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『約束の糸』  作者: wokagura
§ 切れぬ糸 §
8/26

~距離~



 北市の駅前にある中心街に、大きなビルがある。その1階から5階は音楽教室となっており、小鳥遊萌(たかなしもえ)の務めるピアノ教室もその中に在中していた。2階のオフィスでは、沢山の職員たちが集い、休憩したり卓上の作業をしたりする。その休憩スペースで、萌は同僚と楽しくお茶を飲んでいた。


「萌、昨日中学校行ってきたんでしょ?どうだった」

「いい子たちばかりだったわ。合唱も上手」


 そう言ってカップの紅茶を口に含む彼女を見て、同僚は微笑んだ。


「やけに嬉しそうね」


 そうかな?と笑う萌はやはり一層明るい。なにかあったのか、と同僚が訊くと、萌ははにかんだ笑顔を見せた。


「ずっとね、逢いたかった人に再会できたんだ」

「そうだったの。よかったじゃない」


 萌は後から付け加えるように、別人みたいだったけど、と呟いた。大人っぽい笑みで萌を見つめる同僚。


「いつまでも変わらない人なんていないよ」


 頷きながらふと額の左側に触れる。いつもはわからぬよう隠している部分だ。昨日、彼のさする手は繊細で優しかった。まだきっと昔のままの優しさは残っているはず、と萌は信じることにした。そして、次に中学校へ行ける日を、楽しみにしていた。


 ある休日の午前中、逞真は学校にある3階の音楽室に直結するバルコニーで外を眺めていた。ここは、日当たりもよく、北市の町並みを一望でき、中学時代からのお気に入りの場所である。朝、合唱部が練習しに来る前なんかには、よくこうして外の風に当たり、気分転換をするのが日課になっている。その日は午後から部活の指導だった為、それまでの間残業を終わらせ、ここへ来て休むことにしたのだ。


 逞真もまた、昨日あったことを考えていた。


(偶然にしては出来過ぎた再会で、不思議な気分だ。まさか、あの傷が未だに残り続けていたなんて。それだけは、免れてほしかった。例え一生逢うことがないとしても、額には何も跡が残らずにいて欲しかったのに。しかし、職員室でも音楽室でも、彼女はあの頃と違ってとても活き活きとしていた。それが唯一の救いだ。伴奏者として雇われるんだ、きっと音楽関係の仕事に就いているのだろう。彼女があの時の様な辛い思いをしていなくて、本当によかった。強いて言うなら、職場なんかで逢いたくはなかったけれど。性格や見た目の変わりように驚いたことだろう。恐らく、今の俺に、彼女はなんの好意も抱いていない。苗字だって変っていたものな。向こうはもう、あの過去を思い出にできているのに、俺はいつまでも過去に縋り付いて馬鹿みたいだ。ただの旧友として、互いを懐かしみ、再会を歓迎すべきだ。わかってはいるけれど、きっと他の中学時代の友人のようには話せない。14年も思い続けていた、俺の中で大きな存在だから)


 そして口ずさんだのは、中学1年生の時に学校祭で歌った、忘れもしない『大切なもの』だった。


“空に光る星を 君と数えた夜 あの日も今日の様な 風が吹いていた”


 徐々にその頃にあった出来事が振り返られていく。いじめにも負けず、他人を心配し励ますほどの心の広さに、心惹かれたこと。支えになりたいと、彼女のそばを離れなかったあの日々。


“あれから幾つもの 季節超えて 時を過ごし それでもこの想いを ずっと忘れることはない”


 涙が頬を伝う。止まらない。やっと逞真は気が付いた。あの頃何気なく歌ったり、生活していたものは、時が経つにつれて過去を振り返る大切なものとなるということに。そして思い出されるのは、あの子の笑顔だった。


“大切なものに 気づかない僕がいた 今胸の中にある あたたかいこの気持ち”


 いつの間にかゆったりと伴奏が流れ始める。ビクッと体を強張らせ、振り返った先には、音楽室のグランドピアノを弾く、萌の姿があった。彼が彼女の存在に気付くと、ピアノの伴奏を止め、歩み寄ってきた。


「歌うときは、眉間に力が入っちゃ駄目なんですよ、駿河先生」


 丁寧な敬語。一部始終を見られていた、と察した逞真は慌てて涙を拭う。


「どうして、泣いていらっしゃるのですか」


 逞真の瞳は、いつもの冷酷な眼差しに戻っていた。景色を眺めたまま、低い声で呟くように口を開く。


「僕の私情です。すみません」


 萌はちらりと隣にいる逞真を見ると、困ったように笑った。


「貴方は意地っ張りですね。学校にいる間、ずっと壁を作ってる。もっとさらけ出してもいいんじゃないですか?」


昨日と同様、お見通しのような言い方だった。ムッとしたように、彼は言い返す。


「僕が今何を考えてるかなんて、わからないでしょう」

「わかりますよ!」


 あの頃の、静かだが強い意志のある彼女がそこにいた。


「あっ・・・わかったような口を利いてごめんなさい。でも、貴方の歌はとても哀しそうだった。聞いていて胸が痛くなるくらい。だから思わず、伴奏に入り込んでしまいました。1人きりの空間を邪魔して、ごめんなさいね」


 丁寧でありながら伝えるべき意思をしっかりと伝えられているその言い方に、逞真は何も言えなくなってしまった。気を取り直して外に背を向けると


「さて、小鳥遊先生がいらしてるということは、もうそろそろ合唱部の生徒が来るころですね。僕は失礼します」


 と、バルコニーを抜け、音楽室を去った。


 それからというもの、学校では2人は一切語らなかった。逞真が職場で話し掛けるな、という雰囲気を醸し出していたし、萌自身今の彼と話すのは少し恐かったのだ。


 6月下旬、体育会系の部活は、地区大会予選の練習に大忙しの時期だ。女子バスケットボール部も、名門でありながら、その看板の質を落とさぬよう、毎日コツコツと練習に明け暮れていた。


 そんなとある放課後、音楽室に集まる合唱部員たちは何だか騒がしかった。“何時まで見に行く?”“今年はどっちが勝つかな?”などの会話が聞こえる。萌がなにかあるのかと尋ねると、合唱部員たちは声を揃えて『女バス、男バレVS先生方対決』と言った。


「生徒会主催で行う、全国レベルの部活である女バス部&男バレ部の強化と息抜きのためのイベントなんです。対決する相手は皆北中の先生方で、毎年凄い盛り上がるんです!」

「生徒のほとんどが観戦しますから、今日の部活を始めるのは遅くなりますよ。そうだ!小鳥遊先生もよかったら一緒に見に行きませんか!?」


 生徒たちの表情からはその楽しさが伝わってきて、かつて彼女が北中にいた時にはなかったイベントに興味を抱いた。萌は喜んで部員についていくことにした。


「その対決にでる先生方って、どんな先生がでるの?」


 廊下を渡っている間そう尋ねると、部員は指で数えながら紹介していった。


「基本的にいつも女バス顧問と男バレ顧問、体育の先生、立候補した先生、新任の先生強制参加って感じですね。全国レベルの部活ですけど、先生方も負けてなくて。熱烈な勝負が観れますよ♪」


 そう説明をされているうちに体育館に到着した。まだ開会はしていなかったのだが、体育館の中はもう黄色い歓声が上がっていた。部員の協力もあり、ステージ側の結構見やすい位置に移動すると、萌は思わず目を疑った。教員チームの中には、駿河逞真の存在があったからだ。勿論彼が女バス部の顧問であることなんて知らない彼女は、今の彼のキャラでは異質なTシャツ、ジャージ姿というラフな格好にギャップを感じながら、ただただ驚いていた。それに気付いた部員は、意外ですよね~と、笑いながら説明した。


「駿河先生、ああ見えて女バスの顧問なんですよ。頭いいし、運動神経も抜群らしくて、女バスは駿Tのこと神様って崇めてます(笑)」


 余計に萌は意外性を感じた。彼女の知っている彼は、標準的な体育の成績を保つ、極普通の優等生だ。帰宅部だったからか、スポーツにはあまり関心がないのだと思い込んでいた。


 そして、彼女の瞳に映る彼の姿は、どこか活き活きとしている。準備体操をしているときだって、今まで見てきたロボットのような表情ではなく、人間味を帯びた柔軟な表情だ。


「今年こそ、勝ちに行きますよ、駿河先生」


 男バレの顧問である理科の尾嶋先生が彼の肩にポンと手を置く。やる気に満ち溢れた様子で。逞真も、普段あまり見せない微笑を浮かべ、頷いた。


「一回戦のバスケは任せてください。彼女たちの弱点は熟知してます。二回戦目のバレーは、先生を頼りにしてますから」

「任せなさい。俺だって奴らの欠点はお見通しだ」


 それを眺める萌には、2人から見えない炎がメラメラと湧いている気がした。その他参加する先生方も、強制参加の一部の新任教員以外は、力が入っているように見えた。その図を見るだけで、本当に面白かった。


「今年はほら、女性の先生もいますからね」


 尾嶋先生が顎をしゃくる先には新任で、女バスの副顧問となった女性の蓮川(はすかわ)先生がいる。彼女は気付いて2人に寄った。逞真は他の先生方よりも慣れた表情で蓮川先生を見た。


「女性は女性でも、容赦ないですよ。スポーツの腕前はもはや男」

「駿河先生には負けますけどね~!」


 彼女は爽やかなポニーテールを揺らしながら、キリッとした表情を少し緩ませ口を尖らせた。兄妹の様なやりとりに尾嶋先生が微笑む。


「あれ、仲良いですね」

「大学時代バスケのサークルの後輩でした。男女混合だったので、関わりが強くて」

「またサポートできるなんて光栄ですよ。バスケもバレーも精一杯頑張ります!」

 

 蓮川先生と話す彼を見て、萌はチクリと胸が痛んだ。


 そして、第一回戦が始まった。初っ端から責める教員陣に、女バス部も気合が入る。手足の長い逞真が一発ジャンピングシュートを決めると、辺りは騒然となった。


 萌は彼のボール捌きや、チームとのコンビネーションに思わず目を奪われた。その表情はまるで中学時代のようで、しかしTシャツの袖を肩までたくし上げて見えた腕の筋肉や、シュートを打ったり汗を拭うときにちらりと見える木目細かい素肌はあの頃なかったもので、正直見惚れてしまった。


 逞真は女子生徒相手にも容赦ない。尾嶋先生が高く投げたボールをダンクシュートで決めたり、ダブルクラッチでフェイントしながら、女バス部のディフェンスをかわす。彼のジャンプ力には、到底及ばなかった。勿論応援する生徒たちは先生方ではなく女バス部を応援するわけで、スーパープレイを連発する逞真に冗談交じりのブーイングが殺到した。


「駿T女子相手にきったねーっ!」

「大人げないぞーっ」

「もうイケメンアピール十分ですよ~!」


 そんな生徒たちに、軽く舌を出して謝る仕草が、やはり萌の心をドキッとさせるのだった。


 遊ぶ場面も踏まえながら、でも自分の受け持つ部員たちを強化するためにも逞真は考えながらプレイしていた。


(変わっていないな。女子バスケは男子バスケのように力でゲームをするのではなく、柔軟にどう相手をかわすかで勝負する、頭脳戦なんだとあれほどいっているのに。敵側が有利になり緊張してくると、そのことを忘れ我武者羅にプレイしてしまう。だからシュートの効率が悪くなる。それでは全国行きの切符もままならない)


「集中しろ、集中!」


 いつもの練習のようにそう声を張ると、部員は声を揃えて大きな返事を返した。盛り上がる体育館。やっと部員のスイッチが入ったところで、逞真は蓮川先生とコンタクトを取った。彼女は頷き、ドリブルする彼を追うように走る。


 さらに手強くなった女バス部のディフェンスをかわしながらゴールギリギリまで行くと、彼はスリーポイントラインにいる蓮川先生に素早くボールをパスした。落ち着いてキャッチした蓮川先生は、綺麗なフォームでロングシュートを決める。見事にスリーポイントシュートが加点された。


 驚愕も入り混じった歓声の中、2人は笑顔で互いの拳を合わせる。とても息の合ったプレイだっただけに、見ている萌は嫉妬心と似た思いが込み上げていた。表情は昔のままなのに、そこにいる彼はどこか遠い存在のようで。


 ここでゲームセット。教員チームは5点の差をつけて、女バス部に勝利した。次のバレー対決のためセッティングに20分の休憩を設けられる。他の先生方はへろへろになっているというのに、逞真は息も切らさずにピンピンしていた。生徒会が備えたパイプ椅子に腰かけ、水を飲む姿は、まるでプロのバスケットボール選手のようだ。


 合唱部員たちの横に、疲れ果てた女バス部員がやってきた。“監督強すぎ・・・”とぐったり寝転がる彼女らに、合唱部員は逞真のバスケのレベルの高さを指摘した。敬遠したように女バス部員は言う。


「監督は中学、高校レギュラーで全国大会経験してるくらい、高い技術持ってるよ。大学行く前選抜メンバーの推薦に選ばれたらしいんだけど、断っちゃったんだって」

「なんでー?そのままプロにだってなれそうなのに!」

「わかんない。監督謙虚でさ、同じようなレベルの奴なんていくらでもいるって言うし。それに、バスケやる前から将来は先生になるって決めてたらしいよ」


 近くでそれを聞いていた萌は、改めて逞真を見詰めた。


(約束、最後まで守り抜いたんだ・・・)


 先程まで感傷を受けていたというのに、急に喜びを抱いた。彼に一憂一喜してしまう自分をどうしても制御できない彼女は、少し頬を膨らましながら頬杖をついた。


 すると、教員チーム側で座っていた逞真は不意に立ち上がると、萌や合唱部員を横切り、女バス部員の前に姿を現した。慌てて女バス部員が律儀に立つ。やつれた顔をした彼女らに苦笑する。


「また明日から基礎練習だな」

『はい!』

「自分たちの実力を自覚したことと思う。今日の練習は無しにするから、家でじっくり反省してこい」

『はい!』


 指導する姿は凛冽としていて、先程の楽しげな姿とは一変していた。この場を噛み分けた様子が、生徒から舐められない秘訣でもあった。部員が一礼する。そしてまた萌を横切る。目が合うことはなかった。互いに、目を逸らしていた。


 男子バレーとの勝負が始まった。バスケに比べ、技術が格段に劣っている彼は、極力尾嶋先生の真似をしながら、力強い男バレ部のボールに耐えた。とはいっても、反射神経はもともと素晴らしいらしく、落ちそうなボールをカバーしたり敵からのアッタクをブロックするのは上手かった。そのジャンプ力を活かし、ダンクシュートの要領で高いところから真下にボールを打ち込むスペシャルプレイもみせる。アタックが決まり、素直に純粋に喜ぶ彼には、やはり見惚れてしまう萌だった。


 結果、男バレには惜しくも点数届かず、敗退した。総合点では、生徒チーム教員チーム同点となり、終結した。


 その日、萌が学校を出るときには、雨が降っていた。バスでここまで来て、しかも傘を持参していなかった彼女は困って玄関先で雨宿りしていた。


 止みそうにない雨に途方に暮れはじめた頃、職員玄関の扉が開いた。腕時計を確認し、その足元を見ると、駿河逞真、彼であることがわかった。ついさっきまでラフなジャージを着ていたのに、糊の利いたスーツに戻っていた。今の彼のキャラクターを一層際立たせ、更に2人の距離感を延ばしてしまう。


「っ・・・雨か」


 空を見上げた後、隣にいる彼女に気づく。2人は敢えて数秒間沈黙を保った。先に話し掛けたのは、逞真のほうだった。


「傘、ないんですか」

「え、ええ」


 ギクシャクした会話。互いに気まずくなっている距離をわかっていた。彼は一度目を閉じると、一歩彼女に近寄った。


「送りましょうか?」


 萌は、目を見開いた。潤んでしまった瞳を見られないよう、俯く。逞真は、その様子を見て付け加えた。


「失礼。よかったら、ですけど」


 嫌がっていると誤解されぬ前に何か言わなければ、と萌は必死に言葉を探す。


「その・・・いいんですか?」

「勿論。車ですし」


 彼が、少しでも近づこうとしてくれていることに、萌はとても嬉しかった。彼に振り向き、ぺこっとお辞儀をした。


「お願いします!」


 その答えに、逞真は口角を上げた。


「待っててください。今車を取ってきます」







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