命題
命題 ―――― 俺こと六道海斗が何者であるか答えよ ――――
海斗は実に二十六年もの間、同じ疑問を己に問い続けてきた。
常軌を逸していると自分でも思う。だがこうして人生が終わろうとする時まで心を捉えて離さないからこそ、命に関する問題――すなわち命題――と呼ぶに相応しいとも言える。
「これはきっと呪いなんだ」
海斗は真っ暗な1LDKの部屋で独り呟く。
傍には睡眠薬を流し込むのに使った焼酎の空き瓶が転がっていた。つまりは自殺である。
大した理由はない。ただこの世界に自分が生きる価値を見出せなかっただけだ。
「俺はこの世界にとって不可欠なピースではなかった」
自分の代わりなど腐るほどいる。
パズルを組み立てる者にとって――海斗は神など信じていなかったが――重複したピースである自分はむしろ邪魔者でしかない。
つまり自分は世界の平和を乱す異分子なのである。
だから世界と相容れないのは当然なのだ……などと理屈を捏ねているがその実、生きることに積極的になれなかっただけなのだ。
『或るぼんやりとした不安』などと言えば聞こえが良いだろうか?
人は何かを成すために生まれてくると言うが、この言葉は正確ではない。
正しくはこうだ。生まれてきたからには、人は何かを成さずにはいられない。
だからまず、その何かを見つける必要がある。
しかし海斗は今日に至るまでそれを見つけることができなかった。
それが不安となって海斗の心に常時住み着いていた。
しかし同時に安心してもいる。
人と違ってしまう心配が無いからだ。
自分の本質を見つけると言う行為――それを仮に自己実現と呼ぼう――は、自己と他者の境界線を明確にして強化することである。
「俺はお前と違うんだぞ」と主張する行為に他ならない。
しかしここで問題なのは、海斗以外の人間も同じように考えているという事実だ。
差異の強調を通じて、自己と他者の価値は等しくなる。なぜなら、自分と違う筈の他者が自分と同じ悩みを抱えていることになるのだから。
にも関わらず、自分は唯一無二の存在なのである。
ここで海斗の思考はループする。
彼は長い間この泥沼から抜け出すことができなかった。
思想書を読み漁った。
寺で座禅を組んだりもした。
信仰に救われようと教会の門を叩いたこともある。
『だが結局……』と海斗は考える。
「俺は生きることが苦手なのだ」
人間とはまるで筍のようである。
一つ一つは違う筈なのに、全てが地下茎で繋がっている。
(これを集合的無意識と呼べば良いのか?)
半端な知識が海斗を次なる疑問へと誘おうとするも、もはや睡眠薬が正常な思考を乱している。
彼にできるのは過去の思考の反芻だけだった。
自分について知ることは、筍の皮を剥くようなものだ。
人間について考えるのは、地下茎を掘り返すようなものだ。
どこまでいっても答えは出ない。
それどころか、労力を割けば割くほど行き着く絶望は深くなる。
故に海斗は積極的に生きることができなかった。
絶望の谷へと至る一歩手前、つまり『或るぼんやりとした不安』で踏みとどまっていたのだ。
もちろんそこは崖を越えた先ではあったが……。
それでも目を開けて谷に墜ちるか、それとも目を閉じながら墜ちるかほどの違いはある。
ならば目を閉じよう。
生きることを無条件に肯定する輩がいるが、海斗はそのような気にはなれない。
なぜなら、こんな無気力な自分が存在しているために席が一つ埋まってしまうのだから。
『この世は全て舞台である』とシェイクスピアは言ったが、その言葉に倣うと海斗は役割を分かっていない役者だった。
(ならばやる気のある奴に席を譲った方が良いのだろうな)
他人事のように考えてしまうほど、今や意識は遠のいている。
弱まっていく鼓動を感じながら最期に海斗はこう願った。
『どうか来世などありませんように』と。
頭蓋を漆黒の液体が満たしていく。
まるで溺れるように海斗は苦しみ、
そして死んだ。