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美奈子ちゃんの憂鬱

美奈子ちゃんの憂鬱 悪夢とご飯と絵日記と

作者: 綿屋 伊織

 「ごちそうさまでした」

 カタン

 沈みがちな声と一緒に食器が置かれる音がした。

 声の主に居合わせた全員の視線が集まる。

 「葉子?」

 美奈子の母が、葉子の額に手を当てる。

 「熱はないみたいねぇ。どうしたの?」

 「……わかんなぃ」

 そう答える葉子の顔色は冴えない。

 

 「……というわけなの」

 「ふぅん?」

 水瀬がお茶を片手に言った。

 「つまり、最近、葉子ちゃんはご飯を残すし、元気がないんだね?」

 「そう。お母さんも心配してお医者様にも連れて行ったけど、どこも悪くないっていうし」

 「ご飯に出てきたのがキライなものばかりというわけもないか」

 「それはない」

 美奈子が憮然とした顔で言った。

 「葉子が食べ残したら、それは次からウチでは食卓に登らない。しかもね?昨日なんて葉子が大好物のいなり寿司にハンバーグに……私の子供の時は、“好き嫌い言わずに食べなさい!”の一点張りだったのに」

 「おばさん、本当に葉子ちゃんがかわいいんだね」

 水瀬は小さく笑いながらそう言った。

 「そりゃもう」

 美奈子は苦笑しながら答えた。

 「幼稚園の先生から“いままでこんなデキた子は見たことない”とか、お友達のお母さん達に“子供に葉子ちゃんを見習わせたい”だの“お宅の育て方を教えてください”なんていわれれば、保護者としてそりゃカワイイでしょうよ」

 「クスッ。桜井さんとは大違い?」

 「悪かったわね!」


 「冗談はともかく」

 水瀬はわざとらしい咳払いをして話題を変えた。

 「マジメに話そう」

 「―――命拾いしたわね」

 美奈子は握りしめた拳を引っ込めた。

 いくら水瀬でも美奈子の必殺“めりこみパンチ”なんてもらいたくない。

 「まぁ……無理もないか」

 水瀬は指折り数えながらそう言った言葉に美奈子はひっかかった。

 「もう数ヶ月だからねぇ」

 「だから」

 「葉子ちゃん、お腹空いてるんだよ」

 「ご飯からあげてるわ!?」

 美奈子がたまらず怒鳴り声をあげた。

 「水瀬君、何聞いていたの?まるで私達が葉子を」

 「違う違う」

 水瀬は平然とした顔で手を横にヒラヒラ振った。

 「ここでいうゴハンは人間の食べ物じゃない」

 「はぁ?」

 意味がわからない。

 美奈子は怒ったまま、怪訝そうな顔を水瀬にむけた。

 「水瀬君。コミニュケーションとる上で大切なのは、相互にわかるように話すことよ?」

 「それ言われると痛い……」

 「報道部入りなさい。一から鍛えてあげる」

 「思いっきり遠慮しますぅ……ねぇ。話ていい?」

 「どうぞ?」

 「桜井さん、忘れてないよね?」

 「?」

 「葉子ちゃんの本当の姿」

 「……そ、そりゃ」

 美奈子は旗色が悪くなったことを自覚した。

 美奈子にとって今や葉子はかわいい妹。

 大切な家族だ。

 だから、葉子が人間以外の存在―――妖狐だということを忘れてしまう。

 いや、無意識のうちに忘れさせている、というべきかもしれない。


 「あの子がどういう出自の子か知っているでしょう?魔の陣営に属する身だから、生きていく上でどうしても魔素がいる。人間がご飯を食べるようにね」

 「魔素?魔素って……あの?」

 美奈子は記憶の中からその言葉に該当する存在を引き出した。

 「そう。あの魔素」

 水瀬にそう言われた美奈子が次にとった行動―――それは、


 メリッ!!


 拳を水瀬の顔面にめり込ませることだ。


 「ふざけないで!」

 水瀬の顔面から腕を引き抜いた美奈子は、顔を真っ赤にした怒りの形相で仁王立ちして怒鳴った。

 「雑誌で読んだよ?あれって、吸い込むだけで死ぬって―――」

 そう。

 一般人にとって、魔素とは危険物質そのもの。

 戦争による被害の復旧の妨げになっている存在。

 科学的に存在が証明できないかわりに、具体的な被害だけは発生している。

 それが、「魔素=危険物質」という噂に尾ひれをつけていた。

 その一般人である美奈子にとって、そんな危険物質をとっていないことが妹の食欲不振原因などといわれれば、それは妹に対する侮辱でしかない。

 「家族の食欲不振解消にこのクスリ!プルトニウムとウランのW効果で食欲モリモリ!」なんていわれたら怒るのと同じだ。


 だが、

 「それ、無知の偏見」

 水瀬は冷たくそう言い放った。

 ぐっ。

 美奈子は息を詰まらせた。

 相手は魔法騎士―――魔法の専門家だ。

 その専門家からそう言われれば、何も知らない美奈子は黙るしかない。

 「まぁいいよ?」

 水瀬は立ち上がって美奈子に言った。

 「明日の祝日、葉子ちゃん貸して」



 翌日、美奈子は葉子を連れて水瀬の家へ向かった。

 「大丈夫?」

 葉子の手を引きながら、美奈子は何度目になるか自分でも忘れた言葉を葉子にかける。

 「具合、悪くない?」

 「うん」

 葉子はどこか嬉しそうに頷いた。

 「平気だよ?」

 その笑顔がどこか作られていることを、美奈子は薄々感づいていた。

 「へへっ」

 葉子が嬉しそうに笑う。

 「どうしたの?何かいいことあった?」

 「うん。あのね?」

 葉子は言った。

 「お姉ちゃんが優しくしてくれるから」

 まるで家庭内暴力を受けながら、それでも母親への愛情を捨てない、健気な子供のような言葉が美奈子の心に突き刺さった。

 「……私、そんなに怖い?」

 ショックに固まる美奈子に、葉子は嬉しそうに言った。

 「ううん?いつもよりもっともっと優しいから」

 


 「あ、来たね」

 水瀬はバスケットと何かを片手に持って美奈子達を玄関で出迎えた。

 「じゃ、すぐに行こう」

 「うん。―――それより、水瀬君、それ何?」

 「あ、これ?お昼と必要な道具」

 「道具?」

 美奈子はいかにも怪しいという視線で水瀬が手に持つモノを睨んだ。

 「それ、首輪と?」

 「うん。鎖」

 魔素云々とどうしても関係がわからない。

 だから訊ねた。

 「何に使うの?」

 「これをね?」

 水瀬は葉子の首に首輪を付けた。

 ゆるめに設定されているらしい首輪が葉子の肩のあたりで止まった。

 「うん。かわいい」

 「そう?」

 何もわからない葉子は無邪気に笑うが、美奈子はその有様に怒り出した。

 「な、何するのよ!」

 「ダメ!」

 葉子の首から首輪をもぎ取ろうとする美奈子の手を水瀬が掴んだ。

 「人の妹になんてことするの!?水瀬君、そっちの趣味まであったというの!?」

 「そっちってどっち?」

 「あさって!」

 「あさって?」

 水瀬はあちこちキョロキョロした後、美奈子に訊ねた。

「どっち?」

 「だからあさってだって!」


 すったもんだの挙げ句、美奈子と葉子が連れてこられたのは、

 「ここ、ドコ?」

 戦争映画のセットのようなガレキの山の真っ直中に立ちつくす美奈子は、水瀬に訊ねた。

 「旧長野市県庁付近」

 水瀬はそう答えた。

 「戦争初期、長野市攻防戦の折りに壊滅したところ。―――ほら」

 水瀬の指さした先。

 そこには、戦後一年が過ぎようとしているのに、未だに回収されずにいるメサイアの残骸が数騎転がっていた。

 コクピット付近を中心に焼けたのだろうことは美奈子にもわかった。

 だが、美奈子は中のパイロットがどうなったかは考えるのをやめた。

 「こんなところへ私達を連れてきた理由は?」

 「だから、葉子ちゃんのゴハン」

 いいつつ、水瀬は美奈子の手を引いて、美奈子をある場所に立たせた。

 そこには魔法陣が書かれていた。

 「葉子ちゃんから桜井さんを守るための結界だからね?ここから絶対に出ないで」

 「出たら?」

 「桜井さんも葉子ちゃんのゴハンになるよ?―――葉子ちゃん。おいで」

 「はぁい!」

 トコトコ近づいてくる葉子の額に水瀬が指先を当てた。

 「いい?目をつむって100数えてご覧?」

 「うん。いち、にぃ、さぁん―――」

 数を数える葉子の声にあわせるように水瀬の口から流れるような呪文の詠唱が聞こえ、そして―――


 美奈子の視界から、葉子が消えた。


 ズドドドド……


 「?」


 目の前での葉子消失。


 それにあわせるように響く地響き。


 たまらずその場にへたり込んだ美奈子の視線が、崩れたビルの影から走ってくる巨大な物体を捕らえた。


 巨大なウシの群れ。


 ちがう。


 妖魔だ。


 4つ足の妖魔が群れとなって向かってきたのだ。


 一年戦争の生き残りが、人間が近づかない場所に潜んでいるのは美奈子も知っている。


 ただ、それが目の前に現れるなんて考えもしなかっただけだ。


 「み、水瀬君!?」

 恐怖に駆られた美奈子は、確かに見た。


 それまで葉子がいた場所にいるのは、あのカタマリ。


 間違いない。


 少しだけ大きくなっているが、あれはカタマリだ。


 あの小雨のふる中出会ったあのキツネ。


 それが、水瀬の前にちょこんと座っていた。


 水瀬は、首輪を確かめると、カタマリに言った。


 「葉子ちゃん?ゴハンだよ」



 その日の夜。


 「ごちそうさまでしたぁ!」

 桜井家の食卓に久しぶりの明るい声が響き渡った。

 「あらあら。葉子ちゃん。元気になったわねぇ」

 美奈子の母が目を細めて喜ぶ。

 「うんっ!」

 「やっぱり、和牛がきいたかな?」

 父も嬉しそうだ。

 ただ一人、

 「ごちそうさま」

 半分も食べずに席を立ったのは、美奈子だ。

 「どうしたの?」

 「う、ううん?ちょっとね」


 見なきゃ良かった。

 美奈子はベッドにひっくり返ると、心底そう思った。


 あの時、カタマリは、牛の群に襲いかかった。

 それまで圧倒的優勢と思われていた牛の群は、カタマリに文字通り喰われた。

 血が噴き出し、はらわたがまき散らされる、トサツ場同然のケダモノの食事風景のすさまじさは、美奈子のような普通の女の子に耐えられる代物ではない。

 カタマリが一頭の首を食いちぎった時、勢い余ってその首が美奈子の真横に落下した時は、さすがに卒倒しそうだった。

 

 その後もカタマリは暴れ続け、カタマリの進む先々で妖魔達とおぼしき断末魔が響き渡ったものだ。

 その音は今でも美奈子の耳に残っている。

 絶対、悪夢を見るだろう。

 美奈子はげんなりしながらそう思った。

 妹のためとはいえ、牛は食べられなくなるし、悪夢は見るし、もう最悪だ。


 美奈子はベッドの脇に置かれたラジオの電源を入れた。


 『―――本日午後、旧長野市街の魔素が低下し、通常レベル4指定されていた地域半径約5キロのレベルが1になりました。原因は不明ですが、戦災地域復興の大きな助けになることは確実です。これについて専門家は「奇跡だ」と驚きを隠せないコメントを』


 ふうん?

 美奈子はラジオを止めて一人ほくそ笑んだ。


 「成る程ねぇ……?」


 私は悪夢を見るし、牛も当分はダメだろう。

 でも、それで人が救われるんだ。

 水瀬君があの呪具で最後に私にカタマリ―――葉子を止めさせた時は、そんなこと思いもしなかったけど、それでも水瀬君はいろいろ考えた上で行動していたんだ。

 人助けにもなるし、

 葉子のためにもなる。


 うん……


 美奈子はそっとベッドの枕元に置いてある写真立てを手に取った。

 学園のイベントの時に撮られた写真。

 水瀬が優しい目でこちらを見つめてくれていた。


 「好きだよ?水瀬君」


 美奈子はそっと、写真に口づけをした。


 今日は、きっといい夢が見られそうだ。




 桜井葉子の絵日記より

 夜、眠れなかったからお姉ちゃんの部屋に行った。

 ドアを開けたらお姉ちゃんがびっくりしていた。

 ノック忘れてたからだね。

 お姉ちゃん。ごめんなさい。


 ……でもね?お姉ちゃん。

 なんでパジャマのズボンはいてないの?


 大人の事情?


 ふぅん?


 明日、お母さんに聞いてみよう。

 お姉ちゃん。


 お休みなさい。


   


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