その3
「冷静に考えてみると、兄上はいったい何をしているのだ」
おもむろにむかむかと腹がたってきた第三王子殿下キリシュエータだった。
ルディエラを自らの娘だというフィブリスタだが、だがその説明には突っ込みどころが満載だった。
まず、その場合に必要不可欠となるハハオヤ役が、父の愛妾カーロッタであったという。当時のことはさほど覚えていないが、母である正妃が没して三年程経過していた頃合に、父陛下には縁談が舞い込んだ。
正妃の席があいているのは国としても体面がよろしくないとか、外交問題がどうとかそういった理由であった筈だ。
だが、父はその席をわざわざ埋めようとはしなかった。
そこで、代わりに父の慰め役として担ぎ出されたのが、カーロッタだ。
カーロッタが懐妊したというのであれば、それは当然陛下の子ということになる。本来であれば。
だが、兄は自分の子であるというのだ。
「馬鹿か……」
何をしているのだと襟首をしめあげてやりたい暴挙だ。
――苦々しい気持ちで奥歯をぎしりと鳴らし、キリシュエータは軽く首を振った。
もし、たとえ、兄の種でないとしても……結果として待つのは、父の子であるという事実だ。
父の子。
つまり、ルディエラは妹ということになる。
***
心臓に悪いものを目撃した午後。
「なかなか理解されないけどさー、結局ぼくってこういう仕事に向かないんだよね」
ばりばりと旅先で見つけたという焼き菓子――固めのパン生地に砂糖を練りこみ、さらにザラメを振り掛けた菓子をちぎっては口の中に放り込みつつ、第二王子殿下リルシェイラは嘆息した。
「でもほら、外見だけはいいでしょ。
黙っておいとけばそれでいいって態度がみえみえ。兄うえは問題外だし、キーシュは生まれついての怒りんぼうだしねー」
リルシェイラは自分の言葉に自分でうなずき、ふと思いついたように焼き菓子のひとつを、ほいっとルディエラに差し出した。
差し出されたものをそのまま受け取り、手の中の菓子とリルシェイラの手元とを幾度か視線をさまよわせて確かめる。
果たしてコレは食べていいのだろうか。
確認しようにも、ほかには誰もいない。
王宮から離れた石塔――その歩哨が行き交う筈の砦の片隅という場で、ふわふわの髪――本人曰くいちいち寝る前に細かい三つ編みを幾つも編みこんで作成される絶壁対策――を石畳に惜しげもなく散らし、胡坐をかいているリルシェイラは指先についたザラメを舌先でねぶった。
「必然的にお仕事が決まっていた訳だけどさ、ぼくってじっとしているとなんかむずむずと居心地が悪く感じるんだよね」
「で、いちいち抜け出すんですね」
「だってしょうがないでしょ? 散歩に行っていいかなって聞いたら、駄目って言われるし」
当人はけろりと言い切り、ルディエラの手に未だある菓子を視線だけで「食べれば?」とすすめてくる。
「次男なんてモンは要らないモンなんだよ」
「そんなことないですよ」
ルディエラは菓子をちぎりつつ、突っ立っているのもどうだろうとおそるおそるリルシェイラの横に腰を預けた。
歩哨が物見をする為に等間隔であけられている場は、ちょうど人間が二人入り込めばぎちぎちだが、リルシェイラは気にしないのか、身をつめるようにしてルディエラを迎え入れた。
「殿下は腐っても殿下だし!」
「いや、腐らせないでくれる?」
サラリと無礼なことを口にするルディエラにリルシェイラは顔をしかめたが、ふと思い立つように言葉を続けた。
「アイギルのトコは、兄弟――というか、家族仲はいいの?」
「うちは仲良しですよ。喧嘩とかめったにないし」
喧嘩などしようものなら、長兄が怖い。
何より、ルディエラとまともに喧嘩になるような兄といえば、バゼルかルークだが、この二人にしたって喧嘩らしい喧嘩では無い。
ルークはただご親切にもルディエラを机に貼り付けようとしていただけだし、バゼルはルディエラをオヒメサマのように着飾りたいだけだった。
時々それに反発して大騒ぎを繰り広げる程度の話だ。
「両親も?」
「父様は優しいですねー、母様は……」
ふっと言葉を濁したルディエラに、リルシェイラはたずねてはいけないことだったかと慌てた。
「うちの母親もぼくが子供のころに亡くなったから、あまり判らないけどっ」
焦ってどういうべきか言葉を模索すると、ルディエラは乾いた笑いを浮かべた。
「いや、うちの母親は生きてますよ」
「なんだ、生きてるのか」
「生きてますけど」
ルディエラは自然と愛想笑いのようなものを口元に浮かべみせた。
「家出中です」
……お母さんは残念なことに筋肉のよさがイマイチ理解できない人だった。
それ以上の突っ込みを失ったリルシェイラだったが、差し出した菓子をルディエラが平らげるのを確認し、にんまりと口元を緩めた。
「大事なおやつがなくなったから、外に買い物にいこうかー」
「は?」
「今回は護衛付きだからきっとそんなに怒られないよ!」
「ええっ?」
***
この道はいつか来た道……
「だったかな」
ふと気づくと見知らぬ場所にいるのは、もはやルークにとって日常だ。だがそれが建物の中であれば問題はない。
どのような迷路も右手を壁に押し当てて歩けば、やがては出口にたどり着くのだ。多少時間はかかったあげく、やっている途中に長考に入り込むとまた色々面倒くさいあげく、
「あれ、左手だったかな」
腕を組んで考え込んでいたところで、ふいに背後から頭をはたかれた。
「迷子になるならもっとマシなところで迷子になっていなさい」
はたいた手をわざとらしく軽くふり、さらにふーふーと息を吹きかけた相手は、ルークにとって三番目の兄。
――今日はずいぶんと知った顔に合うな、と思いつつ「ああ、こっちは騎士団官舎か」と納得した。
反対側の警備隊の隊舎で事務補佐官であるナシュリー・ヘイワーズ中尉を探しているつもりだったのだが、どうりでいつまでたっても会えない筈だ。
「さっきはルディ――」
ルディエラに会った、と口にしようとした途端。
まるきり先ほどのルディエラと同じように、ティナンはぐいっとルークの二の腕をつかみあげて近くの部屋にルークを引き連り込んだ。
そのさいにルークの側頭部が扉の枠をかすったあげく、ごんっと鈍い音をさせたことなど、彼の親愛なる兄はまったく気にしない。
「ルディエラのことはここでは禁句です。あの子はアイギル家の子息としてこの騎士団に見習いとして所属していることになってますから」
「その説明は当人から受けた」
恨めしいまなざしでティナンを睨んだところで、相変わらずティナンは弟の頭には興味がない様子。
「そんなことより、ルーク。
キリシュエータ殿下からの呼び出しはいったい何だったのですか? このところ殿下ときたらやけにこそこそとぼくにも秘密で色々と考えているようで――今回おまえを呼び出したその真意すら伝えてくださらない」
ひたりと真摯なまなざしを向けられ、ルークはつきつきと痛む側頭部を軽くなでつつ、ゆるく口を開いた。
うっすらと開いた唇だったが、ちらりと天井を見上げてもう一度ふさがった。
どこかで聞いた気がしていたが、キリシュエータと同じようなことを最近口にしていた人間がいた。
――ルディと血が繋がっているのかどうか。
確かにそんな戯言をほざいた阿呆が一人。
じっと面前のティナンを見つめ、ルークはゆっくりと口を開いた。
「ティナン」
「何です?」
「ルディがぼくらの妹じゃないとしたら、どうする?」
――勉強の邪魔ばかりして、木剣で遠慮なく何度も叩いてきた小さな妹。
大粒の目をして、悪戯ばかりして、その癖強かで兄達が最終的に自分に甘いことを熟知している悪魔っ子。
突然のルークの言葉に、ティナンはうろたえた様子で瞳を瞬き、視線をさまよわせて何度も「え、あっ」と口にした挙句、
「……どうするも、何も。
ルディは――ああ、でも妹じゃなければ、えっとっ」
「――」
ティナンの動揺っぷりに半眼を伏せ、ルークはくるりと身を翻した。
――ルーク、ほら、小さいでしょ?
あなたの妹よ。あなたも今日からおにいちゃんね。
母は愛しそうに柔らかな生地に包まれた赤ん坊を示してみせた。
パンの生地みたいにほこほことして、何を考えているのか判らない綺麗な瞳をした赤ん坊。
「ちょっ、ルーク?」
突然動揺するようなことを言われた挙句、くるりと背を向けられてしまったティナンが慌てて声をかけると、ルークは覚めたまなざしでぼそりと言った。
「ろりこん」
「ちっ、違いますよっ。ぼくは別に年下が好きとかじゃなくてっ、ただ純粋にルディがかわいいだけでっ」
「しすこん」
「だからっ、ちがいますったらっ。
ごく一般的なお兄ちゃんとしての感情でっ」
――極一般的なお兄ちゃんとしての感情、らしいです。
***
王宮敷地内を逃げ出し、城下町の菓子屋から大量の菓子を購入しての帰路――王宮中央の通りにかかる第三問の橋手前で捕獲されたルディエラとリルシェイラに対し、呼び出しを食らった第三王子殿下キリシュエータは巨大な雷を叩き落した。
「おまえ達は何をしているんだ!」
「そうは言うけど、今日は護衛つきだった訳だし」
「護衛といったところでソレはただの見習いだっ」
ほかの仕事で廊下を歩いているときにその騒ぎを聞きつけたキリシュエータは、リルシェイラとルディエラを並べてくどくどとやっていたのだが、ふいの拍子に「にんじん!」と怒鳴りつけ、びくりと身を正したルディエラを久方ぶりに直視してしまった。
「申し訳ありませんっ」
がちがちに固まり頭をさげたルディエラを直視したまま、キリシュエータ自身も固まった。
最近こっそりと遠くから眺めることはあったものの、こんなに間近で見た覚えはない。
一瞬のうちに自分の中の思考回路が停止し、キリシュエータは自分の中で何かが壊れる音を聞いた。
「あ……」
それまで怒りを撒き散らしていた相手が突然言葉を詰まらせたことに、ルディエラは伏せていた視線をおそるおそるあげた。
「あ……?」
「そ……」
「そ?」
不思議そうに見上げられ、キリシュエータは突如として崩壊し、
「今日はいい天気ですね」
――ぽんっと口から出た言葉に、死にたい気持ちになった。