【二章】9. 闇雲
シオンは、リリィを殺した犯人を必ず見つけ出すと心に誓った。
彼はいつも通りに学園生活を送りつつも、頭の中では常に事件の事を考え続けた。
まず、リリィを殺した犯人の動機は一体何なのか。
やる気のない植物魔術の実験が中止となり、喜ぶような生徒は少なからずいる。だが、それが目的とは考えられない。実験を中止にしたいだけならば、リリィを殺す以前に目的は達成している。もし仮に植物魔術の授業そのものを中止にしたいならば、リリィだけではなく授業で使用する他の資料なども破棄する方がよっぽど合理的だ。
実験中止や授業中止を目的としている人物が他の物には手を出さず、わざわざ研究室に忍び込んでまでリリィだけを殺すとは思えない。
例えば、〝万病の治療薬〟の原料であるアルラーネの実の強奪が目的だとしても、まだリリィには実が生る前であり、仮に実が生っていたとしてもわざわざ殺す意味はないだろう。
あるいは、〝万病の治療薬〟の独占などが目的で、アルラーネの存在自体が不都合な人物がいたとしても、それ以前の造園木や授業中の植物モンスターの事件がその目的とは繋がらない。
植物研究の同業者など、レスティアが〝万病の治療薬〟の原料の生産に成功する事が気に食わない人物がいるとして、それも同じく造園木や授業中の事件とは繋がらない。
他にも、動機の候補はいくつも挙げられた。ただ、最大のヒントになると思われたのは、リリィが乗っていた鉢が灰を残してその場に放置され、わざわざリスクを負ってまで犯行の証拠品となる物──焼殺に使用したと思われるマッチがわざとらしく近くに残されていたことだった。
それは、悪意を持ってリリィを殺したことを示す犯人からのメッセージだと考えていいだろう。
そこから推測するに、犯人の目的として一番可能性が高いのは「リナ・レスティアを精神的に苦しめること」なのではないかと、レスティアに強い恨みを持つ人物が犯人なのではないかとシオンは考えた。もしそうなら、先日の二つの事件とも目的は繋がっている。
そしてそこから、シオンは犯人の候補を絞った。
学園外の人物が造園木や授業中の事件を仕組み、加えてリリィの事を把握した上で研究室にまで侵入するのは困難だと思われる為、学園外の人間は一旦犯人候補から外された。
そして、犯人が学園内の人間だと仮定した場合、授業でしか関わらない生徒があの穏やかなレスティアにそこまで強い恨みを持つとは考え難かった。また、レスティアが授業を行っているのは学園の全生徒。その全てを犯人候補に挙げるのはあまりに人数が多すぎる為、とりあえず生徒は候補から外された。
そこで、数ある可能性の中から、シオンはひとまず学園内の教師に容疑を絞ることにした。
生徒以上にレスティアと個人的に関わっている可能性が高く、教師ならば彼女の研究室に侵入するのも不可能ではないはず──と、シオンは教師の中に犯人がいる可能性が最も高いと考えた。
それから、シオンはすぐさま行動を開始した。
授業終わりや、校舎内で見かけた教師全員にシオンは次々に声を掛けた。
「レスティアの研究室に侵入した人物に心当たりはないか」「レスティアが誰かに恨まれてはいなかったか、些細な事でも心当たりはないか」と。
学園対抗戦での戦いを見ていた影響か、幸いにもシオンのことを適当にあしらうような教師は一人もいなかった。
そして、小さな嘘も見逃さないように、シオンはどの教師にも執拗に問いかけた。
……しかし、すでに八割程の教師から話を聞いたが、どの人物からも犯人の心当たりは聞き出せていなかった。
「──……クソッ」
ドンッ……、と、シオンは苛立ちを滲ませながら廊下の壁に拳を叩きつけた。
それはある日の三限の授業終わりに担当教師から話を聞き終えた後のことだった。
他の教師と同様、犯人の心当たりは聞き出せず、また一人、手掛かりの増えないまま犯人候補が減ったのだった……。
「(早く犯人を見つけないと、次はレスティア先生本人に直接的な危害が加えられる危険も……)」
──事件が起きてから二日間、安全確認とセキュリティー強化の為、準備室及び研究室にはレスティアも立ち入りが出来なかった。そのため、その二日間の植物魔術の授業は休講となり、彼女はその期間は自宅待機をしていた。
事件から三日後、自宅待機が明けて出勤したレスティアにシオンは声を掛けた。
その時、シオンはこう尋ねた。「リリィを生き返らせることは出来ないのか」と。
もし少しでも灰になっていない部分が残っていれば魔術によって種に戻し、記憶は引き継がれなくとも再び新しい命として生まれ変わらせることも出来たが、リリィは根も含めて完全に灰になるまで燃え尽きており、もう生まれ変わらせてあげることすらも出来ないと、レスティアは虚ろな瞳でそう説明した。
そしてそれ以降、シオンはレスティアとはまだ一度も会話をしていない……。
◆
──植物魔術の研究室での事件が起きてから、数日が経過したある日。
二限の授業終わりにシオンが教室を出ると、そこで待っていたかのようにユフィア・クインズロードが廊下で声を掛けてきた。
「……シオン」
「ん……、おう」
「あの……。一緒に、ご飯……。食べよ……?」
「……悪い。……今日も、やめとくわ」
シオンは、ユフィアと目を合わせずにそう言った。
「……うん。分かった。……放課後の特訓は、……どうしよっか?」
「いや……。しばらくは、……出来ない」
「……そう。……うん、分かった。そうしよ」
「……悪いな」
シオンの目元は前髪で隠れ、彼の表情はユフィアには見えない。
「ううん、謝らないで……? ……大丈夫、だから……」
「……じゃあ、もう行くわ」
「あっ……。うん、じゃあね、シオン……」
「……。……ごめん」
去り際に小さく呟いてから歩いて行ったシオンの後ろ姿を、ユフィアは無言で見送った。
「……」
……シオンの背中が見えなくなってから、両目からポロポロと零れる涙をユフィアは手で拭った……。
◆
「──お待たせ、シオン君……」
「おう、アルフォンス。悪いな……。……どうだった?」
ある日の放課後、前もって約束して空き教室でアルフォンス=フリードとシオンは合流した。
「……ごめん、ダメだった」
と、アルフォンスは申し訳なさそうに左右に首を振った。
「僕の家の名前を出してみたけど、捜査状況は教えられないって……」
「……そうか。悪かったな、わざわざ」
「う、ううん! 全然! ただ、力になれなくて、本当にごめん……」
「無茶なお願いをしたのは俺だ。休みの日に街の保安機関まで足を運ばせて……。時間を取らせてすまない」
「いや……。いいんだ、本当に……。……気にしないで」
「今度……。何か埋め合わせるから……。……それじゃあ」
「あ、う、うん……。……。あ、あのさ、シオン君……!」
「……? どうかしたか」
背中を向けたシオンを、アルフォンスは呼び止めた。
「その……、リリィのこと……」
「……」
「……ご、ごめん! やっぱり、なんでもない……! もし、僕に手伝えることがあったら、何でも言って! 本当に、何でも……」
「……ああ。ありがとう、アルフォンス。……それじゃあ」
「うん、それじゃ……」
そう言って空き教室を後にするシオンを、アルフォンスは見送った。
「……──残念だったね、なんて……。そんなこと、僕が軽々しく口に出来る言葉じゃない……。一体君がどれだけ無念か……、痛い程伝わってくるよ、シオン君……」
誰もいない空き教室で一人、アルフォンスはポツリと呟いた……。
◆
……アルフォンスからの情報が得られず仕舞いに終わった日から、二日が過ぎた。
普段シオンが受けていない授業を担当している教師を昼休みに見つけ、シオンはその教師を追って声を掛けた。
しかしその結果は……。
「(──……今の先生で、俺が話を聞いていなかった学園の教師は最後のはず……)」
その教師もまた、他の教師達と同様に犯人に心当たりなどまるでないようだった。
「(犯人は学園の教師じゃなかった……?)」
ギリッと、シオンは額に右手を当てながら歯を噛み締めた……。
次に犯人の候補となるのは学園の生徒だが、現状、レスティアに恨みを持っていそうな生徒を探すにはあまりにヒントが足りていない。
シオンは、改めて犯人候補になりうる立場の人間を考察し直そうとした。
すると、そこで……。
「(……いや、待てよ。まだ、一人いる。話を聞いていない教師が、一人……!)」
まだ話を聞いておらず、そして無意識に犯人候補から外れていた教師のことがシオンの頭に浮かび上がった──。
◆
「──やあ、一之瀬君。近々、来るんじゃないかと思っていたよ」
「……事前のお約束もなく、急に押し掛けて申し訳ございません。──ルドルフ学園長」
シオンは、まだ話を聞いていなかったクロフォード学園の最後の教師であり、学園長でもあるルドルフの元を訪れていた。
「なに、構わないよ。いつでも歓迎するとも。それで今日は、……レスティア先生の研究室の事件について、かね?」
「……! ……はい、そうです」
まだそれについて話す前だったが、自分が教師全員に同じ話を聞いていると予め伝わっていたのだろうとシオンは察した。
「そうか……。燃やされたのは、レスティア先生がとても大切に育てていた植物だったと聞いている……。それに、学園で起きた不法侵入事件、学園長として一日でも早く犯人を捕まえてもらいたいが……。残念ながら私も犯人については全く心当たりがなくてのう……」
「……。学園の内外でレスティア先生と対面する機会があり、恨みを持っている可能性がある人物には、心当たりはありませんか?」
「正直、それも思いつかなくてね……。君もよく知っての通り、彼女は他人から恨みを買うような人間ではないからのう……」
「……」
言葉の真偽を見極めるように、シオンは学園長の表情をじっと見つめた。
「あの穏やかなレスティア先生に恨み、か……。まあ強いて可能性を挙げるならば、異性関係かのう……? 彼女に近づこうとして拒否された者や、想い人がレスティア先生に好意を抱いて失恋した者……、そういったことがあれば、彼女が恨まれることもあるかもしれんが……」
「……」
その可能性については、シオンも考えたことだった。
「ただ、そのようなプライベートな事情は私には分かりかねる領域だからのう……。それこそ、色んな教師から話を聞いた君の方が知っているのではなかろうか」
「……」
ルドルフの言うとおり、シオンはそのことについても既に教師陣から聞き出していた。実際に話を聞いた中で、レスティアに思いを寄せ、過去に交際を断られているような教師もいたが、問い詰めた結果シロだとシオンは判断した。
そして、どうやら今のルドルフの話の内容にも一切の偽りや隠し事はないようだとシオンは悟った。
「……一之瀬君、安心しなさい。今回の捜査、実は王国騎士団の特別捜査員も協力してくれておるのだ。必ず、犯人は見つかるはずだ」
「王国騎士団が……?」
ピクッ、とシオンは反応を見せた。
「うむ。今、王国騎士団の方が一人、臨時教師として来てくれていてのう。その人が『臨時の講師ですが、自分の赴任期間に起きた事件ですので。責任を持って、騎士団も全面的に捜査に協力させていただきます』とね」
「……。そうですか。ちなみに、その人とレスティア先生に面識はありますか?」
「うん……? いや、ないはずだが」
「……そうですか」
シオンは考え込むように軽く顎に手を当てた。
「(王国騎士団からの臨時講師……。到底レスティア先生と接点があるとは思えないが……。念のため、一応タイミングが合えば話を聞いてみるか……)」
そんなことを考えてから、シオンは姿勢を正した。
「……分かりました。お忙しい中、ありがとうございました」
「いや、なに。構わんよ」
ルドルフに向かって深く頭を下げると、シオンはソファから立ち上がって学園長室の出口の方へ向かった。
すると……。
「……。……一之瀬君」
「……? はい」
シオンが出入り口の扉に手を掛けたところで、奥のデスクの方からルドルフが声を掛けてきた。
振り向いたシオンに視線を向けて、ルドルフは口を開いた。
「レスティア先生が……。いつも、君に支えられていると言っていた……。あの心優しいレスティア先生が、君の事を、誰よりも優しい人間だと言っていた……。私に力になれることがあるかは分からないが……。今回の件に関して何か進展あれば、真っ先に君に伝えよう」
「……」
シオンは何も言わず、スッ……と、もう一度ルドルフに向かって深く頭を下げた。
そして、シオンは学園長室を後にした……。
◆
「(──学園の教師が犯人という線は消えた。次に候補として考えられるのは、在籍する生徒の誰か。……あまりにも候補者が多すぎる中で、どうやって絞る? レスティア先生に強い憎しみを持つ生徒……。そんな奴がいるのか? いたとして、どうやって探す? 生徒が犯人なら、幼稚な愉快犯の可能性だって十分考えられる……。動機が不明瞭となれば、犯人を絞る為のヒントなんて全くない……。そもそも、造園木や授業中の事件とリリィを殺した犯人が全くの別人だとしたら……? もし仮にそうだった場合、レスティア先生を恨んでいる人物が犯人だという根拠自体が覆る……。わざわざ証拠になるような物を残したのも、悪意あるメッセージではなく単純に捜査を欺く為に偽の証拠を用意しただけの可能性も……。そうなってくると改めて、アルラーネの存在自体が不都合な人物みたいに……、学園外の人間の犯行の可能性も視野に入れる必要が出てくる……。……レスティア先生が学園の外で会っている人物、過去に会ったことがある人物、一方的にレスティア先生のことを知っているだけの人物……、一から考え直すとしたら、他にあり得る可能性なんてあまりにも多すぎる……。いや、諦めるな。思考を放棄するな。絶対に、犯人を見つけ出す……。ひとまずは、容疑者を生徒に絞る……。……別に、やろうと思えば……。……時間は掛かるが、教師にやった問答を生徒全員にだって……)」
シオンがそんなことを考えながら校舎内の廊下を歩いていると、その足は無意識に植物魔術準備室の近くに来ていた。
「……。……リリィ」
と、準備室の扉を見ながらシオンは小さく呟いた。
今でも、リリィの事を思い出せばすぐにあの可愛らしい声が聞こえてくるようだった。
そんな時……。
「──あんた、こんな所でなにしてんのよ?」
立ち尽くすシオンに声を掛ける人物が現れた。
「……エリザか。……別に、何も」
「ふんっ、そう。……あんた、すごい顔してるわよ」
「……そうか。……そうかもな」
「(……。……な、なんだか調子狂うわね……)」
普段とはまるで様子の違うシオンを見て、エリザは気まずそうにポリポリと首元を掻いた。
「……お前は、これから自主トレか?」
戦闘服を着ているエリザに対して、シオンは問いかけた。
「……え、ええ、そうよ」
「Aクラスの教室も、女子寮もこっから遠いだろ。なんでわざわざこんな所に?」
「この近くの訓練場は割と空いてるのよ」
「……! この近くの訓練場を、よく使っているのか?」
「な、なによ急に……? ええ、まあ、ここ一か月くらいはそうよ」
突然鋭い眼差しを向けてきたシオンに対して、エリザは少し驚いているようだった。
「一か月……。トレーニングが終わってから、夜遅い時間にも、ここを通ったりしているか?」
「夜……? まあ、たまに十二時を過ぎるまでトレーニングをしてから戻ることもるから、そうね。……って、それがどうしたのよ?」
「二週間前、ここで不法侵入事件があった日を覚えているか? その日はどうだった? 夜にここを通ったか?」
「あー、確か朝のHRで先生が話していた日があったわね……。その前の日の夜ってことは……。ああ、その日も夜にここを通ったわよ」
「……‼ じゃあ、そのときに人を見かけたり、何か変わったことはなかったか⁉ それ以前に、この辺で不審な人間を見なかったか⁉」
「きゃっ……⁉ ちょ、ちょっと……⁉」
ガシッと両肩を掴んで来たシオンに対して、エリザはかなり動揺しているようだった。
しかし、シオンの真剣な眼差しを見て、エリザはそれを振り払うことはしなかった。
「み、見てないわっ」
「些細な事でも良いんだ……‼ なにか思い出せないか……?」
「……~~ッ‼ うーん、そう言われても……。……。……ダメね、特に変わったことはなかったと思うわ……」
エリザは眉間に皺を寄せながら記憶を深く掘り起こしているようだったが、少し残念そうな顔でそう言った。
「……そうか。分かった……。すまない……」
「ふ、ふんっ! ……別にいいわよ」
肩を落としながら弱々しく手を離したシオンに対して、エリザはどこか気遣っているような口調でそう言った。
「……トレーニング、頑張れよ。……じゃあな」
「あ、ちょ、ちょっと……!」
スッと踵を返して歩き出したシオンをエリザは引き止めた。
「あんたが、その犯人? を探してるなら、もし手がかりを見つけたら、教えてあげるわ……! それと、もし何か助けが必要なら、わ、私に声を掛けなさい……。気が向けば、手を貸してあげるわ……」
いつも会えば悪態ばかりついている相手に対して恥ずかしさがあるのか、エリザは最後はそっぽを向きながら耳を赤くしてそう言った。
「……そうか。ありがとう、エリザ。じゃあ、もしも何かあったときは頼む」
シオンの口元は薄く笑っているようだったが、その目元は前髪で隠れてエリザには見えなかった。
「……。大丈夫かしら、あいつ……」
廊下を歩いていくシオンの後ろ姿を、エリザはどこか心配そうに見送った。
そして……。
今回の事件で不法侵入した犯人とされる人物が逮捕されたのは、その翌日のことだった──。




