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其の弐 「だってニンゲンだもの」

 日当たりのいい場所に茣蓙ござを敷いて、繕い物を入れた篭も持って腰を下ろす。すると隣にはクロがマイ布を銜えてきて、寝っ転がる。

 さすがは用心棒クロさま。


「よろしくね」


 ひと声かけて撫でた後、厚手の濃い茶の生地を手に取って繕いを始める。

 まさかちょっとした修理以上のことをやるようになるとは思わなかったよ。おばあちゃん、着物の繕い方から火打ち石の使い方まで、〝江戸時代〟で生きる方法を教えてくれててありがとう。

 お陰で華子かのこはへたれなおっさんの尻を叩きながら、平穏無事な生活を送れています。


 自称越後の縮緬問屋のご隠居よろしく、かっかっかと笑う矍鑠としたおばあちゃんの姿を思い出し、ちょっと感傷に浸ってみる。

 当然、手は止まらない。これもおばあちゃんの教育の賜物である。





 実は私、この世界の人間じゃない。

 だってニンゲンだもの。

 ……冗談ではなく、私はヒト科ヒト属ヒト種の、ホモサピエンスである。決して本性が猫耳があったりウサ耳があったりしない。

 つまり何が言いたいかというと、この世界のヒトってやつは、獣耳や獣尻尾などなどなどがオプションでついてるものなのである。出し入れ自由みたいらしいけど。


 まっさかねぇ、自分がそんな世界に来ることになるとは思わなかったわ。タイムマシンに乗って過去には行ってみたいと思ってたけど。

 まぁ、獣の部分だけ除けは〝江戸時代〟だから概ね文句はないんだけどさ。


 七尾ななお家の三女として生まれた私は、諸事情から祖母の下で育てられた。

 別に鬱屈とした理由なんてなぁんにもなくて、単純に両親の仕事が忙しい上に歳の離れた姉たちは既に自立可能だったというだけで。

 そんな訳でおばあちゃんっ子となった私は、アニメではなく時代劇を見て育ち、炊事は竈で薪で行い、頻繁に着物――和服で生活するという、いつの時代の生活だと思うような育ちをしてきたのである。

 いや、普通に電気ガス水道のライフラインは完備されていたから趣味なんだけどね。


 ここに来る直前だって、着物姿で家の近所に買い物に行った帰りだったのだ。買い物篭に長ネギに大根を刺し、中には徳利で量り売りしてもらった醤油にお酒、それから家庭菜園用の種。更に修理が終わって引き取ってきた包丁と、なぜかおばあちゃんにと預かった鉈と鍬の先。

 他にも物はあったけど、オーバーテクノロジーな物は数えるくらいしかない。最たる例な携帯電話は持って出かけなかったし。


 越後の縮緬問屋のご隠居の再放送に間に合うようにと、家の裏手の雑木林を抜けたのがまずかったのか。

 林を抜けた先は異世界で、目に飛び込んできた川にはふんどし姿の大男。

 まァ、鍛えられた素敵な肉体。と、見入ってしまった私と、悲鳴をあげて川傍に置いてあった着物で慌てて身体を隠す大男。

 色々とアレな気はする出会いはそんな感じ。


 大男を落ち着かせ、色々と会話を交わす内にここが獣耳や獣尻尾が普通な異世界らしいことが判明。つまり私が世界的な迷子だってことも。

 どうしましょ、これでもう大岡様の勇姿を拝顔することは叶わないのかしら。平次親分や金さんも!

 なんて悲嘆に暮れる私を大男は川から少し離れたところにある家に案内してくれた。猟師小屋に毛が生えた程度でしかないそれだけど、家には違いなかった。

 お腹空いてるだろうと、大男が作ってくれた粥がまぁ、まずい。思わず涙もひっこんで、椀の中を凝視して、不味いんじゃボケぇと怒鳴ったことは鮮明に覚えてる。鍋の中の粥を、買い物篭から取り出した和風出汁と醤油で味付け直し、食べられる味にして口直ししたことも。

 ついでとばかりに大男を引ん剥いて薄汚れた着物を川で洗濯し、持ち歩いてる裁縫道具でほつれを直し、土間の隅に置かれた駄目になった食材を見て説教をはじめ――日がとっぷりと暮れたところでやっと私は我に返った。

 大男がなみだ目だったことは……うん、良い思い出よね。


 とにかくその日はそれで就寝。

 翌朝、なんとも都合がいいことに、大男の知り合いが食べ物や生活用品を配達してくれる日だという。その人に一緒に街まで連れていってもらえと、街道まで出向いた訳だけど。

 街まではちょっと距離があるということで、即席な竹製水筒に野草茶を詰め大根の葉ふりかけのおにぎりを作って待ってたのが悪かったのかも知れない。


 息も絶え絶えな旅人が現れて、その人にそれを袖擦り合うも多生の縁と与えたのよ。

 元気になった旅人と話を誤魔化しつつ言葉を交わしているうちに、なぜか私は大男の妻にさせられ、ここに行商をしに来ているということになってしまった。

 まじ、意味わからん!

 なんとか旅人を追い払ったかと思えばそこに現れたのが大男の知り合いで、戻って来ない理由がわかりましたとやっぱり曲解されてしまった。そして手をぎゅっと握られて、駄目で阿呆でお人よしで(以下、略)な旗本の三男坊ですか宜しくお願いしますと、押し付けられてしまった。

 反論する間もなく女性に必要なものを揃えてきますねと知り合いは取って返し、翌日の早朝に再び大工と共に材料を持って現れ、猟師小屋な家の場所にはまだまともな家を、そしてその猟師小屋を街道沿いにという離れ業を日落ちまでにやってのけた。

 私も大男も、反論ひとつ出来なかった。それなんて魔法って聞いたら、この世界にそんな奇怪なものは存在しませんって一蹴されたし。


 兎にも角にも、そういう訳で怒涛の茶屋運営が始まったのである。





「旗本の三男坊といえば、新之助よねぇ。でもって正体は上様よねぇ。

 ………ないわぁ」


 思わず思い出して呟いちゃった私は、たぶん悪くない。

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