知識欲、忽ちに
「ねえ、知識、欲しくない?」
シャーペンで顎と唇の間のわずかなくぼみをこつこつ叩きながら、何の前触れもなく夏輝が俺に言葉を投げてきた。目の前には無造作に電子辞書が置かれている。
大学生にもなって夏休みの宿題かよ、と思いながら、つい二か月前に付き合い始めた俺たちは二人、麦茶をお供にローテーブルに向かっていた。勉強会だ。ただし無言の。シャーペンがノートを走る音、電子辞書を叩く音、紙をめくる音、遠くに聞こえるセミの声。じっとりとした空気の中でこれらの音が濁っているばかりで、その他は声を発しない限り何も聞こえない。
「何、飽きたの?」
課題は英語だった。俺は慣用句についてのレポート、夏輝は読書感想文。夏輝は英訳された日本人作家の本を図書館のどこからか引っ張ってきて、元の本と読み比べたり辞書を引いたりしながら「へえ」「そうなんだ」「ふーん」などと言って楽しそうだった。
「そうじゃなくて、知識。欲しくない?」
言いながら夏輝はすり寄ってくる。前かがみになったせいで胸元が大きく開き、心が騒ぐ。目のやり場に困って、思わず目を逸らしてしまう。ついでに手のやり場にも困って、シャーペンを持ったまま、のけぞるような体勢で手を後ろについた。
しかし何だって急に知識なんだ。先程まで楽しそうに本を読んでいたというのに、何をいきなり。脈絡がなさすぎる。
答えに窮して無言でいると、「ごめん、ちょっと言ってみたかっただけ」
そう言って夏輝はパッと体を離した。
その瞬間、テーブルに置かれた電子辞書の画面が目に入った。
――have knowledge of A Aと性交する
夏輝は顔を伏せたが、耳が真っ赤で、赤面しているのはバレバレだった。
六畳間の空気を支配する濁った音たちが、輪郭を失いぼやけて消えた。
本来「have carnal knowledge of A」で「Aと性交する」らしいです。
carnalがなくても使えるのだとか。友人に聞きました。
これ以上の描写はわたしにはできません。