや、」

 それは本当に別に、別の話だから、と迷った末に言いかけたけれど、それよりも頬澄の次の言葉の方が早い。

「人助けなんて、んな眠たい理由で誰が動くかよ。ナメんな。本当に、ただ人手が必要だったから雇っただけだよ。この無職。根無し草。社会不適合者」

「それはお前も似たようなものだろ」

「黙れ。……なんだよ。ちょっと言っただけだろ。別に、いつまでもこんなことしてなくてもいーって。お前、しょうもないくらい真面目だから、恩返しとかつっまんねーこと考えてんだと思って、自惚れんなって。金出して働かせてるだけなんだから、よそに行きてーならそれでもいいぞって、確認だよ」

「行きたくない」

 自分で口にして、自分で少し、新波は驚いていた。

 言葉にしたら、急に、地に足がついたような、不思議な感覚がしたから。

「ようやく動画編集もサマになってきたところだろ。チャンネル登録者も五万を越えて、お前もテレビとか出るようになって、今が一番伸びのある面白いところだし。やめてくれ、って言われても、俺はやめたくない。続けさせてくれよ。嫌じゃなければ……というか、ちょっとくらい嫌でも。家を出ろっていうなら、他の部屋探すからさ」

「別に、出ろとは行ってねーだろ」

「うん」

「ここにいろ。そんなら」

 うん、ともう一度、新波は頷いた。

 それ以上頬澄も何も言わなくなったので、食事に戻る。さっき作ったばかりなのに、もう表面は冷え始めている。冬が来ているな、と改めて思う。

「食べちゃえよ」だから、頬澄に呼び掛ける。「冷めるぞ」

「いい」まだ、顔は上げないままで、「お前が食い終わってから食べる」

 なんだそりゃ、と新波は思う。

「冷めるって」

「あっためりゃいーだろ」

 それはそうだけど、と言いかけて、何を言っても無駄か、と諦めた。一人で鍋を食う。米を食べる。視線は、窓の外に向いている。

 真っ白な雪が、空から地面に落ちている。ふらふらと風に吹かれて、揺らぎながら。そして考えている。午後からは何をしようか。録音しないと言うのだから、自分がすぐにやるべき仕事はない。それだったら、またホラーの勉強をしようか。それとも、動画編集? もう少し力がついたらフリーランスとして仕事を受けられるようになるかもしれない。自分の技術向上のためにも、まだまだ磨きたいものはたくさんある。

 やることと、やりたいと思うことがたくさんある。

「新波」

 頬澄が、名前を読んだ。

「ん?」

 問い返すと、少しだけ間が合って。

 やっぱり、顔も見せないまま、彼女は言った。

「お前、私のこと、どう思ってんの」

 今更か、と思って。

 けれど、よく考えたらそれだって、言葉にしたことはなかったのかもしれない、と気が付いて。

 記憶の中を手で探って。気持ちに、初めて名前をつけてみて。

 あんまりにも可愛らしくて、自分で笑ってしまった。

 雪が降る。それを、この部屋から見ている。きっと、降り止むのも、この部屋から。春が来るのも、また、夏が来るのも、ずっと。たとえここを出ても、同じような部屋から見ているだろうと、そんな風に新波は思って。

 笑いながら、言った。


「初恋」





 了




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― 新着の感想 ―
[良い点] とても面白かったです。新波、頰澄、ワニさんなどの主要のキャラクターたちの人間味というか性質だったりがとても魅力的で、24話のメールを読んでいるとき何か胸にくるものがありました。素敵な物語を…
[良い点] 面白いです。続きがあればと思ってしまいました。
[良い点] 口が悪くてぶっきらぼうな感じの女の子が好きなので、頬澄のキャラがすごく好きでした。 あと新波母のたぬきに対する謎の拘りが面白かった笑 [一言] 続編があれば是非読んでみたい!
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