41. ユフィア・クインズロード
六歳で入学し、初等部の六年間と中等部の三年間に分けて魔術を教える魔術教育機関「魔術学校」。
そんな魔術学校の一つであるテレンス魔術学校にユフィア・クインズロードは通っていた。
そこでは現在通っているクロフォード魔術学園のように成績上位順にクラスを分けるのではなく、各クラスの総合的な成績がある程度均等になるように毎年クラス分けがされていた。
ユフィアは自分の考えや気持ちを言葉にすることや、会話そのものが苦手だった。引っ込み思案な性格のため、基本的に自分から誰かに話しかけることはなかった。逆に誰かから話しかけられても、本人は一生懸命に返事をしようとするが、結果的には素っ気ないと思われて当然の返事しか出来ないことがほとんどだった。
また、彼女は極端に感情が表情に出ないため常に無表情で、全体が楽しく盛り上がっている状況でさえ一人だけニコリともしない。そういったことから、ユフィアは冷たく他人に興味がない人間だと誤解されていた。
本人にそんなつもりはないが、クラスメイトと全く関わらず、常に圧倒的な才能だけを見せびらかすようなユフィアに対して周囲からの印象は悪くなる一方だった。
加えて、生まれ持った美しい容姿と絶対的な才能は一部からは強い嫉妬も集めていた。そのせいで彼女の印象を更に悪くするような出鱈目な噂話が後を絶たず、周りの生徒達からはより一層距離置かれていた。
そんな学校生活が続き、初等部の四年生になってもユフィアには誰一人として友人と呼べるような人物はいなかった。
クラスメイト達と仲良くなれず、周囲からどんどん距離を置かれていく学校生活に対して、最初は寂しい気持ちも抱いていた。誰かの悪意によってありもしない噂を流されて、初めは深く傷ついていた。
しかし、それが何年も続けば寂しさや悲しさにも慣れてきて、次第に現状を受け入れるようになった。気が付けば、残っていたのはただ虚しさだけだった。
なんの達成感もなく、楽しくもない授業が続く毎日。関わり合いもなく、名前すらほとんど知らないクラスメイト達。魔術学校時代に出会った生徒達はユフィアの中でろくに印象に残っていなかった。
しかし、そんな中でただ一人だけ例外がいた。
それは、初等部4年生になって初めて同じクラスになった男子生徒だった。
その男子生徒はクラスの中で……、どころか、全学年の中で群を抜いて実技の成績が悪かった。
──一般的に、魔術学校に入学して一ヶ月もしない内にほとんど全ての生徒が初級火属性魔術「点火」の発動を成功させる。
初めは術式を書き込んだ魔術媒紙に魔力を流して魔術を発動させるが、次第に生徒達は魔術媒紙を使う必要がなくなっていく。
人の体内を巡る魔力は体外に放出した際に煙や靄のように目に見える状態になり、その靄をコントロールして魔法陣を作る事が出来るようになれば魔術媒紙を使用せずとも魔術を発動することが可能となるからだ。
十歳になる頃には成績下位の生徒ですら「火球」を魔術媒紙を使用せずに発動出来るようになっているのが当たり前だった。
しかし、その男子生徒は十歳になっても未だに魔術媒紙を使用した「点火」の発動さえ出来ていなかった。
客観的に見て、その生徒は入学直後の六歳児にさえ劣る実力だった。
どれだけ不真面目にやっていたらそんなことになるのかと思えるが、彼は筆記試験の成績は常に満点だった。
彼は、決して不真面目な生徒ではなかった。
その実技の能力と筆記試験の成績の乖離だけでも、ユフィアにとって印象的だった。
しかし、それ以上に印象に残っていたのは……。
「──なぁシオン、俺の『水球』が上手く球体にまとまらないんだ。球体を作る術式は合ってると思うんだけど……」
「魔法陣を見せて貰えるか?」
「おう。……どうだ?」
「んー……。あっ、分かったぞ。……ほらここ、水量を調整する術式が微妙に間違ってる。ここは本来……、こうだ。この術式が破綻してるから、上手く球体にならないんだと思う。ここを直してやってみな」
「ああー! なるほどな、流石シオン! サンキューな!」
「ああ」
「よぉシオン!」
「おう、おはよう」
「昨日シオンに教えて貰った『風刃』、シオンのアドバイス通りに流す魔力を調整したら上手くいったよ! 流石シオン、ありがとな!」
「いや、俺は教本に書いてあるまま説明しただけだ。お前の実力だよ」
「いやいや! シオンのお陰だって!!」
「そういやシオン、『点火』は発動出来たか?」
「……いや。まだだな」
「そうか……」
「けど、シオンならぜってーすぐ出来るって! 俺らに出来るんだからさ!」
「そうだな。頑張れよ、シオン」
「ああ。ありがとな、二人とも──」
……といったように、彼は群を抜いて実技の能力で劣っていたが、それでも周りのクラスメイトから慕われ、尊敬されていた。
ユフィアにとっては全く初めて見るタイプの人物で、会話をしたことさえないその男子生徒のことが強く印象に残っていた。
しかし、当時のユフィアは友達を作ることなどはもう諦めており、結局は彼もまたこれから先に関わる事のないクラスメイトの一人だと思って日々を過ごしていた。
……──そんなある日。
些細な切っ掛けで、ユフィアに彼と関わる機会が訪れた。
◆
ある日の放課後。ユフィアは帰宅途中に忘れ物に気付き、魔術学校にそれを取りに戻った。
すっかり生徒達の姿の見えなくなった廊下を進み、物音一つ聞こえない静まり返った自分の教室に入った。
すると、完全に静まり帰った教室内に一人だけ生徒が残っていた。
「………‼」
その光景を目にした時、ユフィアは思わず息を呑んだ。
誰もいないと思っていた教室に人がいて驚いた、という訳ではない。
教室内に残っていた生徒は自分の席に座り、両手を机の上に置いた姿勢のままピタリと静止していた。
通常、呼吸に合わせて小さく動く上半身や瞬きをする瞼など、意識的にじっとしている状態でもどこかしら体は動く。
それが、まるで時が止まっているかのように完全に静止しているという強烈な違和感。
まるでそれ自体が一つの人間離れしたパフォーマンスであるかのような姿に対して、ユフィアは無言で見入ってしまっていた。
それは何かに集中しているような様子だったため、ユフィアは邪魔にならないように近づいてその生徒の手元を見てみた。すると、机の上には「点火」の魔法陣が書き込まれた魔術媒紙が広げられており、どうやらその魔術の発動を試みているという最中だという事が分かった。
その生徒は同学年の中で唯一人だけ魔術媒紙を用いた「点火」の発動さえ出来ない、例の男子生徒だった。
彼はユフィアが近づいた事にさえ気付いていない様子で、深く深く集中して魔法陣に魔力を込め続けた。
彼の手元の魔法陣は円を描く軌道で8割ほど赤い光が灯ともっており、あと僅かで「点火」の魔術が発現する寸前だった。
それが成功しようがしなかろうが、ユフィアには一切関係がない。それでも何故か、どうにか成功しますようにと、ユフィアは彼の手元から目が離せなかった。
……しかし、その直後。
フッと、蝋燭の火が消えるかのように一瞬にして魔法陣に灯っていた赤い光は失われた。
「──……っ‼ はああぁぁ……っ」
すると、まるで止まっていた時が動き始めたかのように空気が変わった。彼は窒息寸前だったかのように大きく息を吸った。
「はああーーーー、……駄目か」
たっぷり吸った息を吐くと、彼は両手を机の下にダランと落としながら悔しそうに呟いた。
「………っうおッ⁉」
「……っ」
直後に近くにいたユフィアの存在に気が付き、その生徒はとてもビックリした様子で声を上げた。
それと同時に彼の座っていた椅子と机がガタッと音を鳴らし、ユフィアもビクリと驚いた。
「……あ、あの、ごめんなさい……」
「ああ、いや。俺が大袈裟に驚いたのが悪かった。ごめん。人がいるって思わなかったんだ」
ブンブンと、ユフィアは首を横に振った。
「私が、黙ってずっと、見てたから……」
「え? もしかしてずっと見てた?」
「……ごめんなさい」
「いやいや! 怒ってる訳じゃないって! でも、別に見てて面白いもんでもなかったろ」
「……その、凄かった、から……」
「?」
ユフィアがそう言うと、彼は不思議そうに首を傾げた。
「今の、点火の不成功が……か?」
「その……、すごい、集中……。周りの時間が止まって、みえて、……それが、すごくて……」
「はは、なんだそれ」
彼はユフィアが言っていることに対して身に覚えがなく、まるで冗談でも受け止めるように優しく笑った。
「ご、ごめんなさい……。私、言ってること、変……。だよね……」
「え? いや……。そうだな。もしかしたら本当にそれくらい集中出来てたのかも知れないな」
「……!」
申し訳無さそうにするユフィアに対して、彼は優しい口調でフォローをした。
「今日こそは成功する気がして、いつもより気合も集中力も断然高まってる自覚はあったからなぁ。気迫だけは本当にすごかった、のかも?」
「……! うん、すごかった……!」
「まあ、失敗したけどな。はは」
「で、でも、惜しかった……。あと、ほんの少し……」
「ああ。ようやく、あと一歩の所まで来れた。ここまで来るのに七年掛かったけど、今はもう成功目前なのがはっきりと分かる」
それを聞いたユフィアは、コクコクと力強く頷いた。
「次は、きっと………。………え?」
話している途中で、強烈な違和感がユフィアを襲った。
「七、年……?」
その時、ユフィアは何かの聞き間違えかと思った。しかし、彼は訂正などする気配もなく、さも当然のようにユフィアの問いに対して肯定した。
「ああ。初めて点火の術式を自分で書き上げた3歳の時だったからな。それから毎日ずっと練習し続けて、ようやくここまで来たんだ」
「──‼」
ユフィアは思わず言葉を失った。
ユフィア自身も、物心が付いた頃には既に両親から魔術を教え込まれてはいた。
それでも、七年間一度も成功していない魔術をずっと練習し続けるなど、ユフィアには到底信じられなかった。
──そんなの、絶対に途中で諦めてしまう、そうじゃないとおかしい、とユフィアは思った。
「ど、どうして……。そんなに長い間……。ずっと……?」
「どうして、って……」
その生徒は、逆になぜそんな事を聞くのかと不思議そうに呟いた。
「使えたらカッコいいじゃん、魔術」
と、それ以外の理由など無いとでも言うように彼は無邪気な笑みを浮かべた。
「か、カッコいい……?」
きょとんとしながら、ユフィアは彼に聞き返した。
「ああ! 自分の手から炎とか雷とか出してさ、めちゃカッコ良いって思わないか?」
彼は右の掌を広げて宙へ向けながら、楽しそうな顔で語った。
「……。私は……。分からない……」
ユフィアにとって、魔術は小さい頃から親に言われるがままにやらされているだけのものだった。
一つの魔術が成功すれば、次の魔術の成功を求められる。
ユフィア自身に目標などなければ、成長に達成感もない。
魔術に特別な魅力を感じたこともなければ、カッコいいなどと思ったことなどない。
普通の家に生まれていれば、魔術の才能なんてなければ、もっと楽しい毎日が過ごせたのではないかとさえユフィアは思っていた。
そんな彼女に対して、彼は問いかけた。
「小さい頃に読んだ物語に出てくる魔術師とかさ、カッコ良いと思わなかったか?」
「物語の、本……? ……読んだこと、ない……」
「えっ、ないのか? あんなに面白いものを……」
幼い頃から魔術の研鑽のために厳しく躾けられてきたユフィアには、娯楽の本を読む環境も習慣もなかった。彼女の育ってきた環境下では、そういったものに興味を抱く機会すらなかった。
そんなユフィアに対して、男子生徒はまるで予想外というようなリアクションをみせた。
「信じられん……。好きじゃないならともかく、読んだこともないなんて……!」
「そんなに、面白いの……?」
「まあ当時読んでたのは今の俺らよりも小さい子供向けの本ではあるけど……、でも多分、読んだことないならきっと面白いと思うよ」
「そ、そうなんだ……」
「……読んでみたくなったか?」
「……‼ ……よ、読んでみたい……」
得意げな笑顔を浮かべた男子生徒に対して、コクリとユフィアは頷いた。
……ユフィアには、彼のように熱中出来るものがこれまで一つもなかった。これほどまで誰かを熱中させるきっかけとなったものが一体どういうものなのか、ユフィアは知りたくなっていた。
「それじゃあ明日、俺のオススメの本を一冊持ってくるから、是非読んでみてくれ」
「えっ……。い、いいの……?」
「ああ、もちろん」
「う、嬉しい……。ありがとう……。でも、どうして……。私なんかに、そんな……」
今日まで話したこともないクラスメイト相手に、どうしてそんなに親切にしてくれるのかとユフィアは不思議だった。
そんな彼女に対して、彼は少し間を空けて語りかけた。
「……好きじゃないんだろ? 魔術が」
「……‼ なんで……」
「まあ、なんとなく。別にそれは人それぞれだから、俺がとやかく言う事じゃないんだけどな。……けど、勿体ないって思ったんだ。折角魔術の才能があるのに……。いや別に、才能があるからって必ずその道を進まなきゃいけない訳じゃないけどさ。でも、魔術の学校に通ってるのにそれを嫌々やってるなんて、そんなのは勿体ない」
そういうと、彼はニコリと笑顔を浮かべた。
「どうせやるなら、好きになれた方が良いよ。きっとな」
「……!」
厳しく魔術の道を押し付けられ続けてきたユフィアにとって、そんな風に優しい言葉を掛けて貰えたのは初めてだった。
「……うんっ」
悲しい訳ではないのに、なぜだかちょっぴり泣きそうになりながらユフィアはコクリと頷いた。
「あ、私……! 私、ユフィア。ユフィア・クインズロード」
「俺はシオン。一之瀬シオンだ。よろしくな、ユフィア」
そう言いながら、彼はそっと私に右手を差し出した。
「う、うん……。よろしく、シオン……!」
とても緊張した様子で、ユフィアはその手を握り返した。
「──それじゃあ、俺は帰るわ。ユフィアも気を付けて帰れよ。また明日な」
「うん……。ま、また明日……、シオン……」
軽く手を上げたシオンに対して、ユフィアも胸の前で小さく手を振りながらお別れをした。
───それが、ユフィアに初めての友達が出来た瞬間だった……。




