~僕が守る~
十分に策を練った俺は、その翌日、相坂萌の家に向かって歩いていた。外の空気はキンと張詰めていて、白い息を吐きながら歩んでいったのを覚えている。草や木には霜がついていた気がする。
進みながら、その日の前夜の大和との会話を思い出した。
『今言ったのが相坂の住所だけど・・・駿、あいつん家寄るの?』
『うん。今までしつこくしちゃったことを謝る。・・・そして、できれば自分の気持ちを伝えたいんだ。無理にってわけにはいかないけど、萌が俺の事どう思ってるのかも知りたいし。他にも、考えてることがあるしね』
『なるほど。あ、ついでに言っとく。小学の学年通信に載ってたんだけど、明日、相坂の誕生日だわ。もし寄るんだったら、なにか持ってってもいいんじゃね?』
『教えてくれてありがとう、大和。夜遅くにごめんね』
『あー・・・ただな、それからのことはお前に任せたぞ。何があっても俺は何もできねーから』
『わかってる』
手に持つ紙袋に力が籠る。早く相坂萌に会って、謝りたかった。
とても清潔感のある温かな雰囲気の家に到着し、インターホンを押した。出てくれたのは相坂萌で、相変わらず大きなガーゼを貼っていた。あのいじめられた光景が蘇ってきて、胸が痛くなった。
「よくわかったね、家」
「大和に聞いた。・・・今日誕生日だよね。おめでとう。これ、よかったら」
おずおずとプレゼントを渡すと、彼女はとても驚いていた。
「嬉しい。わざわざこのために届けてくれたの?」
「・・・他にも話したいことがあって」
遠慮がちに言うと、萌は家の中に案内してくれた。彼女によく似た母親に挨拶を交わし、萌の背中についていくと、彼女の部屋へと到着した。
「先にプレゼント開けてもいい?」
無邪気に聞く相坂萌を見て、俺はきょとんとなった。本当に辛いことを表に出さない子だな、と感心してしまった。本当の気持ちに気づいてから彼女のちょっとした仕草にも意識してしまうようになっていた。
中身を開けた萌は、目を細めて微笑んだ。
「手袋だ・・・」
「ピアノやってるじゃん。手は大切にしなきゃいけないんじゃないかなって思って。これから寒くなるし」
彼女に似合う色を探し、ピンクを主体としたチェック柄で手の甲には音符の模様が描かれている、ぴったりのものを選んだつもりだった。
相坂萌は、心から喜んでくれた。
「本当に駿君は優しいね・・・」
その言葉がグサッと突き刺さった。少し間を開けて、口を開いた。
「最近さ、しつこく話し掛けようとして、ごめん」
「ううん・・・私だって、駿君が優しくしてくれてるのに、素っ気ないことばっかしてて、昨日なんて怒った風に言っちゃって。私こそ、ごめんね」
萌はあくまでもいじめのことは秘密にしようとしていた。でも、萌を助けるためには、そのことから目を背けてはいけないと思い、俺は正直に話した。
「萌が俺とよく話すようになってから、いじめがひどくなってるの、最近知った。その傷も、いじめのせいで悪化して、ずっとそのままなんだろ?しかも俺と話すせいで。一方的にしたことなのに、本当に申し訳ないよ。決して、いじめられて可哀想とかクラスメイトだから平等にとか、そう言った気持ちでしたわけじゃないんだ」
「じゃあ・・・どうして私に・・・?」
横にいる萌と目を合わせた。
「好きだから、かな」
萌の目が大きく開かれたのがわかった。しばらく俺のことを見つめていたが、不意に正面に向き直り、俯いた。表情が全く見えなくなり、どういう心境でいるのかわからなくなった。気にせず言葉を続けた。
「だから、放っておけなかったんだよね。単に、軽い気持ちで声を掛けたんじゃないから」
嫌われる覚悟でそう言って、俺は目を閉じた。彼女がどういった反応をするか、恐かったから。
萌はなんと言うだろうか?不安に思っていると、不意にか細いすすり泣きが聞こえた。思わず顔を上げると、相坂萌が泣いていた。
「ごめん・・・泣かせるつもりじゃ・・・」
「ちがう。ごめんなさい・・・。おかしいな・・・なんで泣いてるんだろう・・・?悲しいわけじゃないのに・・・」
果たして萌は俺を責めていないのだろうか?その泣き顔をみて、俺はどうすることもできなかった。心のもやは消えず、寧ろ募る一方だった。本当にこれでよかったのか、と自分の心を疑った。
帰り際、俺は萌にこう告げた。
「これ以上俺と話すなって言われたこと、気にするな。俺の勝手で話してたわけだし、萌は何も悪くないよ。もし、何かされるようなことがあったら、俺が守るから」
萌はその日何度目かわからない涙を流した。俺は指先でそれを拭った。妹にするよりも優しく、でも気恥ずかしかったのか素早く手を動かした。初めて顔に触れた瞬間だった。そのまま俺は彼女の左の額から頭にかけてさするように手を置き“じゃあな”と微笑み、相坂家を出た。外は初雪が降っていた。
翌日、クラス中で前日のことが噂になっていた。クラスメイトの1人が歩いている時、偶然俺が相坂萌の家に入るところを目撃したらしい。俺が登校してくると一気にひやかされた。
「キター!熱愛カップルだ!!」
「駿さん、詳しい詳細を!」
「うるせーな。そんなんじゃねえって」
男子は男子でごたごた絡んできたが、女子は女子で相坂萌を囲んで責め立てようとしていた。
「相坂、これ以上駿と話すなって言ったのに、家にまで招待するなんて頭おかしいんじゃないの?」
「そんなに殺されたいんだね」
また、いじめが始まる・・・。俺は男子の人ごみを押し抜け、萌の席へ行き、かばうように女子の前に立った。
「こいつは何も関係ないから。これ以上なにもするな!」
「ひゅー、熱愛彼氏!」
「彼氏じゃねぇよ!!」
怒りの余り、怒鳴り散らした。女子が怯んだとしても、男子は負けずに言い返してきた。
「いつも仲よさそうに話してんじゃん」
「家に入ったんだろ?」
「帰るときなんて頭ポンポンしてたらしーぜ?」
「なにしてんのマジで(笑)」
「全部俺が一方的にしたことだから!俺のことならどうだって言えよ。ただ、相坂になにかしたらただじゃおけないからな」
どっと教室中は黙り込んだ。いつのまにか背後で萌は泣いていた。
それからというもの、女子から萌に対するいじめはなくなったが、その代わり男子による俺に対するちょっかいが多発した。授業中にやかましいメモをまわしてきたり、耳元で根も葉もないことを囁かれたり。まあうるさかったが、萌に影響が及ばなくなり安心していた。こうなることがひとつの考えだったのだ。
その次の日は、大雪が降った。いつものこの地域なら初雪のあとは雨に落ち着き、しばらくしてから大雪となり積もるのだけれど、今年はその期間を一気に通り越して、完全に積もった。寒いし、足場は最悪で、登校がとても困難だったが、学校へ到着すると、多くの生徒たちが既に学校に集まっていた。
しかしそんな中、相坂萌だけ欠席していた。小澤先生に聞いても、連絡がないと返されてしまい、俺は少し胸騒ぎがした。
放課後になり、雪がひどくなる前に帰ろうとしていた俺は、早めに教室を出た。
人気の少ない廊下を渡り、自分の靴箱まで来ると、床に落ちている物に一度足を止めた。そこに落ちていたのは、つい先日萌に渡したばかりの手袋の片方であった。男子側の靴箱の下に落ちているのは不自然だったし、そもそもこの日彼女は学校に来ていない為、なぜこんなところに片方だけ落ちているのだろうと不思議に思った。
拾い上げると、レシートらしき紙切れも落ちていることに気が付いた。それを見てみると、最寄りのドラッグストアが表記され、品物欄に睡眠薬の名称が書かれていた。購入時間はその時のほんの数十分前に記録されていた。
俺は徐々に言葉にできない不安が高まっていた。そのふたつを握り締め、外靴に手を掛けると、上靴を入れるスペースに、手紙が挿入されているのを目にした。差出人を見ると、“相坂萌”と書かれていた。
レシートに書かれたドラッグストアに足早に向かいながら俺は手紙を読んだ。その内容はおおまかにだが今でも忘れられない。衝撃的過ぎて、目に焼き付いてしまったのだから。
『駿君へ。突然のお手紙すみません。ただ、駿君に一言伝えたくて、書くことにしました。この前駿君が告白してくれた時、何も言えないで泣いちゃってごめんなさい。自分の気持ち全然伝えられなかったのに、次の日、ひやかされても動じないで私をかばってくれて、私も気持ちを伝えなきゃと思いました。私も駿君が大好きです。駿君が水をかぶって助けてくれた時から一目惚れしてました。毎日話しかけてくれて、励ましてくれてとても嬉しかった。駿君が支えでした。ずっと一緒にいたらどんなに幸せなんだろうって思います。でも駿君がこれ以上私に関わったら、今度は駿君がひどいことされちゃう。あのクラスならしかねない。それだけは本当に嫌です。だから私は消えます。今まで本当にありがとう。探さないでね。_相坂萌_』
読み終えた俺は、一旦足を止め、向かう軌道を変えた。
(落ちていた手袋とレシートは萌のものに違いない。この手紙を入れた時に何かの拍子に落としてしまったんだ。手紙の最後の内容は結局のところ自殺・・・。睡眠薬を買っている時点でそう考えるのが妥当だ。でも市販で売られている睡眠薬に致死するほどの刺激はない。いや、この雪だ。外で自殺するなら、軽い眠気で眠ってしまっても凍死しておかしくない。この辺で見つかりにくい場所はどこだろう?睡眠薬を買ってそんなに時間は経っていない。だとすれば_____。)
今思えばとても中学生とは思えない機転の利き方だったと思う。思考回路を張詰めて、俺はある一点へ駆けだしていた。雪が再び吹雪こうとしていた。
到着したのは近所の公園。着いた頃には猛吹雪になっていて、公園の足場はひざ下まで埋もれる程だった。
その公園に近所の子どもたちは冬場一切近寄ることはなかった。何故なら、そこにある遊具の中は凍死するくらいまで冷えて危険な場所だから近寄るなと幼稚園、小学生のころから言われ続けているからだ。
そんな閑静な公園に、いつもならあるはずのない人の足跡がうっすら残っていた。その足跡に沿っていくと降り積もる雪に埋もれつつも、一つの遊具までたどり着いた。タコの形をした山の滑り台だ。その一番高いところに俺は尽かさず上った。上の方は高さもあり、雪に埋もれていなかった。
タコの口の部分をくぐると、そこには人が横たわっている姿があった。見慣れたダッフルコートに細い手足・・・紛れもなく、相坂萌だった。蒼白な顔をして目を伏せたまま動かないその姿に唖然となり、言葉を失った。しかし、時間があまり経過していないことを信じ、俺は恐る恐る萌の肩に手をのせ、声を掛けた。
「萌、しっかりして?萌・・・」
冷たく凍えきった手を握った。
(動かない。嘘だろ?まさか本当に凍死しちゃったのか・・・?嫌だ、信じたくない。こんな別れ方なんて・・・。)
俺の目は枯渇しようとしていた。
その矢先、ピクリと指先が動いた。
「萌・・・!?」
その目がうっすらと開き、俺は涙が溢れそうになった。
「よかった・・・」
萌の意識は朦朧としていた。どんなに効き目が弱かろうと睡眠薬を飲んだんだ、当たり前だった。でも、とりあえず生きていてくれてよかったと、俺は安堵の吐息を吐いた。
とっさに自分の着ているコートを羽織らせ、改めて手を握ると、困った表情を向けてきた。俺の体温を気にしているようだった。
「いいよ。萌の方が冷たいだろ」
だんだんと萌の意識がはっきりしてきたのか、今までほわほわした様子で黙っていたのに、突然ハッとしたように顔を顰めた。
「なんで・・・」
「だって、好きなんだもん。俺が守るって、言ったじゃん」
「でも・・・駿君が辛い目に遭うの、見たくない・・・」
「やっと両想いになれたのにさ、こんな別れ方嫌だよ」
しばらくの間、泣き続ける萌が落ち着くのを待った。ずっと自分のことを責め続けてきたのだろう。俺のためにここまでして・・・。物凄く辛かったはずだ。でもそれと同じくらいに、いや、それ以上に、俺は萌が死のうとしたことが辛かった。
落ち着きを取り戻した萌は、静かに話し始めた。
「小学校の頃から、ずっと悩んでた。私がいると、皆の気分を悪くしちゃう。昔からこんな感じだったから。どうして皆は私を煙たがるんだろう?どうしたら皆が気分よく過ごせるんだろう?っていつも考えてたけど、変わる様子もなくて。中学に上がったら、尚更ひどくなってさ。もしかしたら、私は生まれつきの疫病神なのかなって。ならいっそのこと死んだ方が、皆のためになるんじゃないかと思って。私が死んで悲しむ人より、喜ぶ人の方がずっと多いに決まってるし・・・。大切な駿君にまで害が及び始めた時、やっぱり生きてちゃいけないんだと思って、決心したの。でも・・・死ぬのは恐いし、辛いね。やっぱり寒いや、駿君」
哀しそうな顔で笑いかける萌を思わず抱き締めた。あったかい、と耳元で聞こえた。
「萌は、生きてちゃいけない人なんかじゃないよ。そんなわけない。萌が必要な奴だって、いるんだからな・・・」
「うん・・・、うん」
俺の背中に手がまわされると、胸元の萌が微笑んだ。
「駿君、もう一度生きるチャンスをくれて、ありがとう・・・」
ぎゅっと彼女を抱き締めた。凍えてしまった体を、いつまでも抱き締め続けた。
公園を出た頃には、日が暮れて真っ暗になっていた。吹雪は治まっていた。ふらつく萌を支えるように手を繋いで小道を歩いていると、ためらいがちに萌が声をかけてきた。
「駿君、実は・・・この前誕生日プレゼントにもらった手袋、片方落としちゃった。ごめんなさい」
あぁ・・・と俺は呟き、ポケットから拾った手袋を出した。
「はい。靴箱の下に落ちてたよ。レシートと一緒に」
萌は恥ずかしそうにそれを受け取った。
「それにしてもすごいな、駿君。なんで私のいる場所がわかっちゃったんだろ」
「俺の推理力、捨てたもんじゃないよ」
少し得意気に微笑むと、萌はきゅっと手の力を少し強めて握ってきた。俺もその熱を感じながら握り返した。
それからの数日間も、萌は学校に来なかった。休養のためもあるし、まだクラスに対する恐怖心が抜けないのだろう。仕方がなかった。
彼女が自殺未遂したことは、不思議と知れ渡っており、クラス中は誰もが知っていた。流石にここまで来ると、彼女らも萌について何も言わなくなったし、俺たちの仲をどうこうする人もいなくなった。
あとは萌を学校に来させられればな、と思った俺は、毎日放課後相坂家に通い、プリントやその日の授業のノートを届けたりした。いつも受け取ってくれるのは、彼女のお母さんだった。いくらでも待つつもりだった。萌が学校に登校してくるまで続けようと決意した。
自殺未遂をして数週間後、萌が遂に登校してきた。教室が一瞬どよめいたが、彼女になにかするわけでもなく、普段通り各話題で盛り上がり始めた。
「おはよ」
微笑みながら萌の席に行くと、振り向いた萌が満面の笑みを浮かべていた。
「おはよう、駿君」
またこの女の子と一緒に生活できる。喜びに満ち溢れた瞬間だった。