【二章】4. 意気消沈
……二限の授業終了後、昼休憩の時間。
「はぁ……。憂鬱だ……」
深い溜息を吐きながら、学園内の廊下を落ち込んだ様子でトボトボと歩く学生が一人。
彼の名前はアルフォンス=フリード。二年Aクラス所属の生徒だ。
彼は前日、王国騎士団のユリウス・リードベルクとの模擬試合に負けた。
それも、全力を出したうえで相手には一切のダメージを負わせることも出来ず、圧倒的な力量差を見せつけられる完全敗北だった。
デモンストレーションのような模擬試合だったとは言え、格の違いが明らかになったことは否定のしようがない。
その話は既に学園中に広まっているのだろう、道行くアルフォンスを見かけた生徒たちが何やらヒソヒソと話す様子が伺えた。
今更周りの生徒達からどう思われようと気にするアルフォンスではなかったが、唯一気掛かりなのが「とある友人を失望させているのではないか」ということ。
アルフォンスにとっては、この世で最も敬愛しているその男から失望の目を向けられてしまうのが何より恐ろしかった。
昨日の一戦を受けて、もし万が一その人物から失望の言葉を向けられでもしたら卒倒してしまうだろうとアルフォンスは悲観していた。
いつも通り気にしない様子で接してくれるのか、気まずそうな顔をさせてしまうのか、失望の眼差しを向けられてしまうのか……。
どうか普段通りであって欲しいと願いながらも、同時に悪い可能性も考えてしまいつい足取りが重くなってしまうアルフォンス。
そうこう考えを巡らせている内に、アルフォンスはその人物と待ち合わせ場所である学園内の食堂にたどり着いた。
……すると、辿り着いた食堂の前でアルフォンスはその人物とばったり出くわすこととなった。
「!!」
向こうもアルフォンスに気が付いたようで、目が合う二人。
食堂内で合流することになると思っていたアルフォンスは、想定外な早めの遭遇に明らかに動揺した表情を浮かべた。
視線を左右に泳がせながら引きつった笑顔を浮かべるアルフォンス。
額に冷や汗を浮かべながら、上ずった声でアルフォンスから先に声を掛けた。
「や、やあシオン君。偶然だねぇ~(お願い失望しないでいて昨日のことに触れないで失望しないでいて──)」
「おお、アルフォンス=惨敗フリードじゃねーか。随分とコテンパンにやられたらしいな。お前は恥ってもんを知らねーのか」
「」
バターン!とアルフォンは勢い良く卒倒した。
その場で仰向けになるように倒れ込んだアルフォンスは、白目を剝きながらブクブクと泡を吹いて痙攣した。
「……」
その様子を、声を掛けた主──一之瀬シオンは真顔で眺めている。
「はぁはぁはぁはぁはぁ……っ」
そんなアルフォンスの後方……。
同じように、心ここにあらずといった様子でアルフォンスのやや後ろを歩いていたユフィア・クインズロードは、たった今の出来事を目の当たりにして過呼吸に近いほど息を乱していた。
その顔は完全に青ざめ、体の芯からの恐怖で全身をガタガタと震わせながら、ダクダクと冷や汗を流している。
ユフィアは「次は自分の番だ」と完全に悟っている様子だった。
そんなユフィアと目が合い、シオンはフッ……っと微笑んだ。
「よう、ユフィア」
「(ほっ……)」
「 ユフィア・クインズ過大評価 」
「ひんぅ」
か細い鳴き声を上げると、ユフィアは白目を剥きながら膝から崩れ落ちた。それはまるで肉体が崩壊するような様だった。
そして、彼女はそのままドシャっと顔面から床に倒れ込んだ。
優しい笑顔を浮かべるシオンを見て「自分は標的ではない」と安心したユフィアだったが、やはり彼女に対しても容赦はないようだった。
彼女もまた、卒倒した状態でガタガタと痙攣している。
残酷な現実に精神が耐え切れず、強制的に意識がシャットアウトされたようだった。
廊下に倒れ込んで痙攣しているS級二人の様子を、シオンは無言で眺める。
「……ふむ、これで良いのか?」
「良いわけないでしょ……」
シオンが視線を横に向けると、通路の曲がり角の陰から赤髪の女子生徒エリザ・ローレッドが姿を現した。
頭痛を堪える様に片手で額を押さえながらシオンに近づいてきたエリザは、無様に転がるS級二人に目を向けた。
「……あんたね、加減ってもんを知らないの?」
「この二人に発破掛けてやれって、お前が言ったんじゃねぇか。学園ツートップの辛気臭い顔は見てられないって」
「発破掛けるの意味分かってんの?追い打ちでトドメ刺す奴がどこにいんのよ。見なさいよこれ、大惨事じゃないの」
そう言われ、地面に倒れ込んでガタガタと痙攣している二人に目を向けるシオン。
「ああ、見るに堪えないな」
「あんたに任せた私が愚かだったわ……。全く、こんなのより序列が低い自分が本気で情けないわ……」
そういうと、エリザは倒れている二人をほったらかしにしたまま食堂の入り口へ向かった。
「おい、待てよエリザ。……どうすんだよこれ、半分はお前の責任だぞ」
「知らないわよ、あんたがどうにかしなさい……。はぁ……」
「信じられん。なんて無責任な女だ……」
溜息を吐きながら振り向きもせず食堂に入っていたエリザを、シオンは愕然とした様子で見送った。
「(……まずい、このままじゃとんでもなく悪目立ちする……っ。こんな目立ち方はマジで嫌だ……!)」
未だ地に伏している二人に目を向けながら、シオンは内心で焦るのだった……。
◆
「……な、なあ二人とも。俺が悪かったってマジで、言い過ぎたよ」
エリザが立ち去ってから、シオンはどうにか二人を正気に戻して食堂に入場した。
カウンターで料理を受け取ったあと、あまり好奇の目に晒されないように二階の最奥の角の席にユフィアを座らせ、その隣にシオンが座り、シオンの正面にアルファンスが座った。
そのまま食事を始める三人だったが、未だにユフィアとアルフォンスからはカビでも生えそうな程どんよりとした空気が漂っている。
「いや……。シオン君に言われたのは、もう別に気にしてないよ……。……むしろ、あれだけバッサリ言って貰えたお陰で気が楽になったよ、ありがとう……。でも、昨日の試合を思い出したら……どうしても、ね……」
と、アルフォンスはげんなりした表情で深くため息を吐いた。
アルフォンスは昨日の試合、対抗戦のときと同様に模擬剣を使用して最も得意なスタイルでの戦いで敗れた。
それも、金色の光と共に竜族の力を引き出す「金龍の炎纏」を使用した上で。
アルフォンスにとっては、シオンの協力のお陰で習得した「金龍の炎纏」はある種の友情の証。それを使用したにも関わらず一矢報いることも出来ずに負けてしまったのが何よりも悔しかったのだ。
「はぁ……」と、アルフォンスは再び溜息を吐いた。
「……」
シオンが隣に視線を向けると、そこにはポークビーンズの小さな豆をスプーンで一粒ずつ口に運んでは「もぐもぐ……」と力なく咀嚼するユフィアの姿が。
アルフォンスは廊下で正気に戻ったあとはどうにか自力で歩いて来たが、ユフィアはそのまま魂が抜けているような有様だったため、シオンに腰の辺りを抱えられて半ば運搬されるようにここまで来た。
席についた現在も身体が縮こまり、しょぼーんとした雰囲気が漂っている。
そんな二人の様子を見かねたようにシオンは声を掛けた。
「……なぁ。お前ら、何をそんなに落ち込むことがあるんだ?相手は国内最強の王国騎士だろ?年齢もそうだし、経験だって段違いなんだから、今の時点で負けるのなんて気にしたって仕方ないじゃねーか」
「負けん気があるのは良いことだけどよ」と、シオンはムシャムシャとポークソテーを頬張った。
「まあ、それは君の言う通りなんだけどさ……。そうは言っても、あまりにもさ……」
そう言いながら、アルフォンスはどよーんとしながら肩を落とした。
「……もぐ……もぐ」
「(これは重症だな……)」
完全に魂が抜け、無言で豆をもぐもぐするだけの存在になり果てたユフィアを見て、どうやら彼女の方がアルフォンスよりも深刻そうだとシオンは感じた。
それもそのはず、ユフィア・クインズロードにとっては魔術の火力勝負で正面から負けたことなど生涯で一度もなかったのだから。
十分に魔法陣を展開する時間もあり、正真正銘の全力を出した魔力のぶつけ合いで初めて敗北したという現実は誰よりもショックが大きいだろう。
さらに言えば、彼女が強い魔術師であろうとする理由は「いずれ誰よりも偉大な存在になるシオンと対等でありたいから」というもの。
誰よりも優れた魔術師でなければシオンの隣にいる資格はない──彼女にとっては〝魔術の才能〟だけが自分がシオンの傍に居続けるための許可証も同然だった。
それ故に、格上が相手とはいえ昨日のような負け方をしていては「自分はこの先の未来でシオンの傍にいる資格がない」と彼女が思いつめてしまうのも仕方なかった。
その現実がユフィアにとってどれだけ絶望的か、シオンに測る術はない。
「……言っとくけどなぁ、お前ら」
と、シオンは呆れたように口を開いた。
「世の中には千人の観衆の前で屁ぇぶっかけられて悲惨な負けっぷりを晒しても気丈に振舞ってる女だっているんだぞ。格上に力負けしたくらいで凹んでたら、その女に申し訳ないと思──ン゛ッ」
ザクっ!と、どこからか飛んで来たフォークがシオンの額のやや上の頭部に突き刺さった。
「……あれ?シオン君、なんか頭からフォーク生えてない……?」
「……知らんのか、アルフォンス。これは最近トレンドのオシャレだ。カブトムシみたいでカッコイイだろ」
「そうかな……?そうかも……?ははは……」
アルフォンスは力なく苦笑いを浮かべた。
「フォークは刺さっても、ジョークは刺さらないってか。くくく」
シオンは頭に刺さったフォークをズボっと引き抜いた。
「……はぁ」
「……もぐもぐ」
「……」
反応のない二人を前に、シオンはクシャっと渋い顔を浮かべた。
しばらくして、「やれやれ」と呟くとシオンは二人に声を掛けた。
「お前ら、明日の放課後空けておけ」
「……?それは良いけど、どうしたの?」
「ネガティブな気持ちが切り替わるような──面白いもん見せてやる。……ユフィアも、良いな?」
「……うん」
ずっと無言だったユフィアも、コクリと頷いた。
「……よし。じゃあユフィアお前、もっとペース上げて食え。そんなんじゃ日が暮れるぞ。……ほら、あーんしろ」
そういうと、シオンはスプーンでユフィアのポークビーンズを掬って彼女の口元に運んだ。
されるがままに、ユフィアはしょぼーんとした顔をしながらも運ばれてきた食べ物を頬張り、もぐもぐと咀嚼するのだった……。




