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「大丈夫すか」

「ええ、おかげさまで」

 朝方、中庭で外の空気を吸っていたところに、サメが現れた。心配そうにする声音から、なるほど確かに熱中症ということで頬澄は言い訳をしておいてくれたらしいということがわかる。

「今から撮影ですか」

「そっすよん」Tシャツにハーフパンツ、という身軽な恰好。サングラスを額に上げて、サメは笑う。「つっても、そんなにカッキリした動画にするつもりはないっすけどね。マリンスポーツとかそういうのがある場所じゃないんで、さらっと海で遊んでるところを撮って、あとは自由時間っす。どうっすか、シーチさんも」

「いえ、遠慮しておきます」本心から、新波はそう首を振る。「まだ体調が戻り切っていないので。夜まで休んでいるつもりです」

「やー。ストイックっすね。俺だったらちょっと無理してでも遊んじゃうな」

 へらり、とした笑顔を見せるサメは、しかし一瞬、急に真剣な顔になって、顔を寄せてきた。

「あの、もしかしてなんすけど」

「はい」

「なんか、あれとかじゃないんすか。霊障、みたいな」

 レイショウ。

 最初に出た感じが冷笑で、次が例証。そのあとようやく、霊障が出てきてくれた。

「いやね、心配してたっぽいんすよ。特にあの、回蔵さんが。あの人もやっぱ霊能力とかあるんすかね? それに、なんかワニも、ああいや、ちょっち失礼になるかもしんないすけど、シーチさんのこと見つけたとき様子がおかしかったって言うんで。虫がなんとか、とか」

 どうなんすかここだけの話、と囁く声は、やはりどこかおどけたような雰囲気がある。けれど、その目には真剣さが滲んでいることも隠せないでいる。

 事故物件のときのイメージが染みついているのだろう、と新波は思った。あのとき、それこそ本物の霊能力者のように頬澄が振舞ってしまったから。それについて回っている自分も、そういう力があるように思われているのだ。

 最初に決めたルールを思い出す。怪談や、心霊に関わる現象について、自分からは一切言及しないこと。それじゃあ、人から訊かれた場合は?

「いえ――」

「シーチ」頬澄の声がした。

 二人揃って振り向く。ロビーの縁側に頬澄が立っている。すっかり着替えて、狐の面も被って。

「朝ごはん、部屋に持ってきてもらいますから。一緒に食べましょう」

「あれ、バイキングで食べないんすか?」

 サメが訊けば、「ええ」と頷いて頬澄は狐の面を叩く。これを外すわけにはいかないので、というように。ははあ、とサメは感心したように頷く。

「ところで、海に行かれるなら早くした方がいいかもしれませんよ」そのまま、頬澄がサメに向かって言う。空に向けて、平手を作って。「予報では、夕方から雷になるそうです」

「げ」口を四角くして、「うっそ。昨日見た天気予報晴れつってたのに」

 さっきテレビで見ました、と頬澄が言えば「急ぐか」とサメは焦り出す。去り際に、一言だけ新波に残していった。

「体調、マジで気を付けてくださいね。また夜になったらよろしくお願いします」

 こちらこそ、と新波は頭を下げて、姿が見えなくなってから、ようやく頬澄に話しかける。

「すみません。呼びに来てもらってしまって」そして服装を眺めて、「着替えまで。手間をかけてしまいましたね」

 うふふ、と頬澄は狐の口元を抑えて笑う。「何を言っているんですか。私は二十四時間一切気を抜いた恰好なんてしていませんし、朝はすっきり早起きですから何の苦でもありませんよ」

 そのキャラは無理があるだろ、と思いながらも、素直に感謝して、新波は頬澄の隣に並ぶ。部屋まで戻ると、すでに朝食の準備はできていた。

 どっこいせ、とあぐらをかいて頬澄が座る。仮面を外す。聞いてもいないのに「部屋の中はノーカンなんだよ」と言い訳をして、まずは海苔の袋を開け始める。

「お前さ」

 ぱりぱりとその一枚を齧りながら、しかし彼女はぞんざいな口調とは裏腹に、言いづらそうに躊躇っている。

「ん?」

「私に無茶振りされて、どのくらいまでなら我慢する?」

「どんな質問だよ」

 あんまりな言いぶりに、一度は跳ねのけるような受け答えになってしまうが、そう言うということは、何か振りたい無茶があるということなのだろう。あまり内容の想像は付かないが、しかし決めたばかりでもある。

「今日は頑張る、って言ったからな」

「は?」

「いや、こっちの話。裸になれとか、喧嘩しろとかは嫌かな。虫を食べろとか、髪を剃れとかなら、まあギリギリ」

 がちゃん、と音がした。

 びっくりして新波は目を丸くするけれど、机に膝をぶつけたらしい頬澄の目は、もっとずっと丸い。

「大丈夫か」心配して声をかける。

「お前こそ頭大丈夫かよ」罵倒が返ってくる。

 新波は立ち上がって、テレビの前のティッシュ箱を取る。振動で味噌汁が零れている。盆の上から机につう、と垂れつつあるのが頬澄の服まで落ちようとしているのを、ぺたぺたとティッシュに吸わせていく。一枚、二枚、三枚。

 ぼかっ、と頬澄が新波の肩を叩いた。

「いって。なんだよ」

「お前がなんなんだよ」

「何が」

「預けすぎだろ、私に。髪剃れとか言われても剃んなよ。出家する気か」

「お前が訊いたんだろ。どこまで無茶振りに耐えられるかって」

「だから耐え過ぎだって言ってんだよ」

「耐え過ぎって」困惑しながら、「耐えた方がいいだろ。お前の側からしたら」

 何かを、頬澄は言おうとした。口を開いて、空気まで出したので間違いない。けれど、途中で喉を震わすのをやめて、目線を逸らして、口を閉じて、肩をもう一度叩いて、結局言ったのはこんなこと。「きも。カスすぎ」

 綺麗に零れ落ちた汁を拭きとってから、なんなんだよ、ともう一度新波は思う。一体何がしたいんだ、こいつは、と。

「わかった。髪は伸ばす」

「そーゆー話をしてんじゃねーんだよな」

「じゃあどういう話なんだよ」

「…………もうこの話は終わりだ!」それなりに大きな声を出したから、思わず新波は周囲を無意味に見渡してしまった。声が外に漏れてないといいけれど。そして一秒後、頬澄は言う。「いや、やっぱ終わらない」

「どっちなんだ」

「いいか、よく聞け。私が欲しいのは、別に従順に何でもうんうん聞く犬じゃない。ちゃんと考えて、生きてる人間だ。私が狐だとしたらお前は狸になるべきだ。自分でそう決めたんだから」頭を抱えて、「何を言ってんだ、私は」

 けれど、その言葉でようやく新波にはわかった。なるほど、そういうことか、と。

 つまり、イエスマンは要らないということなのだ。怪談だとか、霊能力だとか、色々と特殊な言葉がついて回ってはいるけれど、頬澄の立場は個人のビジネスパーソンでもあるのだ。自分でキャラクターを作って、その上でホラーという娯楽を提供して稼ごうとしている。

 そうか、そういうことだったのか、と目が覚める思いだった。

 どうしてただの撮影助手や動画編集を任せるだけの予定の自分を、ここに連れてきたのか。雰囲気を掴ませるだけにしては過剰ではないか、と思っていた。そうだ。頬澄は、つまり自分に、命令を聞く部下としての役割ではなく、ある程度対等な立場で舵取りを手伝ってくれるパートナーとしての役割を求めていたのだ。

 だから、無茶振りを何の抵抗もなく受け入れてしまうような態度は好ましくない、と。そういうわけだ。

「いや、大丈夫だ。話はわかった」

「黙れ」

「は?」

「どうせお前は何もわかってない」

 顔を右の手で覆って、左の手の平を新波に向けて、こっちに来るな、というようなポーズを作ったまま、頬澄は言う。「一旦リセットしよう。今の話は忘れろ」

「いや、でも」

「忘れろ」

「…………了解」

 よしよし、と頬澄は頷く。切り替えの早さはお前の長所の一つだ、と言って。

「端的に言って、お前はイエスかノーかで答えりゃいい。つまんねー気は回すなよ。やれそうならイエスでいいし、無理そうならノーでいい。普通に訊かれて、普通に答えればいい。わかったか?」

「ああ」

「いいや、わかってない」

「なんなんだ、一体」いい加減、話が見えなくて呆れたように新波が言えば、それを刺すような頬澄の目線が返ってくる。

「髪の毛をちょっと切らせてくれ、って言ったら?」

「まあ、いいけど」

「ほら、何もわかってない」ぺん、と平手で新波の脛を叩く。「そのレベルの頼み事だって感じたら、首を横に振れ、わかったな」

「わかった、わかった」別に髪を切るくらいが何だっていうんだ、と新波は思っている。今のところ、切ったら二度と生えないわけでもあるまいし。その程度でノーを言わなくちゃいけないんだったら、大抵のことにはノーを強制されたようなものではないのか。

 本当にわかったのか、と三回訊いてから、じいっと新波の顔を見て、それからようやく、頬澄は言った。

「お前、百物語で昨日の夜の話、できるか?」

 できる、と答えたときには、髪のことなどもう忘れていた。




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