57. 抜き打ち測定
『───間もなく、アルバレス騎士学園とクロフォード魔術学園の代表選手による対抗戦が始まります』
『勝てよ、アルフォンス。思いっきりぶっとばしてやれ』
『ちょっと、離しなさ──ぅうぉおおおおえっ!!離しなさいよ!!私はあの男を……うえええ!!!くさっ!!!』
『騎士学園の大将を務める予定だったライアン=デュノー選手に代わり、──"クリフ・ワイルダー"選手が騎士学園の大将となります』
『クロフォード魔術学園の大将を務める予定だったデイビス・ジャーホンク選手は体調不良によって欠場となり、それに伴い、代理として"一之瀬シオン"選手がクロフォード魔術学園の大将に変更となります』
『それでは、ご健闘をお祈りしております。準備が出来次第、フィールドの入退場ゲートにお願い致します』
『やっぱり、……今の無し。もし私がリベンジする前に他の誰かに負けたら、許さないから』
『勝ってよ、シオン君。──思いっきり、ぶっとばしてやれ』
『───試合、開始ッ!!』
『限界加速──……限界突破』
『 ───……この瞬間、この一撃に、───俺の全てをッ!!!』
『大将戦、決着!!勝者──一之瀬シオン選手!!』
『一之瀬選手、試合お疲れ様でした。必要であれば担架を手配しますが、大丈夫そうですね』
『………お疲れさま、シオン』
『だって……、私は、シオンがずっとずっと頑張ってきたのを、知ってるから……っ。シオンが今日、どれだけ精一杯戦ったのか、今のシオンを見たら、分かるから……っ』
『わたっ、私、一之瀬君のお陰で、これからも、魔術学園で先生を続けられます……ッ。それが、本当に嬉しくて……っ。だ、だから、……っ。……有難う御座います、一之瀬君……っ』
『教えて下さい、一之瀬君。……一之瀬君って、一体何者なんですか?』
『先生もご存知の通り、俺は……』
『ただの、C級魔術学生ですよ』
………
……
…
「(……ん、……寝過ぎたな……)」
クロフォード魔術学園のCクラス寮の自室にて、目を覚ました一之瀬シオン。
彼は本来一日に一時間の睡眠しか取らないが、室内の掛け時計を確認したところ、どうやらこの日は三時間も眠っていたようだった。
彼が一日一時間しか睡眠を取らない理由は、より多くの時間を鍛錬に割くため。
「他人より遥かに劣っている自分は、他人の何倍も努力をする必要がある」として、彼は何年もの間ずっと睡眠時間を削り、より長い時間を鍛錬に費やしてきた。
そんな彼にとって、普段より二時間も長く眠ってしまった事は大き過ぎる損失。
しかし、
「(ま、こんな日もあるか)」
過ぎた時間を悔やんでも仕方ない為、彼は洗面台で顔を洗うと直ぐに朝の鍛錬の準備を始めた。
過去を悔やむ時間があれば、その分だけ前に進む。
それが一之瀬シオンという男であった。
そして彼は何だか妙に重い体に違和感を覚えながらも、魔術本や回復ポーションを手に朝の鍛錬へと向かった。
基礎的な魔術を魔力切れが起こるまで繰り出し、魔力切れを起こせば回復ポーションを飲みながら魔術本を読み込むという、常軌を逸した魔力増強目的の鍛錬を行うシオン。
そんな鍛錬の中で、彼はふと思った。
「(今日見た"夢"、かなり良かったなぁ……)」───と。
その後の鍛錬中において、彼は度々ニヤつきながら「学園対抗戦の大将戦の舞台で覚醒した自分が"騎士学園最強の男"を瞬殺する」という、今日見た夢の内容を繰り返し頭の中で流すのだった……。
◆
深夜とも言える早朝の鍛錬を終えたシオンは風呂で汗を流し、朝食を済ませた後に学園へと向かった。
校舎に足を踏み入れ教室までの廊下を進む中、すれ違う何人かの生徒がシオンの方を注視していたが、彼はその視線を特に気に留める事はなかった。
そしてそのまま廊下を進み、2年Cクラスの教室の扉を開いて中に入った時、彼は明らかな異変に気が付いた。
既に教室にいた生徒達が、彼の顔を見るなり明らかな動揺を浮かべ、瞬く間にざわついた空気を教室中に満たしたのだ。
生徒達は皆同様に彼にちらちらと視線を向けながら、ヒソヒソと近くにいる生徒同士で会話している。
「(………?)」
その異変を怪訝に思いながらも、シオンは教室中からの視線などまるで気にも留めていないような態度で席に着き、始業の時間を待つのだった。
………
……
…
HRの後、教室を出てトイレへと向かったシオンは、備え付けの鏡を見て自分の身嗜みに不自然な所がないかを確認していた。
「(一瞬で見て分かるような不自然な所はないよな……?)」
「クラスメイトらが自分の顔を見るなり露骨に動揺を浮かべていたのは、どこか自分の姿が可笑しかったからではないか」とシオンは考えていたが、どうやらそれは違ったようだった。
「(見た目が問題ないとしたら……、原因は何だ?)」
当てが外れたシオンは別の原因を考えた。
「(何か、変な噂話でも広められたか?……心当たりがあるとすれば、最近だと食堂でアルフォンスやユフィアと一緒にいる事くらいか?……いや、……ひょっとして、エリオットを助けた時のあのAクラスの三人組や、騎士学園のロイド=シグルズと揉めた時の件が知られたか……?)」
思い当たる節は少なからずあり、もし良からぬ噂が広まっているとすれば、クラスメイト達の反応にも合点がいく。
「(まぁ、連中の表情を見る限り、軽蔑だとか侮蔑だとか、そういう悪意ある視線の類でもないし、何でも良いか)」
人の表情から感情を読み取る能力に長けているからこそ、その点については彼は確信を持っていた。
取り敢えずは問題無し、と判断した彼は、「今日の昼休みにアルフォンスかユフィア、もしくはエリザ辺りにでも話を聞けばきっと真相は分かるだろう」と、これ以上現状の原因について考えるのを止めた。
そして、
「(まぁでも何か、まるで今日見た"夢"の続きみたいで楽しいし、本当の真相が何にせよ今はこの現状を楽しむか……!)」
と、今はそういう設定で楽しまなきゃ損だと思考を切り替えて教室に戻ると、やはり教室中から視線を集めるものの、彼は何食わぬ顔で授業を受けた。
………
……
…
授業中のクラスの雰囲気も、やはり普段とは違っていた。
「では、本来この魔術を最も効率よく発動する為に、この式の後に入れるべき術式を……、じゃあ……、……い、一之瀬、分かるか……?」
と、授業を行う教師でさえどこか怖じ怖じとした様子であった。
更には、普段であれば一之瀬シオンが教師からの問いに対して「分かりません」と答えると、教室中から"魔術師の家系じゃない出来損ない"を見下し嘲るような笑い声が起こっていたが、今日に限ってはむしろクラス中が戸惑うようにざわついていた。
しかし、シオンはそのような明らかな異変の中でも「学園対抗戦で騎士学園最強の男を倒した日の翌日」という自分の中での設定を楽しみ、内心でニヤつきながらも表では澄ました顔で過ごすのだった。
そんなこんなで午前の授業を終えたシオンは、昼休みに食堂へと向かった。
教室から食堂までの道中でもやはりすれ違う生徒らからの視線を集めたが、自分の中の設定を楽しんでいるシオンは一々気に留めなかった。
……しかし、そんな彼が食堂へと足を踏み入れた瞬間。
一之瀬シオンの顔を見た食堂内の生徒達は、一斉に歓声のようなどよめきを上げ、食堂内の空気を一変させた。
「お、おい!あれ!」
「あの人、昨日の……!!」
「確か、一之瀬シオン……だったっけ!?」
食堂に入って来たシオンに対して、数十人以上の生徒達が全員例外なく彼に視線を向け、激しく動揺したように目を見開きながらそのような声を上げる。
「(……!?)」
表情には出さないものの、流石のシオンもその光景には面を食らったようだった。
「(な、何だ!?何でどいつもこいつも俺の顔と名前を知ってる!?どうなってる……!?)」
何かしらの噂話が広がって注目を集めているのだろうとは踏んでいたが、そうだとしたら「口頭で伝わる筈の噂話」で自分の顔まで知られているのは明らかに不自然。
クラスメイトであれば噂の人物の顔と名前が一致するのは当然だろう。
また、外見的特徴と供に噂が広まっているとすれば「黒髪黒目のC級生」を見れば数人が「あれが噂の人物なのでは……?」と疑うのも分からなくはない。
しかし、多学年他クラスの生徒達までもが全員もれなく顔を見るなり"噂の人物"だと断定するのは、いくらなんでも異常だった。
あまりにも強すぎる違和感によって、シオンの思考は"設定"どころではなくなっていた。
例によって表面上は平静を装いカウンターの列に並びながらも、シオンは今なお強い注目を食堂中から集めている理由を考察していた。
「(学園中が俺の顔と名前を知っていて、注目の的になっている……。もし仮にAクラスの三人やロイドと揉めた事が知られていたとして、そこまでの注目を集めるか?……いや、それはないな……。だとしたら、原因は何だ?そもそも、学園中が知っていて、何で俺だけが知らない?一体いつ、噂が広まった?一昨日は至って平凡に過ごし、食堂でいつも通りにアルフォンスやユフィアと昼飯も食べていた……)」
───じゃあ、何か起こったとすれば昨日しかない。
「(昨日、一体何が起こった……?俺は確か昨日……。昨日……?俺は、昨日何をしていた……?)」
"昨日"という日が在った事を認識しているにも関わらず、昨日の出来事が思い出せない。
思い出そうとすれば脳内にぼやけた光景が入り乱れて集中出来ず、光景を"出来事"として思い起こす事が出来ない。
まるで、彼の本能が「思い出すな」と訴えているようだった。
しかし、ここまで強い違和感を抱いてしまっては、「気にしない」という事はまず不可能。
カウンターで食事の乗ったトレーを受け取り、どうにか記憶を辿ろうと頭を働かせるシオン。
しかし、やはり思考に靄が掛かっているように上手く思い起こす事が出来ない。
そんな中。
「やあ、シオン君」
「……ん、おう。アルフォンスか」
自分の思考にだけ集中していたシオンの意識を現実に引き戻したのは、アルフォンス=フリードだった。
「流石に、注目を集めてるみたいだね」
「不本意ながら、な」
周囲からの強い注目に僅かに気圧されているように引き攣った笑顔を浮かべるアルフォンスに対して、シオンは取り敢えず当たり障りない返答で話を合わせた。
「まぁ、昨日あれだけの事をしたんだから無理もないよね」
「はて……?ワシが何かしたかのぅ……?」
やはり、アルフォンスはこの現状の原因を知っているようだった。
そんな彼に対して、シオンは惚けたフリをしながらもアルフォンスから原因を引き出そうとした。
「ははは、それは流石に無理があるんじゃないかな?僕を助けてくれた時は僕以外に目撃者がいなくて誤魔化せたみたいだけど、今回ばかりは、残念ながらね」
惚けたシオンに対して、それがいつものシオンのジョークだと思ったアルフォンスは、笑いながらツッコミを入れると、「だって君は──、」と、言葉を続けた。
「昨日、全校生徒の目の前で、あの"クリフ・ワイルダー"を倒したんだから」
────と。
まるで反響するように、アルフォンスの一言がシオンの脳内で繰り返された。
そして、その直後。
一之瀬シオンは、昨日の出来事を全て思い出した。
──昨日が騎士学園と魔術学園の学園対抗戦当日だったこと
──その対抗戦で、自分が騎士学園最強の男と大将戦で闘う事になったこと
──己の限界を超えて、騎士学園最強の男をたった一瞬、たった一撃で倒したこと
──鳴り止まない歓声とどよめきの中で、何事もなかったかのようにクールに退場していく自分
──医務室で、リナ・レスティアに放った最高の決め台詞
夢や妄想などではなく、それらの全てが紛れもない現実だった事を、一之瀬シオンは思い出した。
否、……最悪のタイミングで思い出してしまった。
一体何故、一之瀬シオンが僅か一日前の出来事を思い出せずにいたのか。
それは、昨日の出来事が現実だと認識した時に生まれる、あまりの興奮と快感に彼の精神が耐えられないと"本能"が判断したからだった。
大将戦に向けて集中し、フィールドでは気力を振り絞り、試合後に疲弊した当日の状態ならまだしも、一夜明けて体力が戻った状態で強すぎる快感に襲われたらひとたまりもないだろう、という"本能"の判断による、無意識の防衛反応だったのだ。
しかし、たった今……
「(何も、かも……。全部、現実だった……?)」
アルフォンスの一言によって、一之瀬シオンは全てを思い出してしまった。
そして、現実をはっきりと認識してしまった瞬間、目や耳から噴出すかの如く凄まじい勢いで一之瀬シオンの脳内に快楽物質が溢れ出た。
その影響は肉体に及び、心臓は肋骨を突き破らんとする勢いで激しく鼓動し、全身を巡る血は燃えるように熱くなり、確かにそこに立っている筈なのに、まるで無重力空間にいるかのように上下の感覚さえも失っていく。
更に、気持ち良く全身がとろけるような脱力感と、それと同時に全身の活力が爆発するかのように溢れ出るという、相反する二つの快感が身体中を満たす。
まるで全ての筋肉が胸の辺りに気持ち良く引っ張られていくようで、気を抜いた瞬間にビクンッ!と激しく痙攣を起こすのは間違いないだろう。
まともな人間なら、その全神経を支配するかのような快感に耐え切れず、力なく地面に崩れ落ち恍惚とした表情を浮かべながらだらしなく涎を垂らし、悦楽に満ちた言葉にもならない声を溢しながら全身をビクビクと痙攣させているだろう。
しかし、一之瀬シオンはそのような醜態を晒すわけにはいかなかった。
この大衆の面前でそんな醜態を晒してしまえば、これまで築いてきた彼のクールなキャラは全て崩壊する。
折角手にした"謎の実力者"という評判も失ってしまう。
それだけは、絶対に阻止しなくてはいけなかった。
あまりに一瞬にして訪れた想像を絶する快感に、一之瀬シオンは何とか抵抗する。
興奮によって精度が著しく落ちているとは言え、持ち前の集中力によってどうにか震え上がり痙攣を起こしそうになる肉体を押さえ込む事が出来ている。
しかし、問題は表情。
まさに幸福感の絶頂とも言える現状において、彼が無表情を貫くのは既に限界だった。
無意識に吊り上がりそうになる表情筋を0.1mmでも動かしてしまえば、連鎖的に綻びが生まれ、"満面のニヤけ面"を作り上げてしまうのは確実。
まるで顔面を引き裂こうとしているかのように頬と口角が吊り上がりそうになり、それに合わせて目尻も垂れ下がりそうになる。
力み過ぎた表情筋は一秒毎に既に引き千切れんばかりの激痛が増していき、周囲の人間からは見えないものの、小鼻は僅かに震え始めている。
それはまさに一之瀬シオンの表情筋の限界であり、「これ以上は耐えられない」という肉体からの危険信号だった。
───これが俺の表情筋の限界……?
───これ以上は肉体が耐えられない……?
───いや、耐えろ!!!絶対に耐えるんだ!!!
───何のために『実力を隠している人間』を演じ続けてきた?何の為にクールに振舞ってきた?
───評判の為か?名声の為か?
───それともただカッコつける為か?
───そうだ!!その通りだ!!!!!
───"実力を隠してきた強者"になったんだろ!!!これからも、その設定で学園生活を送るんだろ!!!
───だったら、こんな所で醜態を晒すな!!!
───クールであり続けろ!!!謎の実力者であり続けろ!!!
───これが俺の表情筋の限界で、これ以上は肉体が耐えられない……?
───だったら、今限界を超えろ……!!!
───SSS級で、在り続けろ……ッ!!!!
表情筋───………限界突破
その瞬間、一之瀬シオンの表情筋は強靭な精神力によって限界を超え、彼は鋼鉄の無表情を貫いた。
そして、その後は普通にユフィアと合流し、やはり熱烈な注目を浴び、時折耐え難い程の快感に見舞われながらも、シオンは何食わぬ顔をしながらアルフォンスとユフィアと三人で昼食をとるのだった。
……かくして、クロフォード魔術学園中の生徒達は"一之瀬シオン"というCクラスの生徒に対して、「得体の知れない実力者」というイメージを抱き続けるのだった。
◆ ◆ ◆
──学園対抗戦から、数日経ったある日。
一之瀬シオンはクロフォード魔術学園の学園長室を訪れていた。
そこでシオンは、長い白髪を後ろに流し、齢60弱といった具合に顔に皺が刻まれつつも、力強く威厳に満ちた目をした学園長と向き合っていた。
「───それで、俺に用件とは何でしょうか」
高級感のある艶やかな深い茶色のテーブルを挟んで対面している学園長に向かって、シオンは声を掛けた。
この日の終業後のHRの後、担任であるリナ・レスティアから「学園長からお話があるそうです」と伝えられていたシオンは、お互いに個人としては初めて対面する学園長との挨拶を済ませた後、早速本題について尋ねた。
「そうだな、早速本題に移りたいとは思うが、その前に……、私は君に、まず礼を言いたいのだ」
入室から挨拶まで、まるで相手が誰であろうと気にしていないかのように飄々とした態度を取るシオンに僅かに面食らっていたものの、学園長はシオンに促されるままに呼び出した用件について話し始めた。
「礼、ですか」
「そうだ。もう済んだ話であるから詳しくは省略させて貰うが、実は、先日の対抗戦には色々と負けられない事情があってな。……この学園の学園長として、今回は君に本当に助けられた。だから、礼を言わせて頂く」
そう言うと、学園長は目を伏せながら軽く頭を下げた。
「……そうだったんですね。ですが、対抗戦に出場するのも、試合で勝利するのも、学園に所属する生徒としてはわざわざ学園長から礼を言われるような事ではないと思いますので、お気になさらずに」
「………!……いやはや、君の器には驚かされるよ」
一介のC級生が学園長から個人的に頭を下げられるという稀有な状況にも関わらず、お互いが同等の関係であるかのように、まるで動じた様子もない目の前の生徒に対して学園長は僅かに驚いたような表情を浮かべながらも、「君の言う事も一理あるが、とにかく、私は感謝を伝えたくてね」と口にした。
「……では、礼はこの辺にして、本題に入らせて頂くよ」
シオンがコクリと頷くのを確認すると、学園長は本題に移った。
「昨日、レスティア先生の方から君の『Aクラスへの移籍』についての話をされたと思うが、君はそれを断ったそうだね」
「ええ」
「……理由を聞かせて貰っても構わないかね?」
真剣な表情で問いかける学園長に対して、シオンは淡々と言葉を並べた。
「理由と言いましても、俺は学力試験も実技試験もCクラス相当です。Aクラスに移籍して授業についていける筈がありませんから、お断りさせて頂きました」
「Aクラスの生徒になれば待遇も良くなり、環境も使用出来る学園の設備も格段に質が向上する。将来の進路を実現させる為にも、Aクラス生としての経歴を残していた方が有利となる。より学園生活を充実させ、より良い進路の為にも、CクラスからAクラスに移籍した方が遥かに良いと思わないかね?」
本心を探るように、学園長はシオンの目の奥を覗き込む。
しかし、シオンの態度はやはり淡々としたものだった。
「環境も、進路も、"Cクラス"が俺にとっての分相応ですよ」
卑下でも謙遜でもなく、ただ「それが事実」であると言わんばかりに彼は答えた。
それを受けた学園長は、
「………ふむ」
と、僅かに目を伏せた。
「レスティア先生から君が同じように答えたと聞かされたが、やはりそうなのだな……」
「ええ」
「意見が変わることなど有り得ない」というような態度のシオンに対して、「……実のところを言わせて頂くとだね」と、学園長は僅かに重苦しい様子で口を開いた。
「『学園対抗戦で"騎士学園最強の男"を倒した』という大きな実績のある人間を"Cクラス"に置いたままでは、学園、そして学園長として、『生徒の実力の鑑定能力に難があるのでは』と疑問を抱かれてしまう恐れが大いにあってだな……。かと言って、君の言う通り、試験でC級以上の成績を出しておらず、本人も移籍を拒否している生徒を無理矢理Aクラスへ移籍させるというのも本位ではない……」
「……そこでだ」と、ここからが本題と言わんばかりに学園長は顔を上げて言った。
「これから君に、抜き打ちで魔力の測定を行って貰う」───と。
「魔力の測定、ですか」
「そうだ。君にはこれから最も精密な魔力測定器具を使用して魔力を測定して貰い、その結果、もし君の保有する魔力がA級相当であれば即時君はAクラスに移籍し、恵まれた環境の中でその能力を存分に磨いて貰う」
「魔力がA級相当であっても、技術がなければ授業についていけないと思いますが」
「君はあの"クリフ・ワイルダー"を倒したのだ。もし仮に、まぁまずないとは思うが、もし仮に定期試験で使用するような基礎魔術の技量がなくとも、あの大将戦で使用した魔術だけでも君の腕前はA級以上に相当する筈だ。どのような魔術を使用したのかは見当も付かないがね……。………良いかね、一之瀬君。いくら試験で手を抜いて技術を隠そうとも、もし君がA級以上の魔力を持っていたならば、その才能を学園の環境を利用して伸ばすのは学園長としての責務だ。君ほどの器の人間であれば、理解してくれるだろう?」
と、学園長は今までの中で一番強い視線をシオンに向けた。
「……では、もし魔力がC級相当であれば移籍の話も無かった事になる、という事で宜しいでしょうか」
「ああ、それで構わない。私も出来れば生徒の希望は受け入れたいと思っているからね。『魔力がC級相当だった』という大義名分があれば、君をCクラスに置いたままでも大した問題ではないだろう」
そこに嘘はないというように、学園長はシオンからの問いに対して大きく頷いた。
そしてシオンは、
「………分かりました」と、学園長の話を受け入れた。
「…………うむ。では、測定を始めよう」
学園長は「恐らく何らかの事情があって実力を隠さなければならないのだろう」という事は汲んでいたが、学園長の立場としての責務もあり、「申し訳ない」という言葉は胸に押し込んだ。
そして、ゴトリ、と、シオンと学園長との間に挟まれているテーブルに少し重々しく置かれたのは、最下部に10cm程の薄い水晶がはめ込まれた縦40cm横25cm厚み5cm程の四角い木の箱のようなものだった。箱の表面には、最下部の水晶を起点とし、枝分かれしながら最上部位まで伸びる木のような溝が刻まれている。
「これが、これから測定を行う魔力測定器具だ。水晶の部分に掌を当てると、この溝に水が流れるように魔力の光が灯っていき、その距離と幅によって魔力量と魔力強度を測定する」
「触れるだけで良いんですか」
「ああ、触れるだけで構わない。だからこそ、この器具の測定結果はどうやったって誤魔化す事は出来ないだろう。その結果によって、君の今後が決定する」
「分かりました」
「……では、始めたまえ」───と促すと、静かに頷き、ゆっくりと水晶に向かって手を伸ばし始めたシオンを注視しながら、学園長はゴクリと生唾を飲み込んだ。
飄々とした無表情を崩さないシオンと、緊張した面持ちの学園長。
シン……とした空気の中で、ついにシオンの掌が水晶に触れ、光る水が流れていくように器具の表面の溝に光が灯り始めた。
そして数秒の後、水の流れが止まるように、進むように溝に灯っていっていた光が動きを止めた。
その時点で木の箱に灯った光が、一之瀬シオンの魔力の測定結果だった。
そして、その結果が出た直後。
「な、なんと……ッ!!」
学園長は目を見開き、額に汗を浮かべながら声を上げた。
「なんという事だ……ッ!!信じられない!!」
器具を両手で持ち上げ、食い入るように表面に目を向ける学園長。
「こ、こんな、こんな魔力、有り得ない……っ!!」
そして、そのように尋常でない動揺を見せる学園長に対して、シオンは問いかけた。
「俺の魔力が有り得ないって、もしかして強すぎるって意味ですか?」
───と。
それに対して、学園長は訝しむような表情を浮かべながら首を横に振った。
「違う、弱すぎるって意味だ……」
「………ソウデスカ」
一之瀬シオンは、先程までと同じような無表情、平坦な声色ではあるものの、先程までと比べて、どこか心を失ったように呟いた……。
……そして、その後。
学園長は魔力器具の故障を疑い、同じ器具を使用して自分の魔力を測定し、改めて間違いのない測定結果である事を確認するまでの間、学園長は終始器具に対して疑いの目を向け続けていた。
そんな学園長に対し、
「これで、俺のAクラスへの移籍は白紙という事で宜しいでしょうか」
と、まるで最初から結果等分かりきっていたかの様に淡々と尋ねたシオンに対して、学園長が「あ、ああ……、そうなるな」と答えると、
「そうですか。では、本題も済んだという事で、俺はこれで」
と、シオンは未だ動揺の収まらない学園長に向けて一度頭を下げ、身を翻して出口に向かい、扉を開いた。
「それでは、失礼します」
もう一度学園長に向かって頭を下げると、一之瀬シオンはそのまま学園長室を後にした。
学園長一人きりになって訪れた沈黙。
暫くして、ポツリ、と学園長は一人呟いた。
「一体……どういう事だ……」
学園長の中に浮かぶ、拭いきれない疑問。
一之瀬シオンの魔力の測定結果は、まさに"C級相当"というものだった。
Cクラスの生徒の魔力がC級相当である事は、本来であれば当然であり、不可解な要素などは何一つない。
しかし、一之瀬シオンは数日前の学園対抗戦において、"S級騎士学生"であるクリフ・ワイルダーを破っているのだ。
学園対抗戦では、装着者の保有する魔力量に応じた耐久値が防具に設定され、ダメージを与えてその耐久値を削り切る必要がある。
魔術学生だけでなく、身体強化魔術や、武器や防具への付与魔術によって実力が左右される騎士学生もまた、必然的に"強い者"ほど多くの魔力を保有している事となる。
であれば、S級、或いは実力的にはSS級とも謳われているクリフ・ワイルダーの保有する魔力量、そしてその魔力量に合わせて設定された防具の耐久値は、アルフォンス=フリードやユフィア・クインズロードでさえ一撃で削るという事は不可能な程に膨大な値となっていたのは間違いない。
にも関わらず、一之瀬シオンはたった一瞬にしてクリフ・ワイルダーの防具の耐久値を削り切った。
それこそが、学園長にとっての最大の疑問点だった。
仮にどれほど高威力の魔術を発動したとしても、"C級相当の魔力量"で"SS級相当の魔力量"に応じた耐久値を削り切る程のダメージを出すなど、本来であれば絶対に有り得ない。
だからこそ、学園長は一之瀬シオンはA級以上の魔力を保有していると確信しており、それ故に先程の測定結果を疑わざるを得なかったのだ。
「(あんなに少ない魔力量で"S級"の魔力に応じた耐久値を削り切る事など、果たして可能なのか……?)」
「(一体、あの時フィールドで何が起きたというんだ……)」
学園長の頭に浮かぶいくつもの疑問。
そして学園長は、
「あの生徒は、一体何者なんだ……」
という最大の疑問を、一之瀬シオンが退出していった扉を見つめながらポツリと呟いた。
抜き打ちの魔力測定の結果、C級相当の魔力量という事が判明して尚、否、C級相当の魔力量であることが判明したからこそ、"一之瀬シオン"という生徒に対する学園長の疑問は深まるのだった……。




