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「……いや、ビビったな」

 沈黙を破ったのは、回蔵だった。「狸の方はてっきり癒し担当だと思ってたんだが……」

「いや、回蔵のやつより怖かったよね」ははは、と今尾が笑って言えば、おい、と回蔵も笑う。

 夜。百物語の二夜目。その一発目、五十一本目を話し終えた新波は、当然ながら胸を撫で下ろすばかりで、周囲の反応を詳しく窺う余裕もない。

 朝からずっと、頬澄は付き合ってくれた。怖く聞こえるような台本作りに。急造のプレゼンテーション自体は慣れたものだったからすぐに暗記できたけれど、事務仕事の延長にあるものとは違って、怪談にはエンターテイメントに必要な語りが求められる。「まあいいんじゃん?」と頬澄が言ってくれたのは午後三時ごろだったけれど、それからも不安で仕方なかったからずっと壁に向かってぶつぶつと練習を繰り返してきた。その本番が、今、終わった。

 肩の力が抜ける。よかった。一度も噛まなかった。

「いや、ちょ、待って待って」

 中年二人組の後に続いたのは、サメだった

「今のって、マジの話すか?」

 そうです、と新波が答える前に、もうバトンタッチは済んでいた。代わりに、隣に座っている頬澄がサメの質問に答える。

「さあ。嘘かもしれませんね」

 なるほど、と新波は勉強している。真っ向からそれを肯定するより、はぐらかした方が恐怖を増幅させられるわけだ。実際、「やばぁ……」とウサは言って、静かに横の頬澄から距離を取って、サメの側に寄っている。

 あはは、と笑いを洩らしたのは異堂だった。

「いや、面白いですね。やっぱり現実に近しい、っていうか、自分たちに近いものの方がホラーって面白いのかもな」骨ばった両手を合わせて、こすって、「そんなに面白いものが見られるなら、俺が今尾さんを探しに行けばよかった」

「だってよ」にやり、と回蔵が今尾を見る。「もう一回失踪してやったらどうだ?」

「いやあ、やぶさかではないけどね」今尾も、のんびりした笑いでそれに返す。「美味しいなあ、そのポジション。時空のおっさんぽいっていうか」

「あの、ちょっといいですか」

 ぴん、と美しく手が伸びた。会話が止まって、視線が集まる。その手の持ち主は、山城ほのかだった。

「このタイミングで言うと、すごく嘘っぽくなってしまうとわかってはいるんですけど……」

「いいんですよ。どうせこちらも嘘くさい話ですから」

 躊躇うような素振りを見せたのを、頬澄が背中を押す。いえそんな、と山城は言ってから、それでもそれで決心したように、こんなことを言う。

「私も、似たような夢を見たんです」

 おお、と全員の注目が、さらに集まる。これを言うのは初めてなんですけど、と前置きをして、

「私、幽体離脱ができるんです。……その、変な意味じゃなくて。なんていうか、夢の中に入るとき、完全に自分の部屋で目覚めて、意識もあって、みたいな」

「わかりますよ」

 語気が弱まっていくのを、さらに頬澄が支える。「私もできますから」

「えっ!」大きく声を上げたのはサメ。「できんすか、そんなこと」

「それ、霊能力?」重ねてウサまで訊いてくるのに、いいえ、と頬澄は首を横に振った。

「私も詳しいメカニズムまでは知りませんが、体感では夢の見方の一つに近いです。結構簡単にできますよ。コツは眠るときに、何か一つのことに意識を集中することですね。点けっぱなしのテレビとか、耳鳴りとか。あとは、部屋の中に立っている自分の身体をイメージするとか」

「あ、私、それです!」大きな声で、山城が言った。「そうなんです。眠ってるときもダンスの練習できないかな、と思って、部屋の中でイメージトレーニングしてるつもりでいたら、いつの間にかそっちの方に意識が移る、っていうか……」

 へええ、と今尾が感心したように声を上げた。

「あれって実際にできるんだね。僕もやってみようかな」

「やめといた方がいいんじゃねえの」釘を刺すように言うのは、回蔵。「夢系は怪しい話も多いからな。夢日記をつけると狂うとか。そこまでいかなくても、眠りが浅くなって生活に支障が出るとかな」

「そうですね」こともなげに、頬澄は頷いた。「私は耳鳴りを使っていたんですが――あれは途中から知らない音楽が流れ始めて楽しいんです――、途中で爆発音に変わったりだとか、知らない男がガラスをどんどん叩いてずっと暴言を吐いているだとか、電源を切ったパソコンから『番号を入力してください』『4、8、7――――』とずっと機械音声が聞こえてくるだとか、そういうのばかりになって。中途覚醒も増えて金縛りも一夜で十回以上なったりして、だからやめました。楽しいですが入眠に問題が出ますね、この方法は。あ、それと、」付け加えるように、「夢日記は三年くらい続けると、それまで夢の中に持ち込めなかった五感まで使えるようになって楽しいですよ。味覚は特に楽しくて、今まで一度も食べたことのないような味を感じられます」

 サメは「今の五十二話目?」とワニの方を向いているし、ウサは「やばぁ……。絶対やんない……」と言いつつ、好奇心を瞳の奥にしまいきれていない。一方で、新波は妙に腑に落ちている。なるほど、やたらに自信を持って『幻覚』と断じてくると思ったら、実際に自分の身体でそういうことができると知っていたのか。

「ええと、」遠慮がちに、「ごめんなさい、続きいいですか? あと、あとでホーマさん、これの治し方も教えてもらえると……」

 いいですよ、と頬澄が頷けば、夢の続きを話し出す。

「その……まあ、暗い部屋の中で座ってたんです。幽体離脱っていっても、自分の寝てる姿を見ることってあんまりなくて、むしろ現実で自分の身体を動かしてるような感じがするんですけど」

 同じだ、と新波はうっすら思った。その条件だけ見るのなら、自分に昨夜起こった出来事と。

「だから、とりあえず普段の自分と同じことをしたんです。今日の百物語で話す怪談の台本……あっ、台本って言っちゃった」

「気にすんな」回蔵が言う。「作ってきてるだけ立派だ」

「あ、ありがとうございます。まあそれを、読み返そうとしたんです。それで、夢の中だとその、本に書かれてることって基本的には読めないんですけど、あの、わかりますよね?」

 訊かれれば、頬澄も頷いて答える。「確かに、文字を持ち込むのは結構難しいですね」

「そうなんです。それで、どうしても読めないな読めないな、と思ってそれを捲ってたら、わっ、と飛び出してきたんです」

「イモムシが?」ウサが訊く。

「イモムシが」山城が答える。

 うひゃあ、と高い声を上げてウサとサメは身をよじった。これ今日寝れないわ、と言って。「芋虫も可愛いと思うんだけどな」と何やら異堂は肩を持っている。

「そのあとは、シーチさんと同じです。一匹出たら二匹三匹って出てきて、そして最後は布団の下からわーっと一気に出てきて……」

 座布団を捲ってその下がただの畳であることを確認してから、ウサは言った。「それで? どうなったの?」

 一瞬言い淀んでから、けれど溜息を吐くように、山城は答えた。「どうも。ただの夢ですから。そのまま意識がなくなって、目が覚めて、朝でした」

 はあん、と一堂に奇妙な空気が流れる。それが新波にとって居心地の悪いものだったのは、「所詮は夢の話か」という空気が、ありありと伝わってきたからだった。

「馬鹿馬鹿しい」

 ワニの声は、だから、その代表だったのかもしれない。

「所詮は夢の話でしょう。こんな蛾の繭なんて見せられたら、誰だって不気味に思うし、夢に見ることだってありますよ」眉間に皺を寄せて、「ただの偶然です」

「ワニさんも見たんですよね」

 差し込まれた言葉が、空気を止めた。

 ワニに視線が集まる。ワニの目は、思わぬ場所から放たれた言葉に見開かれている。構わないのは、その言葉の主の、狐面の女だけ。

「海で、見ましたよね」

「…………どういう、トリックですか」

 彼の声は、震えている。

「どう考えても、何かのトリックですよね」

「もちろんです。旅館に帰ってきてからのワニさんはやけに暗い顔をしていましたよね。最初は海で撮影トラブルでもあったのかと思いましたが、それにしてはサメさんもウサさんも明るい顔です。何かあなただけに問題があったのだろうとカマをかけただけ――――」

「そういうことを言ってるんじゃありません!」

 大声で、立ち上がる。隣に座るサメも異堂も、驚いてぽかん、と口を開けていた。

「おい、どうしたんだよ」サメが宥めるように言う。

「あ……ありえないでしょう。あんなの、絶対に。ドッキリか何かじゃなければ、おかしい。種も仕掛けもないなら、絶対に……」

 サメのさらに横、ウサが心配そうに、ワニの顔を覗き込む。「何? 何かあったの?」

 唇を噛む。

 震える指で、彼は服の、袖を捲った。わっ、とサメが驚いて、それに触れる。

 傷跡。

「僕も、見ました。海の中にわらわら湧く芋虫を。そして噛まれて……」

 夢の中なんかじゃありません、と。

 彼は、言った。




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