【二章】1. 変化した周りと、変わらないもの
──クロフォード魔術学園。
二年Cクラス内で行われている水属性魔術の座学の授業中……。
カツカツと、黒板に魔法陣の一部を書き込む水属性専攻教師のケイリー。
彼は魔法陣の全体の六割ほどを記入した時点で手を止めて、教室にいる生徒たちの方へ振り返った。
「この魔法陣をここから『蒼い噴霧』に変質させる為に必要となる、ここに続く術式を……」
ケイリーは黒板を指しながら、続きの術式を書かせる生徒を選ぶために教室内全体を見渡した。
「……!」
すると、そこで一人の黒髪の男子生徒が目についた。
その生徒は教室の先頭から三列目の窓際の席に座り、机に肘をついて手に顎を乗せながら窓の外に視線を向けている。
周りの生徒が集中してノートを取りながら教師に視線を向ける中で、明らかに様子の異なるその生徒がケイリーの目につくのも無理はなかった。
……その生徒は、これまで生徒たちの競争意識を焚きつけるための見せしめとして答えられないような問題を敢えて出題して、惨めな姿を教室中に晒し上げることにケイリーが利用していた生徒だった。
血統至上主義の魔術界隈において魔術師の家系ですらなく、テストでも毎回Cクラスの合格点ギリギリに近いような点数しか出せない落ちこぼれであり、ケイリーにとっては都合の良い見せしめ要員だった。
才能の無い落ちこぼれであるにも関わらず、授業に集中している素振りも見せないその生徒には分相応の役回りだとケイリーは内心で嘲っていた。
……しかしそれは、数週間前までの話。
「……ッ」
窓際に座るその生徒と、一瞬目が合ったケイリー。
その生徒は静かに視線を向けただけだったが、ケイリーはまるで怖気づいた様にその生徒から視線を外した。
「じゃあ、ジョイル、書いてみなさい……」
「あ……、はい」
ケイリーはそのまま他の生徒を指名して黒板の前に呼んだ。
「……」
カツカツと黒板に術式を書き込む生徒を黙って見つめるケイリー。
ふと様子を伺うようにチラリと先程の窓際に座る生徒に目を向けると、その生徒は何事もなかったように再び窓の外へ視線を向けていた……。
◆
……昼休み。
生徒たちで混雑し始めた学園の食堂。
そこに二人組の四年Aクラスの生徒が訪れた。
肩で風を切るように歩きながら食堂の料理提供カウンターに向かった二人は、先に並んでいたCクラスの生徒をドンっと手で押しのけて強引に順番を先取りした。
実力主義の魔術学園内においては、下位のクラスの生徒に対して上位のクラスの生徒が横柄な態度を取ることは珍しいことではない。
特に、学年やクラスが入り乱れる食堂内ではそういった行動は顕著に見られることだった。
利己的に動いているというよりも、自分の立場や力を誇示する意味合いが強い行為だ。
「(C級のカスがAクラスの生徒様の前に並んでんじゃねぇよ)」
二人組のうち、料理を注文する前の一人は押しのけたCクラスの生徒の方へ振り返るとニヤついた視線を向けた。
しかし、その直後。
「……ッ!!」
後ろにいる生徒の顔を見たAクラスの生徒の顔が凍り付いた。
「A定食で、スープは……」
「──お、おいっ」
「お?何だよ」
酷く動揺した様子の生徒が先に料理を注文している途中だった生徒に何かを耳打ちすると、二人揃って再び後ろに並ぶCクラスの生徒の顔を確認した。
「うっ……‼」
すると、料理を注文途中だった生徒も顔を引き攣らせた。
その目に映ったのは見覚えのある風貌の黒髪の男子生徒。
二人の生徒は先ほどまでの横柄な態度とは打って変わり、急にヘコヘコとへりくだるような態度を取った。
「す、すまない、君が先に並んでたようだね、気が付かなかったよ……!」
「わ、悪いね……っ」
「すみません、今の注文無しで、先にこの子の注文を聞いてやって下さい、へへへ……」
提供カウンターのスタッフにそういうと、二人組のAクラスの生徒はそそくさとその場から去って行くのだった……。
◆
昼過ぎ、二年Cクラスの三限目の授業は実技だった。
学園内の第四演習ルームにて、二年Cクラスの生徒たちは各試合用のフィールドの中でペアを組んで模擬試合を行っていた。
演習ルーム内に複数あるフィールドの中で、試合を行っていない見物の生徒達が強張った様子で一際視線を向けるフィールドがあった。
そのフィールド内で試合を行っているペアというよりも、見物の生徒達の視線はそのフィールド内で試合を行っている一人の男子に向けられていた。
模擬試合の内容自体は至って平凡。
火属性、水属性、土属性、それぞれの属性の魔術を使用しながら攻防を繰り返し、試合終了のベルが鳴ると同時に試合は終了した。
可もなく不可もない、デモンストレーションのように模範的な試合内容だった。
「ありがとうございました」
「あ、ありがとうございました……」
終了後、注目を集めていた方の男子生徒から試合後の挨拶を受けた生徒は、少しおどおどとした様子で挨拶を返した。
そこから先に挨拶をした男子生徒がフィールドを出るまでのあいだ、周囲で見物していた生徒たちは困惑したような視線をその生徒に向けていた。
その生徒の一連の行動に不自然な点など一つもない。
しかし、何の変哲もない実技の授業の一端であるはずなのに、周囲はどこか異様な空気に包まれていた……。
──皆が視線を向ける生徒の名は一ノ瀬シオン。
二年Cクラスに所属し、二週間前の騎士学園との対抗戦において最強の騎士学生を打ち破った生徒だった。
◆
………………
…………
……
「(──き、き、気持ち良すぎるんだが……ッ⁉)」
一ノ瀬シオン、現在の彼はどうにかなってしまう寸前の精神状態だった。
二週間前の騎士学園との対抗戦以来、彼に対する周囲の認識が大きく変化していた。
それも、一之瀬シオンにとって最も理想的な形に。
今まで一切目立つことのなかったCクラスの生徒が突如として騎士学園との対抗戦に出場し、史上最強とまで謳われていた相手の騎士学生を瞬殺──。
そして、今までと変わらずに目立つ様子もなくCクラスでの平凡な学園生活を続けている。
そんなシオンに向けられる周囲からの評価は、端的に言えば「得体の知れないヤバイ奴」。
ユフィア・クインズロードやアルフォンス=フリードといった極めて優秀な生徒に向けられるリスペクトの眼差しとは異なる、困惑と警戒の混ざった視線。
それこそまさに一之瀬シオンが入学当初から求める周囲からの評価だった。
彼はこれまで散々〝本当の実力を隠している〟風に振舞ってきたが、決して隠し通したいという訳ではない。
むしろ、「本当の実力を隠している」と知って欲しいと切望していたのだ。
正当に実力を評価されたい訳ではない。
能力や実力を曖昧に、「何かよく分からないが恐ろしく強い奴」だと思って貰うのが彼の理想だった。
それらはまさに、一之瀬シオンの現状と完全に一致している。
騎士学園での対抗戦を見ていた生徒たちは一ノ瀬シオンの実力の一端すら把握出来ず、あれだけの戦果を上げて未だにCクラスに残り続けているという謎だらけの男に対して、周囲は「何故か実力を隠しているC級の生徒」というような評価をせざるを得ない。
そのような状況の中で、シオンの周りでは今日一日のような出来事や周囲のリアクションが日々続いている。
それらは一之瀬シオンにとって、その場で震え上がり狂喜の声を叫んでしまうような快感の連続だった。
今の現状こそが、一之瀬シオンの学園生活における絶頂期とさえ言えるだろう。
ニヤつきが抑えきれず、小鼻がピクピクと震えていたような場面もあったかもしれない。
これまで何度も妄想していたようなシチュエーションが現実となり、夢か現実かも分からなくなるほど浮ついてしまいそうになる感覚の中、それでも彼は「実力を隠しているC級魔術学生」としての振る舞いを徹底して過ごすのだった……。
◆
「はぁッ……はぁ……ッ」
──授業が終わり夕方になると、シオンは以前までと変わらずCクラス生の寮の裏庭で魔術の鍛錬を行ってた。
彼は相変わらず魔力切れになるまで魔術を使い続け、青白い血管を異常に隆起させながら汗だくになって息を切らしている。
二週間前に最強の騎士学生クリフ・ワイルダーを正面から打ち倒してなお、彼は死に物狂いの鍛錬を続けていた。
理由は単純。
彼は未だに自分の強さに満足していないから。
一見彼の実力を裏付けたように思えたクリフ・ワイルダーとの戦いも、今の彼にとっては自分の実力を評価するための材料にはなり得ない。
あの試合のときに覚醒した「限界加速」の上の領域、「限界加速/限界突破」は、今のシオンには自在に発動出来ない。
いうなれば、「限界加速/限界突破」ありきで勝利したあの時の強さは極端な上振れの強さだ。
一之瀬シオンの強さの目標は「戦えない誰かの代わりに戦えるようになること」、そして「目の前で助けが必要な人を絶対に守り抜けるように、誰にも負けないくらい強くなること」。
安定して自分の限界以上の強さを引き出せるようにならないと、到底彼の目標の強さには及ばない。
……そして、更に言うなればあのクリフ・ワイルダーとの試合の決着自体が眉唾ものだとシオンは考えている。
あの試合の時の完全な「限界加速/限界突破」とまではいかないまでも、それに近い感覚はここ数日の鍛錬のあいだに現れた。
しかし、どれだけ高く見積もろうともS級以上の騎士学生を一撃で倒せるような破壊力が出せるとは到底思えなかったのだ。
試合後しばらくは「自分の秘めたる能力が覚醒した」と大興奮していたシオンだったが、時が経つにつれてそれが勘違いだったという確信が深くなっていった。
あの試合でのルールは「防具に設定された耐久値を先に消失させた方の勝利」──。
もし防具や武器に細工がしてあれば勝敗を操作することも出来るだろう。
あの試合の会場は騎士学園。
その気になればあの試合の時の防具や武器に細工をするくらい難しいことではないはず、とシオンは考える。
もし仮にシオンの推察通りに細工が行われていたとしても、そんなことをする理由まではシオンには分からない。
しかし、あの対抗戦以降、騎士学園はこれまでにないほど学園全体が強さと勝利に貪欲になっているらしいのだという。
それはここ数年、魔術学園との対抗戦において連戦連勝だった頃には見られなかった傾向だというのだ。
恐らく、そういった現状は無関係ではないのではないか……とシオンは推測していた。
真実は定かではないが、少なくとも今のシオンにS級以上の騎士学生を打ち倒す実力がないことだけは間違いのない事実であり、彼にとって最も重要なことだった。
彼は先日学園長室で行った魔力測定ではものの見事に並みのC級学生以下の値を叩き出し、一週間前に行った実技試験では全力を出し切った上で一切の不正なくCランク判定を与えられた。
そんな現状で、自分には秘めたる実力があると錯覚し続けるのは流石のシオンにも困難だった。
……故に、彼は未だに死に物狂いの努力を続け、日々実力を隠しているフリをするのだった──。
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