その3
――うらやましい。
ルディエラは軽くねたましい気持ちで兄と、そして副隊長とが対峙する様を見ていた。
第三師団の為の中庭――馬柵の横の運動場には、第三師団の隊員達が面白い見世物がはじまるとばかりに中央部を囲むように見物している。
ティナンは騎士団の仕事が忙しくちっともルディエラの訓練に付き合ってくれたことが無い。
時折自宅に戻っても、どんなにせがんでみせてもティナンは訓練に付き合ってはくれなかった。本気にとってくれなかったのかもしれない。
まるきり小さな子供を扱うように、頭を撫でて「怪我でもしたら大変だからね」と笑っていたものだ。
幸い年齢の近いセイムがいたから訓練相手に困ったことは無いが、それでもティナンに稽古をつけて欲しいと思ったのは一度や二度ではない。
中庭の中央に立つティナンとベイゼル。
組み手ということで剣も剣帯も、鎖帷子もはずされている。
冷ややかな隊長は軽く手袋に包まれた指を握ったり開いたりを繰り返し、淡々とした口調で言った。
「どうした? いつでもくるといい」
「いやいや、ここはやっぱり序列を大事にしてですねぇ」
「年齢を敬ってやろう」
ふっと笑って見せるティナンに、ベイゼルはニヤリと口元をゆがめた。
「そいつはどうも」
軽口のように言いながら、けれどはじめに動いたのはベイゼルだった。突然身を沈めたかと思うと左手を軸にして蹴りを入れるように下半身をぐるりと回してティナンの足を攻撃したが、ティナンは容易くよけるとそのままベイゼルに蹴りを繰り出した。
「組み手ではなかったかな?」
「いやぁー、普通に組んだら負けるでしょー?」
「そうですか」
相手の蹴りをよけきれずに腹部に軽くダメージを受けたベイゼルは距離をとろうとするのだが、相手のほうが早い。
一旦身を引き、その弾みを利用して進む。近づいた途端に襟首を掴みあげて腹部に膝を叩き込み、それを押さえようとするベイゼルがそちらにばかり意識を持っていかれたことをいいことにぱっと掴んでいた襟首を離した。
押さえを失ったからだがバランスを崩したところを見逃さずに首の辺りに肘を叩き込んでいく。
その躊躇ない動きをわくわくと見ながら、ルディエラはぐっと拳を握り締めた。
兄様、スゴイ!
なんて綺麗なのだろうか。
さすが近衛騎士。動きが滑らかですばやい。ベイゼルもすんですんでで相手の攻撃を抑えているが、反撃に出るまでに至らない。当初に食らった腹部が痛むのか、その腹部をかばうように動くのだが、ティナンはそこを的確になぶるように攻撃の手を緩めない。
行儀の良い筈の騎士団の人間が、やがてその試合に熱を持って声をあげはじめた。
「副隊長、やっちまえ!」
「ここでやらねば男が廃るっ」
「隊長っ、ボッコボコにしちゃって下さいっ」
ひやかすような野次を飛ばしているが、ルディエラは瞳をきらきらとさせて滅多に見れないティナンの姿を見つめた。
やがて重い、どうっ、という音をさせてベイゼルの体が地面に叩きつけられ、腹部に足をかけて片手を捻り、そしてもう片方の手でしっかりと首を掴んだティナンが冷たい口調で「終わりです」と告げた頃には、シンっとした静寂が辺りを満たした。
ルディエラの心臓が激しく高鳴る。
本来であれば見習いのルディエラはこの時刻は道場の掃除だが、そんなこともうっかり忘れて他の隊員のすみで拳を握りこんで兄を応援してしまった。
――兄様、強い。
華奢なティナンだが、いっさいの無駄を省くように動いた。
おそらく体力の消耗を抑え、なおかつ相手の体重や動きすら利用しているのだ。次兄の力任せの戦いとは違うのだ。
ベイゼルが腹部を押さえ込みへたり込めば、救護係が二人近づきベイゼルの体を引き上げた。
なんて羨ましい。
ぼこぼこにされているが、兄に稽古をつけてもらえるなんてなんて羨ましい! ルディエラは心からベイゼルに嫉妬したが、その思いはすぐに消えた。
「見習い! アイギルっ」
突然、兄の冷たい眼差しがルディエラを捕らえ、さらにきつい口調で言った。
「職務をさぼるとはいい度胸ですね。
来なさい――稽古をつけよう」
それは天上の誘いだった。
すくなくともルディエラには。
だが、さすがに他の騎士達が戸惑うように声をあげたのだが、ティナンはそれを一瞥で黙らせ、顎でルディエラを呼んだ。
呼ばれたルディエラはまるでうさぎが跳ねるようにぱたぱたと兄の元へと駆け寄り、心底嬉しそうにぺこりと頭を下げた。
「お願いします!」
――身軽さには自信がある。
セイムとの訓練で、女の体がどれだけ力が無いかは承知している。力のかわりに自分にあるのは軽さと敏捷性。それは最大の武器。
――だがルディエラはそんな容易いものではないのだと、すぐに知ることとなった。
自分はただ彼等の組みあう様を見ていただけ。一方、ティナンの体はすでに慣らしを終えて体も適度に温まっている。ベイゼルの時のように相手の意表をつくような動きは見せなかった。ただ率直にティナンの手が襟首に伸びる。
先ほどの様子を見ていたルディエラは、頭の中で兄の動きを軽く分析していた。一度目の動きは陽動。二手・三手先の布石。だが、ティナンはそんなことをしなかった。そうするまでもないと判断されたのだ。
侮られた。
カっと自分の熱があがる。
つかまれた襟首に怒りがわいて、ルディエラはそれを振りほどこうと身を沈めたが、その力は存外強い。それならと相手の下半身を狙おうと切り替えた。
途端、ルディエラの体は容易く宙を舞い上がり、どすんっと音をさせて地面に叩きつけられた。ついで腹に一撃、混乱する頭が全てを理解するより先、押さえ込まれ腕を逆手に捻り上げられ、ついでティナンの低い声が言った。
「腕を一本、貰います」