お嬢様と下僕6
天気予報の通り、今日の青春委員の活動を終えて帰宅するのにいい時間になったが雨は降り続けていた。
疲れ切った様子のお嬢様は自習室から飛び出ると。
「はぁー、疲れたわぁ。あの課題なんなのかしら。教師たちの日頃の鬱憤を晴らすために作られたとしか考えられないぐらい難しいわぁ」
「お疲れ様。今日はもう帰宅でいいんだよな?」
「えぇ、まあそうね。……いいえ、今日は最後まで下僕になってもらうわぁ」
「ごめんお嬢様。言ってる意味が分からん」
「簡単よ。これから、あなたは私の家に来るのよぉ」
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セバスティアンの運転する車から降りて、大きな扉の前に立っている俺は開いた口が塞がらなかった。
「いやいや、お屋敷の敷地の中に車が入った辺りから可笑しいとは思ってたけど、ここって俺でも知ってる超お金持ちが住んでいるという噂のあるとこだよな。到着とか言われても信じられねーし。この規模は現実離れしてませんかね」
「そうかしらぁ。私はお嬢様。あとここは近くに駅もお店も無いから土地が安かったで片付く話じゃないのぉ?」
隣でお嬢様は口元に指を当てながら呟いた。
それで片付く話なのだろうか。
俺はいま見える範囲で辺りを見渡す。正面にはここが玄関ですと強烈なアピールをしてくる大きな扉。ちょっとした優雅な散歩が出来そうな石畳の道と花々。噴水庭園もあれば、ここで一服してくださいと白い机に白い椅子。完全完璧に今までの俺の人生経験で許容できる範囲を超えている。そしてここを家だというのだ。
これがマイホーム?文化遺産とかの間違いじゃないの?
「天気がよかったらもっと凄かったんだろうな」
今日はあいにくの雨だ。だから、今の時間にしては空が暗くなりつつあり雨は勢い良く降り続ける。
まあ、橙色を光らせる外灯がいくつもあるし、これはこれで凄い。
「私からすればこれが当たり前よぉ」
お嬢様は何も気にすることなく呟いた。
俺が感嘆の声を出していると、正面の大きな扉がゆっくりと開く。
「「「おかえりなさいませ、お嬢様!」」」
なんと中には沢山のメイドとも言うべきような人たちが並んでいた。それに適当に返事をする隣のお嬢様。
「あのー、ちょっと俺、場違いな気がするから帰ってもいいですか?」
実際この一瞬で嫌な鳥肌が立っている。呼吸をするのも難しく感じてしまう感覚だ。
するとお嬢様は俺の胸ぐらをネクタイごと掴み。
「君は、私の下僕よねぇ。いいからお嬢様の言うことを聞きなさぁい」
凍りついた笑顔がとても怖かった。無言で何度も首を縦に振る。
「それでいいわぁ」
そして解放された俺はすぐさま襟元を正し、緩めているネクタイを力の限り締め上げた。
自然に歩いていくお嬢様の後を追うようにキョロキョロしながら歩いていた俺はきっと滑稽なはずだ。笑顔のメイドさんたちにクスクスと笑われたわけではないのだが、萎縮した心が自然とマイナスな方に働いているのだ。
い、居心地悪い。
そう感じながら無駄に背筋を伸ばしながら胸を張って歩いていると、前から少し華やかな服を着ている金髪の綺麗な女性が歩いてきた。そしてその女性はこちらに気がつくと、楽しそうに駆け足で寄ってきた。
「あらー、帰って来てたのね。そして横に連れてる彼は誰よぉー。おいおいー」
そう言ってお嬢様の肩をポンポンと何度も叩く。
「彼は私と同じクラスメートよぉ。それ以上でも以下でもないわぁ」
「あらそう。面白くないわねえ。あ、私はこの子のお母さんやらせてもらってます」
「え、母親?こんなに綺麗で若そうな人が!?」
「あらあら、聞いたー?お母さん綺麗で若いだってぇ。まだまだ現役いけるかしらー!?」
「バカなことを言うのはその辺にしておくことをオススメするわぁ。それに、お父様の前でそんなことを言ったら狂うから、現役引退を推奨するわぁ」
「そうねー。あの人、私しか見れないからぁ。っと、こんなとこで談笑している場合じゃなかった。またねー、褒め殺しくん」
最後にそう言い残して立ち去るお嬢様のお母様。
ところどころ語尾が特徴的なのはやはり血筋かと思っていると、横でお嬢様が腹を抱えて笑っていた。
「おい、なにが可笑しくて笑ってんだよ」
「いやいや、褒め殺し?あなたが褒め殺し?可笑しくて可笑しくて笑えてくるわぁ。それに、人のお母様を褒め殺し。ウフフフッ」
「笑うことねえだろ。実際そう見えたんだし」
そう言いつつも、お嬢様がここまで楽しそうに笑っているのをどこか嬉しく感じていた。きっと、学園とこの家とじゃ心の持ちようが大分違うのだろう。学園では、見えない鎧で自分を守っている。
少し落ち着いたところで、お嬢様は近くの扉の前まで歩き。
「奈央。私は荷物を置いて着替えてから行くからぁ、彼を案内しておいてぇ」
「分かりました」
そう砕けた感じで言ったメイドは俺の前に現れた。そして俺はそのメイドを見て目を疑った。あれ、なんで。
「どうかされましたか?」
既にお嬢様は部屋に入っているので廊下には俺と奈央と呼ばれたメイドの二人。
「いや、あんた。……坂上奈央さんでしょ」
「あら、いきなりノーヒントで完璧に名前を当てられるなんて産まれて初めてです。あなたはもしかして私のファンですか?それともストーカー?もしかしてこれが運命の赤い糸」
「忘れるわけ無いでしょう。ゴールデンウィークの温泉旅行で、あんたが俺に抱きついてきたせいですよ」
そう、今目の前でメイドの格好をしている坂上奈央とのツーショット。この写真のせいで俺はお嬢様に脅されて下僕なんてやってるのだ。
「まあ、私があなたに抱きつくなんて大胆!気持ちが盛り上がってきました。もしかしてこれが恋?恋は突然と言いますしね!」
「やかましいわ!ていうか、はぐらかさないでとっとと認めたらどうですか?」
「認めるも何も、あなたの言っている坂上奈央は温泉街での坂上奈央。そして、今あなたの目の前にいるのは、この家でメイドをしている坂上奈央ですよ。私と彼女は別人であるわけですよ」
「ならお嬢様に言いますよ。脅しに使っている写真の相手があなただって」
「お好きになさってください。それで別にお嬢様は私を咎めるようなことは一切されないと思いますよ。というか、逆に褒めて貰えます!そしてあなたは笑われるだけだと思いますよ」
あー、そうか。大体分かったぞ。
「つまり、俺はハメられたってことですね。なんでこんな事するんですか?」
「さぁー、メイドの私にはさっぱり。言うことの聞くおもちゃや下僕が手に入るとか言っても、建前は建前ですから。本心はさっぱりです。さてさて、いつまでもここにいたらお嬢様にお説教されるので、案内しますよー!レッツゴー!ヒアユーゴー!」
そう言って坂上はスタスタと歩いていく。
そして案内されるがまま行ったのは、長机の食事会場だった。
「全く、あなたたちは立ち話が長いんじゃなぁい?お陰様で着替えた私に追いつかれてるじゃなぁい」
純白のレースの服を着ているお嬢様がすぐ後ろで腕を組んでいた。お嬢様の着替えが早すぎるだけだと思うのだが。
「あ、そうそう。言ってなかったけどぉ、あなたは今日ここで夜ご飯を食べて帰ることになっているからぁ」
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「ああー、疲れた」
俺はそう言って高級感が半端ないソファーに深々と座っていた。結局、ここで夜ご飯を俺は頂いたのだ。
確かにな、味とか滅茶苦茶美味えよ?それでも、この慣れてないせいで、ただただ疲れた。畳一畳でお茶漬けを啜ってる方が圧倒的に気楽だ。まあ、今晩の夜ご飯の食材の消費を抑えられたと考えたら感謝しかない。
向かいのソファーに座っているお嬢様は落ち着いて紅茶を嗜んでいた。そしてチラリと俺を一瞥すると。
「今から私の質問を、私のお父様やお母様からされたものだと思って答えてみてぇ」
俺は特に何かを聞くことなく、背筋伸ばして座り直す。
「いいわねぇ。私とあなたの関係は?」
「はい。僕はお嬢様に脅されて下僕にされた主従関係です!」
「違う!正解は仲の良い気心のしれた友人です。こう答えるようにぃ。じゃあ次。あなたは私のことをどう見てる?」
「はい。脅してきて俺の自由を奪う、ボッチでワガママなお嬢様に見えます」
「違う!ふざけてるのかしらぁ?正解は密かに恋心を抱いています」
「そんな理不尽な。思ってもない事を言わせるなんて」
そして俺を睨みつけるお嬢様。眼力からの威圧が凄い。
「きみは私の下僕。それ以上でもそれ以下でもなぁい!下僕は下僕らしく、私に文句を言わず従順であり続けなさぁい。分かったかしらぁ!?」
「お、おう。……分かったよ。お嬢様の親父とお袋には顔を立てた答えをしろってことだろ」
「それでいいのよぉ。出来るなら最初からしなさぁい」
どこか考え込むようにお嬢様は腕を組む。
疲れる……。
俺は人知れず息を吐き出し、緊張を解くようにソファーに深くもたれかかった。
今日、俺をここまで連れて来たお嬢様の意図が分からない。親の前では自分を良いように見せたくなるのは分からんでもないが、その練習でこんなにカリカリするようなことか?まるで、追い詰められてるみたいだ。でも、まあ、お嬢様の気持ちを俺が分かる訳ない。
その後というもの、特に何も起こるわけなく時間が過ぎていった。最初に会ったっきりで、お嬢様のお袋と顔を合わせることなく。ましてや親父の方には一度も顔を合わせることがなかった。
そしてセバスティアンの運転する車に俺が乗り、帰宅していた時に彼から一つだけ質問された。その答えとして俺は少し考えてから答えた。
「違いますよ。俺はお嬢様の下僕です。それ以上でもそれ以下でもないです」
ルームミラーから見えるセバスティアンの表情がどこか寂しそうに映った。




