僕の嫁 【最終話】
僕の嫁最終話です(〃^ー^〃)ここまで読んで下さって本当にありがとうございますm(_ _)m残り時間はわずかですがどうか最後までお楽しみ頂けますように・・書き終えた作者としてはそれだけ祈るばかりです。お話を読み終えた余韻というものがもしもこのお話の中にも感じて頂けたならと思い後書はあえて書きません。読み終えた時は私の物語ではないと作者は考えます。では始めます。
【プロローグ 賽の河原終着駅】
父と母と僕の三人だけだった。
カルデラの上に敷かれた砂利の坂道は昨日の雨でやたらと滑る。
父と母の大学時代に登山で鍛えた健脚は現在で一番若いはずの僕がすぐに置いて行かれそうになる。
母は自分の名前が平仮名で書かれた風呂敷包みを胸に抱き一つ一つ息を吐くように隣の父に思い出を語る。
昔父が誕生日にネットで買った母の好物の菓子を包んでいた名入りの風呂敷。今も母は大切にしていて大事な物は必ずこれに包む。
「あれからもう17年も経つのね」
母が呟く。
道端の其所俐で音を立てて回る風車。優しげに微笑む石の地蔵達。恐ろしいという感情は不思議と湧いて来ない。
ただこの場所には哀しみだけが吹き渡る。風の溜まり場のように吹き溜まり蹲り動かない。
ひなびた石の鳥居を潜り両親が社務所で用件を告げるが、返って来た青森弁に困惑するばかりだ。
東北の忘れ去られた山の中にある不自然に拓かれた場所。賽の河原終着駅。
駅舎を思わせる地蔵堂の本殿。境内に三人取り残され異国のような言葉に僕達家族は途方に暮れる。やがて内線で呼ばれた中年の宮司さんの柔和な笑顔に迎えられた。
社内を案内してくれる宮司の耳馴れた標準語が嬉しい。ここが異国でも、あの世でもない事を教えてくれる。聞けば東京の神道系の大学に通っていたらしい。
父に促され渡した菓子折りが入っていた伊勢丹の紙袋は今は所在なくぺちゃんこにへこんでいた。
「袋ごと渡せばよかった」
そんなつまらない事を考えながら三人の後をついて歩く。
宮司の話に耳を傾けながら簡単な参拝を済ませ僕達が向かったのは所謂神社の裏側だった。
神社の裏側と聞くと以下に神秘的な秘密のベールに包まれた場所を想像しがちだ。
でも僕たちが案内された場所は早い話バックヤ-ドに過ぎない。
アルバイトをした経験がある人なら分かるはず。
綺麗に掃除されたお店の裏側にある配電盤や電気のコンセントや家庭用エアコンが備えつけてあったり、ロッカーに貼られた古びたステッカーなんかが無造作に散らばる空間。さすがにそこまで雑然とはしていないけど。
日頃神社では見かけないような日常的な品々が置かれた場所。
そこから地下に降りる階段も壁も明るい白で普通の事務所と何ら変わらない。
神社は台所を忌火屋と呼んだりするらしい。けど案内された地下の部屋には何の名称も但し書きもないようだ。
扉には通常の鍵ではなく錠前がかけられていた。神主は慣れた手つきで錠前を開け鉄の扉を内側に開く。
「こちらになります」
神社の社と境内の広い敷地を利用して造られた地下室。学校の体育館くらいの広さはあるだろうか。
段々に組まれた棚には端から端まで数えきれない数の遺影が飾られていた。飾られた遺影に映る人々の全てが未だ若い男性のものばかりだった。
遺影の横には必ず寄り添うように花嫁衣装を着た人形が立っていた。
「お若くして不幸にも命をおとされた男性に『せめて人形でも花嫁を…添い遂げさせて上げたい』という御家族の思いから、この場所に遺影と人形を飾られる方は少なくありません」
この領域全てに立ち込める空気。それは死者の生に対する執着や恨みや哀しみとは異質の、遺された家族の哀しみ、閉ざされてしまった未来への思い、死者に対する葬る事の出来ない思い。
親が子を思う心。子を失った親の哀しみが何時までも浄化される事なくこの地に遺されていた。
ここは特にそうした思いを強く感じさせる場所だった。
「宜しくお願い致します」
母が恭しく頭を下げ風呂敷の結びを解く。
十七年前に学校の帰り道で交通事故に遇い僕の兄裕太は他界した。兄の遺影を愛しむように見つめる母。
案内されて地下室の中程まで進む。
「こちらに後遺影を」
兄のために開けらたスペースの隣には茶色い髪の何処かの高校の制服を着た少年の遺影が置かれていた。
「少々お待ち頂けますか」
暫くして宮司は桐箱を持って現われる。
桐箱から出された白無垢姿の人形を見て両親は思わず声を上げた。
「なんて綺麗!」
「やはり円乗音次郎先生の作品ですな!御無理を言ってお願いして本当に良かった。こんなに素晴らしい人形は私も見た事がありません」
「その言葉を聞いた円乗先生もさぞかし喜ばれるでしょう」
「貴女に名前はあるのかしら?」
そっと桐箱から人形を取り出した母は人形に囁いた。
「箱には瞿麦と書いてあります」
宮司が桐箱に書かれた文字を見て言った。
母は頷いて瞿麦という名の人形を兄の遺影の横に置いた。
僕は兄の嫁である人形の瞿麦を見た。
初めて嫁と視線が合った。その時僕の中で何かが音を立て崩れた。
その時僕は彼女と月並みではない恋に落ちた。
簡素な結婚の儀式の後宮司と両親は長々と話をしていた。
「お人形の服このメイド服に変えられますか?」
「着せ替えではないのでそれは、ちょっと」
「息子の部屋を遺品整理した時大量にその関連の書物が出て来ましたので」
「飾るだけでも何とか」
僕は彼女を伊勢丹の袋に入れて神社から逃げた。走って走って息が切れて立ち止まる。石ころだらけの何もない場所。
積み上げられた石と風に吹かれた風車がカラカラ音を立てて回る。そんな場所にいつか出ていた。
袋の中の瞿麦。僕だけの瞿麦。僕の嫁。
少なくとも出逢った時瞿麦はそういう名前で呼ばれていた。
それが全ての始まりだった。
【エピローグ】
その日地蔵堂の宮司は人形師円乗音次郎氏の訪問を受けた。
「年を召されても鷹は鷹」
それが久々に再会を果たした宮司の円乗氏に対する感想だった。
炯炯とした眼光に木炭のような寡黙さ。冬でも仕事着にしている白紬織りの作務衣に雪駄。求道者然とした風貌に彼を取っつきにくい変こつ者と揶揄する者もいる。
しかし宮司は円乗氏の訪問を心待ちにしていた。彼と話す時間は楽しい。
円乗氏は宮司を不快にさせた事など一度もない。人形や亡き友の話をする時の彼は魅力的であり、人形の用向き以外で彼がここを訪れる事はないからだ。
「肺を患われたそうで…もうよろしいのですか?」
「この年で肺炎は命取りになりますな。
「『夜なべ仕事も程々にして下さい』と息子夫婦にたしなめられました」
挨拶もそこそこに宮司と円乗氏は二人連れ立ち地下一階への階段を降りた。
円乗氏の「確かめたい」という要請に促されての事だった。
「先日製作をお願いした花嫁人形は、御遺族様から感謝の御言葉を頂きました」
「こちらにも身に余る感謝の御手紙を頂戴しましたよ」
死者とその遺族。そして人形師である円乗氏を取り持つ縁というものについて神主は思う。死者と人形の縁組み。
通常幸せな生活を送る人々には奇妙にも映るであろうこの縁結び。
しかし一つ縁組みが成功する度宮司はこの職に就くことができた感謝の気持ちを神前に捧げた。
円乗氏は死者に手向ける花嫁人形の専門家では本来ない。
それは今から30年以上前の話だ。海に墜落して命を落とした飛行機乗りの青年がいた。彼の御両親の意向により故人の親友であった円乗氏の人形壱師は遺影と共に飾られた。
円乗氏の好意で羽女という人形が寄贈された事もある。花嫁人形の中でも群を抜く美しさと繊細さを兼ね備えた彼の人形を見た遺族から「是非円乗先生に花嫁人形を」と依頼する声も多くあった。
しかし円乗氏は元来寡作な作家で作品の数も驚く程少ない。
「自分の作品は多くあれば調和を乱す」
そんな彼にしか分からない理由で依頼は断られた。
その円乗氏が今回は遺族の依頼に応え人形を製作したのには宮司は驚いた。
以前仕事でこの神社を取材した故人の父親が円乗氏の人形を見て深い感銘を受けた事が起因するという話は聞いた。
故人の父親は当時雑誌記者であり円乗氏に取材した事もあったそうだ。何がしかの親交もあったのだろう。
高校生だった息子さんが不幸な事故で亡くなられた後で御夫婦で何度かこの地を訪れた事もあるという。
夫婦連名の手紙に心を動かされた円乗氏が瞿麦を製作した。
若者の死には何時如何なる時も胸が詰まる思いがして慣れる事はない。
しかし晩年を迎えた円乗氏の瞿麦。あれを目の当たりに出来た事は自分には僥倖であったと宮司は思う。
扉を開け遺影の間に入る。円乗氏は神棚に飾られた羽女をちらりと一瞥しただけで辺りを見回す仕草を繰り返す。
神棚の人形羽女は他の人形とは異なる白の唐衣と巻きスカートを履いている。以前円乗氏に羽女の衣装について質問をした。
「あれは神官服に見えますか?日本で最も古い花嫁衣装なんですよ」
そんな答えが返って来た。羽女は遺影と花嫁を見守るこの場所の女神的存在で、それ以前は壱師を置いた事もあった。
「やつは大人しい男だったが悪そうな女が好みでね」
円乗氏は御両親と泣き笑いしながら壱師を友の遺影に置いた。今思えば懐かしい。
此処で宮司の仕事をしていると不思議な事に出くわす事も少なくない。
大きな地震にみまわれ人形や遺影の多くが倒れた事もあったが、羽女だけは倒れなかった…とか。
「撫子はどちらに?」
「そちらを真っ直ぐに」
歩きだした円乗氏の足が途中で止まる。
氏の親友の遺影と壱師の人形のある場所だった。
「そうなんですよ。以前は黒髪だったのに、ある日急に髪の色が落ちてしまいまして」
円乗氏は壱師の人形を暫く見つめ呟いた。
「程々悲しい事があったのか」
暫く会話でもするかのように壱師を見つめていた円乗氏は再び瞿麦が飾られた場所に向かう。
あるべき場所に瞿麦の姿はなかった。
「なるほど」
「電話で説明した通り瞿麦は消えてしまいました」
宮司は生真面目に瞿麦をここに置いた時の状況や式を済ませ扉を閉めるまで中にいたのは遺族と自分だけ。途中故人の弟が飛び出すように出て行った事。
「しかし私は信じたくないんですよ。身内にしろ他人にしろ人形を盗み出すような酷い仕打ちをする人がいるなんて」
円乗氏は真面目な顔で答えた。
「よくある話です」
「よくある話…ですか?」
「私達人形師は精魂込めて人形作りに没頭します。作る人形にも勿論魂がこもります。だから人様の元に人形をお渡しする時は魂を抜くか因果を与えるのです」
「因果とは?」
「お前は人ではない。自分を人と思うな。人に愛でられ飽きられ、やがて捨てられよ。それが人形だ」
「なるほど」
「実は出荷前に肺炎で倒れてしまいまして。それ撫子にやってないんですよ」
そんな事を言われても宮司は当惑するばかりだった。
「そう言えば!」
宮司は一枚の紙切れを円乗氏に差し出した。
ばいばい ミントちゃん
辿々しい子供の文字。
「孫娘です」
円乗氏の顔が緩む。
「孫娘は瞿麦がお気に入りでしてね。自分でそんな名前をつけては呼んでいました」
「そうでしたか」
円乗氏はすたすたと年齢のわりには軽い足取りで入り口へ急ぐ。
「やはり人形の紛失は御家族に連絡しませんと」
円乗氏は黙って神棚の前に立つと羽女をそこから降ろした。
「夢を見ました」
「夢ですか?」
以前自分が作った羽女と同じ衣装を着た美しい少女が夢の中に現れた。
「神様」
と彼女は円乗氏に言った。
「これでいいのか?羽女」
私は神様ではないが…これくらいの事はしてやれる。
円乗氏は羽女を優しく微笑む少年の遺影の前に置いた。
僕の嫁 【了】
「むちゃらくちゃらに吹きとばされたのです~」
僕とミントちゃんは気がつくと家の塀の壁にめり込んでいた。
「あの女~!むちゃくちゃしやがるのです!今度会ったら容赦しないのです!」
「でも無事に帰ってこれて良かったね」
僕はミントちゃんを助け起こす。
「裕君の部屋にミントの本体がある限り大概は戻れますよ…いたたたです!」
「なら僕もこれから迷子になる心配はないね」
「ほえ?」
「だってここにミントちゃんがいる限り僕は必ずそこに戻って来るから」
「裕ウ~」
ミントちゃんの目に波が溢れる。
「向こう行ってる間ずっと『やべ-こいつ、このまんまモブ以下で終わんのかよ!?と思ってたら最後にちょっといいことも言えたのです」
「ははは…おうち入ろうか?」
「はい!裕君私ね!私ね!吹きとばされた時に羽女姉様の声を聞いたんです!!」
「なんて言ってたの?」
「それはですね…」
僕とミントちゃんは家の玄関の扉を開けた。
家に帰ろう。帰って話そう。そしたらゆっくり眠ろう…ミントちゃん
ありがとうございました(六葉翼)