【二章】3. 〝アルラーネ〟のリリィ
「──……っていうのが、俺とレスティア先生が初めて出会った日の話だ」
「うわー!素敵なお話っ!リナもシオンも、ずっと変わらず優しいんだねーっ」
「俺を先生と並べるなよ。あの人は別格だ。聖人と呼ばれるべき人物だ」
「シオンもとっても優しいじゃない! リリィと沢山お話してくれるしっ」
「優しいの基準がガバガバ過ぎる」
「でも、リナも本当に優しいもんねー。リリィ、リナのあったかい光が大好き!」
「そういえば、リリィは見えるんじゃなくて、光とか熱を感じ取るんだったな」
「そうだよー。見えるって感覚はリリィには分からないけど!」
「それもそうか」
「へへへー」
クロフォード学園の植物学準備室。
室内の窓際で椅子に座るシオンに近くには一つの植木鉢と、そこに咲く一輪の花。
その花は中央の花柱から花弁にかけてピンクから白に変化するようなグラデーションを描いた鮮やかな花びらを持ち、やや太めの茎の根本には数枚の大きな葉、根本と花びらの中間あたりにも二枚の丸みを帯びた葉が生えている。
そして、花の周りを纏うように伸びている純白の細い蔓はどこか神秘的な雰囲気を醸していた。
一見すると誰もいない室内で独り言を喋っているようなシオンだったが、彼はその花と会話をしていたのだった。
花が楽しそうに喋るのに合わせて、全長25センチメートルほどの全身がわさわさと動いている。
花の名前はリリィ。シオンの担任教師、リナ・レスティアが付けた名前だ。
リリィは植物でありながら特殊な構造の声帯器官を持ち、花びらの付け根を覆う萼の内側を振動させ、花びらで振動を周囲に拡散することで声を発している。
その声はまるで人間の少女のような可愛らしいものだった。
そのように世にも珍しい植物のリリィは、太古の時代に〝アルラーネ〟と呼ばれていた種類の植物である。
アルラーネは植物でありながら歌を歌い人と同じ言葉を話し、その純白の蔓に生る実は〝万病の治療薬〟の原料であったとされている。
千年以上前には既に絶滅したと言われていた種だが、化石として現存していたアルラーネが一度種に戻って再び発芽することで現代に蘇ったのがリリィであった。
クロフォード魔術学園の植物魔術の専攻の者達にとってアルラーネの発芽は悲願の一つであり、常に発芽の為の研究を他の研究と平行しながら進めてきた。
そしてその果てに、現在の植物魔術担当者であるリナ・レスティアこそがアルラーネの化石から種に変質させ、発芽させることに成功した第一人者となった。
シオンはそのレスティアから「もし良ければ、たまにリリィの話し相手になって欲しい」と頼まれ、植物学準備室に行く用事があればその都度時間を作ってリリィとの会話を楽しんでいたのだった。
現在は発芽から一か月半程だが、リリィは驚くべき速度で言葉を学習した。
そして、今日でリリィとシオンが初めて会った日から三週間ほどが経過している。
その間、まだまだ世界のことを知らないリリィの希望に合わせて、シオンは学園のことや外の世界のこと、魔術のこと、他愛もない日常の話などを聞かせてきた。
今日も同じように、レスティアの手伝いで植物学準備室を訪れたシオンは、レスティアが職員会議で席を外しているあいだにリリィと会話をして過ごした。
今回はリリィのリクエストに応え、シオンは自身とリナ・レスティアが二年前に初めて出会った日のことを語ったのだった。
「本当に、リナは素敵な力を持ってるんだねー。色んなの人たちの支えになれるのって、いいなー。リリィも、そういう風になれたら良いのになー」
「なれるよ、……リリィなら。リリィはこれから沢山の人たちの助けになれる」
「え、そうなの⁉ リリィ、ただの喋る花だよ⁉」
「喋る花を〝ただの〟とは言わないけどな。……でも、リリィが特別なのはそれだけじゃない。リリィがもう少し成長して実がなれば、先生がその実から沢山の人を助ける薬を作ってくれるはずだ」
「くすり?」
「万病の治療薬っていう、とんでもなく凄い薬だ。飲めばどんな病気でも治療出来て、現存しているものはオークションなんかで何百億ゼニーの値が付くらしい」
「そんな薬が、リリィの実から作れるの?」
「多分、な。最後に作られていたのは千年以上も前だから断言は出来ないけど、でもきっと先生が成功させるはずだ。……特別な花のリリィと、特別な才能がある先生が協力して世界中の人の手助けになる薬を作るんだって、俺は信じてる」
「リリィ、そんなに特別な花だったんだ⁉」
「ああ、結構洒落にならないレベルで凄い存在なんだぞ、リリィは」
「ええー⁉リナもシオンも、今まで全然そんな風に接してくれなかったから分からなかったよー‼」
「特別な花かどうかなんて、俺には関係ないからな。特別だろうとそうじゃなかろうと、俺にとってリリィが友達なことには変わりはないから」
「ううー!ううー!シオンが嬉しいこと言ってるー!嬉しいよー‼シオン大好きー‼」
「先生だってきっと同じだ。リリィがどんな花でも、家族みたいに大切に思ってるのはきっと変わらないよ」
「うわー‼リナも大好きー‼」
「だから……。……もしもリリィが実を取られるのが嫌だったら、きっと先生は無理には取らないから安心しときな」
「全然嫌じゃないよー! リナがリリィの実からお薬を作ってくれるなら、いくらでもあげちゃうよー!」
「……そっか」
「そうだよー!へへへー」
優しく微笑むシオンと、その温もりを感じて嬉しそうにするリリィ。
しばらく二名は楽しくお喋りを続けていたが……次第にリリィの声がふわふわと間延びし始めた。
「……シオンがぁ……、病気にー、なっちゃたらー……、リリィの実でぇ……」
こくりこくりと、まるでうたた寝するようにリリィの花の部分が上下に揺れる。
「リリィはおねむの時間か」
「ぇー……、まだ、寝ない、よぉ……。もっと、シオンと……おはなし……スヤァ」
完全にこと切れたように、リリィの花の部分は力なく垂れ下がった。
すぴー、すぴー、と、まるで人間のような可愛らしい寝息を立てている。
「やれやれ、いっぱい寝て大きくなれよ」
と、シオンはリリィに横目を向けた。
◆
放課後にシオンがレスティアと出会った日のことをリリィに話していた頃。
同時刻、魔術学園の会議室にて教員達の定例会議が行われていた。
先日の定期試験の結果を踏まえた要改善項目の補習スケジュールの提案や、対抗戦後から騎士学園の学園全体の熱量が上がっているという情報を受けて「魔術学園の生徒たちも決して慢心はしないように」という注意喚起、他の魔術学園で試験的に行われているカリキュラムなどについて、といった内容の話し合いが行われた。
……内容自体は普段の定例会議と同じようなものであったが、その日の会議室は異様な空気が漂っていた。
普段はコの字型のテーブルの並びに教員達が座り、全体を見渡すようにコの字の空いている外周中央部分には学園長のみが着席する並びで会議を行っている。
しかし、この日は普段存在しない学園長の隣の席に座る人物が一人。その人物の存在感によって、教員達は非日常的な緊張感に包まれていた。
「では最後に、ここにいる彼について」と、学園長が口を開いた。
会議の冒頭で軽く紹介があったのみで、その人物については会議中に一切触れらることがなかったが、最後にこの日の会議の本題として取り扱われることとなった。
学園長が教員達に語ったのは二か月ほど前に起きたドラゴンの学園襲撃事件と、その事件を受けて国が武力強化に注力しているということ。
そして、先日の騎士学園との対抗戦から国は魔術師たちの更なる戦闘力の向上に期待し、国を挙げて魔術学生たちの実戦訓練カリキュラムの大幅改善を行うことになったということ。
「──そこで今回、王国騎士団から臨時の特別講師を招いて半年ほど実戦訓練の監修を行って頂くことになった。説明せずとも知っているだろうが、王国一の剣士でありながら国内最高峰の魔術のエキスパートでもある魔導剣士……。実戦訓練の監修において、彼以上の適任者はいないだろう」
そういうと、学園長は隣に座る人物──ブルーがかった金髪の男性に自己紹介を促した。
すると、その人物は笑顔で頷くと立ち上がって正面に顔を向けた。
「初めまして。王国騎士団一番隊隊長、ユリウス・リードベルクです。歳は二十九です。改めて、本日から半年間よろしくお願いいたします」
程よく切り整えられた頭髪。
そのブルーがかった金髪は色白でまつ毛の長い美しい顔立ちを引き立て、まるで貴族や王子のような煌びやかな雰囲気を醸し出している。
しかし、笑顔でありながら右目を覆う眼帯とただの優男とは思えない鋭い眼光は、一流の魔術師である教員達を委縮させるだけのオーラを放っていた……。
………………
…………
……
「──では、本日の会議はこれにて終了とする」
この日の会議の振り返りとまとめが行われたあと、学園長によって定例会議の終了が告げられた。
この場で全教員ひとり一人に自己紹介させるのは無駄に時間を取らせてしまうと配慮し、学園長は普段実戦訓練の授業を担当している教員だけを会議終了後に呼び寄せ、ユリウスとの挨拶の時間を設けた。
呼び出された教員達はリスペクトと委縮が混じった様子で王国最強の騎士に挨拶を行い、それぞれが経歴や得意な属性の魔術について自己紹介などを行った。
明るく社交的な様子で教員達や学園長と談笑していたユリウスだったが、……ふと会議室内に視線をやったときに一瞬様子が変わった。
「──!」
「……?ユリウスさん、どうかしたかね?」
まるで思いもよらぬものが見えたかのような様子で目を見開いたユリウスに対して、学園長は不思議そうに尋ねた。
「ああ、いえ……。学園長、あの髪の長い若い女性はどなたでしょうか?」
学園長がユリウスの向けている視線の先を追うと、そこにいたのは植物魔術専門の教師リナ・レスティアだった。
コの字の並びのテーブルの右角の辺り、八メートルほど離れた位置のテーブルで彼女は手元のメモにペンを走らせている。
「ああ、彼女は植物魔術を担当しているリナ・レスティア先生だ。彼女がどうかしたかね?」
「リナ・レスティア……。それが、彼女の名前ですか?」
「ああ、そうだが」
「リナ、レスティア……」
「……?」
学園長を含め、周囲の教員達も不思議そうな表情を浮かべながら顔を見合わせていたが、ユリウスは「ああ、失礼……」と顔を伏せながら顔を左右に振った。
「……とても綺麗な女性だったので、少し面を食らってしまいました」
と、ユリウスは少し恥ずかしそうに視線を下げた。
すると周りの教師達は「ああ、なるほど。うんうん、分かりますとも」と大変納得したように深く頷いた。
「……」
学園長だけはユリウスの態度がわずかに気にかかっていた様子だったが、ユリウスと教師達は再び談笑を再開し何事もなかったかのように時が過ぎるのだった。
……そして、そんなユリウス達から八メートルほど離れた位置のテーブルにて。
「噂には聞いてたけど、本当に絶世の美丈夫ね……」
「あれで国内で一番強い騎士だなんて、信じられないわ……。どうにかこの機会にお近づきになれないかしら」
そんな会話をしながらユリウス・リードベルクを眺める二人の女性教員たち。
そして、その隣に座るリナ・レスティアはクラスでのホームルーム用に会議の内容をせっせとメモにまとめていた。
「……ふん、ふん。……よしっ」
自分が書いたメモを見返して不備が無いことを確認すると、レスティアはペンとメモをポケットにしまって席を立った。
「それでは、私はお先に失礼しますっ」
そういうと、レスティアは隣に座る二人の女性教師にぺこぺこと頭を下げた。
「あら、レスティア先生、ユリウスさんに挨拶していかないの?超イケメン騎士様とお近づきになれるチャンスよー?」
「え?」
今帰っちゃ勿体ないわよ、という女性教員に対してレスティアは一瞬ぽかんとした顔を浮かべた。
まるでそんなこと考えてもなかったといった様子で考えを巡らせると、彼女は返答を口にした。
「……そうですね。専門分野的に、私は多分あの人がいる期間中に関わることはないでしょうから……。それに、今押し掛けてくる人が増えても大変そうじゃないですかっ」
そのようにユリウスに対して気遣うように答えると、「あと、生徒も待たせてるので早く戻らなくちゃいけないんです」と、へへへとレスティアは何故か嬉しそうに微笑んだ。
「あら、そう……?(なんか、惚気てる……?)」
「はい、では、お先に……っ」
「ええ、それじゃあ」
ぺこぺこと頭を下げて会議室の出入り口に向かったレスティアを、「相変わらず、彼女はちょっと変わってるわね」と二人の女性教員は見送った。
そんな二人の視線を受けながら、会議室を出る際に室内に向かって一礼するレスティア。
……すると、顔を上げた際に奥にいたユリウスと視線が合った。
「……」
「(……?)」
やけに意識的に向けられていたようなその視線を不思議に思いながらも、レスティアはもう一度会釈をして会議室を後にするのだった。
◆
………………
…………
……
──教員達の定例会議が行われた、翌日。
二年Aクラスの生徒たちは普段は実技の授業が行われている第一演習ルームに集められていた。
そこで生徒たちが目にしたものは、寒気がするほどの信じがたい光景……。
Aクラスの生徒達は日常的に〝異次元の才能〟を目の当たりにしている。
それは言わずもがな、二人のS級の生徒であるユフィア・クインズロードとアルフォンス=フリードだ。
同学年の中でも傑出した才能の集まりであるAクラスの中で、一流の魔術師候補達の心をへし折るほどの規格外の才覚。
騎士学園との対抗戦でも見せつけられた、同じ人間とは到底思えない圧倒的な力を持つS級の二人の生徒。
人智を超えた、まるで災害のような規模の破壊力を彼らは嫌というほど見てきた。
Aクラスの生徒達は、この世界に二人に並ぶ魔術師がいるなど想像にも及ばないほどその実力を思い知っている。
しかしこの日、そんな二年Aクラスの生徒達が目撃したのは、……そのS級の二人が惨敗する姿だった。
第一演習ルームで行われたのは、騎士学園との対抗戦で行われたものと同形式の模擬試合。
それぞれの魔力に合わせた耐久値の設定された戦闘服を着用し、耐久値を先に削りきることで勝敗を分かつ戦闘。
その形式の試合において、ユフィア・クインズロードとアルフォンス=フリードの二人は同じ人物と順番に戦い、二人はそれぞれ手も足も出せないような惨敗を喫することとなった。
「……ッ」
満身創痍といった様子で息を切らしながら汗を浮かべるユフィア・クインズロードなど、この二年間で一度も観たこともなければ、この先でも永遠に観ることはないだろうと誰もが思っていた。
学年で三番目の実力者であるエリザ・ローレッドを含め、Aクラスの生徒達は言葉を失い、その表情は凍り付いていた。
二人の全力を真正面から打ち返し、圧倒的な力の差を見せつけた男は改めて生徒達に自己紹介を行った。
「──ユフィアさん、アルフォンス君、無理なお願いをして悪かったね。二人とも協力してくれて有難う。……ということで、これから半年間君達の授業を監修するために来ましたユリウス・リードベルクです。どうぞ、よろしく」
疲労困憊の二人と対照的に、余裕の笑顔を浮かべながらユリウスは生徒達に挨拶をするのだった。
「……っ」
愛嬌よく笑顔を浮かべるユリウスに対して、生徒たちは戦慄した表情を向けることしか出来ない。
……こうして、二年Aクラスの生徒たちはまざまざと見せつけられることとなった。
ギルバート王国騎士団一番隊隊長ユリウス・リードベルク──王国内で唯一人〝SS級〟の称号を持つ男の、その実力を。




