ノンsleep
眠くない。
服が寝汗で湿っていた。今日の湿度は八十パーセントを超えていたし、今日も熱帯夜だというからかなり寝苦しいのだろう、実際。
僕が布団に入ってから既に一時間半が過ぎた。その間ずっと、ごろごろごろごろ寝返りをうっていたが、汗と寝苦しさは増す一方だった。
暑い。
そんなに寝苦しいならエアコンをつければ良いじゃないか、なんて突っ込みを入れたい人もいるだろう。ところがどっこい、エアコンは全く動かなかった。
故障ではなくリモコンの電池切れ。しかもうちに単四電池のストックはない。
コンビニに行こうにもここはド田舎。徒歩三十分でようやく〝近所の〟コンビニに着くのだ。こんな夜にそこまで動き回る気力はない。
――そうだ、扇風機を出そう!押入れの奥底で埃まみれになっているだろうが、それさえ掃ってしまえば、あとは涼しい風と共に快適な睡眠が僕のもとに来るはずだ!
僕は慌ただしく布団をたたんだ後、立て付けの最高に悪い押入れの戸を開いた。
あった扇風機!
これで不眠とはオサラバだぜ、フハハハハハ!僕は心の中で高笑いしつつ、屈みこんで押入れの奥にある扇風機を引きずり出す。
が。
なんか滑った。
多分、脱ぎ捨ててあったスポーツシャツを踏んだんだ。
派手な音とアクションをばら撒きながら僕は畳の床にすっころんだ。そしてこける時に「ごしゃっ」と言う嫌な音が耳に入ってくる。
僕は意識がぐらつく頭を押さえながら身体を起こした。幸い大した怪我はなかったが……。
扇風機の首が、中身のコードをむき出しにして畳に転がっていた。
「…………」
僕がこれほど自分の不運を呪った経験はそうないだろう。
「……寝よう」
仕方ない、今度は羊でも数えよう。僕はタオルケットをかぶり直した。
目をつぶって僕は定番の風景を思い浮かべる。地平線が見える雄大な牧場に、煙突から煙を黙々と上げる小屋と柵を飛び越えていく羊達。
羊が一匹……羊が二匹……羊が三匹……。
***
羊が……十三万三千九百八十七匹……羊が……十三万三千九百八十八匹……羊が……羊が……。
「もうエエわ」
何だよ羊。何時間僕を牧場に縛り付ける気だ。
思わず開いた僕の目はパッチリである。羊の睡眠効果全然ねぇ。
気づけば時刻は二時半を回っていた。布団に入りなおして既に三時間。意識が闇に溶ける気配は全くなかった。
なんだかもうここまで無理して寝る必要があるのか疑問に思えてきた。結局七時半には家を出て学校に向かわなければならないので、どれだけ早く寝られても七時には起きなければならない。今から寝られたとしても睡眠時間が四時間半ほど。
いっそ徹夜か。オールか。でも多分代わりに明日の講義は爆睡だろう。
…………。
寝るか。
とりあえず、無理して寝ようとしても仕方ないから起きていよう。
よし……暇だしとりあえずパソコンでもするか!
と、思って見に行ってみたら液晶が割れていた。
こけたときに扇風機が衝突したみたいだ。
扇風機もパソコンも買い換えろってか。
「……はぁ」
さっきから何度も打ち込まれる三点リーダーが表現しているとおり、僕は相当に疲れた。精神的に。しかし、僕には休息も許されない。
ただ僕は、うとうとしたいだけなのに。
寝たいだけなのに。
目は冴える一方だ。そのうち目からビームとか出そう。
よし、漫画を読もう。これを期に今まで買った漫画を全巻読破してやろう。
僕は集めた大人気異能力バトルの漫画を取り出し、冷蔵庫から飲みさしのオレンジジュースを引っ張り出してきた。さて、読むか!
漫画を一旦机に置き、コップにジュースを注いでさあ準備かんりょ……。
僕が漫画を手に取ろうとしたその手で倒れたコップは、オレンジジュースの大洪水を瞬く間に起こし、漫画をオレンジ色に染めていった。
「うわっととととと!」
手遅れ。漫画は既にオレンジ浸しだった。
……起きてる間、まともに暇を潰すことすら僕には許されないのか。
神様ひどい。
仕方がないのでテレビを見ることにする。
真っ青な画面でどの局も放送休止中だった。
そりゃそうか。
ものすごい最終手段だけど、気分転換に散歩でも行こうか。
僕は草履をはいた。そして外に出ると。
空一面に、星屑がちりばめられていた。
真っ暗な闇夜の中に浮かぶ、輝きをたたえた星たち。
ここは田舎だから、星が良く見えるのか……。
いつも学校から帰ってくるなり家からは一歩も出ないものだから、こんな景色にはこれまで一切気づかなかった。
あれは……夏の大三角か。小さい頃に良く連れて行ってもらったプラネタリウムで、必ずと言っていいほどよく紹介されていたので覚えている。
ベガ、デネブ、アルタイル。三つの一等星を結んで夏の夜空に浮かぶ星の大三角形。
確か、この夏の夜空を見に人里はなれた田舎まで深夜にやって来たことがあった。ブルーシートを広げて、皆で寝転がって見た満天の星空の光は、今でもよく思い出せる。
自然と、あくびが出た。もしかしたら、体が夜だということをやっと認識したのかもしれない。
今度こそ、よく眠れそうだ。
僕は家に戻った後、すぐに布団にもぐりこんだ。
朝の爽やかな日差しがカーテンの隙間から差し込み、僕に心地のいい目覚めを与えてくれた。
カーテンを開く。小鳥はさえずり、木々はざわめき、生命力に満ち満ちた朝の訪れだ。
ぐっと伸びをした後に、窓を開けて僕は大きな声で叫んだ。
「遅刻だあああぁあぁぁあああぁあぁぁ!」
〝眠れない青年の徒労 お終い〟
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