44. ユフィアとシオン
……ユフィアが山の中に一人置き去りにされているところをシオンが救出した日の、翌日。
ユフィアを昏睡させる為に使用された薬品の影響は完全に消失していた。
身体に異常はなく、魔術も問題なく使用出来ることを確認すると、ユフィアはいつも通りに魔術学校へ登校した。
ただ、普段通りに授業を受けながらも、ユフィアの頭には授業の内容は一切入ってこなかった。
授業中も休み時間も、汗だくになりながら自分を助けに来てくれたシオンのことで頭の中がいっぱいだった。
彼の声が、表情が、背中の温もりが延々と思い起こされて、彼女の意識はどうにも授業に向けられなかった。
……そんな状態で午前の授業の終わり際まで時間が過ぎた頃。ふと、昨日のシオンと関連付いたもう一つの事柄がユフィアの頭をよぎった。
「(……そういえば……。昨日の犯人は、誰だったんだろう……?)」
それは、本来であれば真っ先に知っておくべきことだった。
今は夢見心地のユフィアだが、このままでは正体不明の犯人に狙われ続ける恐怖心に苛まれることになるのは間違いない。
昨日、シオンは犯人から直接ユフィアの居場所を聞いたと言っていた。
つまり、シオンは犯人を知っている。
「(犯人が分かっても、どうしたらいいか、……分からない……。でも……、知っておいた方が、いいよね……)」
昼休みの時間にユフィアはシオンに話を聞くことにした。しかし……。
「(あれ……。シオン、いない……)」
午前の最後の授業が終わってからユフィアはすぐにシオンに声を掛けようとしたが、彼は席にいなかった。
シオンが教室に戻ったらすぐに話が出来るように、ユフィアは食堂には行かずにずっと教室でシオンを待ち続けた。
だが、シオンはなかなか教室に姿を見せず、ようやく彼が戻ってきたのは昼休みの終了間際になってからだった。
「(あっ……! シオン、来た……! でも、遅いよね、今からじゃ……)」
教室に入って来たシオンを見つけ、ユフィアは椅子に座った状態から一瞬だけ腰を上げたが、話を聞くような時間はないと判断してそのまま座り直した。
すると、そのまま次の授業の準備を始めていたユフィアのところにシオンがやってきた。
「……!」
「放課後、一緒に来てくれ」
「……え?」
それだけ言うと、シオンはそのまま自分の席に戻っていった。
「(放課後……? な、なんだろう……?)」
自分の席で黙々と授業の準備をし始めたシオンを、ユフィアは唖然とした様子で見ていた……。
◆
……放課後。帰りのホームルームが終わり、次々とクラスメイト達は教室を出ていった。
そうして教室に残ったのがユフィアとシオンの二人だけになると、シオンはユフィアに声を掛けた。
「それじゃあ、行くぞ」
「あ……、う、うん……っ」
教室を出て先導するように廊下を歩くシオンの後をユフィアは追った。
「その、シオン……。どこに、向かってるの……?」
「……今から、会わせる」
「だ、誰に……?」
シオンの表情や口調は淡々としており、その感情は読み取れなかった。
そうして廊下を進んでいると──。
「誰にって、それは──」
「(あっ……。ここ……)」
シオンが立ち止まったところは、昨日ユフィアが呼び出された空き教室の前だった。
「こいつらに、だ」
そう言って、シオンは空き教室のドアを開いた。
「「……‼」」
ドアを開いた先で、ユフィアと目が合った二人の人物はビクッと怯えるように強張った。
「え、と……。シオン……? この子たち……」
その二人の人物はユフィアやシオンと同じクラスの女子生徒たちで、先日シオンと口論をしていた二人組だった。
二人組は完全に血の気の引いた顔で、目には涙を浮かべていた。
「この二人が、ユフィアに話があるんだと」
「私、に……?」
シオンに誘導され、ユフィアはおぼつかない足取りで教室に入った。
「それじゃあ、俺はこれで」
「えっ……⁉」
そういうと、シオンはそのまま空き教室の扉を閉めた。
「あっ……! シ、シオン……!」
「ユフィアさん……!」
「!」
思わずシオンを追いかけようとしたユフィアだったが、後方から声を掛けられ、一度そちらへ振り向いた。
「あのっ! 昨日は、ごめんなさい……‼」
「本当にごめんなさい……‼」
「……⁉ ……え、と……」
ガバッと二人の女子生徒は勢いよく屈むと両膝と両手を地面に付け、顔はユフィアの方へ向けた。
困惑するユフィアに対して、彼女たちは必死な様子で言葉を続けた。
「一之瀬君から聞いたかもしれないけど……。昨日、ユフィアさんをここに呼び出して、ひ、酷いことをしてしまったのは、私たちなの……!」
「……‼」
二人組は、犯行動機から犯行の全容まで全てを洗いざらい話した。
その才能や容姿にずっと以前から嫉妬していたこと。
どれだけ頑張ってもユフィアの足元にも及ばず、試験の度にユフィアに負けていることを親に叱られ、自分たちはこれだけ苦しんでいるのにユフィア本人は友達と遊んで楽しそうに過ごしているのが我慢できず、精神的に追い詰めるために犯行に及んだこと。
通常であれば絶対に人には打ち明けたくはないような、劣等感や内面の醜さや部分まで二人組は包み隠さずに語った。
また、当初は少し怖い思いをさせるだけのつもりで、ユフィアであれば自力で拘束を解いて助かると考えていたこと、山の中という環境下で起こりうる生命を脅かす事象までは考慮が出来ていなかったと釈明を行った。
そして、自分達がいかに非道な事をしてしまったかを自覚し、深く反省していること、もう二度とユフィアに対して悪意を向けるような事はしないと、涙ながらに必死に語った。
初めはユフィアの方に向けていた頭も段々と下がり、最終的には床に額を付けるように二人とも蹲っていた。
「ごめんなさい、ユフィアさん……っ」
「本当にごめんなさい……っ、ユフィアさん、ごめんなさい……!」
「……」
泣きじゃくりながら何度も謝り続ける二人組に向かって、ユフィアはそっと近づいた……。
◆
……ユフィアが二人組の女子生徒らと三人で空き教室に残ってから一時間近くが過ぎた。
「……! シオン……」
「おう、終わったか」
ユフィアが空き教室から出ると、扉のすぐ側にシオンがいた。
「それじゃあ、教室に戻るか」
「……! うんっ」
コクっと頷き、ユフィアは先に歩き出したシオンの隣に並んだ。
「それにしても、随分と長かったな」
「あ、ご、ごめんね……っ」
「ああ、いや。全然いいんだ、別に。俺が強引にユフィアを連れていったんだから、むしろ俺が謝る方だ。……ただ、思ってたよりも長く話し込んでるんだと思ってな」
「あ……、お話は終わってたんだけど、もっと、早く……。だけど、あの子たちがずっと泣いてて、ちょっと、心配だったから……」
「……ずっとそばにいたのか?」
「うん……。放って、おけなかった……」
「……そっか。……それで、どうする?」
「……? どうする、って……?」
「あいつらがやったのは、下手をすればユフィアが死んでいたかもしれないような危険行為だ。学校に報告すれば退学になるだろうし、保安機関に突き出して更生施設に入れることも出来るはずだ。でも、それはユフィアにその意思がなくちゃ出来ない。……だから、どうする?」
「た、退学……? し、しない、そんなこと……!」
ぶんぶんと、ユフィアは左右に首を振った。
「……いいのか? 許すのか、あいつらを」
「う、うんっ……。すごく、一生懸命、……謝ってくれた、から……。それに、怒ってない、最初から……」
「怒ってない……?」
コクっと、ユフィアは頷いた。
「怖かった、けど……、怒っては、ない……。それに、もうやらないって、言ってくれたから……。だから、いい……」
「……」
「それに……」
「……?」
「あの子たち、すごく反省してた。言いたくないようなことまで、全部、正直に話して……。……詳しくは分からない、けど……」
やや視線を下げながら話していたユフィアが、隣のシオンに視線を向けた。
「シオンが、……怒ってくれたんだよね?」
「……! いや……」
「きっと……。私の代わりに、シオンが怒ってくれたんだよね」
「それは……」
ユフィアのその予想は当たっていた。
先ほどの二人組の犯行がどれだけ危険で非人道的なことか、魔術学校の退学は免れようがなく、そして後に収容される更生施設がどれだけ過酷でえげつない環境か、といったような内容をシオンは事前に二人組に話していた。
実情など当然知りもしないが、とにかく二人組が恐怖で震え上がるほどに話を誇張して。
そして最後に、二人組の運命は全てユフィアが許すかどうかに委ねられると告げて。
「──だから、別に気にしてない……。誰かに、どれだけ嫌なことをされても……。シオンが、私のために怒ってくれることの方が、ずっと嬉しいから……。……だから、いい」
そもそも、周りから疎まれ嫌われることは受け入れていたこと。もう二度と嫌がらせの類を受けることがないのなら、ユフィアにはそれだけで十分だった。
「……そっか。……まあ、ユフィアがそれでいいなら、いいけど……」
「うんっ」
ポリポリと首元を掻きながらユフィアの反対側へ視線を向けたシオンを見て、ユフィアは嬉しそうに笑顔を浮かべた。
そんなユフィアに対して、どれだけ容赦なく先ほどの二人組を脅したのかをシオンは説明しようとは思えなかった。
そしてユフィアも、あえてそれをシオンに聞くことはなかった。
──……それから、ユフィアに対する嫌がらせや根も葉もない噂話などは一切なくなった。
◆
……ユフィアとシオンが出会ってから、七年の月日が経った。
テレンス魔術学校を卒業後、ユフィアとシオンは王国北部にある地元を離れて王国西部にあるクロフォード魔術学園に入学した。
地元にも魔術の高等教育機関はあったが、シオンがクロフォード魔術学園を受験すると言ったので、ユフィアも迷わず同じ学園への進学を決めた。
今でも二人はタイミングが合えば一緒に昼食をとったり、週に二、三回、放課後に魔術の特訓を行ったりしている。
ユフィアには単発の魔術の威力だけで相手をねじ伏せることが出来るほどの圧倒的な実力がある。
しかしその桁外れの才能に隠れて、実は実戦における読み合いや技の組み立てといった戦闘のセンスをユフィアはあまり持ち合わせていない。
ユフィアはシオンの戦闘シミュレーションに協力すると同時に、彼女もまたシオンから戦闘のアドバイスを受けて相互に実戦用のスキルを磨いているのだった。
……そうして現在。その日はその特訓の予定の日だったため、ユフィアは放課後に待ち合わせ場所の実技訓練場に向かっていた。
ユフィアとシオンの二人は、放課後はあまり生徒の立ち寄らないエリアにある実技訓練場を利用している。そのため、通常であればその訓練場までの経路は静まり返っているはずなのだが……。
──その日は、普段は聞き慣れない喧騒が建物の裏の方から聞こえて来た。
「……? なんだろう……?」
どこか只事ではないな気配を感じ、ユフィアは喧騒のする方へ向かった。そして建物の陰から様子を覗いてみると……。
「……っ‼」
そこでは、待ち合わせをしているはずのシオンがどうしてかA級の生徒三人と激しく戦闘を行っていた。
ユフィアは思わず加勢に入ろうとしたが、よく見ると、シオンはA級の生徒三人を一人で圧倒しているようだった。
シオンが「限界加速」を使用していることはユフィアにはすぐに分かった。
シオンがあの魔術を使用している以上、あのような距離感では魔術師同士としての戦いは成立しない。
超スピードで相手を翻弄して強制的に肉弾戦の距離に持ち込みさえすれば、身体強化も使えて格闘技術もあるシオンが圧倒的に優位。自分が出る幕はないと判断し、ユフィアはそのまま様子見を続けた。
しかし、シオンの「限界加速」は強力ではあるが短時間しか使用出来ず、すぐに魔力欠乏を起こしてしまう諸刃の剣であることはユフィアも知っている。
念のため、いつでも助太刀出来るようにユフィアは魔法陣だけ展開しておいた。
そして結果的に、彼女が魔法陣を展開しておいた判断は正解となった。
近接格闘で二人を完全にダウンさせて残り一人の方へシオンが歩み寄っている途中で、ビカッ!とシオンに向けて強い光が発せられた。
「──‼」
それを間近で浴びたシオンは目が眩んでしまった様子で、その隙に三人はシオンに向けて魔術を繰り出した。
三方向から勢いよく迫る魔術に対して、目の眩んだ状態のシオンは完全に為す術がない状況だった。
ユフィアは用意していた魔法陣から咄嗟に魔術を繰り出し、シオンの足元から三頭の巨大な水の龍を出現させて三つの魔術を全て消し飛ばした。
もし自分が防いでいなければ、シオンは命を落としかねない程の大怪我を負っていたかもしれない。そう思うと、自分でも信じられない程の怒りがユフィアの中に沸いていた。
しかし「自分は当事者ではない」と、どうにか怒りを抑えながら、ユフィアはシオンにその先の決断を委ねることにした。
ユフィアがシオンの合図を待っていると、三人組の内の一人と会話を済ませた様子のシオンが右手を上げた。
そうして、彼は離れた場所にいるユフィアにも見えやすいような動きで立てた親指の先を地面に向けた。
『やってやれ』
それがシオンの出した合図だった。
それを見たユフィアは躊躇なく巨大な水の龍を三人に叩き付けた──。
◆
「──悪い、待たせたな」
「大丈夫」
三人組との戦闘後、シオンはエリオットと少し会話した後でユフィアと合流した。
「シオン、楽しそうだった……。なんのお話してたの?」
訓練場に向かって歩きながら、ユフィアはシオンに話しかけた。
「ああ、あいつ、エリオットっていうんだけど、あいつの家が武器作りの名家でさ。今度あいつの家で色々見せてもらえるんだ」
「! よかったね。シオン、武器、好きだもんね」
「ああ、すげぇ楽しみだ」
「(……かわいい)」
無邪気に笑うシオンを見て、ユフィアはほんわかと和んだ。
「……それにしても、さっきはマジでやばかった。まさかあそこで光射とはなぁ」
「避けられなかったの? いつもみたいに」
「無理無理。もう魔力なくて限界加速も使えなかったし」
「そ、そうだったんだ……」
「ユフィアが助けてくれなかったらヤバかったな、本当。ありがとな、ユフィア」
「ううん、私がシオンを助けるのは、当たり前。だから、そんなに何度もお礼を言わなくても、大丈夫」
「まだ一回しか言ってないけど?」
そんな話をしながら歩いていると、ふとユフィアが思い出したように口を開いた。
「……あ、そういえば。……シオンは、どうしてさっきの人達と、喧嘩? してたの?」
「ん? ああ。俺もあんまり経緯は分からないが……。状況から察するに、エリオットが三人から一方的に暴行を受けて、大切なものまで壊されそうになってたようでな。それで頭に来たから、俺が連中をぶちのめしてやることにしたんだ。まぁ、返り討ちに遇いかけたけどな」
わはは、とシオンは笑った。
「……やっぱり、誰かのため」
「……? やっぱり?」
「ううん。……その、エリオット君とは、知り合いだったの?」
「いや、今日初めて知り合った」
「……じゃあ、なんの関係もない人の為に、シオンは戦ってたんだ」
「そりゃ、助けが必要な人が目の前にいるのに、見過ごす訳にはいかねぇだろ」
「……そうだよね。くすっ」
「? なんだよ?」
「ううん、……なんでもない。ただ、シオンらしい」
くすくすと、ユフィアは嬉しそうに笑った。
「なんだ、そりゃ」
「いひひ」
「……変な奴だ」
「む……。変なのは、シオンも一緒」
「? どこがだよ」
「……」
「なんだよ、その顔は。なんでじーっと見てくるんだよ」
──シオンは昔と比べると少し、……いや、かなり変わったと思う。
もともと"カッコ良い"を強く求める傾向にはあったけれど、初等部時代はまだ子供らしさのある、可愛らしいものだった。
彼が変わり始めたのは、だいたい14歳、中等部二年生ぐらいの頃。
それくらいの頃から、彼は急に黒い衣服や物を異様に好むようになったり、
「そっちの方がカッコ良いから」という理由で目標だった「最強の魔術師」から「最強の魔導剣士」にシフトチェンジしたり、
誰もいない場所で独り言を喋り大声で笑うといった異常行動が顕れ始めたり、
「目立たないようにするのではなく、目立つ事を避けているように振舞う事が重要なんだ」等と難解な言語を口にするようになったり……。
テレンス魔術学校で周りから慕われていた姿はもはや面影もなく、彼はすっかり変人になってしまった。
……けど、それでも、私の彼に対する憧れは、昔から何一つ変わらない。
なぜならそれは、彼の根っ子の部分だけは、昔からずっとそのままだから。
優しくて、思いやりがあって、努力家で、正義感が強くて、自分以外の誰かの為に己の身を犠牲に出来るような、そんな素敵な彼の芯の部分は、昔から何一つ変わってなどいないから。
だから彼は今でもずっと、私にとっては世界一の憧れの人だ。
………
……
…
「あ、そう言えば」
「どうしたの?シオン」
「明日、一緒に昼飯を食う約束をしてる奴がいるんだけど、ユフィアも一緒で平気か?そいつは一緒でも大丈夫らしいんだが」
「そ、そうなんだ……。私、シオン以外の生徒とお食事した事ないから、上手に話せないかも……」
「まぁ、急に仲良くしろって言われても難しいよな。でも俺が間に入るから、あまり気負わなくて良いぞ。そいつも、すげぇ良い奴だから心配しなくて良い」
「わ、分かった。シオンがそう言うなら、私は大丈夫」
「良かった。じゃあ明日、食堂でな」
「うんっ」




