お嬢様と下僕1
俺の下僕ライフの朝は早い。
何度目か忘れたアラーム音に怒りを感じながら朝の七時過ぎに布団から飛びだす。ふらつく足で洗面所に行けば、欠伸をしながら顔を洗い寝癖を確認する。そして軽く整髪料を使って髪を整える。目覚めてからここまで五分もかからない。
そして制服に着替えると、何も塗っていない食パンを食べながらスマホをいじる。食パンに何も塗らないのは小麦そのもののほのかな甘みを味わうため。決してジャムやバターを買うお金が勿体ないと思っているからではない。ケチってるんじゃない!
スマホをいじるのは主にメッセージの返信。そして今日の天気を確認する。これは日課だ。テレビをつけるとついつい見入ってしまうからそれを防ぐためだ。
今日はこれから雨か。折りたたみ傘を鞄の中に入れることを頭の隅に入れる。
それから数分後には歯ブラシを咥えて、今日の授業が何なのかを思い出しながら鞄の中の教科書を出し入れする。
目覚めてから二〇分後、俺は玄関を力一杯飛び出したのだ。
● ● ● ● ● ●
「はあ、はあ、はあ、はあー。まだ来てないよな」
俺は膝に手を当て前屈みになりながら息を荒げていた。数日前だったら、そろそろ家を出るであろう時間。そんな時間に今の俺は学園の正門の前にいるのだ。
あの野郎、俺の貴重な睡眠時間を奪いやがって。毎日登校するんだから、大体この時間に登校しようだとか決めとかないのかね!
俺は思い返す。初日は学園の正門が開くと同時に登校したらしい。もちろん俺はそれに間に合うことなくブチ切れられた。次の日は正門が開く五分前に到着し、待っていたのだがチャイムギリギリで登校してきやがった。あのお嬢様は滅茶苦茶過ぎる。
俺は膝に手をつくのをやめて深呼吸を繰り返す。呼吸が落ち着いてきた。それがわかった頃に正門前に黒光りする高級車が停まった。
どうやらお出ましらしい。
スーツに身を纏った白い髪の男が運転席から降りて、後ろの席のドアを開ける。すると優雅に金髪のお嬢様が降りた。
「ありがとう、セバスティアン」
そう言ってからランページプリンセスことお嬢様は俺の前に立つ。
「今日はちゃんと出迎えが出来てるようねぇ」
「昨日もちゃんと出来てただろ」
「そうだったかしら。ほら、そこに突っ立ってないで行くわよぉ」
「はいはい分かりましたよ」
お嬢様が俺を置いて先を歩く。俺も追いかけようとした時、セバスティアンと彼女に呼ばれていた男と目が合った。男は俺に頭を軽く下げてきたので、それに反応するように俺も頭を下げてから、早く来いと言うお嬢様のあとを追いかけた。
「つーかよ。登校の時に俺が出迎える必要あるか?付き従えることでお嬢様オーラを出したいのかもしれないけどさ、もう十分すぎるだろ」
「あなた、さっきからうるさいわよ。二人の時は気を遣わなくていいって言った途端にこれって調子に乗ってるわよねぇ?痛い目見たいの?」
「痛い目は勘弁。単純な疑問だ。ただのパシリならこんなことする必要ないだろ?なんなら俺がお嬢様に付き従うことで品格が落ちて見えるかもしれないぞ」
「あらぁ、自覚はあったのねぇ。それでも駄目よぉ。楽になりたいだけだろうし」
「いやまあその通りなんだけどな……。それよりも周りからの視線が嫌なんだよなあ」
俺はそう言いながら下駄箱で靴を履き替える。こんな生活になってからもう一週間は経っているのだが、周りはまだ慣れてくれないようで変な視線を送られ続けているのだ。
精神的に疲れるんだよなー。
俺はお嬢様に気付かれないように小さくため息を吐いた。
すると、お嬢様は不意に立ち止まる。そして華麗にくるりと回り俺を見て言ったのだ。
「今日の放課後は青春室に行きなさぁい」
「え、なんで突然」
「なんでって、あなた青春委員でしょぉ。それに、そろそろ青春委員として青春室に行ってくれないと白石さぁん?が文句を言ってきそうだからねぇ。目をつけられている感じもするし」
「誰に目をつけられてるんだ?」
「さあ、そればっかりは私にも分からないわぁ。でもまあ、そんな感じがするわねぇ」
そう言って再び歩き始めるお嬢様。よく分からないな。
そう思いつつも下僕宣言をしたあの日から俺は青春室に足を踏み入れていない。青春委員としての活動を放棄しているように思われても可笑しくないのだ。
そうなると面倒くさいのが生徒会だろうか。西宮美乃梨が邪悪に笑う顔が容易に想像出来てしまう。
今日はお嬢様の言葉に甘えて放課後は青春委員として過ごすことに決めた。
そして教室に辿り着く。俺がお嬢様に付き従う日々を当たり前の日常として受け入れているのはここぐらいだ。だから、唯一無二の安息の空間といえる。
教室に入れば早くから来ている友人たちが声をかけてくる。俺はそれに応じつつも自分の席に鞄を置いた。
今日もか。
お嬢様は誰とも話すこともなく自分の席で静かに座っていた。
お節介だと分かっていながらも、俺はお嬢様の会話相手にでもなろうかと思う。
「りょーたッ!」
しかしとある人物が勢いよく目の前を塞ぐように現れたので、お嬢様にお節介を焼けなくなった。
俺は思わず舌打ちをした。
「なんだよ隼。他のクラスから人の邪魔しに来て何か良いことでもあったのか?」
福井隼は腕を組み首を傾げる。
「龍太の邪魔したか?何もしてなかっただろ?」
「そうなんだけど。行動を起こそうとした時にお前が突然現れたんだよ」
「そうか悪かったな。で、今から何するんだ?」
俺はチラリとお嬢様の席を見る。が、そこに彼女の姿はもう無かった。
ま、いてもいなくても俺が取る行動は決まってるよな。
「トイレだよ。青春を謳歌するべく二人仲良く連れションでも行くか?」
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時は少し遡る。
俺がランページプリンセスと言われる少女の下僕になった次の日。学校の公衆の面前でお嬢様と呼ばされるようになった日からだ。
俺は息を荒げ乱れた制服のまま言った。
「お嬢様。こちらが今購買で大人気のバジルが香る生ハムとフレッシュトマトのサンドウィッチでございます」
「よく勝ち取ったわぁ」
そう言いながら、サンドウィッチを包んでいるビニールを剥がしていく。
白くてフワッフワのパンに、挟まれているキレイに赤く染まったトマト。そして生ハムにバジルソース。きっと専用のソースなりバターなりが付いているに違いない。旨くないわけがない。
それをお嬢様はパクリと食べて無言で咀嚼する。きっと舌の上で味を転がしているに違いない。
勝ち取ってきたのは俺だが、味わうのはお嬢様。下僕には甘い蜜を吸うことを許されないのだろうか。
ちなみにお嬢様が食べている間、俺は何もすることなく横で立っている。こんな異常を周りのクラスメートが気付かないはずない。
ザワザワと聞こえないような声で何かを話している。そして時折こちらを一瞥するのだ。
食堂に行って、今この場にいないクラスメートにも昼休みが終わる頃には、きっと誰かから伝言ゲームのように伝えられていくに違いない。そしてクラス内に可笑しな空気が流れる。
そんなことを考えているとお嬢様は俺の横腹に肘を入れた。
痛がる素振りをしようかと思ったが止めた。お嬢様が俺を睨んでいるからだ。
「あのー、お嬢様。何か問題でもありましたでしょうか」
こんな言葉遣いをするのは初めてなのであっているかどうかも分からない。
お嬢様は腕を組むと背もたれにもたれかかる。
「私が声をかけていたのにも関わらず、あなたは反応をしない。下僕が無視するだなんて良い世の中ねぇ」
「申し訳ございません」
なんか下僕になってから謝ってばっかな気がするんだが。
お嬢様はため息を吐きだして呟いた。
「お昼ご飯。立ってないで食べたらぁ?」
「ありがたき幸せ!」
「なら、龍太をこの昼休みの間借りてもいいかな?」
そう言って後ろから逢沢が声をかけてきた。もちろん誰に聞いたのかは言うまでもない。
どういう返答をするのか気になったのだが、お嬢様は俺と逢沢を見ることなく言った。
「好きにしたらぁ……」
それから、俺は逢沢に連れて行かれるままに屋上へとやって来た。
この学園の屋上には芝生と幾つものベンチがあるのでここでお昼を過ごす生徒も多々いるのだ。
そんな中、逢沢は誰かを探すようにあたりを見回すと。
「お、いたいた。って、なに先に昼ご飯食ってんだよ!」
そう言って、一人で芝生に座っている男子生徒の頭を叩いた。
「ふごっふ!」
啜っていた焼きそばが喉に詰まりそうになって苦しんでいる。
「誰かと思えば隼か。天気が良いから屋上の芝生でボッチ飯か?」
「ふぐふわっ!」
福井は俺に反発するように言ったが、何を伝えたかったのか全くわからなかった。早く口から溢れてる焼きそばをどうにかしろよ……。
俺と逢沢は芝生の上に座ると、ようやく福井は焼きそばを飲み込んだ。
「おっせーよ!もう昼休み一〇分以上経過してるじゃねえか!一人で待たせやがって。危うく追加で焼きそば食っちまうとこだったぞ!」
彼の横には茶色のソースが付着している空のパックが二つある。
「もう食ってるじゃねえか!ていうか今食ってたので何個目だよ!」
珍しく逢沢がツッコミに回ってる。
「そうか。いつの間にかお前らの分の焼きそばを俺は食っていたのか。成長期って恐ろしいな。鳥肌が立つわ」
「うるせえよ!」
「まあそんなにカリカリするな。成長ホルモン足りてる?」
「もうお前は黙ってろ!!」
そして逢沢は疲れたようにため息を吐き、申し訳なさそうに俺を見る。
「悪いな。こいつに任せたのが悪かった。龍太、昼ご飯持ってきてたりするか?」
「いや、持ってきてないよ」
「だよなー、だから用意しといたんだけど、隼のバカが食いやがった」
「いいよいいよ。気にするな。ていうか急に屋上で昼ご飯食おうだなんてどうしたんだよ」
「そんなの決まってるだろー。龍太がランページプリンセスに弱みでも握られたんだろうなってことで、何か俺らに手助けできないかなってさ」
「お前ら……」
「追加で言っとくけど、今ここにいないメンツは部活の会議とかでいないだけだからな」
「そうか。俺は幸せ者なのかもな。それで、俺がランページプリンセスに何で弱みを握られてるって思うんだよ」
すると、逢沢と福井は顔を合わせてから俺を再び見る。
「それぐらいじゃなきゃ、龍太はランページプリンセスに屈しないだろ?」
「それな」
同意するように福井は呟いた。
「それで、助けるって話か」
「当たり前だろ。友達を助けてやれるのは同じ友達なんだからさ」
逢沢にそう言われ、俺は不意に笑みをこぼした。
「そっか。ありがとうな。……でも今は、助けてもらわなくて大丈夫だ」
逢沢は俺の言葉を聞くと力の抜けたように倒れ込み。
「分かった。でも必要な時は言えよ?」
「ありがとな」
俺はそう言って曇りなき快晴の空を見上げたのだった。




