第2章 白鷺武踏会編(本編第十話)
【第十話 天羽々斬 】
海上に墜落してもおかしくはない致命的な損傷だった。にも関わらず散華の鳥舟八咫烏と羽女の鳳凰は今まさに驚くべき早さで再生しつつあった。
時を待たず羽女の榊と散華の手にした神剣による攻防は続いた。
散華は右手に剣、左には八咫烏を御す黒い轡を握りしめていた。
一太刀一太刀が不可視な速度で繰り出される。まるで閃くパルスのような羽女の剣技。しかし散華は軌道を読み切り全てを受け流す。それでも羽女は散華に息つく暇も隙も与えない。
僕たちは黒い仮面をつけた寡婦が犇めく敵陣の只中にいた。しかしこの二人の戦いに誰一人割って入る事は出来なかった。
「どうしました姉様、重力改編は?羽女に荷す業とやらは今日は使えませんか!」
今の羽女は重力の重圧から解き放たれ宙を舞う戦神だ。今の羽女はまるで目に見えぬ翼を纏ったようだ。
勝てる!このまま手を緩めず押しきる事が出来れば勝てるかも知れない。
「調子に…!乗るなあ!!!」
散華の降り降ろした剣威に弾かれた羽女が鳳凰の翼に舞い戻る。いや押し戻されたと言うべきか。
散華の強さに加え八咫烏の異様さに改めて戦慄を覚える。
「天の鳥舟である八咫烏まで改編するとは!姉様なんて事を!」
「あんた今時携帯端末くらい持った方がいいよ、デコとか知らないのかい」
デコって八咫烏の顔についてるルビーみたいな赤い複数の目の事だろうか。
「姉様が各地の神社から盗んだ八咫の鏡はそのような目的で使うものではありません!」
「ただ埃まみれで飾っとくだけよりいいだろう。私はぴんと閃いちまったのさ…八咫の鏡だけにね!」
八咫の鏡って八個もあるのか。それとも分割したのか。何れにせよ神をも恐れぬとはこの事だ。でも見たところ七つしかないみたいだけど。
「寡婦たちを宙に浮かせ海上を歩かせ、これも重力操作のなせる技…此れほどの力がありながら!」
僅かな隙や間が命とりになる。散華は何を仕掛けて来るかまるで予測がつかない。
上空に一閃、光るものがあった。
「G!R!A!V!I!T!Y!!!!MARIAR-GE!!HAMMERRRRRRRRRR-!!!!!!!」
絶叫と共に隕石のように燃え盛る大槌を振りかざしたメイドが降って来た。
「瞿麦?」
「ミントちゃんか!?」
「喰らうのです!!」
槌は散華の翳した人差し指前でぴたりと静止した。
ミントちゃんは歯ぎしりして槌を降り下ろそうとする。しかし空中で静止した槌と体はまったく動かない。
摩擦で髪の先が焼け焦げ、服も燃えて胸のあたりまで肌が露出してしまっていた。
「何だ、お前は?」
「あ・姉様お初です」
「お初だな。剛力に…貴様も重力使いか。面白いがまだまだだ」
「ぐぎぎぎぎき」
「ミントちゃん頑張れ!僕も力を貸すよ!!」
白無垢の背中から裕が顔を出す。
「あ…ちょっと!裕君変なとこ触ったらダメなのです…や…だめえ!」
「珍妙な。二人羽織か」
「裕君はこの世界の人じゃないから、他の夫婦みたいに、フォーム・チェンジ出来ないのです」
「ごめんミントちゃん…僕足引っ張ってばかりだ」
「でも、ミントは!ミントは姉様たちに勝って認めてもらいたいのです!姉様にもお兄ちゃんにも…裕君のお父さんとお母さんにも!裕君がミントをさらってくれてミントはとっても幸せだけど…裕君は時々辛そうなのです。だから晴れて三國一の夫婦と呼ばれたいのです!!!」
「ミントちゃん」
「一つ、よいか」
「はい?」
「この鳥舟は本来神の乗り物。貴様達のような不埒者が触れる事も上から見下ろす事も許されない」
言えた義理ではない。
「ご・ごめんなさいです」
八咫烏の首が大蛇のように伸びる。ミントと裕の目の前に鎌首をもたげる。
「へ・蛇は嫌い…」
「瞿麦!」
「ミントちゃんてみんな呼びます」
八咫烏が嘴を開ける。その中には八咫鏡。
「瞿麦!」
「二人とも逃げろ!!」
「祝儀だ」
散華が左手に持った轡を強く握りしめた。
ミントと裕は抱き合ったまま閃光に包まれ…跡形もなく消えた。
「夫婦よ幸多かれ、美しくあれ…だが私はバカップルは大嫌いだ」
「瞿麦!瞿麦!…実の妹になんて仕打ちを!姉様…許しません!!!」
「つまらぬ。雑魚に切り札を使ってしまった…これは力が満ちるのに時間がかかるのが難点だ」
元の位置に戻った八咫烏の目は静かな海の青に変わっていた。
せっかく…せっかく弟と嫁…いや妹、家族に会えたと思ったのに。
「散華…!絶対にお前を許さない!!」
空間に得物を手にした白鷺の兵の軍勢が次々に現れる。
「宴も酣だが。そろそろお終いだ」
散華は悪びれる様子もなく手にした神剣を一振りする。
「やはり鳳凰の方が再生が早いか…それとそこにいる蚊蜻蛉共に飛び回られては的が絞り辛い」
散華が天に剣を翳すと申し合わせたかのように寡婦達が白鷺兵の体に組み付き動きを封じ込める。
僕の目の前にも寡婦が現れ羽女の元に行く事が出来ない。
「な、何だお前ら?くそっ!放せ!!」
寡婦は執拗に体にまとわりつき離れようとしない。
「高砂神社に古来より伝わる神剣。その名を申してみよ円乗羽女」
羽女は黙して語らない。
「恐ろしくて口にも出来ぬか…この天羽々斬。貴様と鳳凰を殺す剣だ」
それはあの日の夕暮れ時、僕と羽女の前に現れた散華が手にしていた、錆びた剣だった。
天羽々斬は高砂神社に伝わる門外不出にして全ての神剣の祖神と呼ばれている。
鳳凰に縁の祭主が自ら命を絶つための剣とも謂れる宝剣だ。
羽女や禰宜たちは奪われたその剣を必死で取り戻そとしていた。その理由を今僕は散華の口から初めて聞いた。
「切り札は最後まで残しておいた。羽女、お前の最後に相応しい剣だ」
目の前をテレビカメラを担いだ寡婦が通り過ぎる。散華と羽女をカメラで撮影する様が何とも異様だ。
「今流行りのパブリック 何とかというやつだ。国営放送局は我々カフカ島民が制圧し占拠した」
妹殺しをテレビ中継するつもりか?なんてやつだ!
その頃高砂神社内にある放送局で薫は寡婦の集団に襲撃を受け身柄を拘束されていた。
【動くな】
寡婦の一人が彼女に銃を突き付けADのようにスケッチブックにマジックで書いた文字を見せた。
「ふざけた真似を!…円乗様…」
「ふざけた真似しやがって!放せ!!」
あまり怒りに語気を強め僕は寡婦の腕を振りほどこうともがく。
その時ふいに僕を掴んでいた一人の寡婦の力が緩んだ。
僕を見上げる仮面。その表情は読み取れない。しかしその仮面の奥にある瞳はとても悲しげに見えた。
「時田…さん?」
彼女の右腕に喪章のように嵌められた腕宛を見て僕は思わず呟いた。
彼女は一度顔を伏せ僕を見ると自らの喉に人差し指を当てた。
彼女は僕の元を離れ寡婦の軍勢に紛れて消えた。
「羽女!」
僕は彼女の名前を叫ぶと、すぐに彼女の元に駆け寄る。誰が何をしたとか、そんな事はどうでもよかった。ただ、こんな馬鹿げた事は終わりにしよう。
それが出来るのは世界中でたった一人、円乗羽女だけだ。
「天羽々斬により貴様は羽根を切られ地に墜ちる。次に貴様が目覚めるのはカフカ島だ。手足を切り落とし顔を潰し…だが片目だけは潰さず残してやろう。お前の愛したこの世が変わる様を、愛した男が私の靴底の下で寡しづく様を、その目でしかと見届けるのだ」
「姉様」
羽女は目の前に榊を掲げる。散華はそれを見て無駄な足掻きと鼻で笑う。
「幾ら神通力を通したとはいえそんな木葉で天羽々斬の斬撃を凌げるとおもうか?」
「残念ですが姉様が手にしたそれは天羽々斬ではありません」
「そんな子供騙しの嘘に私が…」
「羽女は嘘は申しません。それは天羽々斬という神社に伝わる奉納品、ただの古錆びた銅剣です」
「私はこの神剣によりカフカ島の結界を切った!」
「鰯の頭も信心から」
「な…んだと!?」
「たとえ腐ろうが、冥府魔道に墜ちようが、姉様は由緒ある高砂神社の元祭主。それほどの力をお持ちの姉様が、真の神剣と信じて疑わず振るえば、結界など切るは容易い事。それに元より姉様には神道系の呪には耐性があります」
確かに散華は結界に阻まれたカフカ島と本土を一人だけ自由に行き来していた。それに羽女の言葉…今空を飛ぶ鳳凰は先程まではただの巨石に過ぎなかった。
「この剣がただの銅剣だと」
「神社とは神が依り集う美屋、しかし普段そこに神は居りません。宮にある神木、鏡、剣、それら全て御神体と呼ばれるものは所詮は依代に過ぎないのです」
一見感情を持たない人形のような佇まいの彼女だが。僕には分かる。
これまでの散華の度重なる暴挙に対し彼女は今抑えきれぬ怒りを解放しようとしている。
「祭主であった頃より煩わしい神事を私一人に任せ、武芸に精進するのはよしとして、くだらぬゲームや漫画にうつつをぬかす被害妄想厨ニ病三昧の姉様なれば、最後の最後に詰めを誤るのです」
姉の本質を淀みなく言いきった。しかし散華は動じない。動じるような女ならば最初からこんな事はしでかさない。
「鰯の頭か…それは良い事を聞いた」
「そんなにご覧になりたければ見せて差し上げます」
羽女は瞳を閉じ祝詞を唱え始める。
散華は銅の剣を高々と天に掲げる。
「我の鰯に依り集え!寡婦共の魂よ!怨念よ!嘆き!悲しみ!我の元に!我と共に!!!」
寡婦達の体が黒霧となって散華の剣に集まる。
羽女が祝詞を唱えるより早く、散華は剣を降り下ろした。
「亡き者たちへの悼みと積年の恨みと共に散るがよい」
僕は羽女の前に立ち彼女を押し退けた。羽女は突き飛ばされて後方に尻餅をついた。しかし一度トランス状態に入ってしまった彼女の口から奏上が途絶える事はなかった。
「懴剣霊華」
散華が放った黒の斬撃は鳳凰を真っ二つに切り裂いた。
「思い知るがいい」
僕は切り崩された鳳凰の半身と共に雲の下に転落した。
「貴様!まだ墜ちぬか…やはり、あの少年を捨て駒にしたか」
「捨て駒になどしない」
祝詞を唱え終えた羽女が立ち上がる。そうとも。
「捨て駒などにしない、それに鳳凰は」
僕は片翼の鳳凰に乗り八咫烏の背後に回り込んだ。
「鳳凰は不死です姉様」
「そうか」
八咫烏の首が体躯に吸い込まれる。鎌首が背中から垂直に砲台のように姿を現す。八つの赤い光。鳳凰は真下から直撃を受け四散する。
四散した鳳凰は雹のように散華めがけて降り注ぐ。八咫烏の体を黄泉へと還すように食いつくす。散華は自らに降り注ぐそのを全て剣で迎撃した。
「まだだ!まだ!これさえ凌げば…まだ!」
僕は足場を失い呆気なく転落する。だが海面に叩きつけられる前にまだやるべき事があった。手にした武器を。羽女から託されたそいつを散華に向かって投げつけた。
「まだだ!散華!!」
顔を上げた散華の体に投げつけた分銅の鎖が巻き付く。
そのまま二人のいる三百メ―トル上空から落下して海面に叩きつけられた。
【REPLAY】
そこから先僕は当事者としてそこにいた訳ではない。海面に叩きつけられ派手な水柱を上げた後しばらく洋上を浮遊し波に呑まれた。
円乗羽女と散華の戦いの顛末。それはカフカ島の寡婦が撮影したテレビカメラにより記録媒体に残された。以下はその映像記録だ。
「微塵か…こんな古典的な武器が何だと言うのだ」
身を捩り自らの体に巻かれた鎖を引きちぎろうともがく散華。
「それはけして切れません」
散華が顔を上げると目の前に羽女の姿があった。
彼女が手にした榊は金色の光を放ち眩い耀きを放つ。七支刀よりもさらに枝葉を伸ばしていた。
「三國一の剛力と呼ばれる三女瞿麦。あの子が万が一にも私との約束を違え、暴れ出すような事があればと、三日三晩護符を焚いて鍛えた鎖です。姉様といえども容易には切れません」
「それがお前の切り札か」
「瞿麦と相生弟…姉様に挑んだ勇気!私はお前達を真の夫婦と認めよう…いたらぬ姉だ…お前の名はミントであったな」
「お前が手にしているそれが天羽々斬の真の姿か?」
散華の言葉に羽女は頷く。
「これはあらゆる神剣と呼ばれる剣の祖神。無限に神剣を生み出す。一度姉様の名を呼べば六道冥府の輪廻の果てまでも追いかけ、如何なる世界にも現出し、姉様という存在を根絶やしにするまで止まらない」
「我ながら恐ろしいものを盗み出そうとしたものだ」
「少しは神事について学ばれるべきでした」
「よいのか?お前の連れ合いは回収しなくても」
「あの方は死にません」
「馬鹿な!この高さから海に落ちて生きている方が奇跡だ」
「こんなところで死ぬようなら私の夫になどなれません。私を嫁にするまで、あの人はけして死なない!」
羽女は剣を構えた。
「死んで私を悲しませるような振る舞いは、この私が許さない」
「なるほど!お前達の切り札は夫婦愛という訳か!!」
散華は大声で笑った。
「神の威光を放つ神剣により滅ぼされるお前の姿を思い描いたが、逆に返り打ちに合うとは!些かベタな結末よ…しかも最後は夫婦愛だと!この私が?まだ愛も知らぬお前たちにより滅びる去るか」
「愛なら既に知っております」
散華は羽女の顔を見て言った。剣を突き立てその場に腕組みして坐り込む。
「まあ悪くはない…さあ切るが良い」
散華は観念したように目を閉じた。
散華の鳥舟は四散した鳳凰により食いつくされて再生が儘ならない。このままでは程無く海へ墜落するだろう。
羽女は手にした剣を無造作に降り下ろした。散華を縛っていた鎖は苦もなく切れ軽い音を鳴らし落ちた。
「なんだ慈悲か?この私を助けるつもりか?」
一瞬だけ羽女の顔を見上げた散華は妹の顔を見て安堵したように微笑む。
「なるほど『素手でこの女をぶちのめさなくては気が済まない』そうお前の顔に書いてあるようだ」
「流石は姉様です」
傾き沈み行く自らの舟から散華は羽女の鳥舟に跳移る。
羽女は神剣を捨てた。短い祝詞を唱えるとそれは榊の枝に戻った。
結果から先に言ってしまえば羽女は散華に対して成す術がなかった。
羽女の打撃は悉く散華にかわされ空を切るばかり。間合いすら掴む事も出来ぬまま急所を五発打撃の拳で打ち抜かれる。
「いかに速度が上がろうと軌道が定められた列車などかわせぬはずがない…ましてや羽女、お前の動きは時刻表通りだ」
脛椎から頭を根こそぎ刈り取るような蹴りが後頭部に入る。
「此で投了だ羽女」
よろめく羽女の背後から逆さまになった散華の顔がぞろりと覗く。
前屈みに倒れそうになる羽女の後頭部に鉄化した膝が入る。頭蓋の骨が砕ける音を羽女は聞いた。
「勝てる札を手許に引き寄せながらそれを捨てた。己の虚栄や誇り、建前や形式くだらぬものばかりに囚われる女よ、羽女お前は最弱だ!私は拘束を受けてなお、お前の喉笛を噛み切る機会を狙っていたというのに。最初にお前に言ったはず、これは私とお前の戦であると」
漸く散華の足が降り立つのを羽女は朦朧とする意識のと霞む視覚の中で見た。
「私は、まだ負けてなど…」
「私の改編がお前に対して発動する速度とお前の神速が…確かそんな話だったな」
散華は羽女に対し腕を組んだ姿勢のまま顎をしゃくる。
「いいだろう。私も改編を一切使わぬ。存分に自慢の神速を使うがいい」
「な…何故に…そんな事を」
「この距離では遠いか?」
散華自ら羽女との距離を詰める。
「お前の急所に今私が打ち込んだ打撃によりお前の体内の骨には私が描いた通りの皹が入っているはずだ。もし神速を使えば骨が砕け、忽ちお前の脳や心臓を切り裂くだろう。試してみるか?」
「仮に私がこの場でお前に負荷をかけても結果は同じ。お前の敗北は既に確定した。羽女、お前は私との戦に敗れたのだ!」
「まだ私は闘える!!」
「だが犬死だ。勝敗の結末とはそのようにあっけないものだ…羽女、お前は私にけして届か…」
「言うなあ!!」
喉が張り裂けるような声で羽女は叫んだ。
「私はまだ負けてない!!姉様の技など何一つ効いてはいない!!私は負ける訳には行かない!!膝など着かぬ!!ここに来て私と戦え!!私は…」
「羽女」
「私は…」
「千」
散華は呟いた。
斜めに傾く鳳凰。
「己の業と旧き神の舟、せめてこの世界と共に沈め、羽女」
散華は羽女に背を向けて歩き出した。
【第十一話 散華に続く】