ようこそ青春委員へ3
黒崎先生がこの部屋を退出してから一時間が過ぎていた。
青春室ではせっせと目標達成のための作戦会議が行われているわけではなく、各自がそれぞれのんびりと過ごしていた。
俺は黒崎先生が座っていたソファーに移動しており、白石が淹れてくれたお茶の入っている湯飲みに手を伸ばす。
そろそろ丁度良くなったかな。
そう思いお茶を少し口の中に含んだ。温度は最適であることを確認してから飲む。それにしても、お茶の香りが鼻の中を通り抜けここまで心地いいと感じたのは今日で初めてだ。白石にはお茶を淹れる才能があるに違いない。
白石は向かいのソファーに座っており、耳にイヤホン、両手でスマホを握りしめて画面の中を見入っている。そして時折、へえーなどと感心するような様子を見せている。
結局は白石も中身は女の子なのだろう。今、女子高生の間で流行っている『君だけのワイルドボーイズ』というドラマを観ているに違いないと思っていた矢先。
「この人たちの頭の中はどうなっているのかしら。適当にチェケラと言って語尾にYOを付けていたらなんでも成立すると思っていた自分が馬鹿ね」
そう呟いた白石はフッと自分自身を嘲笑するように笑みを浮かべていた。
なるほどラップか。
俺は一人で勝手に理解してお茶を飲んだ。
次に白石の隣に座っている春風の方に目を向けると英語の教科書を真剣な顔で読みふけっていた。
普通なら勉強してるのかすごいなと尊敬してしまうのだが、どうも疑り深いのかそういう気持ちにはなれなかった。
その理由は、彼女の教科書の持ち方である。明らかに教科書を地面に垂直になるように持っているのだ。授業中に教科書を立てておいて居眠りしているもしくは、その教科書を読んでいるフリして別の本を読んでいるの二択に一つ。今回に限っては、後者だと疑わざるを得ない。
なぜなら、明らかに俺から見えないようにしている点と、ページをめくる紙の音が聞こえるのだが英語の教科書のページがめくられていないからだ。
ならばどんな本を隠しながら読んでいるのだろうか。
春風も華の女子高生なので少女漫画に違いないと確信した矢先。
「ああ、」
春風の気の抜けた声と共に英語の教科書は彼女の手から滑り落ちるように膝の上にパタンと落ちた。
俺は顔を上げて彼女が隠しながら読んでいた本のタイトルでも確認しようとすると。
『意中の相手が振り向く恋愛マスター術~体験談編~』
ガチのやつだった。
赤面する春風と目が合いそうになった瞬間、俺は目線を真下に向けて握りしめていた湯飲みの中に向かって呟く。
「あ、茶柱が立ってる~」
ああ何言ってるんだろ。いきなり茶柱全く立ってないのに茶柱立ったって呟く馬鹿はどこにいるんだよ。
あまりにも滑稽に思えすぎて自分の耳や頬が熱くなっていくのを感じていた。
気を紛らわせようと湯飲みに残っていたお茶を一気に飲み干す。
鼻を抜けていくこの素晴らしい香り。心も段々と落ち着いてきてほっこりとした気持ちになっていた矢先、今になって重大なことを思い出してしまった。
カップル作らないとこの中から退学者でちゃうじゃん!!
何でこんなにも大事なことそっちのけでくつろいでしまっていたのか。
おそらく、いきなり現実味のないことを言われたせいもあるだろうが、一番の原因は白石と春風が平然としていたからに違いない。彼女たちにとっては日常的に当たり前だろうが、俺にとっては非日常。
しかし、彼女たちが当たり前と言いたげに何事もなかったように過ごすせいで、俺の脳がこれが当たり前なんだと勝手にインプットしたに違いない。
気付いてしまったからにはもう引き返せない。
退学することになるかもしれないという不安と恐怖が俺を蝕み始める。
というか何でこの二人は平然と何も行動を起こそうとしないのか。
その疑問が頭の中を駆け抜ける。
するとちょうど白石がイヤホンを外しスマホをポケットにしまい込んだ。
もしかしたらと思い俺は尋ねることにした。
「なあ、もしかしてなんだが。もう四月分のカップル作りの目的は達成しているのか?」
そうだ。もう既に今月分はクリアしているため、こんなにものんびりと好き勝手にできているに違いない。ていうかそうであってくれ!
白石は自分のお茶を一口飲んでから俺を見た。
「まだに決まってるでしょ」
言い終えると眠たそうに手で口を隠しながら欠伸をした。欠伸ですらも彼女の一挙一動は綺麗だ。
じゃなくてえ!!なんでそんなに優雅でいられるんですか!?自分の退学がかかっているでしょ!?
春風に関しては読んでいた本が俺にバレたのではないかという疑いの目を頑張って向けていた。
頑張るところ絶対違うだろ!今はそんなことより退学にならないように頑張るのが最優先じゃないの?俺間違ってる?
なぜ彼女たちが青春委員としての目的を達成しようとする行動を起こさないのか。その真相を解明するべく腕を組んでリョウタキョウバシのブレインをフルオペレーションしてみる。
その末に一つのアンサーにたどり着いた。
退学者はランダムで選ばれるのではなく、その青春委員内で多数決で選ばれるのかもしれない。
例えば、このまま四月分のカップル作りに失敗することになれば、退学者が一人出ることになる。そこで退学者を一人選ぶために多数決を行い、白石と春風が俺を指名すれば退学者は京橋龍太で決まりとなる。そして、来月である五月に再び青春委員の補充をするための抽選が行われ、その月もカップル作りに失敗し目的達成にならず退学者を選ぶ多数決が行われ・・・・・・。
「・・・え、えげつねえ」
思わずそう呟いていた。
白石と春風はどうしたのだろうかと首を傾げているが、もはや悪魔にしか見えない。
だってそうだ。白石と春風が協力関係を結んでいたとしたら、青春委員でありながらも目的に縛られることなく学生生活を送ればいい。彼女たち二人の手によって何十人もの生徒たちが退学することになる羽目になるのだが。
唾をごくりと飲んだ。
だったらやるしかない。退学を防ぐためにも。俺一人でもカップル作りに奔走するしかない。
しかし、やることが決まれば行動に移すだけなのだが、この先どのように動けばいいのかのビジョンが全く見えない。
あれ、もしかしたらこれって自分が恋人を作るのよりも格段に難しくないか?
そう気付いた瞬間、俺は悲壮感に溢れた表情をしてガクンと肩を落としてうな垂れた。
「忙しい人ね」
俺に向けられた言葉だと理解しゆっくりと顔を上げた。
「絶望に満ちたような顔ね。はあ、何に絶望しているのか知らないけれど、このままじゃ支障をきたしかねないわね」
白石はそう言ってから前に来ていた髪を後ろへ払いのけた。
「何か悩みでもあるのなら聞いてあげなくもないわよ?」
・・・悩みの種がお前らなんだが!!
それでもなお俺は口にする事にした。
もしかしたら、彼女たちを悪魔から人に戻せるかもしれないという望みをかけて。
「カップル作りをしないと退学なんだが、なんでカップル作りに動かないんだ?」
白石は、ああそのことねと呟く。
「そういえば言ってなかったわね。明日の放課後に依頼者が来るから安心しなさい」
「依頼者?」
「そう。毎月依頼者が来るような学園だからそれを上手くこなしていければ、目的達成できずに退学者が出てしまう事態にはそうならないから気を緩めるっていうのは正しくないかもしれないけど、そうねもう少し気を楽にしていなさい」
依頼者とはここでは恋愛相談者のことだろうか。確かに恋愛相談者が来てくれるのはありがたいことだし、こちらとしても動きやすくなる。
俺は思わず安堵のため息とともに、そうかと呟き。
「お前ら、人だったんだな」
「今聞き捨てならない言葉が聞こえたのだけど?」
「言葉の綾だから気にする事はないさ」
俺はそう言ってソファーに深く座り込んだ。白石からもう少し気を楽にするようにと言われたおかげか、体の力が抜けていくのを感じていた。
だが、こんなことを思いついてしまった。では何故今回のように緊急学年集会が開かれて青春委員の補充をしなければならないようになってしまったのかを。青春委員だった男子生徒が起こした騒動とやらに彼女たちが関わっていないのかという疑問を。
まあ別に聞くほどのことでもないかと勝手に結論付けた。もしその騒動とやらに彼女たちが関わっていたとしたら男子生徒だけでなく彼女たちも退学処分を下されているもんだと考えたからだ。
俺は明日からどうなるんだろうなと思っていると、この青春室を叩くノックが聞こえた。
白石は慣れている様に、「はーい、どうぞー」と口にする。
俺はゆっくりと後ろを向きドアの方を見ていると。
「失礼しますねー」
そう言って脱色された長い髪と蝶の髪飾りが特徴的な少女が入ってきた。
俺はこの人を知っている。忘れるわけがない。
今日の緊急学年集会で俺をここまで落とした人物だ。
俺は無言で立ち上がりスッと白石の隣に座った。俺がさっきまで座っていたソファーは来客用だからだ。
白石は別に気にする様子を見せずに、入ってきた少女に座ったらと声をかけていた。
そうねと口にしてその子は俺がさっきまで座っていたソファーに腰を掛ける。
「で、今日はどういった用件で?」
白石の口調は少し冷たいように感じた。
しかし別段、蝶の髪飾りの少女は気にしている様子もなく。
「用件がなくちゃ来てはいけないの?ま、今日はあるんだけどね。そこの彼に挨拶をしに来たのよ。それと、釘をさしにね」
そう言って俺の方に向き直る。
「初めまして。私は二年生徒会の西宮美乃梨といいます。以後お見知りおきを」
「あ、ああ」
呆気にとられていた。この西宮美乃梨という人物はとても綺麗だという思いに思考が掌握されていく感じがした。
白石水穂を日本人形というのなら、西宮美乃梨は西洋人形と例えられるだろう。
それだけこの二人は近いようで遠い、相容れない存在なのかもしれないと思わざるを得なかった。
俺は喉に詰まっていた言葉をなんとか出す。
「京橋龍太です。よろしくお願いします」
そう言ってペコリと頭を下げた。一応上の者には礼儀を見せとこうと思ったのだ。社会に出るとこれ大事。
「それで、釘をさしに来たってことなんですけど、どういうことですかね?」
あれは俺に当てられたら言葉だということは理解している。だからなおさら、内心とてもびくびくしていた。
「そうね。さっきまで黒崎先生が説明してくれてたでしょ?」
「青春委員の目的と失敗すれば退学の話ですよね」
「そうそう」
そう言って相槌を打った西宮は、意地悪な笑みを俺に向けた。
「もうこればっかりはこの学園に通う生徒全員が知っていることだと思うけど、一応念を押しておきましょうか」
西宮が何を言いたいのか大体の予想がついた。
「青春委員は己の青春を他人のために捧げなければいけません。つまるところ、青春委員は異性と交際するなんてことはいけないことです。まあ、早い話、恋心なんてものを抱くなってことですよ」
知っている。
この学園は実験的な要素を含んでおり、恋人を作り最高の青春を送るうえで最も優れた環境を提供するというのがうたい文句だ。しかし、それは全員に与えられるものではなく、ほんの一握りの人間は犠牲になるが、その代わりとして他の人たちがどのように恋を成就させるのかをお助けでき、そのような人たちと関わっていくことで、青春とは何かを深く学べるともうたっている。
そう、ここでの犠牲とは青春委員のことだ。
万が一にでも、青春委員が恋人なんか作った暁には、即刻で退学処分を受けるという異常な校則で決まっている。
そうと知っていてもこの学園は近年まれに見ることができない、異常というべきほどの人気を誇っている。
理由は決まっている。高い進学率は当たり前。この学園のブランドともいえる、高い恋愛成就率である。異性と付き合いたいと盛んに思う学生が数多く集い、それを支え大きく後押しするのが青春委員。
そんなことはこの学園に入学する前から知っている。
だから、俺が青春委員に入ると決まった時点で諦めはついていた。無理矢理切り替えた。
西宮は感心していそうな表情で俺の方を見ていた。
「へー。いつもなら、そーですよね、とか呟いてショックをもう一度受けてもらう形になるのだと会長から聞いていたのだけど、案外肝が据わっているのかな」
「そんなことないですよ」
「へー、まあどっちでもいいんだけど。さっき黒崎先生とすれ違って話忘れてたーとか言ってたから、私が代わりに来たわけ。そこのお二人さんは知っていると思うけど、京橋君からすればいやーな追加ルールみたいになるのかな」
「追加ルール?」
「そう。実はこの学園の生徒会は風紀委員としての側面も持っているのよ」
「と言いますと?」
「不純異性交遊などびしばし取り締まっているってわけ」
「そうですか」
俺はふーんそんなとこか程度にしか思わなかった。
西宮は特に俺の反応を気にすることなく続ける。
「まあ、よくある例を出すなら、生徒会からの承認を受けずに付き合っているカップルは発見次第問答無用で、不純異性交遊と見なして停学処分を与える感じね」
「なるほど。それはこっちからしてもありがたい話ですね」
なかなか横暴だと思ってしまうがありがたい。
つまり、いくら恥ずかしかったとしても生徒会に承認されずに付き合っているカップルは不純異性交遊とみなされるのだ。ならば、否が応でも承認してもらうほかない。
このルールは青春委員が目的達成をしやすくするための手助けをしていると考えてもよさそうだ。
まあ、それでも陰でこそこそ付き合っているカップルがないとは言い切れないが、そこは西宮たちの腕の見せ所なのだろう。
しかしこれだけだと先程西宮が言った、いやーな追加ルールになっていない。
「承認されているカップルの一人が不純異性交遊を働くとどうなるかしら」
西宮は呟いた。
「例えを出すけど、AくんとBさんがいました。この二人は生徒会から承認された仲睦まじいカップルでした。しかし、ある日。AくんはBさんではない違う女性、Cさんに手を出してしまいました。このことが生徒会にバレてしまいAくんの行った行為は不純異性交遊とみなされました。処分としてAくんは停学になりました。退学にならなかっただけマシですね」
一呼吸置いた西宮はスッと笑みを浮かべた。悪魔のように思えた。
「青春委員にもペナルティーが用意されています。内容は二種類あって、そのうちのどちらか片方を選択できます。良心的でしょ?」
「・・・・それで。その内容はなんですか」
「一つ目が、カップルが別れた時のように目的達成のために作らなければいけないカップル数が増えます。別れた時は、その数だけ一追加されていましたけど。今回は別です。付き合っていたカップルが不純異性交遊を働き、悲しむ人が現れてしまいました。そんなクソ野郎のせいで最高の青春が底辺にまで落とされてしまったのです。青春委員は最高の青春を送ってもらえるようにしなければいけないのに、それができませんでした。ならば、それ相応の罰が必要でしょう?なので、目的達成のために作らなければいけないカップル数が一〇加算です」
俺は口を開けたまま何も言えないでいた。
「さて、もう一つの選択肢。二つ目の内容は、青春委員の中から一人の自主退学です。自主退学が嫌で、一つ目の選択肢を選び最後まで足掻いても、目的を達成できなかった際には特例で、その青春委員全員の強制退学です。要は、最後まで抗う一蓮托生でいるか、一人で背負うかの違いです」
「そんなの、滅茶苦茶だろ」
なんとか喉から声を出せた。相手に飲み込まれて震えていたが。
西宮は、ええそうですねと同意するように呟く。だが。
「これがこの学園です。犠牲者には最後まで犠牲者らしくしていただかないと。適当に付き合わせまくって、自分たちが延命出来てあー良かったじゃ困るんですよ。付き合った方々が幸せに最高の青春を送ってもらわなければいけないんです。だから、誰でもいいから付き合わせるだなんて軽い気持ちではなく、真剣に親身になって考えてあげてください。そうすれば、我々も不純異性交遊だと宣言して、あなた方を潰さなくて済みます」
「あ、ああ」
俺は圧倒されるだけだった。悪魔のように見えていた西宮美乃梨からほんの僅かだけ、しおらしい少女の面影のようなものを感じ取ってしまったからだ。
「理解してもらえれば結構です。言わなければいけないことは言い終えたのでお暇させていただきます」
西宮はそう言ってゆっくりと立ち上がり、出ていくように歩いていく。
そして、ふとドアの前で立ち止まると。
「人はあなた方のことを青春劣等生と言います。あなたも、同じ道を進まないように」
そう言い残して彼女は去っていった。
俺には最後に彼女が放った言葉の真意を分かることができなかった。
二人に聞こうと顔を動かすと、帰りの用意をいつの間にか済ませた白石と春風が立ち上がっており。
「今日はもうおしまい。明日から始めるわよ」
「りょうかい」
疑問を飲み込み呟いた。ソファーの側に置いていた鞄を握りしめて二人を追いかけるように青春室からでると、下校時間を知らせるチャイムが鳴り響く。
廊下から見える夕焼けに照らされた運動部員たちは帰る用意などをしており眩しく見える。
明日から。そう何度も噛み締めて、俺は帰路につくことにした。