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『もう、嫌だ。……助けてぇ』

 真っ暗な部屋。冷え切った部屋。物が散らばり荒れた部屋。物音一つしない部屋。

 そこで私は制服のままベットに横たわっていた。体は動かない。けれども時折掠れた呼吸が聞こえる。

 ああ、私、生きてるのねぇ。


 こんな風になってからどれくらい時間が経ったのか分からない。いつからこんな操る人のいない無気力な人形になってしまったのだろうか。

 ああ、そっか。彼と別れて、それから連絡のままに病院に行ったからだ。


 連絡を受けてから私は走った。普段待ってくれている白髪の男も、その人が毎日欠かす事なく手入れしている車も無かった。だから走った。普段走らないから息はすぐ切れてしんどくなっても足を動かし続けた。

 たまたま通りかかったタクシーを捕まえて急いで病院に向かったんだ。

 到着してからは飛び降りて病院の中なのに走った。怒られる声も聞こえてなかった。教えてもらった病室まで走り続けて、途中で思わず泣きそうになって足がよろけたりしたけど、なんとかその病室へ飛び込んで入った。


 病室には家の使用人が二人。でも私はその二人に目も向けずにベットで寝ている白髪の男に駆け寄った。

「セバスティアン!!」

 セバスティアンには痛々しい程に白い包帯が巻かれており、彼は私の呼びかけに反応してくれない。

 何度も何度も彼の名前を呼び続けた。それでも固く閉じられたシワのある目は開かない。口も動かない。

「セバスティアン!セバスティアン!!セバスティアンッ―――」

 涙が溢れて自分の声もあやふやになって、見かねた二人の使用人が私を止める。きっと、落ち着くようにと声をかけてくれていたんだと思う。それでもその言葉をかき消すように、かき消したくて何度も呼び続けた。


 目を腫らし泣き疲れた私は家に帰る車の中で奈央から何があったのかを聞いた。なんでも頭に大きなダメージを受けて倒れたらしい。

 なんで、こんなことにぃ……。


 家に着いてからしばらくは奈央が気晴らしになるような話をしてくれていたが、私はろくな返事も何も出来なかった。

 それからこの部屋に閉じこもって今に至る。


 体が重い。何も考えることなく目を動かすと鏡台が視界に入る。鏡には今の哀れな自分が映った。

 ひどい顔。髪も滅茶苦茶に乱れてぇ。これじゃセバスティアンに怒られるわぁ……。

 思わず下唇を噛み締めて溢れそうになる涙を堪える。手をギュッと力の限り閉じていたので開くと白からジワジワと赤に染まってゆく。


 セバスティアン。彼は私がもう覚えていない赤ちゃんの時から側にいてくれていたらしい。どんな時があってもセバスティアンは私から離れていくなんてことはなかった。 

 私がイタズラや汚い言葉を使った時は誰よりも叱ってくれて。私が親に怒られたりして泣いていた時はいつも慰めてくれた。暇を拗らせた私に色々な話を聞かせてくれた。一緒にお出かけも沢山した。

 入学式の写真を撮ってくれた時も。お父様やお母様が来れない時の運動会で、あれだけ来なくていいと言ったのに当たり前のように来てたり。

 悪目立ちしてたわねぇ。

 思わずクスッと笑えた。


 それから嫌なことが何度もあった。けれどもセバスティアンは深く何があったのかを追及しようとしなかった。私の性格をよく分かっている。こういうので誰かに頼るのは負けてしまったような気がするから。だからその反骨精神で学校に行き続けた。

 それでも耐えられなくなったときは、帰りの車でセバスティアンにその日にあった嫌なことを打ち明けて疲れるまで泣いていた。

 ほんと私ってば、面倒な性格してるわねぇ。


 そんな私を見てきたセバスティアンだから。彼だからこそ私に言える言葉があった。

『良い出会い。楽しい学校生活が待っているといいですね』

 入学式や新しい学年になる度に、車の中で彼は私に呟いていた。期待をすることは馬鹿で愚かだと気付いてからは、ろくに反応をすることもなくなった言葉。私のための言葉。

 そしてセバスティアンの願い。期待していた時の私の願い。


 バカぁ。そんなの叶うはずもないのに。それでも言い続けて。まだ、ちっとも、叶ってないわぁ。

 

 悔しくなりベットを一回殴りつける。

 そんなことをしても無駄なのに。そんなの分かっていても気持ちが先走る。悔しくて悔しくて悔しくて。気持ちをぶつけられる所はどこにもなくて。それがさらに悔しさを煽ってきて。

 私は何も願う事を許されないのかと思わされて。それを吐きそうになりながら受け入れたくなくても、そうせざるを得なくて。受け入れてしまえば楽になれる。それでも抗いたかった過去の私が邪魔をして。

 僅かに見えた希望に手を伸ばそうとした私を全否定しなければいけない。


「あ、あぁ。―――、―――。……―――。」

 私の声は誰にも届かず、この暗い部屋で消滅してしまって。

 押し寄せる静かさが私を絶望へと後押しするだけだった。 

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