59. 王都デート
───波乱の学園対抗戦から、およそ二週間後の日曜日。
クロフォード魔術学園の休日であるこの日に、一之瀬シオンは学園から最も近い、魔力機関車の停留する駅に足を運んだ。
シオンは現在、普段着ている学園の制服とは異なる、シンプルな黒いワイシャツと黒いジーンズを着用している。
ワイシャツを肘の辺りまで捲くり、意味もなく右手に黒いオープンフィンガーのグローブを装着するという私服姿のシオンが駅に着くと、彼は駅の外に設置されている大きな時計台の下で待ち合わせていた人物と合流した。
「悪い、待たせたか」
「ううん、私も今来たところ」
シオンの問いに答えたのは、彼の幼馴染のユフィア・クインズロードだった。
通り過ぎていく駅の利用者達には分かりようもない変化だが、ユフィアはシオンを見るなりパァっと表情を明るくし、普段よりも遥かに声色を弾ませていた。
そう、この日はユフィアがシオンと交わした「対抗戦で勝ったら王都を一日一緒に見て回る」という約束を履行する日であり、ユフィアが待ちに待った「シオンと二人で王都デート」の当日である。
シオンとユフィアは現在、同じ学園の敷地内に在るそれぞれの寮で生活をしている。
故に、二人が同じ目的地に行く為に待ち合わせる場合、どちらかの寮の前、或いは学園の校門などで待ち合わせた方が早かったのだが、「駅での合流の方が(恋人同士みたいで)良い」というユフィアの強い希望によって、二人は駅の前で合流する運びとなった。
そんなユフィアにとって、出会い頭のやり取りはまさに心踊るシチュエーションだった。
「……ふふ。想像通り、シオンの格好は真っ黒だね」
滅多に見ることのないシオンの私服姿を前にして、ユフィアは楽しそうに口にした。
「……もしかして、変か?」
「ううん。とってもカッコいいよ。シオンにぴったりだと思う」
「そうか。それなら良かった。……そう言うユフィアの方は、随分とお洒落だな」
シオンもまた、普段の制服姿とは異なるユフィアの私服に目を向けた。
ぴっちりとしたタートルネックの黒い長袖のセーターに、膝が見える丈のグレーのミニスカート、脚の先にはくるぶしを覆う程度の丈のやや底の厚い黒のブーツを履き、肩には腰の辺りまで細い紐の伸びた小さなバッグを掛けている。
シンプルながらも、ぴっちりとしたニット生地のセーターや、スカートから覗く色白の美脚は女性らしい美しいラインを強調し、透き通るように綺麗な銀髪とコントラストをなす黒いセーターを始め、全体的に落ち着いた色合いのコーデは大人びた雰囲気を醸し出していた。
そんなユフィアは、やや視線を下げながら、どこか恥ずかしそうにシオンに言葉を返した。
「……し、シオンはカッコいいから、隣にいても恥ずかしくないように、私なりに、頑張ったの……。へ、変じゃない……?」
お洒落の経験には乏しいものの、この日の為に、「シオンの隣にいても恥ずかしくない格好をしたい」と、一週間前の休日に学園から一番近い中心街まで出向いたユフィア。
その中心街で女性向けの着類を取り扱うお店を訪れた彼女は、親切な女性店員から丁寧なアドバイスを受けながら現在着用している衣服やブーツを購入した。
そんなコーディネートがちゃんと自分に合っているか、不自然ではないかと、ユフィアは不安げにシオンに尋ねた。
すると、それを受けたシオンは、ごく率直な意見を述べるようにさらっと答えた。
「変じゃないどころか、めちゃくちゃ綺麗だと思うぞ。ユフィア自身が綺麗だから、そういう格好も良く似合うな」
「(──────ッッッ!?!??)」
瞬間、そのあまりにもド直球な称賛の言葉にクリティカル過ぎる不意打ちを貰い、ユフィアはボッと耳を真っ赤にしながら目を見開いた。
そんなユフィアの様子などおかまいないしに、シオンは更に言葉を続ける。
「ユフィアは昔から圧倒されるくらい綺麗だったけど、今では更に綺麗になったよな。普段見慣れた制服とは違う格好を見ると、改めてとんでもなく美人だなぁって思うよ」
「………ッッ!?!!?……ぇ……ぁ……」
「っと。次の列車がそろそろ出る時間だな。切符買いに行こうぜ」
「………っ!!……ぅ、うん……っ」
駅の方へクイっと軽く頭を振るジェスチャーを見せた後にシオンが歩き出すと、ユフィアもそれに合わせて酷くぎこちなく歩き出した。
「(どっ……どうしよう……。私、今日死んじゃうかも……)」
何事もなかったかのように歩くシオンの横で、ユフィアは耳を真っ赤にしながら軽いパニック状態に陥っていた……。
駅で切符を購入し、列車に乗り込んだ二人は車内の座席に隣り合うように座った。
走り出した列車に揺られながら、二人はお互いに「過去に王都に行った経験」や、その時の思い出など、他愛もない話をして過ごした。
しかし、シオンの隣に肩が触れ合うように座り、彼とお喋りをしながら過ごしているだけで、ユフィアにとってはこのうえなく幸せな時間だった──。
◆
「数年ぶりに来たけど、やっぱり繁華街はすげぇな」
「うん、本当に凄い……」
二時間ほど列車に揺られ王都に到着した二人は、王都最大の繁華街を訪れていた。
馬車の通る車道や、その両脇の歩行者用の通路は広々と設計されており、荷物を運ぶ馬車や大勢の人が行き来していながらも道路にはゆったりとしたスペースがあり、その地面の石畳は煌びやかに見えるほど白く美しく整備されている。
それだけでも他の地域の中心街とは比肩にならない程の豪勢さと街の発展具合を感じさせられるが、何よりも圧巻なのは、やはり立ち並ぶ建物だろう。
豪華でありながらも堅牢でどっしりとした印象を抱かせるような立派な建物や、人目を引くようなユニークなデザインの外装といった、バリエーションが豊富な商店、飲食店などが押し合うように連なりながら、どこまでも続くように立ち並んでおり、まさに見る者を圧倒する程の街並となっていた。
そのように景色をただ眺めるだけでも観光として楽しめるような街並みの中を、ユフィアとシオンは和やかに喋りながらまったりと並んで歩く。
「わぁ……っ。見て、シオン。あの建物、小さな神殿みたい」
ユフィアが車道を挟んで反対側の通路に面している建物を指差す。
サイズ感こそ周りの建物と変わりないが、建物の前のやけに高い階段があり、その階段の先にある建物の入り口の前には大きく白い円柱が柵のように横に並び、まさに神殿を思わせるようなデザインの建物だった。
「格好良い建物だね……!」
「ああ、そう見えるな」
「見える……?」
妙に引っ掛かる良い方をするシオンに対して、きょとん、と、ユフィアは可愛らしく首を傾げた。
「あれ、立体に見えるように壁に描かれたトリックアートってやつだぞ。つまり、あれは建物じゃなくて、正確には"絵"だ」
「えっ、そうなの……!?」
シオンには知識があったのか、彼は特に驚いた様子もなく答えた。
「すごい……っ!本物の建物にしか見えないよ……!」
シオンの言葉に、ユフィアは大いに驚いた様子だった。
「わぁ、本当にすごいっ。あれが"絵"だなんて、信じられない……!」と、ユフィアが目を輝かせながら興奮した様子でまじまじと反対側の通路の"建物"を見ていると、おもむろに建物の入り口の扉が開いた。
「えっ」
そして扉の奥から出てきた人物は階段を降りて歩道を進み、更に、今度は歩道を歩いてきた別の人物が階段を昇り、建物の中へと入って行った。
また、扉が開いた際にちらりと見えた扉の奥には、確かな建物内の空間が広がっていた。
「……………」
何が起きたのか一瞬理解が出来なかったユフィアは暫く建物を見つめたまま固まっていたが、やがて、その建物が「"絵"ではなく本物の"建物"」である事をはっきりと認識した。
そしてユフィアは、ゆっくりとシオンの方を向いた。
「…………」
彼女は無言のまま恨めしそうにシオンを睨みつけ、ぷくーっとほっぺを膨らませた。
そんなユフィアを見たシオンは、とてもにこやかで、満足気な笑顔を浮かべていた。
「………~~~っ」
シオンには自分の怒りがまるで伝わっていないようで、ユフィアはじたじたと地団駄を踏んだ。
◆
ユフィアが一頻りプンスカした後に再び二人は繁華街を練り歩き、何気ない会話をしている内にユフィアの気分も良くなり、彼女はすっかり上機嫌になっていた。
シオンとただ一緒にいられるだけで、彼女は最高にハッピーなのである。
そうこうしている内に時刻は正午を過ぎ、小腹も空いてきたタイミングで二人は路上販売のパン屋でサンドイッチを購入し、近くのベンチに並んで腰掛けて軽食をとり始めた。
ぱくり、と、サンドイッチを一口頬張り、「お、これは」という表情を浮かべたシオン。
「このツナサンド、人肉くらい美味いな」
「食べた事ないでしょ、人肉」
クスリと笑いながら、ユフィアもサンドイッチを齧る。
「そっちはどうだ?」
「うん、たまごサンドもすっごく美味しいっ」
「おお、良かったな」
本当に美味しそうにニコリと笑うユフィアに対して、シオンはその手に持つたまごサンドに興味深そうな視線を向けた。
「よ、良かったら、一口、食べてみる……?」
「お、良いのか」
「う、うん……っ」
たまごサンドの味も気になる、という顔をしていたシオンに対して、ユフィアは少し耳を赤くしながら、シオンにサンドイッチを差し出した。
「じゃあ、遠慮なく」
「!」
そう言うと、シオンはユフィアがかじった部分を一口サイズに手で千切り、そのままパクリと口に放り込んだ。
「ぇ……、ぁ、か、……っ。………~~~ッ」
「む、確かに美味いな」
と、顔を赤くするユフィアなどおかまいなしに、シオンは満足げに頷いた。
「ユフィアも、ツナサンド食うか?」
「!」
そして今度は、シオンがユフィアに向かって手に持っているサンドイッチを差し出した。
「い、良いの……っ?」
「ああ」
と優しく頷くと、シオンは自分が口を付けた部分をユフィアに向けた。
「……っ!!……ぁ……ぇと……」
シオンが齧った部分の断面を見つめながら、ユフィアが顔を赤くしながら狼狽えていると、「ああ、そうか」とシオンは呟き、
「俺の食べかけの部分は嫌だよな」
と、差し出していた手を引っ込め、口を付けた部分と反対の部分を一口サイズに千切った。
「………あっ」
その様子を見たユフィアは、露骨に落胆した声を漏らした。
しかし、その直後。
「ほら」
「!!」
シオンは一口サイズに千切ったツナサンドをユフィアの顔の前まで持っていき、俗に言う"あーん"を促すように口元に近づけた。
「えっ……あ、その……、シオン……?」
「……?どうした。ほら、口開けろよ」
「………~~~っ」
動揺するユフィアに対して、シオンはもう一度「あーん」を促す。
「(はぁ……っ、はぁ…っ、はぁ……!!)」
ユフィアの心臓は、もはや外まで音が聞こえそうな程に激しく鼓動していた。
そんなユフィアの心情など知らずに、未だに口を開かないユフィアに対してシオンは「?」と首を傾げた。
「じゃ、じゃぁ……。ぁ、ぁー……」
そしてついに、バクバクと心臓を鳴らしながら一度ごくりと唾を飲み込み、ユフィアは意を決したように口を開いた。
その開いた口に、シオンは優しくサンドイッチを入れる。
口に入ってきたサンドイッチをユフィアがぱくりと咥えた瞬間、シオンの指先に軽く唇が触れた。
「(…………~~~ッッッ!!!)」
もはや、沸騰しそうな程にユフィアの顔には熱い血が上っていた。
「どうだ?美味いか?」
「じ、人肉くらい美味しい……」
「食った事ないだろ、人肉」
はは、と笑いながら再びツナサンドを食べ始めたシオンの横で、ユフィアは火傷しそうな程に熱い自分の顔を左手で押さえていた。
「(あ、味なんて、分からないよ……っ)」
その後、ほとんど味を感じられない状態のまま、ユフィアは残りのサンドイッチを食べる事となった……。




