~大切なもの~
夏季長期休暇が終わって間もない頃の一年二組のクラスは____________
学級崩壊していた。
事の発端となった原因はというと、いまいちはっきりしていない。気がつけばクラスが荒れていた、というのが正しい。
ただ、クラスメイトが最も反抗していたのは、担任の小澤先生だ。強いて言うなら、この人の蒔いた種だったのかもしれない。
小澤真那先生は、俺たちの入学する一年前に新採用で赴任した、北中学校で最も若い英語教師だった。小柄だが、明るく生徒に優しくて、最初はとてもいい担任に思われた。
けれど、数ヶ月もすれば欠点や弱点が見えてくるものだ。まだ子供だった中一のクラスメイトたちはその部分が気に食わなくて反抗した。最初の方は一部の生徒だけだったのだが、担任に対する愚痴はあらゆる方向に広まり、いつしかクラスの大半が小澤先生に反抗するようになってしまったのだ。
そうして、先生へのイジメが多くなった。
朝、先生が来る前にドアに汚れたままの黒板消しを設置して、先生が来るとその頭上に降りかかり爆笑したり、先生のチョークや教室にあるチョークを隠したり、単元テストになれば、英語の時だけ後ろ向いて答え訊いたり、授業中本読んだりメモ帳まわしたり、とにかく授業にならなかった。
女子生徒と担任の取っ組み合いとなり他の先生を呼ぶ羽目になることもしばしば。虐待疑惑として騒がれるわ、逆に先生が男子生徒に暴力を振るわれ、あざをつくることだってあった。
しばらくその日常が続くと先生のやる気自体がなくなった。
そして教室に物が落ちていたり、黒板にチョークが置いていないことが当たり前となった。落ちているものは主に小さくちぎって投げた後の消しゴム、使い捨てボールペン、英語のプリントで作った紙飛行機。のちにこの紙飛行機が、俺のトラウマと化すことは言うまでもない。床を埋め尽くすまであるんだ、毎日見ていると吐き気を催す。
先生を見ても、教卓に座り込んで呆れ顔するだけだから頼りにならない。先生に何か注意しようと試みても、先生に反論するなんて・・・・と、いつもできなかった。そのせいか成績の態度面ばかり上がる。
そこで乱用されるようになった流行用語は“お気に入り”。クラスで数人、担任に反抗していなかった生徒の総称にされた。真面目に授業を受けているだけで“お気に入り”と馬鹿にされる。これだって立派なトラウマだ。
恐らく相坂萌にとっても。彼女も勿論先生に反抗なんてしなかった。だから尚更女子に目をつけられた。今まで寄ってかかっていた男子たちも、クラスの女子が恐くて下手に相坂萌に近付いていけない様子だった。彼女へのイジメも、だんだんと公になって、気がつけば孤立状態になってしまっていた。
俺は、クラス中にこんな亀裂が生じるのが嫌だった。小学生のときのように全員が仲良くできないものか、とずっと思っていた。どんなに“お気に入り”と蔑まれても、俺自体はクラスメイトに普段通り接した。相坂萌にも、不自然にならないようにと定期的に話し掛けていた。
そして季節は秋となり、学校祭の準備期間が差し迫る時期になった。北中は毎年恒例のクラス対抗の合唱と、学年によって異なる催し物、ステージ発表を行う。これは教員をしている今も変わりない。
とある朝、合唱部所属の女子2人に話し掛けられた。
「駿、相坂さんにお礼言っといてもらえない?」
その訳を聞くと、その日の前日に色々あったらしかった。
男子のパートは平穏に音取りをしていたのだが、確かに女子の2つのパートは何やら荒れていたのは気付いていた。
何でも、女子数人が練習に集中しておらず、合唱に力を注いでいる合唱部の彼女たちは、その数人に注意したらしい。
“しゃべらないで練習してくれない?これじゃ音程全然入ってかないし・・・時間の無駄だよ”
その注意の仕方が気に食わなかったのだろうか、その女子数名は2人を睨みつけ“死ね”と呟いたらしい。ふざけ合って言うような軽い意味の“死ね”ではなく、それは本当に死を願われたような言い方だったそうだ。
ピアノ伴奏担当の相坂萌もその様子を見ていたらしく、流石に言い過ぎだ、と止めたのだが、それは猫の毛を逆立てるような行為で、彼女の伴奏を無視したり、妨害したりしたらしい。
女子の言い合いは続き、放課後まで持ち越したのだが、担任が揉める理由を聞こうとするも、もはや信用すらされておらず、暴言を吐いた女子数名の一方的な指摘に皆負けてしまったという。
部活の始まる時間になっても、気持ちを切り替えられなかった合唱部の女子2人は、音楽準備室でずっと悔し泣きをしていたそうだ。その場には、担任の小澤先生、そして相坂萌もいたという。
先生は自分の非力さに謝りながらただずっと泣き続けるだけだったが、相坂萌を含む3人は静かに口論していたらしい。人が死んだらあの子たちも懲りるのかな?という疑問に対し、相坂萌は断固して首を縦に振らなかったそうだ。
「そんなことしても、なんの解決にもならないよ。みなみちゃん(合唱部員)たちは間違ったことをしてるわけじゃないもん。大人の目から見ても明確だと思う。その気持ちを忘れたら、きっと後悔するよ。みなみちゃんたちは女子パートになくてはならない存在なんだし、いなくなろうとしちゃだめだよ・・・。こんな私も、ピアノ伴奏者としてクラス合唱のために少しでも力になりたい。諦めずに頑張ろうよ」
俺は女子2人から聞いたその言葉に深く感慨を受けた。
相坂萌は、イジメにも負けない強い意志があると、そのときわかった気がした。
彼女たちもその言葉に救われたらしい。そしてこう続けられた。
「相坂さんね、毎朝椅子に画鋲が乗っけられてても、机の中をゴミだらけにされても、何も言わないで我慢してるんだよ。で、うちらと同じように合唱に力を注いでくれてる。それだけじゃないよ、相坂さん、本当はとってもいい人・・・!だからね、お礼を伝えたくて」
その気持ちは十分にわかったのだが、俺は少し引っかかることがあった。
「なんでお前ら直接言わないで、俺を通して伝えたいわけ?」
今ならわかる。そう思うのは当然のことだ、女子ならば。
「クラスで相坂さんと話してたら、もっと余計に狙われちゃうから・・・・。駿なら、いつも相坂さんと話してるから大丈夫かなって」
当時はまだ子供で、その意味がわからなかったが、とりあえず相坂萌に彼女たちが伝えたいことを伝えた。
彼女はものすごく謙遜した態度を見せた。
「そんな。私はただ思ったことをそのまま言っただけだよ。逆に、キレイごと言っちゃったかなって心配してて・・・」
そう俯く彼女の視線の先には彼女の机があって、そこには数々の落書きが書き込まれており、それを消している最中だったのに気が付いた。その内容の一部を把握し、俺はいたたまれなくなった。
彼女の華奢な肩に手を添え、
「お前、すごいよ・・・・」
としか言えず、ただ佇むことしかできなかった。
そんな騒動を乗り越えた学校祭で歌い切ったのは合唱曲・『大切なもの』。
当時は音程や表現の仕方を再現することで精いっぱいで歌詞やメロディーについてなにも考えられなかったが、今この曲を思い出すと自然と1年2組にいた頃の光景が脳裏に浮かびあがる。だからまともにこの曲を思い返せずにいる。
合唱部の力や、相坂萌の伴奏の力があってか、合唱は3クラス中銀賞をいただくことができた。それでもクラスの仲は癒えぬままだった。
俺はいつしかこのクラスの未来に不安しか抱けなくなってしまっていた。