その2
王宮の最北。
地下墓所に納められた代々の棺の中には、王族として名を連ねた者達に混じり――小さな墓石がひとつ。
名すら記されず、ただ記されているのは飾り文字で書かれた【神に愛されし者】とある。
王族として名を連ねるのは、出生から三月――正式なる披露目を終えて後のこと。
この墓石の主は、それすら待つことが無く、名すら残されず、ただ静かに収められているのだ。
「この墓について――調べてもらいたい」
ひんやりとした墓石に手を触れさせ、第三王子殿下キリシュエータは面前に立つローブを羽織った青年を見返した。
自らの副官であるティナンとよく似た顔立ちだが、その身にまとう雰囲気はがらりと違う。
【賢者の塔】に所属していることを示すだらりとしたローブに、腰近くまである髪は緩い三編みに結われている。
これは当人の趣味でも洒落っ気でもなく、ただ髪を切ることすら面倒くさがっているだけだと以前彼の兄であるティナンが口にしていた。
「御影石です」
「誰が石の話をしている」
「墓について問われたので、墓について答えたまでですが。何か問題がありましたでしょうか?
年代をお尋ねでしたか?
そうですね、石には木々のような年輪などがありませんが、調べようと思えばその採掘場の地層、切り出された時期などから近い記録を拾い上げることは可能かもしれませんが、殿下が石の年代について造詣が深いというお話ははじめて聞きましたので、あいにくとその手の資料は――」
淡々とした調子でだらだらとしゃべり続けるルークの姿に、キリシュエータは思わず墓石の表面をぴしゃりとたたき、指先にジンジンとした痛みを食らう羽目となった。
「墓から離れろ!」
「墓に近いのは殿下です」
「くぅぅぅぅっ。誰だお前を呼んだのはっ」
「殿下です」
……だから止めておけと言ったでしょうに。
思わず脳裏にティナンが肩すくめつつ首を振るのを想像し、キリシュエータは奥歯を噛み締めた。
「違うっ。そういう話じゃないっ」
「あいにくと殿下のおっしゃる意味が理解できません。私をお呼びになったのは第三王子殿下キリシュエータ様だと書類には記載されておりましたし、私を呼びに来たナシュリー・ヘイワーズ中尉もキリシュエータ様とおっしゃっておりました。
何より、現在面前にいるあなたさまが――」
「いったん、黙れ」
「――」
びたりと口を閉ざした相手は、だが胡乱気にキリシュエータを見返している。
苛立ちをゆっくりと体内から逃すように呼吸を繰り返し、キリシュエータはぎりぎりと歯軋りをし、ぎゅっと拳を握りこんだ。
「単刀直入に言う」
「――」
「お前の妹、ルディエラは本当にお前の妹か?」
「――」
ルークは松明の燃える暗い地下墓所の中、物静かな――心内を見せぬ眼差しでキリシュエータを見返し続け、その奇妙な圧迫感にキリシュエータは我知らずこくりと喉を上下させた。
じりじりと松明が燃え続ける。
いくつか造られている空気穴から入り込む新鮮な空気が、時折炎をかすめて暗い地下に謎の文様を浮き上がらせる。
キリシュエータの問いかけに、ルークは何かを思った様子もなくただじっとキリシュエータを見つめ続け、その奇妙な緊迫感にキリシュエータは小刻みに肩を震わせた。
「喋ろよ!」
どいつもこいつもっっっっ。
***
「判りました! ぼくも男だ、ここは潔く腹をくくりましょう」
ルディエラは突然そんなことを言い出した。
ぐっと拳を握りこみ、それがさも苦痛を伴う決断だとでも言うように。
「その一子相伝の技を伝授して頂くために、ぼくは涙を吞んでアラスター隊長の養子になりますっ」
騎士団第二隊隊長アラスターの筋肉の秘密を手にいれる為、あっさりと父親を捨てる薄情な末娘であったが、きっと父は理解してくれることだろう。
草葉の陰あたりでハンカチを握り締めて。
「おまえなぁ……」
「ああ、うちはぼくを含めて五人兄弟だから。一人くらい減っても大丈夫ですよ。ぼく一番下だし」
貴族の家でもないので、跡取りだの世襲だのという問題もこれといって存在しない。それでもあくまで父である騎士団顧問エリックの跡取りとやらが必要であるなら、現在は西砦で勤務に励む次兄のバゼルが居る。
長兄のクインザムは爵位を受けてすでに自らの家を築いているので除外だ。
もちろん、父の跡を継ぎたい、父のような立派な騎士――あいにくと父は騎士ではないらしい――になりたいと望んでいたルディエラだったが、乙女の夢など簡単に崩れ去るのだ、筋肉の前では。
「お前なぁ、なんでお前みたいな養子を押し付けられなきゃならんのよ。アラスター隊長だってこの先再婚とかすっかもしれないだろ。そうしたらアレだ。養子なんぞ大迷惑。というか、勝手に先走るな。イノシシかおまえは」
まるで犬の子を散らすように手を振られ、ルディエラは顔をしかめた。
――とても良い考えだと思ったのだが、やはり一般的にみたら駄目だったろうか?
養子にしてもらえれば、毎日近くで筋肉の秘密を見つめることができるし、アラスターの日常の食事、運動量の全てを把握できて一石二鳥どころか、一石三鳥とかも夢では無いと心が逸ったというのに。
ルディエラは落胆し、どんよりと重い溜息を吐き出した。
「アラスター隊長はきっと一人でこっそりとポージングとかして楽しんでいるんですよ。ずるいなぁ」
「お前のずるいの基準が判りません。
つか、わかりたくないがなっ」
昼食のプレートのイモをフォークでつつきまわし、ベイゼルは顔をしかめて見せた。
その視界の端、食堂の入り口に、自分の食事と思わしき包みを持って顔を出したフィルドを認め、ベイゼルは肩をすくめた。
ルディエラは気づく様子もなく、ぐちぐちとゆで卵の殻をむいている。
もちろん、ゆで卵は食堂のおばちゃんにしっかりといい含めている固ゆでだ。
蒸した鶏肉とゆで卵はご馳走です!
しかし本当に欲しいのはプロテ――自主規制。
「馬房の裏手にいるかと思えば、食堂か」
ふいに頭の上から聞こえた不機嫌そうな声に、ルディエラはゆで卵の薄皮を親指と人差し指でぴーっと引っ張るようにめくりあげ、口の中にぽいっと小ぶりな卵を丸のまま放り込み、ちらりと視線をあげた。
「――」
そう、何の気無しに視線をあげたルディエラだったが、フィルドの背後――黒いローブを身につけた覚えのある青年が当然の如く食堂の入り口のトレイを手に持つ姿に驚愕した。
このあたりでそのようなローブを身に着けている人間は少ないが、この国の人間であればそのローブがどういった人間かを示すことは承知している。
勿論、ルディエラ自身も。
何より、彼女にしてみればそれは身内の一人の普段着だ。
「ぶほはふぅぅっ」
鳥が卵を産むかの如くの勢いですぽんっと卵を吐き出すと、それがフィルドにぶち当たるのも確認せずに席を立ち「ぼくトイレっ」と言ったにもかかわらず、そのまま食堂の出入り口まで走り寄ると、完全棒読みで声を張り上げた。
「ル――?」
「わぁお、もしかしてルーク先生?
昔ぼくの家庭教師をしてくれていたルーク先生ですよねっ。
ルーク先生こんにちはっ。
こんなところで顔を合わせるなんて奇遇だなぁ。
あ、食事の前にはトイレですよ。手を洗わないといけないし。どうせ無精者の先生のことだから行ってないですよね。
それはいけない、絶対に駄目」
ということでこっちに来やがれっ。
訳の判らない声を張り上げてルークを奪取したルディエラは、力任せに――幸い、体力も腕力もルディエラの方が上だった――食堂を抜けて近場の階段の踊り場までたどり着くと、じぃっと見つめてくる兄に乾いた笑いを返した。
「食後に激しい運動をするのは良くない」
「……見たくないものを見たら普通に動揺するんだよ」
「聞き捨てならないな。普通の兄妹であれば、突然の再会は両手を広げて涙に咽びながら喜びを示すものではないのだろうか。
いや、ぼくはしないけど」
しないなら言わないで欲しい。
ルークは食堂のトレイをもてあますように片手でふりつつ、不思議そうに小首をかしげた。
「確か、ぼくは騎士団官舎と警備隊の間の渡り廊下をつないでいる食堂に昼食をとりにきた筈なんだけれど」
「……みたいだね」
「そこに何故、ルディがいるのだろうか?」
「逆にぼくが聞きたいよ! どうしてルークがここにいる訳? 万年出不精の引きこもり【賢者の塔】でだって変人扱いされてる人がっ。
天変地異とかおきたらどうするのさっ」
もちろん、本気で天変地異がおこるとまでは思っていないが――
相変わらず食堂のトレイをもてあますように動かしていたルークは、しばらく考え込むように久しぶりに見た妹をじっと眺めた。
「……」
「――」
「……」
じっと、ただじっと見つめられたルディエラはたじろぎ、思わず一歩退いて「何?、なんなの?」と問いただした。
「いや、どうして一人称がぼくになっているのかなと」
「まずはぼくの質問に答えようか?」
言いながら、自分は何を問いかけたっけか?とルディエラは脱力した。
「ああ……そうだ、思い出した」
「何さ?」
ルークは珍しく口元をほころばせ、トレイを持つのとは逆の手でルディエラの頭をくしゃりと撫でた。
「やっぱりぼくの妹はとても可愛い」
――お前の妹、ルディエラは本当にお前の妹か?
***
条件反射でルディ・アイギルの口からはじき出されたゆで卵を片手で受け止めたフィルドは、あわただしく「家庭教師だったルーク先生」をトイレへと案内していくルディエラを見送った。
「……」
咄嗟に追いかけるのも何か不自然だと自分を戒め、じっと我慢したフィルドは――手の中の卵をじっと見つめた。
ぷりんぷりんのゆで卵。
「いや、オイ?
やめとけよ?
それをやっちまったら色々と終わってるからなっ」
ベイゼルの言葉にあわててゆで卵――つるりと無傷。しっとりルディエラのよだれ付き――をあわててテーブルのトレイに置きつつ、フィルドは顔を真っ赤にした。
「ちょっ、さすがに食べたりしませんよっ」
人前では!