下僕への契約1
「―――っていう話があったんだよ」
俺が話し終えると逢沢は納得するように頷く。
「確かに話を聞くばかりじゃ急展開だよな。で、その後そいつはどうしたんだ?付き合って今じゃバカップルか?」
「いや、そいつは断った」
「そっか。そりゃ残念な話だな」
「だな」
俺はそう言って、背もたれに深くもたれかかる。
今話していた話は、ゴールデンウィークにあった出来事である。そして、俺の身にあったことを赤の他人のことのように語ったのだ。
「はーあ。ほんとついてねーよな」
「なに龍太が自分のことのように落ち込んでるんだよ。お前がそんなことしたら退学だぞ?それっぽく見えるようなことでもアウトかもしれないからな」
「知ってるわい!ほんと、なんで抽選で青春委員に選ばれちまったのかね」
「お疲れさまとしか言えねえよ。それより、ゴールデンウィーク課題ちゃんとやったか?なかなかエグかったよな。あれ終わらすのにどれだけ苦労したことか」
気楽そうに逢沢は言う。
その一方で俺は口を開けたまま固まっていた。
なに?ゴールデンウィーク課題?なにそれ美味しいの?ていうか青春委員として旅行に行ってたんだから仕方ないじゃないか!
つまり、俺はこのゴールデンウィークの間、逢沢曰くエグい課題とやらに一切手を付けず今に至るというわけである。
「いやーえぐいなー。えぐいえぐい」
そんなことを呟きながら体温が一気に下がっていくのを感じる。頬を伝って落ちる液体は冷や汗というものだろう。
もちろん逢沢は俺の様子がおかしくなったことに気が付かないわけがない。いつもだったら少し口角を吊り上げて楽しそうにイジってくるはずなのに、今回は違うらしい。
嘘だろとでも言いたげな表情をしながら、俺を心の底から疑うように言った。
「……マジで?」
「マジだよこんちくしょう!ああ、俺は一切ゴールデンウィーク課題をしてねえよ。なんならクラスと出席番号と名前すら書いてねえよ!今も鞄の中で眠ってやがる」
「清々しい程なんもやってないのな。黒崎先生が来るまでなら写していいから早くやれ」
そう言って逢沢は俺にボロボロのゴールデンウィーク課題を渡す。写そうとページを開けると、書いては消してを何度も繰り返した跡が分かるほどに汚れている。
そして、俺のゴールデンウィーク課題のページを開ける。気持ちがいいくらいに真っ白で綺麗だ。
なんだか罪悪感が芽生えるのだが背に腹は代えられない。
「すまん祐一。借りるぞ」
そう言って次々と解答を写していく。
解答を写しているだけなので問題は一切見てないのだが、俺には分かる。難易度、エグいやつやん。
しかし写すという作業はとても不思議なもので、いつの間にか半分を終えていた。だが、調子が良かったのはここまで、黒崎先生がやって来た。その瞬間、逢沢は俺から自分自身のゴールデンウィーク課題を取り上げ自分の席へと戻っていった。
ここから先は自力ってことね。
そして朝のホームルームが始まった。周りのクラスメートは連絡事項を聞いているのだが、俺だけが耳を傾けずに課題に取り組む。ゴールデンウィーク課題の難易度は予想以上に難しかった。
おそらく、良いところの大学入試に出てくるぐらいの難易度だろう。なのでシャーペンで解答を書いているよりは頭を捻って悪戦苦闘している時間の方が長かった。
そんな時、急にクラスの雰囲気が変わったように感じた。
誰かが教室を歩いている音が聞こえる。どうせ遅刻だ。そのはずなのに周りは少しざわついていた。
結局、俺はその原因を確認することなく課題に集中して朝のホームルームを過ごしたのだった。
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くそッ!この課題終る気配がないんだが!どうすりゃいいんだッ!
頑張るしかないのだ。
死にものぐるいで一つの解答を書き終え、次のページを開いて絶句する。もう何度もこれを繰り返してきた。頭だけでなく表情筋もかなり疲弊しているはずだ。
それにしても、タイムリミットが昼休みの終わりまでとか無理ゲーだろこれ。そんなことを考えつつも頑張って取り組む。青春委員の仕事があったと盾に使い、なんとか俺だけ猶予を伸ばしてもらったのだ。他の生徒は皆、朝のホームルーム終了とともに回収された。つまり、写すという行為は出来ないのだ。
うがあー!なんだよなんですかなんなんですか!この課題作った奴、性格ひね曲がり過ぎだろ!!
そんなことを思い、唇を噛み締めていると不意に声をかけられた。
「ねえー。あなたが青春委員で間違いないかしらぁ」
「ああそうだけど。依頼か?依頼なら放課後にしてくれ。今俺は戦ってるんだ」
相手の顔を確認もせずに答えた。
それでも相手は相変わらずな口調で話しかけてくる。
「戦い?私には真面目に勉強しているようにしか見えないわぁ。もしかしてぇ、エリートだったりぃ?」
「違うよ。ただやってなかったゴールデンウィーク課題を必死になってやってるだけ」
「ゴールデンウィーク課題?なにそれぇ。美味しいの?」
「食えねえよ。って、え?」
俺は動かしていたシャーペンを止める。もしかして俺と同じようにゴールデンウィーク課題を一切やっていないんじゃ。
そうと分かれば顔を上げて相手の顔を確認する。ゴールデンウィーク課題に立ち向かうために共闘を募るのだ。
ミディアムヘアの綺麗な金髪の女の子は青い瞳をオレに向けながら首を傾げた。
え?なにこの美人で可愛い人。こんな人この学園にいたの?
とまあ少し見惚れていたが課題のことを忘れていないのが、真面目と言われるだけある俺。
「さっきの会話からしてゴールデンウィーク課題をやっていないと俺はみた。ていうわけで俺と一緒に共闘しようぜ!悪あがきも悪いもんじゃないからさ!」
「何言ってるのぉ?私、ゴールデンウィーク課題なんて知らないわぁ」
相変わらずの独特な口調だが今はスルー。
「いやいやちょっと待てよ。この学園の生徒でゴールデンウィーク課題のことを知らない奴なんていないだろ」
俺はそう言う。だが、焦る素振りを一つも見せない金髪の少女は腕を組みながら、座っている俺を上から見下ろし続ける。
その目は品定めをしているようにも見えた。
そして彼女はドンッと俺の机の上に手を置いて言ったのだ。
「みーつけた」
「え?は?」
俺は困惑する。なんてったって顔を俺に近づけてくるからだ。
「どういう意味だよ」
彼女を見上げながら呟く。
「共闘って言ったわねぇ。なら、契約って捉えてもいいわよねぇ?」
そう言って不敵に笑う。
「いや、共闘と契約は違うような」
「日本語難しくて分からないわぁ」
そう言って彼女は制服のポケットから一枚の写真を取り出し、俺だけに見えるように机に置く。
その写真はパッと見ただけで夜に撮ったものだと分かる。
そして俺は今の自分の立場を理解したのだ。
写真に写っているのは二人の男女。満更そうでもないような表情をしている男に女が抱きついている。傍から見ればラブラブのカップル。だが俺にはそれを傍から見るなんてことが出来るはずもなかった。
その男女二人は京橋龍太と坂上奈央なのだから。
「はっ?えっ?どういうこと」
困惑する。いきなりゴールの無い迷宮に閉じ込められた気分だ。
「いい反応ねぇ。期待通りだわぁ」
そう言って彼女は写真を制服のポケットにしまう。そして嘲笑うように俺を見つめて続けた。
「私はこれから今見せた写真を生徒会に持っていこうと思うのだけど」
「ちょっ、待て!脅しか?それなら残念だったな。俺にはそんなもの脅しでもなんでもない。怖くもなんともないんだよ!」
もちろんハッタリだ。内心ビクビクしている。
「あらそうなの?ざーんねんだわぁ」
「そうそう残念だったな。つーことで今見せた写真を俺に渡せ。代わりに処分しといてやるから」
良かった、俺のハッタリが効いたみたいだ。
「……そう。なら良かったわぁ、今から生徒会に行ってくるからぁ。そっちの方が処分も確実だろうし」
「ちょっと待ってくれませんか!!」
俺は席から立ち上がり彼女を引き止める。
ああ、今俺がどういう立場なのかよくわかった。あの問題の写真を他の生徒や教師、そして生徒会の手に渡りでもしたら俺は退学処分を受ける可能性が大だ。
もし弁解の機会が与えられたとしても、言葉より証拠。写真が全てを物語り、俺の言葉は誰の耳にも届かない。
ヤバイヤバイヤバイ!詰んでる。どう考えてもバットエンドしか用意されてない!!
俺は最後の抵抗として震える声を出す。
「それを見てどう思うかは大体察しがつくんだが、何もないんだ。本当に何にもない。事実を話すなら告白されて断った。ただそれだけだ」
「そうだったのねぇ。早とちりしてごめんなさい」
そして軽く頭を下げる。
ホッと胸をなでおろすように俺は安堵をした。
「分かってくれてありがとう。さあ、その写真を俺に―――」
「でも事実は事実よねぇ。青春委員がこんなことを。ふーん。それじゃあ行ってくるわぁ」
「待て!!」
俺は必死になり彼女の腕を掴んだ。
「何が望みだよ」
「望み?そんなの最初に言ってるじゃない。契約よぉ」
「契約?」
「そう契約」
そう言って掴んでいた俺の手を振り解き。
「この契約を結ぶなら私は今見せた写真を誰にも見せたりしないわぁ」
「そうなのか」
「ええ、嘘はつかない主義だからぁ。そのかわりに―――」
彼女は楽しそうに悪魔の笑みを見せる。そして俺のネクタイを握り、同じ目線の高さになるように無理矢理引っ張り寄せて言った。
「私の下僕になりなさあぃ」
「下僕?」
「そう下僕。私の命令通りに動きなさぁい。私が御主人様ってわけぇ。この契約呑む?呑まない?」
「ッ―――」
俺は答えに悩む。
そんな俺を彼女は許さなかった。制服のポケットから写真をチラつかせながら。
「写真のことを今ここでバラされたくないのならワンと鳴け」
「ワン!」
「ふふっ、契約成立ねぇ。安心しなさい。優しく可愛がってあげるわぁ」
そう言って彼女は立ち去る。と同時に昼休みが終わるチャイムが鳴り響く。
体の力が抜け膝から崩れ落ちた。衝撃で頬を伝っていた汗が地面に落ちる。寒気がする。
は?写真?バレたら退学?下僕?もう分けわかんねえ。
そして俺は今気が付いたのだ。このやり取りの間、クラスの中心が彼女と俺だったということを。周りの生徒たちは口々にこう言っていたのだ。
『ランページプリンセス』と。




