【二章】11. 幻の魔晶石
……ユリウスとの一件があった翌日。
シオンは既に、三ヶ月後にユリウスと闘う事にだけ意識を集中させていた。
少しでも気を抜くと、今すぐにでもユリウスへの復讐を果たそうとする強い衝動に飲み込まれそうになる。
しかし、失敗すれば自分だけではなくレスティアにまで危険が及ぶ以上、シオンは迂闊に動く訳にはいかなかった。
……とはいえ、今の状況はシオンにとって悪いものではない。
復讐相手であるユリウスの言いなりになるのは決して本意ではなかったが、普通に戦って勝てるような相手ではない以上、三ヵ月という準備期間がシオンにあるのは好都合だった。
ユリウスから設けられたハンデとして、三ヶ月後の戦いでは武器や爆薬や毒に至るまで、あらゆる物の持ち込みが認められている。
そこで、シオンはまず手始めにユリウスを倒しうるだけの装備品を用意するところから行動を開始した。
……シオンがユリウスと闘う上で、何よりも問題となるのはその少ない魔力量。
昨日の一件から、限界加速だけではユリウスには通用しないとシオンは判断した。
最低限、身体強化との重ね掛けや、他の魔術を加えた戦い方をしなければ昨日と同じ結果を迎えるだけだろう──と。
しかし、現在のシオンはそんな戦い方が出来るような魔力は到底持ち合わせていない。限界加速だけでも二十数秒発動するので限界だ。
だから彼は、一番初めに〝魔石〟を入手するために動き始めた。
──魔石とは、そこに蓄えられている魔力を引き出せる特殊な鉱物の総称だ。そして、魔石は大きく「魔力石」と「魔晶石」の二つに分類される。
魔力石が使用後にはただの石となるのに対して、魔晶石は使用後も自ら空気中の魔素を蓄えて繰り返し使用出来るという違いがある。
また、それぞれ見た目にも違いがあり、魔力石が完全に不透明な鉱物なのに対して、魔晶石は透明な鉱物であることが特徴だ。
そんな魔石を入手する為、シオンは王都にある魔石専門店を訪れていた。
そこは近隣の国々を含めても他に並ぶ店舗がない程、極めて高品質な魔石を取り扱っている事で有名な店だった。
シオンが用意出来る予算は最大で約六千万ゼニー。それは持ち前の話術や洞察力を買われたシオンがこれまで何度か家業の商談をアシストし、その際に報酬として贈られ溜まった貯金だった。
シオンはその貯金を全てつぎ込んででもベストな魔石を購入するつもりだったが……。
「(これで三億ゼニー……)」
ショーケースに入っている直径五センチメートルの魔晶石を見て、シオンは渋い目つきになった。
大きく重たい魔石は戦闘の邪魔になり、シオン最大の武器であるスピードも殺してしまう。
そのため、シオンは出来るだけ小さく軽い魔石を求めた。
ショーケースに入っているその魔晶石はサイズとしては申し分なかったが、魔力の含有量が今一つだった。
──シオンの通常時の魔力保有量はおおよそ一〇〇mℓ。火球なら約十七発分、限界加速を約二十秒間発動して完全に使い切る魔力量だ。
ユリウスとの決闘にあたり、シオンは最低でも平均的なA級魔術師相当──約一五〇〇mℓ程度の魔力を含有する魔石が必要だと考えていたが……。
ショーケースに入っているその魔晶石の魔力含有量は二〇〇mℓと表記されており、それはシオンが必要とする最低限の魔力量に遠く及ばなかった。
「(二億四千万の予算オーバーでもこれか……)」
シオンは悩ましそうに右手で顎に触れた。
そんなシオンに対して、商品を紹介してくれていた店の従業員が難しい表情を浮かべて声を掛けた。
「魔石は魔力含有量が多い物ほど価値が高いのは当然として……。特に、サイズの小さい魔晶石は装飾品としての需要もある関係で一気に価格が跳ね上がりますからね……。ご予算に合わせて、純粋に戦闘用で使うなら多少大き目のサイズで妥協するしかないかと……。もしくは、魔力石なら魔晶石と同じサイズ、同じ魔力含有量でもより安くご購入頂けますが……」
「……ええ。そうですよね……」
それからしばらくシオンの希望に近い商品を探し続けたものの、理想的な魔石はなかなか見つからなかった。
……すると、その途中。
「ん……? この魔石は……」
美術品のように箱型のガラスケースに入れられ、店内の壁に飾られている黒い楕円形の魔石がシオンの目に入った。
「はい? ああ、それはレプリカですよ」
と、店の従業員は説明した。
「その黒い魔晶石はそんなに小さなサイズでなんと七五〇〇mℓの魔力、つまりA級魔術師五人分相当もの魔力を宿していたそうです。光を照らしてみると実は深い紫色で、それくらい含有する魔力が濃いんです。かつてオークションで七千億ゼニーの価格で競り落とされた記録が残っている、界隈では伝説の高級魔晶石ですよ。──ですが、その所有者だった人物は随分昔に亡くなっており、今はその本物の魔晶石の行方は分からず終い……。噂では、王家の宝物庫で保管されているらしい、なんて言われている幻の魔晶石です」
「なるほど…… (……。幻の魔晶石……? なんだ……? どこかで見たような気が……)」
そんな風に何か引っかかる様子だったものの、シオンは意識を切り替えて引き続き店内の魔石の物色を続けた。
その後、目ぼしい魔石のチェックを全て終えると、頭の中を整理して候補を絞る為にシオンは一度店の外に出た。
「(直径十五センチ、重量二キロ、魔力量八百mℓ《ミリ》の魔力石が一個で八十万ゼニー……。六千万あれば七十五個買えて修行で使うのにも足りそうだ……。ただ、魔力量的にはユリウスと闘う時に同じものを二つ身に着ける必要があるな……。その際の重量は四キロか……。しかも、とてもじゃないが服の中に忍ばせられるようなサイズ感じゃない……。致命的に動きが鈍る上に、戦闘中は当然魔力石が的になるだろう……。さっきの、直径五センチで魔力量二〇〇mℓ《ミリ》の魔晶石……。あれと同等のものを八個……、いや、この際七個で妥協しても構わないが……、それで魔力量の合計は一四〇〇mℓ……。万全ではないかもしれないが、それなりの魔力量になる……。魔晶石なら修行でも繰り返し使えるし、あのサイズなら身に着けていても大して戦闘の邪魔にはならないだろう……。現状ならそれが一番理想に近いが……)」
魔石店の店先、様々な露店が並ぶ大通りを歩きながらシオンは険しい表情を浮かべた。
「(あの魔晶石と同等の物を七個揃えるとなると、ざっくりと計算して二十一億ゼニーは必要だ……。二十億四千万ゼニーの予算オーバーか……。それだけの大金を用意するとなると……。可能なら父さんから借りるか、もしくは父さんの紹介で金融屋から借りるしかないよな。……出来るなら、家族には負担も迷惑も掛けたくないが……。……ただ、今は手段を選ぶつもりは毛頭ない。借りた金は返せばいい。……しかし、二十億四千万か。一体いつ返し終わるんだろうな、くくく……)」
やや視線を下げて自嘲気味に笑った後、シオンは顔を上げて、静かに空を見つめた。
「(卒業したらすぐに父さんの会社で働くか、自分で事業でも始めて返すしかないよな……。借りた金も返さずに自分のやりたい事を優先するなんて、俺には出来ないもんな……。──それでも、十年や二十年で完済出来れば良いが……)」
『俺にはみんなみたいに才能はないけど、でも絶対魔術師になるよ。みんなが俺の十倍凄いなら、俺はみんなより百倍努力する。絶対に最強の魔術師になってやるんだ』
『最強の魔術師になって、助けが必要な人や、誰かの大切なモノの為に……、戦えない人の代わりに、俺が戦う。英雄譚の主人公のように、誰かの為に戦える最強の魔術師になる事──。──それが、俺の夢だ』
シオンは顔を下げて、軽く開いた自分の右手の平に視線を向けた。
ざわざわと人が行き交う通りの中で、彼は一人立ち止まっていた。
……少し時間が経ってから、やがてその手を軽く握り締め、シオンは薄く笑った。
「──……別に、手放す訳じゃないだろ。ほんの少しだけ、後回しになるだけじゃねぇか。……それでリリィの仇が討てるなら、一つも悔いはない」
そう呟くと、シオンはどこか満足そうに口元を緩めた。
そして、先程の魔晶石と同等のものがシオンの必要とする数だけ揃っているかを確認するために、彼は再び大通りを歩き出し、先程の魔石店へと向かったのだった……。
──すると、その途中。
「──……いやぁすごい! この女性はまさに絶世の美女だ……! こんな女性が実在するなら、是非一度お目にかかりたいものですねぇ……」
「おや、お客さんご存知でないんですか? この絵画のモデルは実在しますよ」
「な、なんと……⁉ こんな綺麗な女性が……。信じられない……‼ 有名な方なんですか⁉」
活気ある通りを歩いているシオンの耳に、ふとそんな会話が聞こえて来た。
彼がなんとなくそこへ視線を向けると、どうやらそれは絵画の路上販売の店で行われている会話のようだった。
そして、その会話の中心となっていると思われる一枚の肖像画が視界に映った時──。
「──‼」
シオンはその目を見開いた。
……そして、シオンの視線の先で絵画売りの男は客からの質問に答えた。
「──この絵画のモデルは、この国の第三王女、ルーナ・リンデザ・ギルバート様という方でしてねぇ。それはもう、本当にお綺麗なお姫様で──」
そのように絵画売りの男が説明している中、シオンの脳裏でかつての記憶が強烈に蘇った。
──『お礼として、これを差し上げるのだわ!』
──『この程度の物なら家にはいくらでもあるのだわ! だから、遠慮する必要なんて無いのだわっ』
──『この私が差し上げると言っているのよ⁉ それを断るなんて、貴方一体何様のつもりなのかしら⁉ それとも、私の首の垢のこびり付いたペンダントなんて汚くて受け取れないとでも言うのかしら⁉ 殺すわよ⁉』
「──……。……ああッ⁉」
……先程の魔石店に飾られていたレプリカになぜ見覚えがあったのか、それが一体どこで見た物だったのか。
シオンは、露店で並べられているその肖像画を見て思い出したのだった。
◆
学園の寮に戻ったシオンは自室の机の引き出しを開き、その中で保管されていた一つのペンダントを取り出した。
そしてそのペンダントの先に付いているジュエル──四センチメートル程の楕円で、漆黒と見紛う程の深い紫色のジュエルを彼は凝視した。
「嘘だろ……」
絶句しているシオンが手に持っているのは、決してレプリカなどではなく、正真正銘本物の……、──幻の魔晶石だった……。




