第31話:嵐の幕開け(2)
校舎を出て空を仰ぎ見ると、いつの間にか日は暮れ始めていた。ここ最近、起きたら夕方になっているという状況が多すぎる気がする。気のせいだろうか?
前を歩く静歌に聞いてみても、呆れたように首を左右に振るだけ。もう少しまともに対応して欲しいものである。隣を歩く銀髪の後輩のように「先輩はおバカさんなんですね!」とニコニコしながら言われるのも、それはそれで嫌だが。
夕日に染まった舗道を練り歩いて行くと、見覚えのある場所に辿り着いた。昨日、静歌と缶コーヒーを飲んだベンチ。その前で、静歌は足を止めたのだ。
こちらを振り向きながら、座ってくれる? と微笑を浮かべて言われる。
その顔に一瞬嗜虐的な色が宿るのを見て躊躇うも、もうどうにでもなれと投げやりな気持ちで座る。そんな俺の隣に銀髪の後輩は迷いなく腰を下ろす。
静歌はそれを見て満足そうに頷くと、自分は座らずに俺たちの前に腰に片手を当てた状態で立つ。ちょうど、俺達の視界に入っていた夕日を隠すように。金髪が夕日に縁どられて美しく輝く。隣から、ほぅ、と小さく感嘆の声が聞こえた。
しかし、俺には見惚れることができなかった。何故なら、その美しい金髪の中に、ひどく意地の悪い笑みが浮かんでいたから。身も凍るようなサディスティックな笑みが。
「まあ、とりあえず、良夜お疲れ様。まさか二重弾幕とやり合ってほぼ無傷っていうのには驚いたわ」
隣で銀髪が微かにビクッと揺れた。微かに、本当に微かにだが。
視線を向けても、別に普段と変わらない愛歌がいる。相変わらず綺麗な銀髪が、さらさらと風に揺らいでるだけだ。
今度は静歌に視線を向ける。静歌は俺の方を見ておらず、代わりに愛歌の方を可哀想なものを見るような目つきで眺めていた。もちろん口元には笑みが浮かんでいるが。
もう一度隣を見る。変わらない。
俺は、はぁ、と溜め息を吐いた。
なるほどね。
「そりゃどうも」
俺はまるで静歌の失言に気づかなかったかのように話を続ける。
隣から視線。見ると唖然としたように口を開け、大きく目を見開いている愛歌。俺の行動が予想外だったのか、「うそ……」と小さく呟いている。ほとんど聞き取れない大きさだったから、たぶん無意識に口から出てしまったのだろう。
愛歌は俺からの視線に気づくと、慌てて顔を逸らす。それから不自然なくらい大きな声で、
「なに言ってるの、静玖ちゃん? この人は良って名前だよ? 間違えたら失礼だよ!」
静歌に満面の笑みを向けた。声は震えて裏返っていたが、なかなかの切り替えの速さだ。
俺はそれを見て、なかなか上手く演技するもんだな、と場違いにも感心してしまった。
と、そこですぐに愛歌の発言に違和感を感じる。
「静玖……?」
「ああ、私の朱雀での偽名よ。流石に本名のままじゃキツイから」
はあ、そういうことね。俺はてっきり改名でもしたのかと。
俺が納得してふむふむと頷いていると、隣からガタッと大きな音が鳴る。
顔を向けると、愛歌が顔を真っ青にして突っ立っていた。それから、ふらふらと後ろに下がっていく。まるで化け物でも目の当たりしたかのようだ。
そのまま俺たちから五メートル近く離れると、今度は小さく何かを呟いた。そしてその後もブツブツと何か呟く。さらに両手で頭を押さえ、子供のようにぶんぶんと横に振り始める。知りたくない事実を聞かされたかのように。
一頻りそれをやると、急にピタッと動きを止めた。頭から手を下ろし、虚ろな瞳をこちらに向ける。無理矢理作ったような笑みを浮かべている。
「なに言ってるの? 静歌とか良夜とか。知らない名前を言われても、わたし分からないよ」
まだ演技を続ける気なのか、すっとボケたことを口にした。
もちろんそんなことを静歌が許すはずがない。彼女は自身の金髪を指に絡めながら、
「まだ分からないのかしら? まさかね。貴女はそんなに馬鹿じゃない」
退屈そうに言葉を紡いでいく。
「演技を続けるのは結構。でも、いい加減私も妹キャラには飽きたの。それに、だらだら長引かせるのは趣味じゃない。というわけで、そろそろお互いに本性を出しましょう。
テロリストさん?」
愛歌が息を呑む。
取り乱したように、息を詰まらせた。
俺はその様子を見て、ようやく確信を得る。
「まさか、貴女が今回のテロを起こそうとした人間だったとはね。お姉ちゃん?」
ニタリと静歌は嗤う。それに対し、愛歌は能面のように表情が無くなる。
そう、つまり彼女が静歌の生き別れの姉だということ。
そして、それはおそらく彼女にとって痛みであるということ。静歌の話から推測するに、彼女にとって妹は傷の象徴。何せ、彼女が引っ越したのがあの時期と合致する。無論、あれを見ていないとは限らない。
俺は思わず頭を抱えたくなった。自分の鈍感具合に腹が立つ。
もっと早く気付くべきだった。そうすればもっと内密に処理できたはずだ。少なくとも静歌の力を借りずに……は無理だろうが、もっと穏便に終わらせることもできたはずだ。
自分の愚かさに苛立つ。クソ!
「嘘よっ! あなたが『シズカ』のはずがない! あの子は確かにわたしの目の前で死んだんだから!」
「勘違いでしょう。現に私は生きてる」
「違う。あの子はあなたとは違う!」
俺が自分の甘さに悔んでいる間に、姉妹の言い争いはいよいよ最高潮に達していた。とはいえ、実際は愛歌が一人興奮しているだけで、静歌は冷静に切り返している。
が、それもついに終わりの時を迎える。
「もういい。あなたと話しても時間の無駄だわ」
不意に愛歌が口を閉じた。
そのまま腕を天に突き刺すように上げる。ニヤリと邪悪な笑み。
それを見た瞬間、ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。
俺はベンチから立ち上がると、姉妹の間に割り込む。同時に携帯を取り出し、綺麗に舗装された足元の歩道に叩きつける。
バチィと電撃でも走ったかのように、足元が光る。クロウリーの六芒星。そう呼ばれる紋が青白く浮かび上がった。
それと同時に、愛歌が腕を振り下ろす。瞬間、彼女の周りに幾重ものは刃物が現れる。包丁に始まり、ダガーナイフにドス、鋸なんてものまで。
彼女はもう一度こちらを見て、
「逝け!」
彼女の言葉とともに、浮かんでいた刃物が一斉に牙を剥いた。
風を切り、こちらを肉薄せんと襲いかかってくる。
すぐさま間を詰められ、俺たちに到達する――直前、ゴウッと凄まじい音を立てながら、俺たちと刃物の間に壁が生えた。
それは俺の足元――正確には、足元の歩道に描かれた『クロウリーの六芒星』から現れていた。歩道のレンガがベースの所為か、微かに暖色系の色で構成されており、さらに大きさも俺と静歌を覆い隠すほどの巨大さを誇っている。盾としては申し分ない。
瞬間、金属が奏でる甲高い音があたりに響き渡る。全ての刃物が、俺たちに届く前に阻まれたのだ。
その数秒後、今度は俺の作った壁が地面にゆっくりと沈み込んでいく。そういう術式を組んでいたから、当然といえば当然なのだが。
やがて壁が全て消え、見えなくなっていた向こう側が見えるようになった。散らばった様々な刃物に、いつもと変わらない夕暮れの学院の景色。
そこに銀色はない。
「……逃げられたみたいね」
後ろから聞こえてきた声が、空に虚しく響いた。