彼らのデート1
俺は早川力也。
高校二年生にして野球部のレギュラー。長距離打者として甲子園を目指しているんだ。恋人はいない。だけど誰でもいいから大募集というわけじゃない。
同じクラスの遠野唯という女の子が俺の好きな人だ。
遠野のことが気になり始めたのは、一年の二学期頃からだ。
いや、正確に言えば一学期の時からかもしれない。部活のランニング中に見かけた彼女の楽しそうな笑顔。
種目は違うが同じ球技をしているという事で話が盛り上がったり、その日その日での他愛のない話。部活関連の買い物だが、二人で出かけた日。
いつの間にか俺の中で、学校に行く理由が増えていた。こんな程度でと思われるかもしれないし、誰かに話すと馬鹿にされるかもしれないが、俺には大きかった。
いつしか自然と彼女のことを目で追ってしまったりとしていて露骨だったのだろうか。仲の良い友達からは茶化されたりもした。その度に俺は違うと反発していた。
だけどそれは嘘だ。
俺は彼女のことが好きだ。俺の恋人として隣にいてほしい。
そして今日は決戦の日。何を隠そう遠野とのデートだ。
ここに至るまでに色々と紆余曲折があって大変だった。嫌になって逃げ出したりもした。でもあいつは俺をここまで連れてきてくれた。本当に感謝しかない。
今思えばダメダメだった俺を見捨てずにボロボロになりながらも叱ってくれた。河川敷であいつは背中を痛めた。多分、俺にはバレてないって思っているはずだ。
たけど、庇っている様子がバレバレだ。それでも口には出さずバレないようにした。俺に無駄な心配をかけないようにとの配慮に違いない。
今着ている服だって、あいつが選んでくれた服だ。とてもシンプルなんだが気に入っている。流行なんて知らないとか言っときながら、なんだかんだで知っている。
案外モノ知りだし、運動神経も抜群だと思う。青春委員になる前から運動部に入っていなかったと聞いて驚いた。
本当にあいつは凄いやつだ。
俺はポケットからスマホを取り出して時間を確認する。約束の時間の四分前。駅前で俺は遠野を待つ。
目の前にはショッピングモールなどの商業施設が建ち並ぶ。
だんだんと胸の鼓動が大きくなっているように感じてしまう。緊張しているのだろう。少し不安になるが、あいつに自信を持てと言われたことを思い出す。
深呼吸を数回繰り返していると、遠野がキョロキョロしながらこちらに向かって歩いてきているのに気が付く。
ああ、かわいい。
彼女は俺に気が付き笑顔を見せながら駆けてくる。
俺はあまりにも気持ちが高ぶってきたので、手に持っていたスマホで電話をかけた。
ワンコールでつながる。流石だ。
「めっちゃかわいいんですけどお!!」
『うるせえ―――』
一瞬で切られた。やはり恋愛マスターとなれば忙しいのだろうか。
遠野は俺のもとまで来ると。
「待った?」
キタキタキタキター!デートの始まりといえばこれ。定番中の定番のやりとり。俺はもちろん。
「待ってない」
本当は一時間前からここにいたけど。
遠野は服を気にするように尋ねてきた。
「ど、どうかな」
「可愛い。凄く似合ってる」
遠野は何を着ても可愛くて似合うのだ。
俺は照れくさくなってきて頬を少し搔きながら言った。
「じゃあ行こっか」
「うん!」
こうして俺と彼女のデートが始まった。
● ● ● ● ● ●
「さっきの電話は誰からだったの?」
サングラスをかけた白石がこちらを見てくる。
「早川のバカが、馬鹿なことを言うためにかけてきやがったんだ」
俺はそう呟いて白石と春風を見た。
白石は知っての通りのサングラス。春風はおしゃれな丸眼鏡。
うん、まだ春風はいいとして。
「白石、ふざけてるのか?」
「なぜあなたにそんな事を言われなきゃいけないのかしら」
「いやー、サングラスはないだろ。ベタすぎるし、変に目立つし。もしかして楽しんでる?」
「それを言うならあなたの方がどうなのかしら。変装という言葉を道端で捨ててきたような格好じゃない。寝坊したじゃ済まされないわよ」
「たしかに!京橋君は今日なんのために青春委員として動いているのかっていう自覚が足りないよ!今日遅刻したし」
春風からも言われ、俺はぐうの音も出ない。
言えない。絶対に言えない。寝坊したせいで変装まで頭が回らなかっただなんて言えない。
「つ、次からは気をつける」
俺はそう言って目を背けた。
さて、今俺たちがどこにいるのかというと喫茶店にいる。
白石と春風はそれぞれ飲み物を飲みながら喋っている。俺はというと、モーニングセットをのんびりと食べながら二人の会話にツッコミを入れたりしていた。あれ、もしかしてモーニングセットを食べているという時点で寝坊という墓穴掘ってない?
すでに彼女たちの掌の上で踊らされていたと感じてからは、気配を消すように食事を続ける。そして、最後に残った一口分のトーストを口の中に入れた。
「朝ごはん、食べ終わったわね」
白石の一言に思わずびくりとしたが動揺を隠すように水を飲む。嫌な汗が背筋を流れ落ち、体温が急激に下がっていくのを感じていた。
無理やり一息ついた俺はテーブルの下で財布の中を確認してから呟く。
「・・・ここは俺が奢ります」
たっく、金曜日に早川があんなことを言わなけりゃ今日は久々のフリーだったのに。
俺は目を細めて金曜日の出来事を思い返す。
「あーやばい緊張がやばい。俺、大丈夫?大丈夫だよな!?」
早川は落ち着きの無い様子を見せながらソファーに座っていた。そんな彼を見る視線は三つ。それぞれ違った表情をしながら向かいのソファーに座っている。
隣に座っている白石は湯気の立ったティーカップを自分の口元まで近づける。そして俺をちらりと見ると。
「あれ、どうにかできないの?」
「こらこら。そんなこと言っちゃいけません」
確かに早川を見てるとなんだか馬鹿らしくなってくるんだけど。しかし、ここは彼女いない歴イコール年齢の俺が優しく叱る。
白石はティーカップに口付け、いい匂いがしそうな吐息を出した。飲んでいるのは黄金色の紅茶だろう。相変わらず俺のティーカップには真っ黒の液体が満タンに入っているが。
これを善意だと捉えるかどうかは人次第。
俺はこれを悪意の塊でしかないと捉えている。
「飲まなきゃならんのか」
俺はティーカップを取り口元まで近づける。
真っ黒の液体が揺れながら苦い湯気を立てる。
俺はそれをゆっくりと飲み、喉を鳴らし続ける。こういう時は一気飲みしかない。
やがて飲み干した俺はティーカップを机の上に置き、白石に向かって頭を下げた。
「これでどうかご勘弁を」
「あら、何がご勘弁なのかしら。私はただ、コーヒーが飲みたくて飲みたくて仕方がないあなたに、マンデリンコーヒーのブラックを振る舞っただけよ」
「なんだよそのコーヒー!?何か知らんが高そうな気がしてきたぞ」
「生産量が少なくて希少性や品質性も高いのよ。それをあなたは、味わわずに一気飲みしたのよ。高級品を」
「そのパワーワードは俺には効果抜群だからやめてくれ。うっ、今更になって罪悪感が」
後ろめたさを感じながら空になったティーカップを見た。ごめんよ、不幸にも俺に飲まれたマンデリンコーヒー。
「あなたが報告書を汚さなかったらこんなことにはならなかったわよ」
白石はそう言うと再び自分のティーカップに口をつけ一服する。表情からしてガチギレではなさそうなので安堵はするのだが。少し彼女が生き生きしている様に感じてしまった。
「報告書を汚した罰がマンデリンコーヒーとはな。人によったらご褒美だぞ」
「あら、でもあなたは苦いの苦手でしょ?」
「まあ否定はしないが。コーヒーのブラックの苦みとかが苦手なだけで、ゴーヤとかは全然平気だからな。そんな苦いもの全部嫌いだとか言うおこちゃまと一緒にはするなよ」
「そう。まあ良かったわ。ちゃんとあなたへの罰になっていたようだしね」
彼女はそう言って笑みを浮かべる。まだ何か考えていそうな不気味な笑みだ。
相当根に持ってるな。
俺は部屋の隅に置いてあるごみ箱に目を向ける。そこには白石が作った青春委員の報告書が捨ててある。正確に言うなら、まるでそれにコーラをこぼしたとしか考えられないぐらいに、びちゃびちゃで茶色に染まった報告書が捨ててある。
はあ、ついてねー。
何を隠そう報告書にコーラをぶちまけたのは俺だ。
白石から報告書について変なところはないかというチェックを頼まれた俺は、それを受け取りそのまま自販機にコーラを買いに行った。そして青春室に戻ろうとコーラを飲みながら報告書を読んでいると、誤字を見つけたので白石もこんなミスするんだなーと一人で驚いていると、急に曲がり角から生徒が勢い良く現れ衝突。
お互い激しくぶつかったのだが無事。俺の場合は衝撃が腰に響いたのだが。
やがて俺は気が付いたのだ。手に持っていたコーラと報告書がないことに。まあ足元に二つとも落ちていたのだが、報告書の上にコーラがあれよあれよと吐き出され続けているのに気が付いた時にはもう遅かったというわけだ。
そしてぶつかった生徒が、今俺の目の前で緊張の為か胸を押さえながら深呼吸を無駄に繰り返す人物。早川力也だ。
「っていうか、早川が馬鹿みたいに勢いよく角を曲がってぶつかってきたせいじゃねーか!!なんだよこの状況。俺だけ悪くて、こいつは悪くないの?なんだよそれ不平等じゃねーか!!」
「これが青春劣等生の現実よ」
「この事故のどこに青春の要素があるんだよ!ここでも劣等生なのか。そうだとしたら青春の神様に一発腹パンしたとしてもこの怒りは収まらねえ!!」
早川はそんなことを気にする様子もなく、白石は愉快そうに笑みを浮かべる。
それにしても、と話題を変えるように白石は呟いた。
「いつまで彼はここに居て情緒不安定な様子を見せ続けるのかしら」
「早川にとってまだ告白とかしたことないらしいし緊張するのは仕方ないんじゃないのか。一人でいるのが不安なら、事情を知っていて味方である俺達が側にいてやるだけでも落ち着くかもしれないし。そこらへんは早川の好きにしてやろうぜ」
「そう。そういうものなのかしら」
白石はどこか消化しきれずにいた。
なので、もはや空気的存在になりながらも幸福をばら撒いてくれそうなオーラを解き放っている少女を指差して。
「春風を見てみろよ。終始ニッコニコだぞ。今の表情だけ見てたら何しても許してくれそうな現代聖女だ。なぜか頭の中は空っぽの馬鹿そうな雰囲気もあるけど」
「なぜここで美咲さんを引き合いに出したのか分からないのだけど。そうね、こっちは難しく考える必要がないことが分かったわ。その方が彼も落ち着くだろうし」
「そうそう、馬鹿なくらいが丁度いいんだ」
「さっきから人のこと好き勝手言ってくれちゃって!聞こえてるんだからね!」
春風はぷくーと頬を膨らませながらこっちを見てきた。
だからそういうのが馬鹿そうに見える理由なんだよなあ。
「別に馬鹿にしてたわけじゃないぞ。ここでの馬鹿は馬鹿な春風に向けた褒め言葉だ」
「私褒められたの?・・・って馬鹿にしてるじゃん!」
チッ、気がついたか。
春風はますます頬を膨らます。今にもはちきれそうな風船みたいだ。きっと指でつんつんすると萎んでいくだろう。
白石は間にいるのに間に入ろうとせず呆れたように俺を見るだけだった。
すると早川がなんの突拍子もなく言った。
「今日は頼みがあって来たんだ」
「は?」
突然のことすぎてそんな返事しか出来なかった。
「この期に及んでまだ何かあるのかしら」
白石は少し冷たい反応をする。だが俺はその反応を不思議には思わない。今更俺たちにできることなんかない。あとは早川と遠野の問題なのだから。だから自然とこちらからして嫌な頼み事なのではないかと身構えてしまう。
春風は聞くだけ聞いてみようよと促すが、正直言ってあまり乗り気になれない。
だってこいつのことだから、まーた面倒くさいことに決まってる。女々しいことに悩んでるに違いない。本当にそうならもうやってらんねえ。
俺はそっぽを向く。白石のため息が聞こえた。俺か早川のどちらに対してなのかは分からない。
「で、頼み事とは何かしら」
俺は一応聞き耳だけ立てておく。あくまでそっぽは向いたままだ。
視界の端っこで早川が俺を気にする様子を見せる。だが白石と春風の方を見てその頼みごととやらを口にした。
「日曜日のデートに尾行という形で来てくれないか」
「なんで?」
俺は間髪入れずに言った。冷たい反応だったと思う。
けれども白石と春風は何も言わない。俺に任せるということだろう。
早川が少し気圧されている様子なので俺は続けた。
「正直言って、デートを尾行するというのにメリットがあるようには思えない。ああ、ここでのメリットはもちろん早川と遠野にとってということな。このことを遠野には伝えてないにしてもお前は知っている。だから尾行されてるっていう妙な違和感がお前を不自然にさせてしまうと思う」
「・・・そうだな。そうなるかもしれないな・・・」
納得したように下を見た。
そっぽ向くのをやめた俺はソファーにもたれ。
「分かればよろしい」
けれども早川は顔を上げて言う。
「でも、やっぱ尾行してほしい。無理にとは言わない。してくれなくてもいい」
「お前な。なんでそんなに尾行されたいんだよ。監視されたい体質なのか?」
「そんなわけあるか!俺はただ、今まで世話になった青春委員に見届けてほしいんだよ。早川力也が遠野唯と恋人になる瞬間を!悪いか!?」
早川に気圧された俺はフッと笑みをこぼして言った。
「悪くはないよな」
これが原因。早川たちのデートにお忍びで尾行することになった。




