第27話:進む事態(2)
技術棟の内部に入ってしばらく歩くと、「KEEP OUT」と書かれた黄色いテープが張り巡らされているドアの前に出た。よく刑事ドラマで事件現場に入れないように封鎖するためのテープだ。確かバリケードテープって言ったっけ。
そのバリケードテープで封鎖されているドアを、俺の前方を歩く静歌は何の躊躇いもなく開け、入っていく。邪魔なテープを切り裂き、ちゃっかり指紋を残さないように白い手袋までして。
俺は静歌の後に続いて、切られたテープを横目にドアをくぐる。静歌は一人ですたすたと歩いて行ってしまった。
中に入り、辺りを見回すと、どれだけヤバイ実験だったのか、改めて実感した。
爆発の起きた場所はクレーターのような跡ができているし、プチビックバンを発生させるための機材などはほとんどが溶けてなくなっている。おまけにところどころ、わざわざ冷却魔法を使って、むりやり溶けた部分を固めたような不自然な場所もある。たぶん調査のために危険をなくそうとした結果だろう。あ、でもまだ大丈夫っぽい機械あるじゃん。
俺がその機材(なんか大きいパソコンみたい)に近付くと、そのパソコンのモニターがいきなりポウッと点いた。え、なに、え?
慌てる俺を尻目に、数秒ブーンと音がしたかと思うと、そのモニターに文字が浮かんできた。
『The password please』
The password please……パスワードをどうぞ、か。
「いや知らねぇよ」
思わず声に出してしまう。
と、俺とは違う場所を物色していた静歌がこっちに小走りでやってきた。
彼女は俺の隣に立つと、少しの間モニターを凝視し、何か閃いたのかいきなり制服のポケットをまさぐり、そこから一枚のカードを取り出す。それをパソコンの隣に鎮座しているカードリーダーへ通す。
またパソコンの方からブーンと唸るような音がする。続いてピピピッと電子音。
数秒後、モニターに文字が浮かび上がる。
『The password was approved.
Welcome to Information and Research Department. You can inspect information to the second class at secret level. Do you inspect it?
Yes/no. 』
パスワードは承認されました。
情報管理部へようこそ。 あなたは機密レベル第二級までの情報を閲覧することができます。 閲覧しますか?
そんな感じのことが書かれていた。
静歌は躊躇う素振りを見せず、迷いなくYesをクリックした。またモニターから光が消え、今度はカリカリと鳴り始め、やがて画面いっぱいに文章が表示された。
ここでようやく静歌が口を開いた。
「まさか生きてるとは思わなかったわ……しかもちゃんとカードが効くなんてね」
横目で見ると、静歌はニタニタと厭らしい笑みを浮かべながら、カードをポケットへ仕舞っていた。それから、ずらっと並んだ文章を適当に流し読みしている。時折、ふふっと笑っては俺の目を気にして、慌てて口をつぐむ。
俺も文章を読んでみるが、書かれていることがいまいち理解できない。分かったのは、文章が基本的にイギリス英語で書かれていることだけで、それにしたって所々ドイツ語やらフランス語やらが出てくるのであまり意味はない。
パソコンから目を離し、とりあえず他になんかないかなー、と思い辺りを歩き回るが、
「なんもねぇ……」
どうやら生きている機械はさっきのしかないらしい。つまらん。どうしよ、今夜の夕飯でも決めちゃおうかな。静歌いるからなぁ、あいつ小さいくせに俺より食うんだよなぁ。外食ってわけにもいかないだろうし、適当に作ればいいか。
俺が腕を組みながら考え込んでいると、
「良夜、ちょっとこっちに来なさい」
静歌が手招いていた。
俺が小走りで駆け寄ると、彼女は俺にもモニターが見える様に体をずらし、画面のある一部分を指差した。
そこは他の文字と違い見事に文字化けをしており、何が書いてあるのかさっぱりわからない。
俺が眉を顰めると、静歌が呟くようにして喋り始めた。
「ここに何が書いてあるかわかる?」
「いや。てか文字化けしてるじゃん」
「そうね、でも前後の文から何が書かれてるか予想できないかしら」
「前後の文?」
もう一度モニターを注視して、読む。ところどころ専門用語的な単語が目につくが、それを無視して読み進めると、少し理解することができた。
こう書かれている。
『――魔法をある程度行使することができるといっても、一〇〇パーセント見せるには彼らはまだ幼すぎる。いくら『参崎』や『弐村』の嫡子がいてもそれは変わらない。我々教職員が生徒に対してある程度の配慮をしなければ、『小規模宇宙爆発』見学は本当の意味で成功しないだろう。よって今朝の教員会議において、『小規模宇宙爆発』の実験で見せる*******、*********、と決定した。これだけでも十二分に危険だが、これが現状もっとも妥当だと思われる。――』
なんとなくわかった。
「これってプチビックバンの……」
「ええ。たぶん見学の計画書ね。下に行くともっと細かいことが書いてあるし」
そう言って静歌は画面を下方向にスクロールさせた。数字やら見知らぬ単語がびっちりと書いてある。
「読んでみてわかったと思うけど、肝心なところが文字化けしてる。これが意味しているのは、たぶんこのパソコン……」
言葉を切り、モニターから顔をそらし俺を見る。赤色の瞳は愉しげに嗤っている。
「クラックされてる」
「クラックってお前……朱雀だぞ? 世界でも指折りの安全地帯なんだぞ?」
「そんなこと言われても、事実データは弄られて貴方は危険な目に遭ってるのよ?」
「……」
確かにそうだ。実際に俺はあの場で死んでいてもおかしくなかった。いや俺だけじゃない。下手すれば全員死んでいた。あの場にいる奴らは、ほとんどが反応できないでいたんだから。反応してたのは、俺に新夜、それに長谷部と担任二人(片桐先生と新村)だけ。
俺の考えを見抜いたのか、静歌は頷きながら言葉を続ける。
「それに、そもそもこんな危険な実験を、いくら世界に名だたる朱雀といえど生徒なんかに見学させるかしら? いくら名門中の名門とはいっても限度があるわ」
「そうだな…………そう言えば、陸郷先輩も見たことないって言ってた気がする……」
前に食堂で昼飯を一緒に食べたときに、そんなようなことをチラッと言ってたのを思い出す。
「たぶん最初から仕組まれていたわね、この事故」
そう言うと、静歌は悲惨な状態になってしまっている室内をぐるりと見回した。何を考えているか、その横顔からは読みとれない。
沈黙が幾分か続き、俺の中で今日の夕飯の献立がオムライスで決まりかけたとき、静歌は突然出口に向かって歩き始めた。ドアの前まで歩き、俺に声を掛けてきた。
「行くわよ」
◆
(また面倒くさい場所に……)
少女は舌打ちしそうになるのを堪え、今まさに参崎良夜が入っていったドアの前に立った。
ドアの前に張り巡らされていた黄色いテープは引き裂かれ、使い物にならなくなっている。ターゲットの連れの少女が断ち切ったのだ。敵ながら天晴れと言いたくなるような、見事な太刀筋だった。
しかし、
(そんなことはどうでもいいのよ……!)
問題はターゲットが入っていったこの部屋だ。
技術棟第三実験室。通称、大実験室。その名の通り、大規模な実験に使われる大部屋だ。そして……
(小規模宇宙爆発で使われた部屋だ)
少女は唇を噛み締める。自然に手は握り拳を作っている。
だから言ったのだ。認識誤差などすれば変に疑われると。そんなことをするより、他の確実に私たちの手で遂行できる作戦にすればいいと。
それをあの男は聞かなかった。聞く耳を持とうともしなかった。
(だから、死神に目をつけられるのよ、クソ!)
少女はしばらく実験室のドアを睨みつけていたが、やがて無理矢理力を抜くように肩を落とすと、姿を消した。