【二章】2. 入学試験前日
──……二年前。
一之瀬シオンが、まだ地元のテレンス魔術学校の中等部三年生だった頃。
魔術学校の最終学年である三年生として過ごす時間も残り少なくなってきたある日、彼は王国西部の街ラガティアを訪れていた。
地元の王国北部の街から離れたラガティアまでやってきた理由は、クロフォード魔術学園の入学試験を受験するためだった。
試験前日に現地に到着したシオンは、ラガティアの宿屋で一泊してから翌日の試験に臨むことになる。
クロフォード魔術学園は近隣の国々を含めても優秀な魔術学園の一つだが、AクラスからDクラスまでを受け入れる大型の学園の為、入学試験に合格するだけであれば最低限の学力と実技能力さえあれば問題はない。
そのため、シオンは筆記試験の勉強や実技のシミュレーションなどをせかせかと行うことよりも先に、翌日の試験会場であるクロフォード魔術学園までの道順の確認を行うことにした。
宿屋に着いたシオンは持ってきた荷物を部屋に置くと、さっそく地図を取り出して部屋を出た。
「お客さん、お出かけかい?」
「ええ、魔術学園の方まで」
「そうかいっ。雨降りそうだから、そこの傘持っていきな」
「ああ、すみません。ありがとうございます」
宿屋を出る直前、そのように宿屋の主人に言われたシオンは素直に厚意に甘え、玄関に数本置いてあった傘の内の一本を借りて外へ出た。
曇り空の下、地図の道順と実際の景色を確認しながらシオンは魔術学園までの道のりを歩いた。
「ここが、クロフォード魔術学園か……」
およそニ十分ほど歩いた先で、クロフォード魔術学園の校舎がシオンの目に入った。
校舎は頑強な城のような建造物であり、堅牢さと歴史が肌に伝わるような立派な造りだった。
「くっくっく……。この学園に来年から通うのか……。悪くないな……!」
まだ入学試験前であるにも関わらず、シオンはさっそく目の前の校舎に通う一年後の自分の姿を想像していた。
知り合いの多い現在のテレンス魔術学校とは異なり、新しい学園では自分を知る人物はユフィアを除けば恐らく皆無。
まるで実力を隠すように平凡を装い、周囲から「謎の実力者」として恐れられながらクールに学園生活を送る自分の姿を妄想して、シオンはニチャァッとした笑みを浮かべるのだった……。
「くくく……。──……さて、……雨も降ってきたし帰るか」
ひとしきり妄想に耽ったあと、シオンは宿屋で借りた傘をさして来た道を引き返した。
◆
強まったり弱まったりを繰り返す雨の中、宿屋のある街ラガティアまで引き返す道をシオンはニ十分ほど歩いた。
「(……宿に戻る前に、飯食べて行くか)」
そのように決めたシオンは、ラガティアの街並みを見渡しながら飲食店を探した。
ぶらぶらと歩きながらラガティアの中でも繁華街と思われる通りに着くと、雨の中でもせわしなく行きかう人達で通りは溢れていた。
「‼」
傘をさして歩きながら道沿いの店を眺めていると、一件の服屋の前でシオンは足を止めた。
「(──か、かっけぇ‼)」
服屋のショーケースの中に展示されていたのは、細身なシルエットのレザー製の黒いロングコートだった。
そのシオン好みのビジュアルに思わず彼は釘付けになっていた。
「(ほ、欲しい……!買っていこうか……。いや、荷物がかさばるか……)」
ギリギリの理性で帰りの荷物の邪魔になると判断したシオンは、大変惜しみながら服屋の前を通り過ぎるのだった……。
「?」
シオンが混雑している通りの中を歩いていると、数メートル先の人混みが何かを避けながら歩いているのが目に映った。
「!」
そのまま進んで近づくと、どうやら荷物を地面に落とした老婆が雨に濡れながら地面に散らばる沢山の果物を拾っているようだった。
「大丈夫ですか?」
「お婆さん、大丈夫ですかッ⁉」
「「!」」
シオンが屈みながら老婆に近づくと同時に、一人の若い女性も近寄って屈んできた。
長い亜麻色をした、非常に整った顔立ちの女性だった。
一瞬目の合った二人だったが、二人ともすぐに老婆に向かって声をかけた。
「手伝いますよ」
「あ、わ、私も手伝いますっ!」
「!……ごめんなさいねぇ。ありがとうねぇ」
老婆は申し訳なさそうにしながら二人に頭を下げた。
シオンと若い女性は持っていた傘を地面に置き、三人とも濡れながら石畳の地面に転がる果物を拾った。
若い女性はロングスカートの一部で、シオンは自分のズボンで、それぞれ汚れた果物を拭きながら老婆の手提げ籠に入れていく。
「あっ、ああ、ごめんなさい、そこまでしなくても……」
「えへへ!全然!大丈夫ですよっ」
「ええ、気にしないでください」
老婆がぺこぺこと頭を下げるなか、数十秒で三人は落ちた果物をあらかた拾い終えた。
「ああ、これはもうダメね……」
悲しそうにそう呟いた老婆の視線の先には、行きかう人に踏まれてしまったであろう潰れたオレンジが落ちていた。
「大丈夫ですよ!」
「!」
「えっ?」
そう言うと、若い女性は潰れたオレンジを拾い上げた。
「植物再生」
そのまま女性が詠唱を行うと、手元のオレンジは鮮やかなライトグリーンの光に覆われた。
すると、ひしゃげていたオレンジは元の形に復元され、老婆が購入したときよりも鮮度の高い状態へと変貌した。
「まぁ……!あなた、魔術師さんかいっ。素敵だねぇ。本当にありがとうねぇ」
目を見開き感動した様子の老婆は、目元に涙を浮かべながら嬉しそうに微笑んだ。
「今日は孫の十歳の誕生日でねぇ。フルーツケーキが大好きだから、帰ったらとびきりのケーキを作ってあげるのよ……。お二人さん、本当にありがとうねぇ」
老婆はペコペコと頭を下げた。
「いえ、気にしないでください」
「いいんですよ!お孫さん、喜んでくれると良いですねっ!」
シオンと優しい笑顔を浮かべる女性に対して繰り返しお礼を言うと、老婆はそのまま雨の中を歩きだした。
どうやら、雨具の類は持っていないようだった。
それを見ていたシオンは自分の傘を老婆に譲ろうとしたが、ふと動きを止めて手元の傘に目を向けた。
「(……しまった、これ借り物だ)」
その手に持つ傘が宿屋の借り物であることを思い出したシオンが逡巡していると、そのあいだに若い女性が老婆を引き留めた。
「おばあさん、待ってくださいっ!」
「……?どうしたんだい?」
「えと、ちょっと待ってて下さいね……っ」
不思議そうな顔を浮かべる老婆の前で、女性は自分の小さなバッグから何かを取り出しそれを手の平の上で広げた。
女性がバッグから取り出したのは、小さな種のようなものだった。
「植物成長/形成」
「!」
女性がそのように詠唱を行うと、シュルルルッと二本の植物の蔓が螺旋を描くように絡み合いながら種から伸び、真っすぐな棒のようになった先で更に八本の蔓に分かれて内側に弧を描くように伸びると、それぞれの蔓の間を繋ぐように新緑の葉が広がった。
「これ、よかったら使って下さい!」
そう言った女性の手元では、ライトグリーンの植物製の傘が出来上がっていた。
「おばあちゃんが風邪ひいちゃったらお孫さんが悲しんじゃいますからっ」
「あらまぁ……!良いのかい?ありがとうねぇ。優しい魔術師さんだねぇ」
植物製の傘を受け取ると、老婆は再び深々と頭を下げた。
女性は「気にしないで下さい」とパタパタと両手を振った。
しばらくして老婆は再び帰路に向かい、人混みに消えて見えなくなるまで女性とシオンは見送った。
「……!」
老婆が見えなくなったあと、振り返った女性と目があったシオン。
「あっ」とした表情を浮かべる女性に向かって軽く頭を下げると、彼もそのまま振り返ってその場を離れた。
しかし、その直後。
「あ、あのっ」
「?」
駆け寄って来た先程の女性に声を掛けられ、シオンは振り返った。
「あのっ、もしかして、明日クロフォードの入学試験を受ける子ですか⁉」
「あ、はい。そうですが」
「やっぱり!どこかの魔術学校の制服みたいだったので、そうだと思いましたっ!」
そういうと、女性は胸の前で拳を握った。
「明日の入学試験、頑張って下さいっ!とっても応援してますっ!」
「はは、有難うございます。なんかすみません、見ず知らずの俺なんかに」
「いえっ!私、実はクロフォードで植物魔術の授業を教えているんですが、貴方のように心優しい人が教え子になってくれたら、すっごく嬉しいので……!」
「!……そうだったんですね。そう言ってもらえると嬉しいですが、少し大袈裟じゃないですか?」
困惑しているような口ぶりのシオンに対して、女性は勢いよく言葉を返した。
「大袈裟じゃないですよ!こんな雨の中、他人の為に自分のズボンを汚してまで人助け出来る人なんていないですから……!」
そう言いながら、女性は視線を下げた。
その視線の先は、先程膝を付いた際に濡れたシオンのズボンの膝元だった。
「……そうですか」
「はい、間違いありませんっ!……あっ、引き止めちゃってごめんなさいっ!試験前の大事な日なのに……。じゃあ、明日、頑張って下さいねっ!また来年、学園で会えるのを楽しみにしてますっ!」
「……はい、有難うございます。頑張ります」
「それじゃあ、私はこれで……!」
笑顔でそう言うと、女性はその場から離れて行った。
……自身のロングスカートの膝下が泥に汚れずぶ濡れになっていることなど、まるで気にも留めないように。
「(植物魔術か……)」
女性の後ろ姿を見送りながら、シオンは内心で呟いた。
これまでシオンは魔術に対して、火、水、雷といった属性の見掛けのカッコ良さ、ダークな異能力としての魅力に陶酔してきた。
しかし、先程までの一連のやりとりの中で目に焼き付いた女性の振る舞い。
破壊や攻撃などを目的とすることなく、ただ純粋にささやかな人助けのためだけに使用される魔術。
「……ああいうカッコ良さもあるのか」
無意識に、シオンはポツリと呟いた。
シオンは来年から始まるであろう学園生活の中で、彼女の授業を手伝う自分の姿が不思議と脳裏に浮かんだ気がした。




