僕の嫁 第2章~白鷺武踏編~
【 僕の嫁】
円乗さんは携帯端末を持っていないらしい。高砂神社の番号なら検索出来る。
悪あがきと知りつつかけてみた。昼間あれだけの数の巫女さんたちを目の当たりにしたにも関わらず誰も電話に出ない。
「まさかあれから再び散華に襲撃されたのでは」
散華も円乗さんも「これは戦なのだ」と口にした。今こうしている間にも何が起きていても不思議ではない。不安になり何回も履歴をリダイアルを押しまくる。
まるでコンサ―トのチケット争奪戦入院参加したみたいに、何度も何度も、画面の履歴をタッブする。
「内閣府 特別宗教法人 高砂神社執務室でございます」
事務的なカン高い声の女性が電話に出た。漸く電話が繋がった!
「祭主の円乗羽女さんに繋いで下さい!」
「大変恐れ入りますが一般の方の電話を祭主にお繋ぎする事は出来かねます」
電話を切られると思った。
「君、円乗さんだよね?」
「ばれたか」
そう言うなり電話の相手は沈黙した。
声色を変えたって僕が円乗さんの声を聞き間違えるはずがない。ていうか下手くそだ。
「円乗さん?」
「もう君と話す事は何もない」
取りつく縞もない。
「今からそっちに行っていいかな?」
「君には耳がないのか」
少し苛ついた声。
「神社は今、半径10K圏内まで厳戒体制だ。血に飢えた巫女達の餌食になりたくなければ、部屋で大人しくしているがよい」
血に飢えた巫女って。僕は夕方の記憶が甦り背筋が寒くなる。
「でも電話に出てくれた」
「そ、それはたまたま電話の前を偶然通りかかっただけで!」
「今何処にいるの?」
「私の部屋だ」
「内閣府 特別宗教法人 高砂神社執務室じゃないの?」
「兼私の部屋だ。何が言いたい?」
「いや、円乗さんちに電話するの初めてだなあと思ってさ。もしかして電話待っててくれたとか!?」
「相生氏のくせに生意気だ」
それ、どっちか分からないから。
「で用件は何だ?」
他愛ないお喋りがしたくて…なんて言ったら殺されそうだ。
「明日僕も円乗さんと一緒に戦う」
電話の向こうから溜め息。
「私を困らせないでくれ」
「僕だってこの世界の人間だ。円乗さんが1人で背負込む必要はないと思う」
「もう切るが…よいか」
「嫁の背中に隠れて守ってもらう男なんて最低だ!」
「君が亭主関白なのは大いに君の勝手だがな」
「明日僕達の世界が終わってしまうのかも知れないと思った」
「そんな事は…」
「そう思ったから電話したんだ。迷惑だったか?」
しばらく沈黙の後彼女の息遣いだけが聞こえた。
「君はずるいな。私を困らせるだけでなく…」
電話の向こうで彼女が鼻を啜る音がした。
「相生裕太の分際で生意気だ。一体全体この私を誰だと思って…」
「羽女」
電話の向こうで彼女が息を呑む。
「今よく聞こえなかった‥もう一度…」
「羽女」
「もう一度」
切なくて。僕は彼女の名前を何度も呼んだ。僕がこの世界で出会った最も美しい価値がある守るべきものの名だ。
「円乗羽女は僕が守る」
君が自分の事大切にしないで守らないなら、僕が守るしかないじゃないか。
「相生君」
「羽女」
「もしも私の事が好きなら」
「分かった」
「まだ何も言ってないぞ」
「聞くよ!」
溜め息。でも先程とは違う少し湿り気を帯びたような。
「今夜は部屋から一歩も外に出るな!もしも私の半径10K以内を越えて近くに来たら…殺す」
「な!何だよそれ!?男の純情くわえて逃げる気か…この泥棒ネコ!」
「オヤスミ」
電話は一方的に切れた。切れる直前微かに電話の向こうでネコの鳴く声が聞こえた気がした。
僕は画面の「通話終了」の文字を呆然と眺めた。何なんだよ。あの女!
「もしも私の事が好きなら…半径10K以内に近づくな」だって!?
何様のつもりだ!?人の気も知らないで。もう知らねえ。布団被って寝てしまおう!!
明かりを消した部屋の中で1人思う。寝室のテレビはつけたままだった。
明日には消える自分。戦。世界の破滅…でも今僕の心の中を満たす思いはそんな事じゃない。
思い出のアルバムというには乏しい保存された携帯端末のフォト。噛み合わない彼女との会話。心配したり腹をたてたり。言ってしまえば他愛ない泡のような記憶。それでも気がつけば無為な日々の色を変えていた。
「私は私利私欲のために改編などしない。相生君の幸せを願いこそすれ、彼を1人になどしない 」
「君の幸せを願っている」
いつも傍らで彼女の言葉を聞きながら僕は思ったんだ。
「もし円乗さんが本当に改編してくれてたら、それでもよかったのに」
幸せを願ってくれなくても僕は既に幸せだった。
1人でもいいと思っていた。けど僕の世界は確かに変わった。改編など使わくても円乗羽女はそれを僕にやってのけたのだ。
誰にも思われず思う事なく生きる一人。誰かを思い誰かに思われ生きる一人。
僕は一人じゃない。もう一人に戻れない。
明日彼女に会ったら伝えよう。
今夜は眠らないつもりでいた。けれど昼間の疲れからほんの少しだけ微睡んだ。夢現の中でテレビの深夜番組が終了しノイズに変わる音を聞いた。
「相生様」
眠りは直ぐに誰かの声で破られた。
目を開けると暗闇の中に声の主はいた。
白無垢に身を包んだ花嫁。角隠しで表情までは分からない。
深々と頭を下げた花嫁は僕に言った。
「到着が遅れました裕太様」
「君、誰?」
彼女は下げていた頭を上げて僕に言った。
「相生女無天。貴方様の嫁にございます」
「君が僕の嫁?」
彼女は顔を上げて微笑んだ。
「ミントって呼んでいいよ。お兄ちゃん!」
闇の中で彼女の睫毛の先についた金のラメが星のように零れて光った。
初めて嫁と視線が合った。
その時僕の中で何かが音を立て崩れた。
Intermission♪*【Nessun dorma】**
【第七話 白鷺武闘会前夜祭狂騒曲に続く】