58. クリフ・ワイルダー
───俺の人生は、悪夢の連続だ。
アルバレス騎士学園、第三学年序列一位のクリフ・ワイルダー。
彼は、「自分の人生は"悪夢"そのものである」と断じる。
"千年に一人の男"や"騎士学園史上最強の男"といった異名を持ち、学園の評価上は上限一杯の"S級"ながらも「実力は既にSS級」とも称され、学生ながらに王国騎士団の大きな任務にも参加する、まさに規格外の生徒。
彼の実力は誰もが知るところであり、学園卒業後の王国騎士団での出世においても輝かしい戦果を次から次へと築き上げ、歴史上稀に見る勢いでキャリアを駆け上がるだろうと疑う者はいない。
常勝無敗、向かう所敵なし、天下無双。
彼の目の前には、何人にも邪魔する事など出来ない、まさに地位も名誉も約束されている輝かしい道が拓かれている。
そんな彼が、一体何故「自分の人生は"悪夢"そのものである」などと考えるのか。
誰もが実力を認める男の人生が、何故"悪夢"たり得るのか。
その理由は、まさにその「誰もが実力を認める」という点に原因がある。
そもそも、人々が認識している"クリフ・ワイルダーの実力"というのは、正確には彼の「実力」ではないのだ。
「実力」が「実力」でないとは、一体どういう意味なのか。
ようするに───、
───クリフ・ワイルダーに与えられている評価は、全てただの勘違いなのである。
つまるところ、"千年に一人の男"の実力者というのも、"騎士学園史上最強の男"というのも、何もかもが周囲の誤解に過ぎず、実際のクリフ・ワイルダーという男は、そのように評される程の実力など到底持ち合わせてはいない。
彼の本来の実力は、せいぜいC級騎士学生レベルといったところなのだ。
クリフ・ワイルダーは生まれつき体格に優れ、素の膂力は少なからずあるものの、保有する魔力が少なく、身体強化魔術や武器や防具に施す付与魔術等もイマイチであり、それによって騎士学園での評価基準で言えば彼は本来"C級程度"の実力しか持っていない。
では何故、そんなC級程度の実力しか持たないクリフ・ワイルダーがアルバレス騎士学園第三学年の序列一位であり、"騎士学園史上最強の男"などと呼ばれているのか。
普通に考えれば、二年以上も事実が露呈される事なく"騎士学園史上最強の男"として過ごす事など到底不可能だろう。
そのような異常事態の原因は、彼の顔立ちと、生まれつき無意識に発してしまう強者特有の気配、そして常軌を逸した望まぬ悪運にあった。
彼が周りから誤解されてしまう理由の中で、最もシンプルなものがその顔立ちだろう。
色黒の肌と灰色の瞳を持ち、目元は影を作るほど彫りが深く、見る人に頑強なイメージを与えるようながっしりとした下顎に、燃える炎のように逆立つ瞳と同じ灰色の髪の毛。
手の甲や首元、顳顬の上には酷く不気味な程に隆起した太い血管。
「老化の表れ」というよりも刀剣で切り刻まれた傷のようにも見える、眉間や目元に深く刻まれた皺。
そのように、「無数の死地を潜り抜けた歴戦の猛者」を思わせるような彼の顔立ちは、「すごく強そう」という、シンプルでありながらも強く確信的な印象を相手に与える。
その顔立ちだけでも、彼の実力を勘違いしてしまう人は大勢いるだろう。
しかし、彼が人に勘違いされてしまう原因は顔立ちだけではない。
人は、「風貌、佇まいや重心の置き方、所作、目付きや表情、息遣い、体躯による威圧感」などといった要素から"強者特有の気配"を感じ取り、ある程度の実力を推し量るが、クリフ・ワイルダーは何故かその"強者特有の気配"だけを持って生まれて来てしまったのだ。
また、その凄まじい眼力や表情、不気味に隆起した血管、蠢く筋肉の躍動などから、"殺気"にも近い独特の気配を無意識に周囲にばら撒き続けている。
要するに、彼は「まるで実力に見合わない気配」を、それも規格外すぎる程の"気配"だけを無意識に発し続け、その気配が人々の勘違いに拍車をかけていると言って良いだろう。
"人が発する気配"に無頓着な人間でさえクリフ・ワイルダーには強く怯えてしまう程の異常な威圧感であり、その気配は「危機察知能力に優れた者」や「数多の死地を潜り抜けてきた者」、「何人もの強者を見てきた者」ほど敏感に、そして過剰に読み取ってしまうというものなのだ。
"顔立ち"と"強者特有の気配"その二つが原因で、クリフ・ワイルダーは「とんでもなく強いと誤解され易い人間」になっているのである。
しかし、それらはあくまで「誤解され易い」というだけに過ぎず、それだけならば彼が"騎士学園史上最強の男"と周囲から認識される事はなかっただろう。
では一体何故、クリフ・ワイルダーは現在"騎士学園史上最強の男"などと謳われてしまっているのか。
それは、彼が持つとんでもない"悪運"が全ての理由だった。
「悪運が強い」とはよく言うが、クリフ・ワイルダーが持つ"悪運"とは、一体どのレベルのものなのか。
強さのレベルを言葉で表現するよりも、実際にワイルダーが見舞われた事件の数々を説明した方が早いだろう。
~クリフ・ワイルダーの悪運禄~
騎士学園の試験の時、緊張して振った剣がすっぽ抜けて王国騎士団から訪れた試験官にぶち当たる。
その後、気絶した試験官の治療中に背中のタトゥーが露になり、そのタトゥーから試験官の男が武装組織からのスパイだった事が判明、「スパイを見抜いた男」として評価される。
スパイを見抜いた男として一目置かれ、王国騎士団の偉い人に「剣の型を見せて欲しい」と言われ、ガチガチに緊張して動けずにいたら、何故か「速すぎて見えない剣速」という事にされる。
どう考えても学園の試験の規則的にマズイ筈なのに、何故かそれ以降の実戦試験などの試験はパスされ、そのまま主席として入学する事になる。
ワイルダー本人は「Aクラスの生徒と授業で打ち合い稽古でもすれば本当の実力が露呈するだろう」と考えていたが、「実力差があり過ぎる相手に合わせて闘って変な癖が付かないように」と、教官に意味不明な気を使われ、打ち合い稽古中は常にワイルダーのみ素振りだけ。
授業の一環で訪れた騎士団に縁のある博物館にて、博物館の係り員からの提案で「千年間誰一人として斬れなかった岩」と言われている展示品に剣を振るう事になり、これまで数々の剣士が与えてきた蓄積ダメージと経年劣化によって既に崩壊寸前だった岩が、たまたまワイルダーが剣を振るったタイミングで砕け散る。
この一件がきっかけで"千年に一人の男"の異名で呼ばれ始める。
実地訓練の授業で訪れた地下迷宮にて、S級モンスターの大群がクラスを襲うという事件が発生。
教官と生徒達は全員脱出したが、ワイルダーだけ取り残される。
もう完全に「終わった」と思ったワイルダーだったが、S級モンスター達はワイルダーが放つ"圧倒的な強者としての気配"を過剰に察知し、自分とは格が違い過ぎると勘違いしたモンスター達が、まるで「私はあなたの敵ではありません!」と主張するようにワイルダーの前で同士討ちを開始。
意味不明すぎる事態に動けずにいる中、最後の一体が力尽き、暫くしてワイルダーは地下迷宮を脱出。
モンスター達の返り血に塗れたワイルダーに向かって「ワイルダー君!?一体どうなっていたんですか!?」と尋ねた教官に対して、「確かめて来たら分かると思います(俺には全く分からないので……)」と言い放ち、その後、瞬く間に「クリフ・ワイルダーがS級モンスターの大群を一人で殲滅した」という噂が広った。
騎士学園の生徒達と試合をする機会も少なからずあったが、大概は相手の体調不良、或いはワイルダーの構えを前に「何一つ隙がない……」と勝手に相手が降参という決着。
極稀に打ち合いまで行う試合もあったが、「偶々バランスを崩した相手に偶々振った剣が当たり、偶々その当たった位置が相手の致命的な弱点だった」という試合や、ワイルダーの威圧感を前にストレスで魔力に不調をきたし、そのまま素のワイルダーの能力で勝利、といった結末を何度か迎えた。
ワイルダーとの手合わせを願う王国騎士団の実力者との試合でもそのような決着ばかりであり、学園内最速と言われる後輩から急に喧嘩を吹っ掛けられ、目の前で拳を寸止めしたと思えば勝手に「俺の動きが完全に見切られた……」と勘違いをされる、など。
挙げ出したらキリがない程、クリフ・ワイルダーの学園生活はそのような事件の連続だった。
そしてクリフ・ワイルダーは、本人が放つ「強者特有の気配」と「常識外れの悪運」の最悪の相乗効果によって"学園史上最強の男"と勘違いされるに至ったのだ。
しかし、この勘違いのせいで彼の命が危険に晒された経験は一度や二度ではない。
"騎士学園史上最強の男"と呼ばれている現状は、クリフ・ワイルダーにとってはまさに悪夢そのものなのだ。
本来であれば、今すぐにでも全てを打ち明けたいというのが彼の本心。
だが、彼には今更誤解を解く事は出来なかった。
本人としても大変不本意であり、そんなつもりなど毛頭なかったとは言え、結果的に周りを騙し続けていたという事実に変わりはなく、彼は事実を知った後の周りの反応に怯えて本当の事を打ち明けられず、未だに「アルバレス騎士学園第三学園序列一位」の席に座り続けているのだ……。
───そして、そんな中。
「武装組織のアジトを壊滅させる」という王国騎士団の作戦に参加したワイルダーは、任務地で迷子になって彷徨った果てに単身敵のアジトに乗り込んでしまい、どうにか殺されないように必死に「いい加減な嘘」を並べていたら何故か敵組織が全面降伏し、予定よりも二日早く任務が終了。
その後ワイルダーが学園に戻ると、「アルバレス騎士学園とクロフォード魔術学園の学園対抗戦」に参加する事となった。
試合前に相手の代表選手に挨拶に行くように監督教員に促され、魔術学園側の選手控え室を訪れたワイルダー。
魔術学園の代表選手は手を震わせながらワイルダーと握手をし、その時彼は「(武者震いかな……?怖いなぁ……)」などと思いながらも、挨拶を済ませて相手側の選手控え室を後にした。
そしてその後、大将戦を予定していた相手選手が体調不良によって欠場。
「(ああ、いつものパターンか……。去年は騎士団の作戦に行ってて出場せず、今年は不戦勝、か……)」とワイルダーが思ったのも束の間、魔術学園から代わりの生徒が代表に選出される事となった。
そして、いざフィールドに赴くとワイルダーは衝撃の事実を知る事になる。
魔術学園の代わりの代表選手が、C級の生徒だったのだ。
「もしかしたら、この対抗戦で真実が露呈するかもしれない」というワイルダーの淡い期待は、無残にも打ち砕かれた瞬間だった。
「(C級の、しかも一つ年下の二年生だなんて、いつもみたいな変な悪運がなくても順当に勝っちゃうじゃないか……。でも、下手したら良い勝負をしちゃうかも知れないし、それで評価が下がるかな……?)」
「(───いや、どうせそんな事は有り得ないんだろうな。仮に良い勝負をしてしまったって、周りは俺に都合が良いような捉え方をして、結局何一つ現状は変わりはしないんだ)」
期待など抱くだけ無駄と、ワイルダーは自分に言い聞かせた。
そして、フィールド内でC級の魔術学生と向き合う中、ワイルダーは心の中で願った。
───誰か、早くこの"悪夢"を終わらせてくれ
──と。
ワイルダーは終わりの見えない悪夢にうんざりしたまま、試合開始の合図を待った。
……しかし、奇しくもこの直後、まるで彼の願いを聞き届けるかのように、目の前のC級魔術学生によって"クリフ・ワイルダー"の不敗神話には終止符が打たれる事となった。
………だが、それでも。
不幸にも、騎士学園の生徒達の中で"クリフ・ワイルダー"の評価が下がる事はなかった。
もし仮に、生徒達の目に「C級魔術学生に接戦の末に敗れるワイルダーの姿」が映ったならば、少なからずワイルダーの評価には疑問を抱かれる事となっただろう。
しかし、よりにもよって、ワイルダーは観客の誰にも認識出来ない程に一瞬で打ち負かされてしまったのだ。
C級魔術学生ではあったものの、観客がそのC級魔術学生の事を規格外の能力の持ち主だと考えるには十分過ぎる結果だったが故に、「クリフ・ワイルダーが弱い」のではなく、「とんでもなく強いクリフ・ワイルダーを倒す程、魔術学園の代表が強かった」というような結論を出されてしまったのだ。
「何が起こったのかは分からないが、自分達には到底追いつけないようなハイレベルな戦いが起こったのだろう」───と。
それ故に、クリフ・ワイルダーに対する"騎士学園史上最強の男"という評価は未だに覆ってはいなかった。
むしろ、試合後の医務室で「(C級なのに)強い人がいるものだな……。俺も、負けてはいられないな」という独り言を偶々他の生徒に聞かれてしまい、「SS級の実力がありながらも未だに向上心を持ち続ける偉大な騎士」として、学園中から評価が爆上がりしてしまったのだ。
───俺の人生は、悪夢の連続だ。
アルバレス騎士学園所属、第三学年序列一位"クリフ・ワイルダー"。
彼の悪夢は、これからも続く……。
次回、デート回




