序章1
はじめましての人ははじめまして。
お久しぶりの方はお久しぶりです。
作者の歩谷健介というものです。
色々とあって離れていたのですが、この度戻ってまいりました。
まあ前置きはいいでしょう。
皆さんに楽しんでいただけるお話を提供できれば幸いです。
「お願い、まだ死なないで!!」
どうして、こうなったのだろう。
俺の周りには自分の体から流れ出た夥しいほどの血が。
それがコンクリートに赤い水溜りを作っている。
刺さっていた刃物はもう、俺に痛みを伝えることはない。
神経そのものがもう麻痺してしまっていた。
顔を上げると、先程まで一緒にいた、少女の顔が。
「まだ、まだ死んではダメです!!」
一度だけ、たった一度だけ、ほほ笑んで見せたその少女の顔は、今は涙で濡れていた。
薄れる意識を実感しながら、どうしてこうなったのか――そんな益のないことを考えてしまう。
いつも通り、普通に、過ごした、過ごそうとした、そのはずなのに。
午後……。
考えたら、そこから、状況がおかしくなっていた。
代り映えのしないこの世界では、決して見ることのないモンスター。
物理法則を無視した超常の力――魔法と呼ばれる現象。
そして――
「あなたに助けてもらった――今度は私の番」
普通に過ごしていたら決してその人生が交わることはなかったであろう、決意を秘めたこの少女。
……ダメだ。
もう上手く思考も纏まらない。
――俺、死ぬんだな。
どれだけ感覚が狂おうと、それだけは、実感として理解できた。
人の命とはこんなにもあっけないものなのか。
視界に入る赤い水たまりが広がるのに反比例するように、自分の命が削られているように感じる。
走馬灯のように、今日あった出来事が、薄れゆく意識に流れ込む。
蝋燭の火が消え入るのを、そうはさせまいと必死でもがくかのように……。
――その後流れた声を、俺は知らない。
■ ■ ■ ■ ■ ■
<所有者の“不可逆的意識の消失”を確認しました。【渡時士】のスキル“過去跳躍”を発動します>
◇■◇■◇■
「私と一緒にここから逃げて!!」
授業中という、ある種厳粛な雰囲気には似つかわしくない言葉が教室内に響く。
時計の針は、短針長針共に12を差し、生徒たちの集中力が切れ始めるお昼ごろ。
先生が唖然として、黒板に式を写す手を止めた。
何ごとかとそれに合わせて視線を向けると、入口には一人の生徒が。
そんな突拍子のない、しかし情熱の籠った言葉を放った彼女は、ずかずかと周りの様子を気にせず歩を進める。
そうして、俺の直ぐ目の前でその足を止めたのだった。
「お願い、私と逃げて!!」
尚も情熱的なセリフを重ねる目の前の彼女は、確か隣のクラスで、本来なら俺たちと変わらず授業を受けているはず。
しかし、今の彼女は真剣そのものの表情で手を差し出しており、活発で笑うと太陽みたいだと噂される様は見て取れない。
誰もがその普段の様子との差異に驚いていた。
彼女のその真面目な雰囲気に気圧されたのか、誰かが生唾を呑みこむ音が耳に届いて来る。
何を隠そう俺も驚いている。
俺にすら彼女が一体どんな人物か、どんな容姿をしているのか、どれほどの人気者なのか、嫌でも聞えて来るくらいの有名人なのだ。
なんでも妹は駆け出しだがアイドルをしていると言うし、母親は何とかという雑誌の表紙にもなったとか、そんなことが話に混じっていない俺にも聞えて来る。
――そう、クラス内で誰かと建設的な友好関係を築けたことがない俺にですら、だ。
……ちなみに今は夏休みをしっかりがっつり終え、クラスが学園祭に向けて団結して来ている10月である。
決してクラス替えとともにどこかそわそわと浮足立って新たな友達作りに励む春ではない。
……ふむ、最近の若い人は実に奥ゆかしい。男子・女子区別なく草食系なのかな?
みんな彼女を見習ってはどうか。
そんなどうでもいい思考を打ち切り、事態の把握へと努めることにする。
「えっと……」
「――お願い、今は何も言わないで、私と逃げて」
戸惑いを見せつつも何も答えないことに焦れたのか、問題の中心にいる少女は再度懇願する。
こんな愛の逃避行を思わせる言葉に、果たして教室内の他の者の反応は――
「…………」
「…………」
「…………」
どうやら先生を含め周りの者は事態を静観することに決めたらしい。
他の学生たちは単に野次馬根性というか、物珍しいものを見られる位に考えているのだろう。
或いは授業がその分潰れるぜヒャッホーイ、とか。
一方先生はというと、授業を妨害されたことに憤慨するでもなく腕を組んで成り行きを見守ろうとしている、ように窺える。
「……最近の若い者にしては熱い想いを持っていて大胆じゃないか、うん」
なんてことを口にしては、よしよしと何故か納得気に頷いている。
……おい、いいのか教師。
なら俺も授業をサボることには並々ならぬ熱い想いを持ってるのでカミングアウトして帰ってもいいですか?
まあ後でノートを見せてもらうこともできない俺は詰むので、そんなことはしないが。
周りとつるむこともせず勉学に励むとか、マジ俺優等生。
学生の鏡みたいな存在だ。
その内、二宮金次郎の後釜候補に挙げられるかもしれん。
俺マジ二宮。
……うん、意味わからんな。
「お願い……」
――っと、俺の空しい自援護はいいとして。
学生たちの口から語られるような快活さは今は鳴りを潜めている。
それどころか、今にもこの少女は壊れてしまうのではないか、そう錯覚するほどの儚さを醸しながらも返答を待ち続けている。
当たり前だ、答えてやらないと、このやり取りは終わらない。
そろそろ彼女の想いへの答えを返してもよい頃だろう。
さて、返答を待ち続けている彼女への答えは――
「もう…………バカ。私があなたの――『由衣』のお願いを、断れるわけ、ないじゃない」
「っ!! ぁあ、えっと――うん、うん!! ありがとっ、『未由』!! 大好き!!」
「ばっ、バカ!! こ、こんなところで、そ、そんな、大好きとか――」
……見事に百合の花が咲き乱れる結果となっております。
残念ながら、俺は親からは『影時』と呼ばれる。
『未由』なんて可愛らしい女性の名前をしていない。
そう、これは学内でも大変人気の女の子が、どこにでもいそうなボッチ野郎に唐突に告白した大逆転的なお話――などではない。
「? ――ほらっ、未由、行こっ!!」
「ああっ、もう、まったく、いつも由衣は突然なんだから……」
なんて困ったような声音を含ませながらも、どこか怒りきれないといった表情を浮かべている。
その少女はこれまた学内では知らぬものの方が少ない美少女。
普段は凛とした佇まいながらも人当たりはよく、クラス委員を務めている。
噂ではファンクラブもあるのだというのだから、その学内での人気は推して知るべきであろう。
――ちなみに彼女の座席は俺の目の前、である。
もうお分かりであろう、この一連の騒動の全様を。
「えへへ、ごめんね」
「謝らないの、幼馴染でしょ? それに、もう、慣れたから」
「――うん。ありがとう」
そうして、教室を後にする二人。
うんうん、いい話だなぁ。
彼女らのおかげで授業は潰れるし、想いを伝える大切さを知ることが出来た。
今日はもう彼女達に倣って普段から腹にため込んでいることを打ち明ける日でいいのではないか。
うん、そうだ、そうしよう。
――もう俺、学校来なくていいっすか?
どうせ俺勉強以外やることないし。
……学生の本分を全うするのみだというのに、なんだろう、この切なさは。
先ほど自分がどれほど優れた学生であるかを自身で立証した人物にはあるまじき思考を展開していると、余韻から立ち直った先生と目が合った。
おっ、俺の熱き想いがついに通じたか!?
先生、俺、信じてました!!
俺も含めた学生からは厚い信頼を向けられるのに、男性から伴侶としての信頼を向けられたことがない理由が分らないぜ!!
おうおう、世の男連中、ちょっとその眼、曇ってんじゃねえの?
「――おうっ、火渡、勇実が聖川連れてっちゃったから、席直しといてやってくれ」
先生が顎で指す先、そして俺の目の前には、開けられたままの教科書・ノート、筆記具。
そして彼女が先ほどまで座っていただろう引かれたままにされている椅子。
「……ウィっす」
……先生、俺の学校での新たな存在価値を見出してくれてありがとうございます。
雑用だけどな!!
くそっ、そうやって学生だろうと容赦なく人使いが荒いから男も逃げて――
「何だ、火渡、言いたいことがあるなら、じっくり聴いてやるぞ。先生放課後はたっぷり時間があるからな」
それは放課後一緒に過ごすような彼氏もいないからってことですね、そして俺はそのはけ口ってことですね、わかります。
「……いえ、何もないです」
なるほど、こうして恐怖政治をお付き合いの際に持ちこむことが永世独身への秘訣――
「火渡、放課後、職員室な」
その無情な宣告には有無を言わさぬ迫力があった。
俺の熱意は一切伝わらないのに、どうでもいいことだけはなぜか先生に感づかれてしまったらしい。
……いや、先生にとっては死活問題でどうでもよくないのかもしれないが。
「……はい」
授業ボイコットした彼女らは自由を謳歌し、先生の将来を心配した俺は社会の理不尽さを思い知らされる。
……学校、怖い。
まだ序章、続きます。