こうして京橋龍太の青春が終わった
桜は散りある時の終わりを囁き、青い空と爽やかな風が新たな始まりを静かに歓迎する。
四月の体育館は冷え切っており、窓越しに差し込まれる日差しに当たれば温もりを感じる。
周囲の生徒たちはこれから始まる緊急学年集会について多種多様な憶測を飛ばしあっていた。この学園だけに言えることではないが、緊急で開かれる学年集会に良い話はないとある程度相場は決まっている。
俺は制服のポケットからカイロを取り出し、微弱な温もりをありがたく両手で包み込みながら堪能していた。もう冬は過ぎたといっても寒いのだ。かじかんでいた手がじわじわと生き返るのを感じる。
とはいえ昨日の夕方に開封したカイロはもはや空前の灯。微弱な温もりが残っているうちに、さっさと教室に戻ってぬくぬくしたいと考えていると後ろから肩を叩かれた。
後ろを振り向くと、頬に汗を流しながらも持ち前のルックスで気持ち悪いとは言わせない爽やかボーイこと逢沢祐一が立っていた。
俺は嘲る様に息を吐き出す。
「なんだ。また重役出勤ってか?祐一さんよ」
逢沢は疲れたようにため息を吐き出した。
「そんなところだよ。なあ、女の子って一度振られると肉食に変わるものなのか?」
「知るかよそんなこと。女性関係で重役出勤に至ったと捉えて問題ない感じだな」
「今回は、反論できない」
こんなやり取りをしている間にも逢沢のポケットから着信が鳴り響く。スマホを取り出すと画面には、こいつビッチだと一目で分かってしまうような女性の写真が映っている。その女性の名前は『♡あかりんりん♡』。
なにこの出会い系でありそうなメロディーに乗った名前。いや出会い系やったことないから分からんのだが。そして名前の両端にはハートがある。もう夜の店にいそうな感じあるよね。いや夜の店のことなんて行ったことないから分からないんだけどね。
そして逢沢は表情を一切変えることなく、ワンタッチで通話を拒否して何事もなかったようにポケットにしまった。が、再び着信が鳴りスマホがまたもやポケットから出てくると、『♡あかりんりん♡』が再び出現した。
これがいわゆる肉食系女子なのか。見てるこっちも恐怖心を感じる。
今度の逢沢は連打で通話拒否。それでも諦めないのが肉食系。ピロリンと軽やかな音が鳴る。今度は着信ではなく写真が送られてきたようだ。無視すればいいのに恐る恐る逢沢は送られてきた写真を確認するためにトーク画面を開けた。
送られてきた写真は、お姉さんがエッチな服でエッチな体勢での自撮り写真。なによりも俺の目を引いたのは目立ちすぎる猫のカチューシャ。
コスプレの一種だろうか。そう思ってみてもこれは違うような気がした。
触らぬ猫に祟りなし。
俺は逢沢のげえっとした表情を確認してから呟いた。
「電源落としちまえば」
「ああそうか。その手があったか!」
大きな発見をするように逢沢は嬉しそうな顔をしながらいそいそとスマホの電源を落としてポケットにしまいこむ。
こんなに嬉しそうにスマホの電源を落とす奴見たことないわ。
恐らくそれほど、逢沢は『♡あかりんりん♡』と距離を置けたことに喜びの価値を見出せたのだろう。これはこの集会が終わったらどういう関係なのか洗いざらい白状させた上でトーク履歴を閲覧するしかないよな。主に出会った経緯を詳しく聞きださなければ。出会いが無ければ青春なんて送れないからな。
俺は楽しみが一つ増えたと悪そうな笑みを浮かべた。
逢沢はそんな俺に気がつくこともなく周囲を見渡していた。
「今日の緊急学年集会は、やっぱ青春委員についてなのか?」
「え、いや、なにも知らんけど。ていうか何で真っ先に青春委員がことの発端って予想できるんだよ」
「春休みの間に青春委員の一人がやらかして退学処分を受けたって話し聞いてないのか?」
逢沢は信じられないと言いたげな表情で俺を見ていた。
そう言えばそんな話があったような、なかったような。
「・・・・あったな」
春休みの間に学年のグループラインが祭りのように騒いでいたのを思い出した。確か、この学年の青春委員の男子生徒がなにやら騒動を起こしたらしく、退学処分に陥ったはずだ。ことの詳細は知らないが。
本当に青春委員がらみの緊急学年集会だったら嫌だな。
というのは、この学園特有の委員だからだ。
青春委員は学年ごとに存在している。つまり、三学年あるので三つの青春委員があるということだ。そして、三つの青春委員はそれぞれの学年の相手をする。人員は原則三人以上で、それを下回った場合は空いた席を埋めるように学年集会で抽選によって選ばれる。
逢沢は青春委員であった男子生徒の退学は、俺たちの学年の青春委員の席が空いてしまったことを意味する。ということは、空いた席を埋めるための抽選がこれから始まろうとしているのではないかと考えているんだろう。
「多分、祐一の予想通りな気がしてきた」
逢沢は最悪だと言わんばかりの表情をしながら額に手を当てた。
「龍太も分かってんだろ?万が一青春委員に選ばれでもしたらどうなるのか」
俺は複雑な笑みを浮かべて、ふっと息を吐き出した。
「分かってるよ。選ばれた暁には、・・・青春とはおさらばだ」
青春委員になってしまえば、その瞬間から異性と付き合うことが禁止されてしまうのだ。
つまり、皆が思い描いた漫画や小説やドラマなどにあるような青春のほとんどとおさらばしなければいけない。鮮やかな青春を送っていた者にとってはそのキャンパスの上に黒い液体がぶちまけられるようなものだ。
俺は冷や汗を流しているのに気が付いた。まだ自分が選ばれたと決まったわけではないのに。それでも嫌な予感がしてならない。逢沢も同様なようだ。
「ま、まだそうだとは決まってないから。もしかしたらこの学年の中から何かしらの日本代表とかに選ばれたので皆でエールを送りましょう会かもしれないし」
俺はなんとか苦し紛れの言葉を口にしたが、逢沢はおいおいどうした?と言いたげな顔をする。
「龍太。もしそんな会だったとしたら、学年集会じゃなくて全校集会だと思うのだが」
「チッ、こんな時だけ頭が冴えやがって!頭良さそうなのはオーラだけが代名詞の逢沢祐一はどこにいったんだよ」
「そんなにバカキャラじゃないぞ、おい!」
逢沢が不満そうな表情をすると、急に体育館の明かりが消されカーテンで閉め切られた。日差しは消えて暗闇になる。あるのは、煽られた不安だけ。
そしてざわめく生徒を黙らせるように壇上にカッとスポットライトが当てられる。カツカツと足音を鳴らしながらスポットライトの中央に現れたのは、二年生の生徒会所属の女の子。
彼女は脱色された長い髪を蝶の髪飾りで纏めており、それを僅かに揺らしながら一礼して手に握られていたマイクをオンに切り替えた。
「生徒会二年の、西宮美乃梨です。早速ですが本題に入らせて頂きましょう。今回、緊急学年集会が開かれたのには理由があります」
ついにきた。俺は息を呑み後に続く言葉を静かに待つ。握りしめられたカイロはまだ微かに温かい。
西宮はフッと笑みを浮かべて続く言葉を口にする。
「青春委員の人員補充です」
その瞬間静かだったはずの体育館は絶叫に包まれ、しゃがみ込む者さえいた。
やっぱりそうなるか!
俺は平静を保つように長く長く息を吐き出す。心臓が大きく鳴っているのを感じる。気持ち悪い。
「まだ、自分が選ばれたというわけでもないのに気が早いですよ。選ばれる確率は一パーセントもないというのに」
わずかに希望をちらつかせるように言った。そして、西宮は続ける。
「この学年の生徒は、二三四人。そして、この中から私を含む生徒会メンバー二人と現在青春委員である二人がこの抽選から排除されます。つまり、四人分引くと二三〇人。その中からたった一人が選ばれるというだけです」
確かに、西宮の言っていることは間違っていない。二三〇分の一は一パーセントにならない。つまり、ほとんど、いや全く選ばれる心配なんてする必要ない。
だが、だからこそ選ばれてしまった時は。地獄だ。
舞台上の彼女は楽しそうだ。こっちの気も知らずに。
「さて、それでは、青春委員の空いている一席を埋める抽選を始めましょうか。果たして誰が座るのやら」
壇上に大きくて透明な球体が運び込まれる。その球体の中には大量の白い紙らしきものが吹き荒れていた。おそらく球体の下にある付属の機械が風を送り込んでいるのだろう。
西宮は透明な球体に手を触れる。
「この中には、皆さんの名前が書かれた紙が入っています。この中から私が一枚引きそこに書かれていた名前の方が、新たな青春委員となります」
口を綻ばせながら、それではと呟くと躊躇なく彼女は球体の取り出し口に腕を突っ込み、グーパーグーパーと手を動かす。吹き荒れる紙にもてあそばれているように見えるが、この抽選の対象である二三〇人をもてあそぶのは西宮美乃梨ただ一人。
彼女はそれを知った上で自ら紙を取りに行こうとはせずにいた。だが、愚かにも彼女の手に引っ掛かり捕まった紙が一枚。
ついに時はきた。
立ち尽くすしかない者、祈る者、おろおろしている者、叫ぶだけの者。反応は人それぞれ違う。だが、思っていることは同じだ。どうか自分ではありませんように。
俺は壇上で吊るし上げられた一枚の紙をただひたすらに見ていた。
西宮はゆっくりと取り出した紙を広げていく。
マイク越しに紙の擦れる音が聞こえる。その音は最後の抗いのように思えた。
開かれた紙に目を通した西宮は笑みを浮かべてから顔を上げた。
「では、発表します。新たな青春委員は・・・・」
呼吸が止まる。口は開いたままで、冷や汗が首筋を撫でるように垂れ落ちる。気持ち悪い、この感覚から一秒でも早く解放されたい。
西宮美乃梨は、息を吸い込み吐き出す。
「京橋龍太」
名前が言われた。良かった、違った。脱力するように息を吐き出すと、足元がおぼつかなくなり座り込んでしまった。はあー、選ばれた人は災難だな。とりあえず、本当に良かった。
京橋龍太、ありがと。
犠牲者になってくれて、ありがとう。
俺ではない。俺ではない人の思いだ。
「あ、・・・う、うそ、だろ」
俺の思考がぐちゃぐちゃになる。だが、そんなことに気が付かない。
違う違う違う。
俺は、・・・。
不意に肩を叩かれた。ついさっき同じことをされたのに遠い昔のように感じた。振り向くと、逢沢祐一が固まった顔をしていた。
「龍太・・・」
そうだ、俺は、京橋龍太だ。
気づいてしまった。
「ああ、俺か」
静かだった体育館は生徒たちの喧騒に包み込まれる。しかし、俺には聞こえない。頭の中がぐるぐる回り、もう周囲に構っていられない。まともに呼吸ができているのかも分からない。
俺の両腕はぶらんと力が抜け、意識が遠くなるのを感じた。
視界の端で笑みを浮かべている西宮美乃梨と目があった。そんな気がした。
ほんと、まじで、ついてねーな。
握られていたカイロは冷たく冷え切っていた。