第28話:二重弾幕
19 二重弾幕
技術棟を出て南校舎を通り抜け、しばらく静歌の後につづきながら歩いていると、前方に見覚えのある建物が現れた。
サンサンと降り注ぐ日の光の中に建つ堂々とした西洋式建築物。朱雀エルフィード学院中等部校舎。通称、西校舎と呼ばれる場所だ。俺が昼寝で使ったベンチが、近くにある場所でもある。
そんでもって、その中に直進していく金髪赤目。その足取りに迷いはない。
「って、おい! ちょっと待て!」
西校舎に入っていこうとする静歌の肩を、慌てて掴む。掴まれた本人は、うろんげにこちらを振り返る。その瞳は「なに?」と疑問に満ちており、なぜ俺が止めているのかわからないようだった。
「いやなに自然に入ろうとしてんだよ。ここになんかあんのか?」
「なにかって……なんでそんなこと聞くのかしら。なにか問題でも?」
本当にわからないようだ。小首を傾げ、疑問に満ちた視線を向けてくる。
俺はそんな静歌に呆れながら、理由を答えた。
「不自然だろ。高等部の生徒が、魔法調査で使われてない西校舎に、用もなく入るのって。変に疑われたら俺もお前も動きづらくなるんだぞ」
「ああ……そういえば貴方、高等部に在籍してるんだったわね。忘れていたわ」
オイ。
「そうね、確かに不自然だわ…………でもそんなこと言ってもね、私は……いや、貴方も会っておいた方がいい人がいるのよ」
そう言うとくるりと俺に背を向け、中に入っていってしまう。
俺はといえば、肩に置いていた手を宙に彷徨わせて、途方に暮れてしまった。なんだか振り回されてるなぁ。
やれやれ、と溜め息を吐きながら、結局俺は静歌を追って中に入っていった。
静歌が足を止めた場所は、なんと屋上だった。正確には屋上に出るためのドアだ。そこで静歌は足を止めると、後ろにいる俺に顔を向けずに話しかけてきた。
「ここにいる人は、私に協力してくれた人よ。正確には二人協力してくれたんだけど、一人は忙しいからここに来てないわ。今いるのも忙しいはずなんだけど……サボリかしらね」
大丈夫なのか、そいつ。
俺の心の中に不安が渦巻くが、静歌は気に留めずドアを開けてしまう。少しは、俺に確認とろう、とか思わないんだろうか?
ないんだろうなぁ、と若干諦めつつ後を追って、屋上に出る。
そして、そこにいる人物を見て、不覚にも俺は固まってしまった。思わず凝視する。
風に吹かれて、ふわりと揺れる金色の奥。そこにいたのは……
「よ、ペンテクス。それに夏目……いや、死神と言った方がいいかな?」
片桐先生だった。
予想外の人物に内心動揺しながらも、悟られないように答える。
「いえ……あまり死神と言われるのは好きじゃないんですよ、俺」
「そうか? じゃあ今まで通り夏目で。さてペンテクス、首尾はどうだ?」
片桐先生は俺から静歌に視線を移す。静歌は友人とでも話すように気楽にしている。
「まあまあね。それよりもうちの死神が困ってるから、早く説明してあげてくれないかしら」
「うん? おお、わるいわるい」
そう言うと、腕を組み、笑いながらフェンスにもたれ掛かる。
「まず、自己紹介から。あたしの名前は片桐由美子……って知ってるか。とはいえ偽名だ、本名は別にある。まあ、言ってもわからないだろうが。というか、片桐由美子もある意味では本名なんだが、それはおいておこう。
とりあえず、あたしのことは『二重弾幕』と言っておけば理解してもらえるか?」
片桐先生は胸を張りながら、そう言った。
「……はい? 片桐先生が……二重弾幕?」
あの『二重弾幕』? 先生が?
「そう、二重弾幕だ」
「……」
「……」
俺たちの間に冷たい風がヒューと吹いた。遠くから生徒たちの楽しげな声が聞こえてくる。
「……ジョークですよね?」
「本当だ」
「この女の言ってることは本当よ。本当にダブルバラージなの」
片桐先生が頬を膨らませ、静歌が俺を見据えながら静かに言った。その瞳に冗談の色はない。真剣そのものだ。
……どうやら本当らしい。片桐先生は本当にあの二重弾幕と同一人物らしい。
その瞬間、俺の中の二重弾幕のイメージが、粉々に砕け散った。
『二重弾幕』。正体不明の国家魔法士。とある事件で日本政府に敵対した組織を、たった一人で殲滅した英雄だ。当時敵対勢力は二〇〇人以上いたらしいのだが、二重弾幕は一人で全員を葬ったらしい。それも無傷で。圧倒的な力、一人で二〇〇人に挑んだ度胸、そしてたった一〇時間(戦闘自体は三〇分程度)で事件を解決した手腕。それが二重弾幕が英雄と謳われる理由だった。
そんな凄い人が、
「まさか片桐先生だったなんて……」
俺が唖然としていると、片桐先生が意地の悪い表情をしながら、
「失礼なヤツだな。お前だって人のこと言えないだろう? 『死神』やら『灰銀』、『ロンドンの悪夢』と言われてるお前が」
「そうね。確かに言えないわ」
何がおもしろいの、クスクスと二人で笑いあう。俺からしてみれば、なんにもおもしろくないが。
俺が呆れたように溜め息を吐くと、二人は我に返ったようで、先生はこほんと咳を吐き、静歌はそっぽを向いた。
とりあえず話を元に戻そう。
「それで、どうして片桐先生が静歌とつるんでるんですか? 知ってると思いますけど、そいつ殺人姫ですよ?」
言外に、犯罪者ですよと告げる。
しかし片桐先生は首を左右に振り、
「確かにな。だが今は利用価値がある。それにいざとなったら簡単に切り捨てることもできる。都合のいい手駒ってところだ」
本人の目の前で言うなんて、いい度胸してるな。
俺が静歌に視線を向けると、彼女はまだそっぽを向いていた。そのせいで顔色をうかがうことはできない。でもなんとなく嗤っている気がした。
また視線を戻す。視界に入るのは不敵な笑み。
「それはお前もだぞ、死神。お前の正体を学院で知っているのは、あたしと他に一人だけだ。お前が下手な動きをすれば、お前をブタ箱に叩きこむこともできる。お前が死神だと、他の人間にバラすことだってできる」
「そんなこと言っても信じてもらえますかね、俺が死神だって。それに自分で言うのもなんですけど、俺はこう見えて強いですよ、結構」
「信じてもらう必要はない。いや、あたしが言えば無条件で信じてもらえるさ。それに知ってるよ、お前が強いのはな。だが、あたしだって伊達で二重弾幕と呼ばれてるわけじゃない。あたしなら死神を捕まえることだってできる」
「そうですか……」
いつの間にか、辺りは静まり返っていた。遠くから聞こえていた生徒たちの声は聞こえなくなり、温度も低くなったように感じる。どことなく暗くなった気もする。
俺と二重弾幕はお互いに見つめ合った。
俺は睨みつけ。二重弾幕は不敵に笑い。
俺は腰に手を伸ばし。二重弾幕は片手をこちらに向け。
言う。
「なら、捕まえられるか試してみるか? 二重弾幕」
「十秒で決着をつけてやろう。かかってこい、死神」