55. 限界突破
セオ・サンタクルスとライアン=デュノーによる学園対抗戦の副将戦は、騎士学園代表のライアン=デュノーが勝利を納めた。
今対抗戦においてのベストバウトとも呼べる激闘は、勝者と敗者の両名に対する惜しみの無い喝采を呼んだ。
そして、副将戦が終わり、今年の学園対抗戦の勝利校を決める大将戦を控えた闘技場内は、大きな期待感に溢れ返っていた。
自分達の学園の名誉と威光を賭けた対抗戦の勝敗の行方は当然気になるものの、しかしながら、観客達の最大の注目は何と言っても大将戦に出場する"クリフ・ワイルダー"の実力。
クリフ・ワイルダーは三年生ではあるが、昨年は今年と同じく王国騎士団の任務に参加していた為、昨年度の学園対抗戦には姿を見せなかった。
故に、今回は魔術学園の生徒を含め会場にいるいくらかの生徒達にとって、ワイルダーの戦いを初めて観覧する機会。
現時点で王国騎士団の大きな任務にも参加しているクリフ・ワイルダーに対して、「既にプロとも言えるワイルダーは、学生同士の試合に出場するには不適応なのでは」という否定的な反応もあったものの、
やはり人は「"生きる伝説"を目の当たりにしたい」という欲求には抗えず、魔術学園の生徒達もクリフ・ワイルダーの実力に大きな注目を寄せていた。
既にワイルダーの実力を知っている生徒達は勿論、"騎士学園史上最強"との呼び声も高いクリフ・ワイルダーの試合に対して、会場中で大きな期待が膨れ上がっていた。
──そんな中。
大将戦の開始を待ち侘びる生徒達に対して、「ここで、大将戦についてのお知らせです」と、アナウンスが響いた。
「クロフォード魔術学園の大将を務める予定だったデイビス・ジャーホンク選手は体調不良によって欠場となり、それに伴い、代理として"一之瀬シオン"選手がクロフォード魔術学園の大将に変更となります」
そのアナウンスを聞いた観客達は、怪訝な表情を浮かべながらざわついた。
「魔術学園の大将が体調不良で欠場……?」
「代理のイチノセ……って、誰だ?」
「聞いた事もないな……」
まるで聞き覚えのない選手に対して、微妙なリアクションを見せる生徒達。
観客の気分が下がるのも、無理はなかった。
折角の"騎士学園史上最強の男"の試合が見られるというのに、その相手が何の実績もないような無名の選手であるならば、そもそもまともな戦いになるとも思えず、そんな選手にワイルダーが勝利したところでいまいち盛り上がりに欠けてしまうのは必然。
「折角、"クリフ・ワイルダー"の実力を観られる機会だと思ったのになぁ……」
S級や四年序列一位の選手でもなく、魔術学園の代表選手内の四番手、或いは五番手のデイビス・ジャーホンクでさえクリフ・ワイルダーの好敵手とは到底言えない選手だったが、それよりも更にグレードの下がる相手に変更となれば観客達の期待値が下がるのは必然的だった。
その盛り上がりは完全な鎮火とまではいかったものの、会場内には明らかに熱気の冷めた空気が漂っていた。
だが、そんな中。
「イチノセって……、あの一之瀬か……!?」
「なんであいつが大将戦に……!?」
周りの観客達とは明らかに違う反応を示す生徒達がいた。
それは、一之瀬シオンのクラスメイト達だった。
日頃、一之瀬シオンと共に授業を受け、実技の授業でシオンが間違いなく"C級レベルの実力者"である事を知っている彼らは、まるで想定外のアナウンスに驚愕の表情を浮かべていた。
そして、そんな一之瀬シオンのクラスメイトとも異なる反応を見せる生徒も。
「わ、わぁ……!シオン君だぁ……!」
観客席の中で唯一、一之瀬シオンが大将戦に出場する事を知って目を輝かせていたのは、魔術学園の武器練成魔術の特待生、エリオット・フリーガンだった。
───それから、観客席の最後列に座るリナ・レスティアもまた、一之瀬シオン出場のアナウンスに困惑した表情を浮かべていた。
「(さっきの一之瀬君を呼び出すアナウンスは気になっていましたけど、まさか一之瀬君が大将戦に出場するなんて……)」
レスティアは静かに、しかしどこか心配するような視線を闘技場中央のフィールドへ向けていた……。
◆
闘技場内の魔術学園側の準備ルームにて、一之瀬シオンは対抗戦の実行委員からルール説明を受けていた。
「───以上が、試合のルールとなります。何か、質問はありますか?」
「いいえ、大丈夫です」
「そうですか。では、先程も申し上げましたが、『勝利する事が困難だと判断した場合』には、速やかな降参をお勧め致します」
「はい」
「それでは、ご健闘をお祈りしております。準備が出来次第、フィールドの入退場ゲートにお願い致します」
「分かりました」
ルールの確認が十分である事を確かめると、改めて早めの降参を念押し、「では、失礼致します」と、実行委員は準備ルームを退出した。
その後、シオンは準備ルームに用意されていた強化繊維の戦闘着を着用すると、滑り止め用の黒いオープンフィンガーのグローブを装着した。
そして使用する武器として、刀身が僅かに反り返った片刃の剣、いわゆる"刀"を一本手に取ると、一之瀬シオンは準備ルームの扉のドアノブに手を掛けた。
───「(……必ず勝つ)」
静かに、しかし揺ぎ無い闘志を滾らせるシオン。
彼には、無謀とも思える大将戦の出場を引き受けた理由があった。
それは、クロフォード魔術学園の植物魔術の授業の廃止、そして、彼の担任教師であるリナ・レスティアの解雇を白紙にする為。
副将戦の後、場内アナウンスによって選手控え室の前に呼び出されたシオンは、魔術学園側の対抗戦の監督教員から「大将戦に出場して欲しい」という話を持ち掛けられた。
そこでシオンは「大将戦出場を予定していた四年生が体調不良で欠場する事」、「二年生から四年生までのAクラスの生徒達には既に代理の出場を断られている事」、「エリザ・ローレッドの強い推薦によって自分が候補に挙がった事」、そして、「自分が代理の出場を断った場合、即時大将戦の中止が決定され、不戦敗となる事」を伝えられた。
シオンは、自分が大将戦で勝てるとは到底思っていなかった。
どれだけ素早かろうが、どれだけハッタリを効かせようが、どれだけやせ我慢をしようが、"対抗戦のルール"において、一之瀬シオンが格上相手、それもS級、或いはSS級とも言われている選手に勝てる可能性など、存在する訳がなかった。
しかしそれでも、彼は大将戦の出場を引き受けた。
何故ならば、「自分が出場しなかった時点で確実に不戦敗となる」から。
不戦敗で負けるくらいならば、自分が出場する。どれだけ勝機がなかろうと、僅かでも希望を繋ぐ事が出来るならば、何だってする──、それが、一之瀬シオンの出した答えだった。
そして、出場が決定した以上、一之瀬シオンには負けるつもりなど毛頭なかった。
どれ程の実力差があろうと、勝てる可能性が一切ない事が分かっていても、どれだけ無謀でも、それでも、彼の中には身を焦がすほどの闘志が漲っていた。
大将戦を目前にした彼は、ただ勝利する事だけを見据えていた。
……そんなシオンが、準備ルームの扉を開き、通路に出ると。
「!」
シオンが出るのを待っていたかのように、三人の魔術学生がそこに立っていた。
「……一つだけ、アンタに言っておかなきゃって思ってね」
シオンと顔を合わせ、最初に口を開いたのはエリザ・ローレッドだった。
「アンタはこの私の推薦で大将になったんだから、負けて私にまで恥をかかせないでよね」
突っぱねるような言い方をしたエリザに対して、シオンはわざとらしく恍けた表情を浮かべながら言葉を返した。
「恥も何も、お前はもう中堅戦で───」
「黙れ、喋るな黙れ。口を閉じろ喋るな」
エリザは、こめかみに青筋を浮かべながら捲し立てた。
そんなエリザの反応を見て愉快そうな笑みを浮かべるシオン。
「………」
そして、シオンはふと神妙な顔つきでエリザを見つめた。
「……なっ、何よ。……もしかして、表舞台に引っ張り出されて、怒ってる訳……?」
エリザは、「一之瀬シオンは事情があって実力を隠している」と勘違いをしている。
その為、今回学園対抗戦という公衆の前に立たされる事を不快に思っているのでは、と、強気な口調ながらも、シオンに対して僅かに申し訳なさそうな目を向けた。
しかし、対するシオンは、
「……いや、怒ってなんかいないさ」
と、首を横に振った。
「むしろ……」
「むしろ?」
何かを言いかけたシオンに対して、エリザは言葉の続きを求めたが、シオンはもう一度首を横に振り、
「いや、何でもない」
と、小さく笑みを浮かべた。
「なっ、何よそれ!!言いなさいよ!!」
ぷんすかと怒るエリザだったが、
「……何でもないって。応援ありがとな、エリザ」
と、シオンに言われると、
「はっ、はぁぁぁ!?応援なんてしてませんけどー!?ってか、する訳ないでしょうが!!馬鹿!!負けろ!!」
エリザは怒鳴り散らしながらシオンに背を向けて大股でズカズカと歩き出し、準備ルームの隣にある選手控え室の扉を勢い良く開けた。
そのまま選手控え室に入ると思われたが、エリザは扉を開けたまま一瞬シオンの方へ振り向くと、
「やっぱり、……今の無し。もし私がリベンジする前に他の誰かに負けたら、許さないから」
と言い残し、選手控え室に入って扉を閉めた。
……エリザがいなくなった通路にて、僅かな静寂の後に口を開いたのは、アルフォンス=フリードだった。
「シオン君」
「……アルフォンス」
声を掛けられたシオンが返事をすると、アルフォンスはシオンの目を見て話し始めた。
「まずは君に、お礼を言わなきゃと思ってね」
「礼?」
「うん。君の協力が無ければ、僕はロイドには勝てなかった。僕がロイドに勝てたのは、君のお陰だよ、シオン君。だから、本当に有難う」
アルフォンスが軽く頭を下げると、シオンは小さく首を横に振った。
「俺のお陰なんかじゃないさ。ロイドに勝てたのは、間違いなくお前の実力だよ、アルフォンス」
「いや、君のお陰だよ」
ニコリと笑顔を見せながらも、「それだけは譲れない」と言わんばかりに強い視線を向けるアルフォンス。
そんな彼に対して、シオンは「そうかよ」と、根負けしたように薄い笑みを浮かべた。
「それと、君に言っておきたい事は、もう一つ」
「なんだ?」
シオンが聞き返すと、アルフォンスは少しだけ真剣な面持ちに変わった。
「君は"僕がロイドに舐められてる事"に腹を立ててくれていたけど、それは僕も同じだよ」
「?」
軽く首を傾げるシオンに対して、アルフォンスは続けた。
「これまで言わないようにしてたけど、僕だって本当は、君と一緒にいる時に周りから"なんでC級なんかと……"なんて言われる事に、ムカついて仕方なかったんだ」
「!」
「だから、君が、──僕の英雄が、"本当はとんでもなく凄い人"なんだって、皆に分からせてやって欲しいんだ」
そう言うと、アルフォンスはシオンに向けて拳を突き出した。
「勝ってよ、シオン君。──思いっきり、ぶっとばしてやれ」
ニカリと笑いながら、力強い視線をシオンに向けるアルフォンス。
「………」
それを受けたシオンは、どこか嬉しそうな表情を浮かべながら軽く俯くと、「……あぁ」と呟き、顔を上げた。
「勿論、勝つさ」
シオンもまた力強い視線をアルフォンスに向けると、アルフォンスの突き出した拳に自分の拳を当てた。
想いを受け取るように、がっちりとアルフォンスと視線を合わせた後、シオンは通路に立つ最後の魔術学生に視線を向けた。
「……シオン」
ユフィア・クインズロードは、何を言うでも無く、ただ一之瀬シオンの顔を見つめた。
心配しているのか、応援しているのか、不安なのか、期待しているのか。
その表情からは、何も読み取る事は出来なかった。
……一之瀬シオン、ただ一人を除いて。
真っ直ぐ見つめるユフィアに向かって、シオンは何も言わず、ただコクリと頷いた。
そして彼は、それぞれの想いを受け取り、入退場ゲートへと向かって歩みを進めた。
「それじゃあ、──行って来る」
……静かで、しかし確かに力強い声が通路に響いた。
◆
「それではこれより、学園対抗戦、大将戦へと移ります」
「───選手、入場」というアナウンスと同時に、闘技場内の大きなボードに代表選手の名前が表示された。
『 大将戦
KNIGHT 第三学年Aクラス クリフ・ワイルダー
MAGICIAN 第二学年Cクラス 一之瀬 シオン 』
代表選手の学年、クラス、名前が表示された直後、会場内に大きなざわめきが走った。
「は、はぁ!?Cクラス!?」
「魔術学園の代表は、C級の生徒なのか……!?」
「しかも、二年!?」
「何考えてんだ魔術学園は……」
事前のアナウンスでは代理の選手の名前しか発表されていなかった為、そこで初めて「一之瀬シオンがC級魔術学生である」という事を知った観客達は、一様に驚愕の表情を浮かべた。
そして、徐々にざわめきは小さくなっていき、生徒達は次第に事情を察したように呟き始めた。
「てかさ、これ要するにあれだろ」
生徒達は、冷めたような、呆れたような声で言う。
「魔術学園は、大将戦を完全に捨てたって事だろ」
「どうせ負けが確定しているなら、優秀な生徒の経歴に無駄な傷が付かないように、負けても痛くない"身代わり人形"を用意したのだろう」と、生徒達は魔術学園の事情を見透かしたような反応を浮かべた。
「"クリフ・ワイルダー"が相手じゃ、分からなくもないけどさぁ……。ここまで露骨にやられるとな……」
「流石に白けるわ……」
期待していた大将戦が完全に"消化試合"となった事で、生徒達の間に落胆と幻滅の空気が漂う。
「S級がC級を痛めつけるだけの試合なんて、はっきり言って見てられねぇよ」
「ワイルダーも、こんな"弱い者いじめ"を無理矢理させられるなんて気の毒にな……」
盛り下がりの果てには、クリフ・ワイルダーに対する同情的な視線まで向けられていた。
そして、大きな落胆を見せているのは騎士学園の生徒達だけではない。
「あーあ。今年こそ魔術学園が勝つって思ったのにな……」
「これじゃ、応援する気も起きないわ……」
「ここまで来て、大将戦が一番盛り下がる試合だなんてな」
魔術学園の生徒達もまた、同様に冷めた空気を漂わせていた。
そんな、闘技場内が完全に白け切った空気になっている中───。
「頑張れーーー!!シオン君、頑張ってーーー!!」
突如、冷めた空気を切り裂くように、魔術学園の代表に対する熱い声援が響いた。
「シオン君、負けるなーーー!!」
会場内で唯一人声を上げたのは、エリオット・フリーガンだった。
一人だけ明らかに浮いた熱量を見せるエリオットに対して、周りが奇異の目を向けているのもお構いなしに、彼は小さな体から精一杯の大声を出し、「頑張れ、シオン君負けるな」と、一之瀬シオンに声援を送り続けた。
相手がS級騎士学生だろうと、周りが一之瀬シオンの負けを決め付けていようと、エリオットは彼を応援した。
エリオット・フリーガンにとって一之瀬シオンは友達で、恩人で、ヒーローで、そして「誰よりも強く優しい人間」である事を知っているから。
そして、そんなエリオットの熱意に触発されたように、また一人、シオンに声援を送る生徒が現れた。
「そうだー!!負けるんじゃねーぞ、C級!!」
それは、魔術学園二年Aクラス所属の生徒、テッド・エヴァンスだった。
「折角アルフォンスが一勝を挙げたんだ!!絶対に勝ってもらう!!お前ら、何ボーっとしてんだ!!これから魔術学園の代表選手が戦うんだぞ!!俺達は、死ぬ気で応援するしかねーだろ!!」
「そ、そうだな……!」
「が、がんばれーC級!」
テッドの熱に圧された周りの生徒達は、ぎこちないながらもシオンに声援を送り始めた。
そして、徐々に魔術学生達の応援の熱量が上がって行く中、
「ちょっと待てよ……。よく見たらあのC級、アルフォンス=フリードやユフィア・クインズロードとよく一緒にいる生徒じゃねぇか!!」
という声が上がると、それに呼応するように他の生徒も声を上げた。
「そ、そう言えばそうだ!!実は前から、あのC級には何かあるんじゃねぇかって俺は思ってたんだ……!」
その目は、何かを期待するような眼差しだった。
「そうだよな……冷静に考えれば、幾らなんでもこのタイミングで"ただのC級"が大将になる訳がないんだ……!」
「S級相手にC級なんかじゃ……って思ってたけど、まだ分からねぇぞ!!」
エリオットやテッドの熱量に周りが感化されていく中、それに加えて「実は一之瀬シオンは只者じゃない」という可能性まで浮上し、魔術学園の生徒達の期待の歓声が沸き上がった。
───そして、騎士学園の生徒達の態度にも変化が現れた。
先程、消化試合となった大将戦に対して幻滅した発言をしていた騎士学生達に対して、一人の騎士学生が諭すように語り始めた。
「魔術学園は大将戦を捨てたと言っていたな。確かに、もしかしたら、それは事実なのかも知れない。……しかし、あのC級の選手はどうだ」
力強い声で周りに問いかけるように話し始めたのは、シーサケット・ロドリゲスの試合の後にも真っ先に擁護と非難の声を上げた、騎士学園四年のルイス・ケリーだった。
「彼の目を見てみろ。彼は、勝利を諦めてなどいない。彼自身は、勝負を捨てていない。……C級の彼が、あの"クリフ・ワイルダー"を前にして、だ」
「………!!」
「魔術学園の代表がC級の生徒に代わった」という事実にしか目を向けていなかった騎士学園の生徒達は、ケリーの言葉を聞いてハッとした表情を浮かべた。
「相手がどんなに格上だろうと、決して勝利を諦めない。あれこそまさに、我々が理想とするべき"騎士道精神"そのものではないのだろうか」
周りの騎士学生達が息を呑んで聞き入る中、ケリーは更に熱を込めて声を上げた。
「その姿は、例え敵であろうとも、称えるべき戦士の姿ではないだろうか。我々がこれから戦う二人を前に冷めた目を向けるなど、気高い戦士に対する侮辱ではないのかッ!あの二人に声援を送る事こそ、我々のやるべき事ではないのか!!」
「………ッ!!」
ケリーの熱弁を聞いた騎士学生達は、次々と目を覚ましたように声を上げた。
「……そうだ、その通りだ。……ケリーの言う通りだ!!」
「騎士たるもの、あの勇敢なC級の選手を称えなくてどうする!!」
「学園対抗戦の大将戦なんだ……!俺達が、最後まで盛り上げようじゃないかっ!!」
「C級……いや、一之瀬シオン!!頑張れー!!応援してるぞー!!」
と、魔術学園だけでなく、騎士学園の生徒達もクリフ・ワイルダーに挑む一之瀬シオンに対する声援を送り始めた。
「頑張れC級ー!!」
「期待してるぞー!!」
「あのクリフ・ワイルダーと戦うんだ、負けても何も恥ずかしくないからなー!!」
「そうだ!!負けても誰も責めたりしないぞー!!全力で戦えー!!」
「ワイルダーさん、手加減なんかしないでぶちかましてやって下さい!!」
「ワイルダーさんが絶対に勝つって、信じてます!!」
「二人とも、熱い試合を見せてくれー!!」
魔術学園640人、騎士学園960人と、生徒の総数は魔術学生の方が少ないが、一之瀬シオンのその勇敢さを称える騎士学生も非常に多く、シオンとワイルダーに対する応援の割合は会場全体でまさに半々といったものだった。
これまでの試合のように「お互いの学園の名誉と威光を賭けた試合」にボルテージが上がっていた歓声とは趣が異なるものの、大将戦に対して大きな盛り上がりを見せる場内。
第四学年序列二位の生徒から、ただのC級の生徒に代表が代わったものの、───否、ただのC級の生徒に代わったからこそ、会場内には大きな声援が湧き上がっていた。
◆
観客席から響く歓声など届いてもいないかのように、フィールド内には静かで張り詰めた空気が漂っていた。
一振りの刀を手に持つ一之瀬シオンから20メートル程離れた位置で向き合っているのは、全身に中量級の鎧を纏い、一本のロングソードを中段に構えたクリフ・ワイルダー。
試合開始の合図を目前にした今、ワイルダーから放たれる殺気はフィールド内のどこにも逃げ場が無いと思える程の威圧感を孕んでいた。
20メートル以上離れていてながらも、一之瀬シオンにはハッキリと分かった。
──自分の立っている場所は、既に相手の間合いの中だと。
クリフ・ワイルダーの放つそれは、決して一流の戦士とは言い難いシオンにも肌で感じられる程の、まさに圧倒的な迫力だった。
一之瀬シオンはクリフ・ワイルダーの全てを知っている訳ではない。
それでも、対面した今、クリフ・ワイルダーがSS級と呼ばれるに相応しい"怪物"であるという事は疑う余地もなかった。
──たかがC級レベルの自分の攻撃魔術なんて、通用するわけが無い。
──数年間剣の鍛錬を積んで来たとは言え、自分のレベルの剣技が本職である騎士に通用する訳がない。
そんな事は、一之瀬シオンには当然に分かりきっている事だった。
「───試合、開始ッ!!」
───しかし、それでも。
「(──限界加速!!)」
一之瀬シオンは一切の躊躇無く、全速力で突進を始めた。
場内にいる観客達は、「負けても誰も責めないから、全力で戦え」と、シオンが負ける事を前提としつつも肯定的な激励を送った。
それは、S級、或いはSS級の相手と戦うC級の生徒の勇敢さを尊重した応援だった。
しかし当の一之瀬シオン本人は、負ける気など微塵も持っていなかった。
「(負けても誰も責めない……?……いや、そんな事は有り得ない)」
「(少なくとも一人、この試合で俺が負けることを絶対に許さない人間がいる)」
それは、──一之瀬シオンだ。
──俺は知っている。
──知ってしまっている。
この対抗戦で魔術学園が敗北すれば、植物魔術の授業が廃止となり、リナ・レスティアが解雇される事を。
そして、そのリナ・レスティアがどれだけ植物魔術の研究と授業を大切に思っているか、解雇を覚悟した彼女が、どれだけの悲しみを抱いているか───、俺は知っている。
──だから俺は、この試合で負ける事は許されない。
──この試合で負けることを、絶対に許さない。
もしも圧倒的な格上であるクリフ・ワイルダーを相手に一之瀬シオンの攻撃が通用する可能性があるとすれば、それは彼の扱える最高位の魔術"限界加速"以外には有り得ない。
対抗戦の試合のルールは、「それぞれの保有する魔力に応じた防具の耐久値を全て削る事」が勝利条件。
魔術攻撃ではなく近接武器を扱う騎士でも、その実力は「身体強化魔術」に大きく左右される為、優れた騎士は必然的に保有する魔力量も多い。
そして、その騎士がS級、或いはSS級とも謳われるような実力者であれば、その防具に設定された耐久値も必然的に桁違いの値になる。
そんな耐久値を、一之瀬シオンのC級レベルの攻撃魔術で削り切る事はまず不可能である。
そんなC級レベルの貧弱な魔術攻撃しか行えない一之瀬シオンではあるが、彼には明らかにC級の範疇を越えたダメージを出す手段が一つだけある。
それは、「限界加速」を使用した上での、鉄製の刀による物理攻撃。
「限界加速」という非常に高位の魔術を使用した現在の一之瀬シオンの速度は、一秒間に340メートルもの距離を進む"音"さえもを凌ぐ、秒速400メートルという常識外れの速度に到達している。
この凄まじい速度で20メートルの距離を直進し、そのまま体重を乗せた刀を振るえば、鉄製の鎧をひしゃげさせる程の威力にはなるだろう。
──だが、その程度では、S級騎士を相手に掠り傷程のダメージさえ与える事は出来ない。
それは、一之瀬シオンは言われずとも分かり切っている事だった。
それでも彼は、それ以外の手段を持っていない。
彼の持つ唯一の手段を、ただ全力で行うしかない。
己の全てを振り絞って前に進む一之瀬シオンの中に浮かぶのは、この学園対抗戦を戦った生徒達の姿。
──ユフィアとアルフォンスが、二つの白星を獲ってくれた。
──エリザとセオ先輩が、最後まで戦い抜く熱い闘志を見せてくれた。
───俺は、大将戦まで繋がった希望を、決して取りこぼす訳にはいかないんだ……!!
絶対に負けられない理由、繋がれた思い、そして圧倒的な強者を前にしている緊張感によって、一之瀬シオンの集中力は極限まで高まり、その意識は"トランスゾーン"へと突入していた。
──俺は、一体何のために努力して来た?
──何の為に最強を目指してきた?
──地位の為か?名誉の為か?
──それともただカッコ付ける為か?
違う
どれも違う
『最強の魔術師になって、助けが必要な人や、誰かの大切なモノの為に……、戦えない人の代わりに、俺が戦う。英雄譚の主人公のように、誰かの為に戦える最強の魔術師になる事───それが、俺の夢だ』
俺は、誰かの為に戦えるように強くなりたかったんだろ!!
誰かの大切なモノの為に、戦える人間になりたかったんだろ!!
だったら今こそ、その時だろうがッ!!
一之瀬シオンが動き出して尚、クリフ・ワイルダーは中段に剣を構えたまま微動だにしない。
フルフェイスの兜で表情は見えない為、シオンの動きに反応しているのかどうかさえ定かではない。
しかし、その視線が見えずとも、紛れもなく一之瀬シオンを狙い定めている気配がある。
距離が縮まる度に、シオンは自分が"死"に近づいている事を肌で感じる。
しかし、それでも。
──辿り着く先が"死"だろうと、決して足を止めるな。
──前に進み続けろ。
──怯むな、臆するな。
──踏み出せ。
──もっと速く、更に速く……!!
シオンの強靭な精神が、更なる加速を肉体に要求する。
……しかし、一之瀬シオンの速度はそれ以上は上がらない。
どれだけ力を振り絞ろうとも、そこで打ち止めだった。
「限界加速」とは、術者の脳が発する電気信号の「伝達速度」と、筋繊維の「伸縮速度」を爆発的に加速させる魔術。
文字通り、肉体の"限界"まで術者を加速させる魔術である。
"トランスゾーン"に突入している今、一之瀬シオンの意識は秒速400メートルの速度で動く視界がスローモーションに見える程の領域に到達していた。
しかし、どれだけ意識が加速していても、彼の肉体はそれに追いついていなかった。
「もっと速く動け、更に加速しろ」と肉体に命じても、彼の身体はそれに応えない。
それどころか、既に彼の身体は限界を迎えており、血が沸騰するように熱くなり、全身数箇所の毛細血管が裂けて内出血を起こし、あらゆる筋繊維が無理な動き耐え切れずに断裂し始めている。
足を強引に前に出そうとすれば、痛みに対して異常な耐性を持っている一之瀬シオンでさえ気を抜けば意識を飛ばしそうになる程の激痛が走り、まるで固定された状態の足の骨と肉を引き千切ろうとしているかのような錯覚に襲われる。
それは紛れもなく、"これ以上は危険"だという肉体からの信号だった。
──これが俺の限界……?
──これ以上は肉体が耐えられない……?
否が応でも突きつけられる、一之瀬シオンの限界地点。
そしてその事実を、彼は受け入れざるを得なかった。
しかし、それでも───。
───だったら、耐えなくても構わない……ッ!!
──身体がひしゃげようと、四肢が捥げようと、俺は必ずあいつを倒す……!!
──今の速度が俺の限界で、この速度じゃ間違いなくクリフ・ワイルダーは倒せない……。そんなのは分かってる。
──だが、それがどうした……!!!
──今の俺に倒せないなら、──限界を越えろ!!
一之瀬シオンの限界を俺が決めつけるな
これが自分の限界だなんて諦めるな
──俺には秘めたる力があるんだろ?
──隠してる"真の実力"があるんだろ?
だったら、今ここで見せてみろ……!!
妄想なんかで終わらせるなッ!!
己を信じる気持ちを、力に変えろ……!!
ただひたすらに突き進め、決して臆するな。
相手がS級だろうがSS級だろうが関係ない。
俺には、それを越えられるだけの力があると信じろ!!
────自分を、SSS級だと思い込め!!
限界加速──……限界突破
……その瞬間。
バチリと、一之瀬シオンの全身に静電気のような光が迸った。
そして、その肉体は音を抜き去る稲妻の如く加速し、これまでの"限界"とは桁違いの速度へと到達した。
───そして、その直後。
アルバレス騎士学園とクロフォード魔術学園の学園対抗戦、その大将戦は一瞬で決着を迎えた。




