差し伸ばす手は叶えるために
少し前を歩くメイド姿の坂上は周囲に注意を向けながら歩いていた。曲がり角にくればその先に誰かいないかどうかを必ず確認する。
「オーケイ。行きましょう」
彼女はすぐ後ろにいる俺を確認することなく呟き、止まった足を再び動かした。
「ラジャー」
俺も適当に返して後ろに注意をとばしつつ、坂上のすぐ後を追う。
今俺が何をしているかというと、花園家侵入大作戦をしているからだ。つまり、コソコソと不法侵入をしている。
いや、坂上奈央に従って侵入してるわけだから問題ないのでは……?とにかく、他の誰にも見つかることなく俺は花園ミーナと接触するために今いるんだ。
坂上曰く、見つかった時点でゲームオーバーらしい。俺としてはゲームオーバーしてしまったら何か嫌なことがあるかどうかが気になるのだが。
俺は後方を確認しながら呟いた。
「にしても、今のところ誰も見かけてないんだけど。案外余裕なんじゃ」
「舐めたこと言わないで下さいよ。なぜ私がこの時間にあなたを裏口から侵入させたと思ってるんですか。そして私はこの時間帯であれば隠密行動は無敵です。どこに誰がいるかなんて見ずとも分かりますがッ!!」
坂上に掴まれてすぐ横にある真っ暗な部屋に放り込まれた。
「うわっとぉッ!!」
背中から地面に落ちたので無論、痛い。いつもなら、何しやがるんだと反発するのだが。
「ここで何してるんだ?」
「これからお嬢様のお話相手になれればと思ってー」
「そうか。頼むぞ。理由は分からないがあれ程落ち込まれている様子のお嬢様を見るのは久しぶりだからな。お前が側にいてやるべきだ」
「というわけですので、お疲れ様でーす」
「うむ。ではな」
そして遠ざかっていく足音。俺はその姿を確認することはなかったが、坂上奈央のファインプレーとしか言えない。
それにしても、……。
「出てきて大丈夫ですよ」
坂上の言葉に従い、真っ暗な部屋から出た。
軽く安堵している様子の坂上は俺の姿を確認すると再び歩きだし。
「とりあえずなんですけど、あなたが今ここに侵入している事がバレると私もそれなりに怒られるんですよ。そして、一部の協力者も同様です。まあ、私がそこを隠して白状すれば協力者は助かるかもしれませんけど、私一人だけ怒られるのは癪なので全部白状するつもりだからなんですけどね」
「クソ野郎だ」
「そんなこと言わないでくださいよー。それは、そうと……」
坂上は立ち止まりそっと扉に手を当てる。
「お嬢様を大切に思う気持ちは誰にも負けるつもりがないんですよね」
そして、彼女は扉をノックする。
「お嬢様ー?奈央ですよ。入ってもよろしいでしょうか?」
しかし、中から返事は帰って来ない。
「じゃ、入りますね」
坂上は動じることなく扉を開ける。そして、その部屋の中にいつの間にか掴まれていた俺を力任せで放り込んだのだ。
今回ばかりは流石に打ち付けた箇所を押さえて。
「何するんだよ!」
「この場に私は不要です。それに元からこうするつもりでしたし。あとはお若い二人で話してくださいな」
そして、僅かに口角を上げた坂上は扉を閉めたのだ。
俺は思わず上げた肩を下げて息を吐いた。まだ少し体が痛むがゆっくりと立ち上がり、ベッドの上でキョトンとした表情を見せている女の子に目を向ける。
「よう、花園ミーナ。少し見ないうちに酷い顔になったな」
「なん、で…。ここに」
「なんでも何も俺はお前と御門晴哉とのことを話すためにここにいるんだよ」
「そんなの、もう分かりきってることじゃなぁい。私は彼と付き合う」
「いいや俺には分からない。なぜ付き合う」
「それは、……」
「セバスティアンっていう最後の盾を失ったから。違うか?」
俺の軽々しいこの発言。花園ミーナが激怒するにはこれだけで充分だった。
「あなたねぇッ!私の気も知らないで軽々しく話さないでぇッ!!」
「知るかよ。俺はあくまで第三者だ。だからお前らと違って客観的に見れる。勝手に先走ってるのはテメェの方だろうが」
「なにが?なにが先走ってるっていうのよぉ!お父様もお母様も私が彼と付き合う、結婚することを望んでいる。それが嫌でも、戦ってくれるセバスティアンは傷ついた。使用人たちは歯向かうことはできない。もう、全部、終わりじゃなぁい……」
悔しそうに唇を噛みしめる。きっと今の彼女は微かに血の味を感じているんだろう。細めた目からは涙が溢れ落ち、シーツを握りしめた腕は震えている。
やっぱ、ネックになるのはそこだよな。
「ここで一つ質問な。お前の親はお前が幸せになることを願ってるんだろ?この交際も幸せを願ってのこと。違うか?」
「えぇ。お父様とお母様は私の幸せを第一に考えてくれてる」
「なら、今のお前はどうなんだよ。幸せ?笑わせんな。幸せなんてどこにもねぇだろうが。ただただ親を言い訳に逃げてるようにしか見えないんだよ。高校生にもなって親離れも出来ないガキンチョかテメェ。嫌なら嫌って自分で言えよ。嫌じゃないならそのまま真っ暗な部屋に閉じこもってろ、操り人形」
好き勝手言われて何も言い返せないなら、もうこの部屋を出ていく。そうするつもりだった。
「……それで、それで何が悪いのよぉ!!今まで私が生きてきて外の世界には幸せなんてどこにもなかった!期待しては裏切られるだけ。なに?何が悪いのよ!私は皆と友達になって楽しくお喋りしたり遊んだりしたい。仲良くなりたいだけだったのに、それすらも許してはくれないのよ。なに?何がいけないのよぉ。髪?顔?家?私?私という存在?今までどうにもならなかった。一瞬でも楽しく感じればその分突き落とされる。ここが、この家が唯一私っていう存在をずっと受け入れてくれていたぁ。楽しいのはここだけ。こんな私を思ってくれ続けてくれるお父様とお母様に反発なんてどうすればいいのよぉ……」
「そっか。そうだったんだな。つっても、俺には気持ちを分かってやれることは出来ない。そういうのとは無縁だったから。同情なんて薄っぺらいことはできない」
「ならッ!もう出て行ってぇ!!…私にもう関わらないでぇ」
「……それは、出来ない」
「ッ―――!!いい加減にしてよぉ。私は彼と付き合う。それでおしまい。みんなが望むハッピーエンドじゃなぁい。青春委員のあなたもそれを望んでるんでしょぉ!」
「そうだな、青春委員としての俺なら万々歳だ。でも、そうはならない。ここにいるのは、青春委員としてじゃない。花園ミーナのただの知り合いの京橋龍太として今ここにいる」
「何を言ってるの?」
「俺はお前が御門晴哉と付き合うことを胸糞悪く感じてんだよ。あんなクソ野郎とお前は釣り合わねえ。それにな、御門晴哉と付き合えば友達にだってなれないんだ。嫌になるね」
「それって」
「あー、期待はするなよ。別に助けに来ただなんて思ってない。俺はただ、お前の言ってくれた願いを叶えるためにここに来たんだ。そこだけは譲らねえ」
そして安心してほしくて笑いかける。俺は敵じゃないって。言葉にしても薄っぺらいままだから。
「やめてよぉ……。私に光を見せないでよぉ」
「こんな事で眩しいか?ならこの先は光が眩しすぎて失明するな」
「なにを、言って…」
涙で目を腫らし手で擦る。
「まずこれが全部片付いたら、女子の家に勝手に上がりこんだ俺が友達になる。それから、クラスメートと仲良くなれるし、他クラスなら青春委員の白石と春風とも仲良くなれるよ。おまけで生徒会の西宮もな。んで体育祭と文化祭って行事も待ってる。な?考えただけで楽しいこと尽くめだろ?一度きりの高校生活、最後に楽しかったって思えるぞ」
「そんなの、簡単には手に入らないわぁ」
「ああ、簡単には手に入らない。だけど勇気出して一歩踏み出せば手に入るかもしれない可能性だ。それに手を伸ばして掴むかどうかはお前次第だ」
「手を伸ばしても離れていくかもしれない。あやふやになって消えるかもしれない」
「安心しろ。お前が手を伸ばして掴もうとしてるなら、俺からも差し伸ばしてその手を掴んで引きずり上げてやるよ。だから、俺から言えることはこれだけだ」
俺は彼女の前まで歩き膝をつく。まずは俺から手を伸ばす。花園ミーナが手を伸ばすのは全部終わったらでいい。
「―――俺を、放課後の決闘においてお嬢様を守る下僕にしてくれ」
彼女は恐る恐る伸ばされた俺の手に手を伸ばす。何度も躊躇い止まる。それでも、手を掴んだ。決意を密かに秘めて。
「私をまもってぇ。そしてぇ、かってみせて」
「ハッ。お任せください。最後に立ってるのは俺ですから」
もう後戻りは出来ない。俺は、青春委員失格かもしれない。家の問題に立ち入るべきじゃなかったかもしれない。
それでも、目の前で涙を流しながら俺に望みを賭けてくれた女の子がいる。理由なんてそれだけで十分だ。それだけで良かったんだ。
今更になってその重みを感じた。だが、最初からそれを期待していたから、問題ない。
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本当にその手を掴んで良かったのだろうか。そう考えると終わりが見つからない。
久しぶりに自分の部屋を出た感覚は、締め付けていた拘束具を取り外せたかのように体が楽に感じていた。
隣を歩く坂上奈央は密かに京橋龍太を脱出させることができた事に安堵していた。そんな彼女を見て呟く。
「誰にもバレなかったようで良かったわねぇ」
「驚かさないでくださいよお嬢様。精神を研ぎ澄ませ続けたんで疲労困憊なんですよ」
「フフッ。分かってるわぁ。ありがとう。ほんのちょっとだけど、彼が来なかったら今の私はないわぁ」
軽快に歩いていた足が力強く踏み出されるようになる。
今は正しい選択なんて分からない。それは全部終わってからの答え合わせをしたら分かるだけ。だから―――。
前方から少し顔を俯かせながらお母様が歩いてくる。私に気が付くとどこかバツが悪そうな表情だ。
それでも私は気にせず歩き続ける。
面と向かった時に、お母様は声をかけづらそうにしていたが、私はニッコリと笑ってから言ってみせるのだ。
「お母様。私は今、ちょっと反抗期みたいなのぉ」
それだけ言って私は前に進む。
きっとお母様は私の背中を見てきょとんとしているんだろう。
そして、奈央はそれを見て少し微笑む。
「親離れでございますね」
たった一度きりの高校生活。誰かの思い通りにはならずに、私がしたいように生きていく。
絶望ばかりしていられない。こんな私に光を見せてくれた彼に全てを賭ける。何度も泣き続けて落ち続けた。私に出来るのは這い上がることだけ。
「ならぁ、答えは始めからあったじゃなぁい」
諦めたら絶対にたどり着けない答え。この件が全て終わったら私から動こう。
そして、今は―――。
「あなたが来てくれただけで、私は救われたのよぉ」




