その2
「ぼく……第二隊向いてないです」
騎士団第二隊勤務三日目にして、ルディエラは気づいていた。
騎士団第一隊は王宮及び王族警護の全部で五つの中隊、七つの小隊に別けられている。各隊は陛下、皇太子殿下、第二王子、第三王子の警護と共に王宮内部の警護を主に司る。
騎士団第二隊は神事を司る神官警護、及び第二王子殿下の配下としてその身辺警護という三小隊に別れる。
騎士団第三隊は第一、第二隊の予備隊の扱いで基本的には騎士としての訓練に明け暮れることとなっている。
――このたび騎士見習いであるルディエラが所属しているのは第二隊。
別名、第二王子殿下リルシェイラの子守部隊は、本日も昼過ぎにいつの間にか逃げ出したリルシェイラの探索が仕事だった。
「毎日鬼ごっこって、騎士のすることじゃないですよ」
しかも、この鬼は困ったことに王宮内に数多造られている隠し通路を網羅している。
もちろん、王族として緊急の脱出用にとされている隠し通路の所在を、事実上知っている隊員はいない。
――ことになっているのだった。
「いや、ある程度の把握はできているんだけどね。この辺にあって、だいたいこの辺に抜けてくるんじゃないかって……いかんせん、殿下がよく使うから、言われてなくてもなんとなく判るものなんだけど――」
クロレルは苦笑を落とした。
「それを誰かに伝えることも、書き記すこともできないから。情報の伝達が難しいんだよ」
なんといっても、相手が使っているのは極秘通路だった。
なんてタチが悪いんだっ!
「アイギル、いくら何でも水瓶をのぞいても殿下はいないだろ」
腹立たしさに庭に置かれている水瓶――トイレ用の手洗い用――を覗き込んで不平をもらすルディエラに、第二隊の先輩であるフィルド・バネットが口にしたが、ルディエラは唇を尖らせて上目遣いに相手をにらみ付けた。
「いるかもしれないじゃないですか。ここが実は抜け道だったり」
「確かに、予想外の場所を調べるのは悪くないが――水瓶はただの水瓶だ」
フィルドは言いながら、多少たじろぐように一歩退いた。
不満をこぼすルディエラは、上目遣いの上に唇を尖らせてみあげてくる。
身長差は頭ひとつ分。
フィルドは途端に頭の中によぎってしまった「キスするのには悪くない身長差」という事実に心音があがるのを感じた。
――今は仕事中、今は仕事中、今は仕事中!
仕事中じゃなくともヤバイだろう。
自分の頭を張り飛ばしてしまいたいフィルドだった。
ルディ・アイギル――ことルディエラが第二隊に異動することにあたり、実はひとつ期待があった。
現在フィルドは官舎である四人部屋に二人で寝起きしている。
寝台が二つ空いているのだから、おそらく、きっと――たぶん、異動してくる見習い隊員であるルディエラは自分と同室になるだろうと予測していたのだ。
だが、フタを開けてみるとその予想は大きく外れた。
ルディ・アイギルはクロレル副長と同室になり――本来クロレル副長と同室であった、同じ副長のシュゼットは現在一人部屋で悠々自適に過ごしている。その報告の後、予想をはずしたフィルドは思わず壁を蹴り上げ、足の指を痛めたことは医務官も知らない。
――もちろん、同室だからといって如何わしい何かがあるとか、するとかいう話では一切無いということはフィルド・バネットの名誉の為にも記しておかなければならないだろう。
――何事も済んでしまったあとに「そんなつもりは無かった」「マがさした」という言葉は珍重されている上に、フィルドの辞書にもその存在は確かに輝いていることだけは否めないが。
「フィルドさん、どうかしました?」
じりじりと自分から離れる相手に、ルディエラはふいに気づいて眉を潜めた。
「いや、あの、なんだ」
「顔、赤いですよ? 熱でもあるんじゃないですか?」
言いながら、ルディエラはリルシェイラ探索に戻ったのか、水瓶のフタを閉ざして、今度はその隣の植木をごそごそとかき回しはじめた。
探している風を装いつつ、もうすでに諦めているのかもしれない。
――そもそも、何故にリルシェイラはいちいち抜け出すのだろうか。
当人いわく「じっとしていると死ぬ」病なのだが、もちろんそんなことを納得する人間などいない。
訓練大好きルディエラとしては、訓練でもなく連日鬼ごっこばかりでは不満しかたまらない。
「でーんーかーどーこーでーすかぁ」
思わずなげやりな声が漏れるのも致し方ないだろう。
そんなルディエラの首筋、明るい髪先がはりつくうなじの辺りを眺めつつ、フィルドは声を上ずらせた。
意味不明に体温があがり、口腔に唾液が溜まってしまう。
まるで――可愛い女の子を前にしたように。
自分の性癖はもう諦めた。一度などは、他の男相手にも同じような感情、体の反応があるのかと調べようとしたものだが、幸い今のところルディエラ以外の男に顕著なナニかを覚えたことは無い。
そう、それは幸せなことなのか不幸せなことなのか判らないが。
「アイギルの狼が訓練できれば、人探しも楽になるかもな」
「って、果てしなく先の話ですよー。
まぁ、きちんということ聞いてくれれば確かに使えるかもしれないですね」
それは良い案だというように、ぱっとルディエラはフィルドを見返して笑ってみせた。
「犬の嗅覚って鋭いって言うし。でもまず訓練士の言うこときいてくれればいいけど。もう三人かじられたっていうんですよ。
でも灰色狼だからって処分はできないんですって」
更に言えばいまさら捨てることもできない面倒臭い獣と化していた。
――国旗に記される保護獣なのだが、現在は絶賛お荷物様だった。
「ああ、ごめんなさい。
そういえば熱は大丈夫ですか?」
それまで楽しそうに笑みを浮かべていたルディエラが、ふっと表情を曇らせて心配気に問いかけると、フィルドは喉仏を上下させ、口内に溜まった唾液を無理やり飲み込んだ。
「そういえば、こっちでも最後の風呂掃除担当にさせられたんだろう? 手伝ってやろうか?」
――心優しい先輩であるフィルドにゲスな感情など無い。
なんてことはもちろん無いのだった。
「いや、いいですよ。ぼくゆっくりお風呂入りたいたちだし」
「遠慮しなくていい」
「いいんですってば。結構フィルドさんって優しいですね。以前はいろいろぼくってば誤解していましたけど」
何度も言葉を重ねるフィルドに、更にルディエラはかぶせるように「結構です」を繰り返し、しびれを切らしたフィルドは思い悩むように口火を切った。
「違う、優しいとか……そういうのじゃなくて、私は」
***
騎士団第三隊隊長を務めるティナンは物憂い様子で嘆息を落とした。
午前中はいつもと同じように第三隊の指揮を務め、午後は副長であるベイゼル・エージに訓練を任せて第三王子殿下キリシュエータの副官としての務めに戻っているティナンだ。
「今日もきていますね」
「知るか」
いくつか届いている書簡と――そして、このところ仕事とはまったく別に届く書状を前に、ティナンはふるりと首を振った。
それは厚みのあるファイルとして届けられ、場合によっては他の資料までも添えられている。
「それにしても、いったいどうして突然攻撃がきつくなったのでしょうか」
「知るか」
苛立つように短く同じ言葉を吐き捨てるキリシュエータだったが、勿論この頭の痛い現象の理由は判っている。
――とっさのこととは言え、ルディエラのことが好きだと示したキリシュエータに対し、彼の長兄は「諦めさせよう」という強い意志を示して見合い攻撃を仕掛けているのだ。
諦めるも何も無い。
もとよりそんな感情など無いのだ。
だが、そんな風に無理やり行動に起こされると苛立ちが募るのは何故だろうか。
もとよりそんな感情など無い。
更に言えば「実の姪」だなどと言われたのだ、そこまで言われて自分がルディエラに手を出すとでも思っているのか、あの腐れ頭は。
そう、血の繋がりがある。
叔父と姪。今までの歴史の中で、その婚姻が無かったとは言わない。なんといっても百年さかのぼれば、この国は兄妹間の婚姻すら――おそろしいことに公にあったという。
だが今は時代が違う。
そう、あの子は……姪だ。
自分の心を落ち着かせる為にゆっくりと薬のように幾度も自分の中に落とし込む。
淡くとろりと揺れた感情など、変換させてしまえばいい。
肉親の愛情として。
肉親として守ってやればいい。
そう、愛しいと思ったのは何のことは無い――ただの叔父として、一般的な感情に他ならない。
真実など知らなくとも、血の繋がりがきっと自分達の間に情を通わせたに……
「でもなんだかやけに赤毛の娘さんだとか、十代半ばの女性の見合い話が多いですよね。これなんて、うちのルディにちょっと似てますよ」
添えられているミニチュアールをしげしげと眺めながら言うティナンの言葉に、キリシュエータは喉の奥で呻いた。
「勿論、うちのルディのほうがずっと可愛いですけどね!」
「――」
「ルディときたら、昨日廊下でぼくとすれ違った時に切なそうな顔でぼくのこと見たんですよ。
きっとぼくの隊から抜けたことで寂しい思いをしているんだと思うと、なんかこう胸がぎゅーっと締め付けられて、思い切り抱きしめて頭なでていっぱいキスしてあげたくなっちゃいましたけど、そこは心を鬼にして素通りしました。はやくこんな見習い期間など終わって欲しいですね」
「……」
はーっとため息交じりに言う相手を冷ややかに眺めながら、キリシュエータは危うく持っていた羽ペンを折ってしまいそうになった。
――ソレはお前の妹じゃなくて私の姪らしいぞ。
キス? とんでもないことを抜かすな。
絶対に駄目だ。というか、ベタベタするな。
あやうく喉から低い声が漏れてしまいそうになる程イライラとするが、キリシュエータは必死にこらえた。
妹じゃないなどと口にしてしまったら、果たしてこの副官の中でどのような処理がなされるのか――考えるだに恐ろしい。今だとてタガがあるのかどうか怪しいというのに。
そう、絶対にこのことはティナンに相談してはいけないし、この事柄を相談するとすれば……
「ティナン」
「何でしょうか」
「――賢者の塔に使いを出してくれ。
ルークと話がしたい」
数多の国史資料が秘蔵されている【賢者の塔】であれば、正しい答えが見つかる筈だ。
***
――ようっ。
と、声をかけるべきだろうか。
中庭の一角で明るい髪が揺れているのを見つけたおりに、騎士団第三隊副長ベイゼル・エージは、何故か水瓶をのぞいたり植木の間をごそごそと――小動物でも探しているのか、投げやりな動きをみせているルディエラと、そしてその背後のフィルドの姿に「イヤなモンを見た」とげんなりとした。
自分の隊を離れたルディエラのことなど無視していればいい。
自分に責任はまったくない。
そう切実に思うのに、こう、なんというか気にかけてしまうのは性分なのだろうか。
なんとも損な役回りだ。
こんなことはもうクロレルに任せればいいのだが、いかんせんクロレルときたら「フィルド」が「ルディエラ」に対してヨコシマな想いを抱いているとも知らないだろうし、気づいてもいないだろう。
言っておくべきだろうな、とは思うのだが――さすがにフィルドが「男」ルディ・アイギルを好きだなどと気の毒すぎて言えない。
やれやれ……
嘆息を落とし、それでもやはり邪魔するところは邪魔するべきだろうと思ったベイゼルが、なんとか自分を奮い起こして声をかけようと息を吸い込んだ途端、フィルドは口にした。
「優しさとかどうでもいい。
私は……他のヤツ相手じゃ勃たないって言ったら判るか?」