第29話:二重弾幕(2)
静歌が屋上から姿を消し(『悪いけど化け物同士の争いに興味ないわ』だそうだ)、俺と二重弾幕は相対していた。
俺は屋上に出るためのドアの前。二重弾幕はドアからもっとも遠い位置にあるフェンス。
お互い、思い思いに構えている。俺は腰を落とし、すぐにでも動くことができる様に。二重弾幕は仁王立ちし、片手をこちらに向けて。
先手を打ったのは、二重弾幕だった。
「I hope for the world of the tohubohu that rejects everything 」
高らかに、唄うように唱える。
静かな水面に広がる波紋のように、その声は周囲に加速的に広がっていく。
気付いた時には、もう遅かった。俺は、いや二重弾幕も含め屋上は、不思議な水色の球形に囲まれていた。大きさは屋上をすっぽり覆うほどで、かなりの規模だ。俺たちを覆っているそれは、一見、水のようにも見える。
なんだこれ?
俺が周囲に視線を走らせていると、俺の疑問に答える様に、二重弾幕がニヒルに笑いながら口を開く。
「安心しろ。別に攻撃ってわけじゃない。死神と二重弾幕が本気で殺りあったら、他の一般人に迷惑がかかるからな、結界を張らさせてもらった」
「結界?」
「ああ、西洋の方のな」
そっけなくそう言い、また唱える。
「The gun to my hand」
瞬間、ヤツの手に現れたのは黒光りする大きめの何か。それを片手で持ち、こちらに向けてくる。
形に見覚えはあるんだが……クソ、思い出せない。
俺が考えていると二重弾幕が厳かな声で、
「んじゃ、逝ってらっしゃい」
それの引き金を引いた。
頭の中で警報が鳴り響いた。
警報に従い、ヤツが引き金を引く前に、真横に跳ぶ。
跳んだ直後、俺の背後に位置していた鋼鉄製のドアが火花を散らす。
後ろにあったドアは、一秒も満たないうちに蜂の巣になり、使い物にならなくなった。
俺は跳んだ勢いでゴロゴロと転がりながら、
「くそったれ!」
携帯で魔術を発動させる。
今回は地面に押し付けず、自分の体に押し付ける。
刹那、携帯から光が弾ける様に発せられ、俺の体を包み込む。
体中の細胞が沸騰したかのような感覚に襲われる。爪先から頭のてっぺんまで、一分の隙もなく熱が帯びる。全身が燃える様に熱い。
が、次の瞬間、すうっと体の熱が消えていく。熱さで歪んだ視線はクリアになり、体が軽くなる。ここまで三秒ジャスト。
上手く成功してくれたな。
俺がゆっくりと立ち上がると、二重弾幕が薄く嗤いながら口笛を吹いた。
「ひゅー、そいつが死神の本当の戦闘態勢か……確かに厄介そうだな。でもあたしには敵わないんじゃねえか?」
そう言って、ドアに向いたままだった黒い何か――いや、TFG90(サブマシンガン)をこちらに向け照準を合わせる。
「流石に亜音速で飛ぶモンは避けられないだろうしな」
撃つ。
耳をつんざくような音が響き、絶え間なく衝撃が押し寄せる。
コンクリの床が削られ、轟音を奏でながらフェンスが千切れ飛んだ。あんなものを食らったら、タダでは済まないだろう。
もっとも、食らったらの話だが。
「どこ狙ってんだ、お前。ちゃんとやらないと、俺もつまらないんだが」
「……予想以上だ。正直、侮ってた。まさか、アレを避けるなんてな……」
二重弾幕は構えていたTFG90を下ろすと、顔を上げ、フェンスの上に立っている俺を見た。驚き……というよりは呆れたように見つめてくる。
俺はその視線を無視しながらフェンスからジャンプし、二重弾幕の前に背を向けたまま降り立つ。膝を上手く使い、足に負担を与えず着地した。
その状態で背を向けたまま、二重弾幕に言葉を投げかける。
「今ので普通に俺の勝ちじゃないか?」
「それはない」
間髪いれずに言い切られた。
「そうか。……もっとわかりやすく決着つけなくちゃ駄目か」
「そうだな。よっと」
軽い調子でTFG90を構え直した。こちらに向かって引き金を引こうとする……その前に振り向きざまに蹴りを叩きこんで、弾き飛ばした。カラカラーと音を立てながら、滑るように屋上の床を転がっていく。
それをボーっと見送っている二重弾幕の懐に入り込み、思いっきり踏み込んでボディブローを入れる。
手応えは…………なし。
皮一枚のところで、真横から手首を掴まれ止められていた。
「いきなりボディー入れようとすんなよ、朝飯もどしちまうだろ?」
嗤いながら軽く言ってくる。
「……それよりも手首痛いから離してくんないかな。折れちゃいそうなんだが」
さらに強く握られる。ミシミシ、と手首が悲鳴を上げた。
「おーい、日本語理解できてる?」
「できてるさ。ただ離したくないだけ。普通、敵捕まえたら逃がさないだろーが」
そりゃそうだ。俺だって逃がさない……はぁ。
俺が観念したのが伝わったのか、二重弾幕はニィィと満面の笑みを浮かべ、
俺を振りかぶった。
宇宙にいるかのような浮遊感。
天地がひっくり返って見える。
「うぇ?」
思わず声が裏返る。
そのまま数瞬。その後、いきなり視線が下がっていく。
背中から床に叩きつけられた。
「――ッ!」
ダンプがぶつかってきた時のような衝撃と痛みが走る。
あまりの痛みに声を出すことすらできない。
と、そこに聞こえてくる愉しげな声。
「今度こそ逝ってらっしゃい、死神くん」
その声のあと、急に目の前が真っ暗になる。
どうやら顔面を鷲掴みされたらしい。頭だけ床から持ち上げられる。
「よっと」
軽やかな声。
そのあと、床が砕けた音が脳内に響き渡ったところで――意識がとんだ。