その3
――確かに一人でも構わないと言ったが……
上官への報告を済ませ、自らの装備を確認しつついつもの中庭に戻った騎士団第二隊副隊長クロレルはふっと切ない吐息を落とした。
「……二人以上が好ましいと言ったのに」
まさか自分が一人行動となるとは思わなかった。
当然騎士団は仲良しこよしな集団ではないが、普段通りであればフィルド・バネット辺りが待っていてくれるものと思ったものだし、合同訓練中の現在――同じく副隊長であるベイゼルがいてくれてもいいだろう。
なんといっても共に仕事をフォローしあっている同期なのだから。
そんな侘しさを身に潜ませ、よれよれと馬房で馬を引き出してとりあえず訓練の為に足を進めたクロレルだったが、一番近い山の麓――川の付近で狼煙ならぬ焚き火をしている一集団と合流することが適った。
「肉ですよ?」
訳の判らない口論をしている彼等の姿に、クロレルは機嫌を直した。
――何だ、やっぱり待っていてくれたのだ。
クロレル副隊長は何事も前向きにとらえることのできる素晴らしい人物だった。
馬の手綱を引き、馬がたたらを踏むようにして立ち止まるのにあわせてクロレルは地面に降り立ち、その物音に三人の視線が向けられた。
「クロレル副長!」
「やぁ、待たせたかな」
幸いここでクロレルの幸福思想を打ちのめすような暴言「いや、別にまっちゃいないけど」などと吐く人間は居なかったが、それまで背を向けていた明るい髪色の少年――ルディ・アイギルことルディエラが振り返った途端、クロレルは引きつった。
「せっかく肉を調達したのに、捨てて来いって言うんですよっ」
「捨ててきなさい」
ルディエラが押さえている生き物はクロレルにとっても到底肉には見えないものだった。
クロレルの言葉に衝撃を受けるように恨めしい眼差しで見上げてくるルディエラに、クロレルは苦笑しながら、来る途中に仕留めた鳥を示した。
「肉ならこれをあげるから」
その仔狼は諦めなさい。
そう優しく諭そうとしたクロレルだったが、その言葉は途中でかき消されることとなった。それまでルディエラの腕に喰らいついていた仔狼がすばやく反応し、クロレルの鳥をがぶりとかじって逃亡したのだ。
「お肉ぅっ」
鶏肉のほうが断然好みのルディエラは、クロレルの差し出した鳥に喜色を強めただけに、その衝撃はすさまじいものとなった。
***
もともとは兎を狙っていたのだ。
いや、正確に言うのであれば鳥が先だ。肉の中で一番鳥が好きなルディエラだ。食料を調達して来いという言葉に、真っ先に浮かんだの鳥だった。
しかし、現在手持ちの装備には生憎と弓が無い。
細剣と短いナイフが幾つか――それが全てだ。
弓の腕にはある程度の自信がある。子供の頃からセイムと弓の引き合いをしておやつを賭けて来たのだ。飛んでいる鳥を仕留めたこともある。
だが、ナイフを投げて鳥を仕留めるなどという曲芸まがいの技は持ち合わせていない。
はじめのうちこそ色々と思案してみたものだが、結局鳥を諦めようかどうしようかと思っているところで、野兎がひょこりと顔を出した。
毛がもこもことしたもっさりとした兎。
「……兎か」
一瞬、可愛いという単語が頭に浮かんだものの、手っ取り早い肉だという認識の方が勝った。何より、昔セイムに言われたものだ。
「世の中の大半の動物は食料です。その線引きは自分の意識だけ」
そう、自分の意識でその兎は愛玩動物ではなく肉と切り替えた。たとえつぶらな瞳をしていようと、口元がひくひくとしていかにも可愛いらしかったとしても――肉。
嬉々として食料調達に意識を切り替えたルディエラだったが、
「結局あのちびすけに邪魔されるし、挙句鳥まで取られたっ」
ルディエラが兎を狙う反対側で、あのちび狼も兎を狙っていたのか、突然出てきた灰色の物体にルディエラが驚いているうちに、兎はあっという間に木々の間に消えてしまったのだ。
その八つ当たりも兼ねてちび狼をとっ捕まえたというのに、なんという失態。
「そんなことより、腕は大丈夫かい?」
「あ、ぼく最近訓練の時は腕に鎖帷子つけてるんです。ちょっと切られること多かったから」
ルディエラはシャツの下に薄い鎖帷子をつけていることを見せ、肩をすくめた。ベイゼルが探してくれたものだ。
「あー、でもやっぱり肉に逃げられたのが痛いっ」
「もともとあんなモン食えたもんじゃねぇよ。ま、鳥は残念だったが」
食料調達だけに時間を費やすこともできず、結局そこからは黙々と移動を繰り返し、時折何か獲物を見つけては一旦停止を繰り返した。
「クロレル副長がせっかく獲った鳥……すみません」
「いいんだよ。魚もあるし、そう悔やんでいては先に進めない。おそらく私達が一番遅れているだろうしね、明日の朝は早いよ。順番で見張りをしながら休もう」
昼間の間はできる限り移動に費やし、空腹は水とベイゼルの見つけてきた芋と栗とで誤魔化した。夕食としてやっとフィルドが調達し、ベイゼルが燻製にしておいた魚を食べることができたが、肉を失ったルディエラは「死んだ魚の目は止めろ」とベイゼルに顔を顰められていた。
「魚美味しいですよ。でも、逃がした肉がでかいんですっ」
でかすぎるくらいに。
「悪かったな、魚で」
フィルドが冷ややかに返すと、ルディエラは慌てた。
「だから、魚は美味しいですってば。フィルドさんのおかげで夕食にありつけたんですから、凄い感謝してますっ」
慌てて媚をうるように言うルディエラに、フィルドはほんのちょっぴり機嫌を良くした。
「じゃ、アイギル――おまえ見張り一番最後な。食料調達に貢献したフィルドが一番目、二番目はクロレル、三番目がオレ、アイギル最後。時間は一人一刻、夜明けと共に出発」
一見して最後の見張りが一番たっぷりと眠れるように見えるが、夜明け前に起こされるのでなかなかきついのが最後だ。
ベイゼルは途中途中で拾い集めた枯れ枝をぽいぽいと焚き火の中に放り込み、ぱんぱんと手を払って立ち上がるとにんまりと口元を緩めた。
「ってコトで寝るぞぉ」
馬の腹にくくりつけられた皮袋を離し、コルクの栓をきゅぷりと外して中身を飲み込んだベイゼルは、やはり同じく馬の背に乗せていた薄手の毛布を引きずりおろし、焚き火の近くにぞんざいに座ると「ぷはーっ」とその息をルディエラに吹きかけた。
「酒くさっ」
「寒い夜にはこれが一番よぉ。ほれ、クロさんも」
皮袋を反対側のクロレルに押し付けると、クロレルも苦笑しながらそれに口をつけた。多く飲んで泥酔する訳にはいかないが、一口眠りの導入として飲む分にはクロレルとしても反対ではないのだろう。
ルディエラは唇を尖らせた。
「クロレル副長までっ。って、そもそも標準装備だけって話しじゃなかったですか? 今日の訓練の荷物って」
「堅いこと言うなって。これくらいたいてい用意してるってーの。オレの標準装備に酒は必須」
クロレルはベイゼルの言葉に苦笑するだけで、ついでその皮袋をルディエラへと差し出した。
「一口飲むといい。体が温まるし、眠りやすくなるから」
その言葉にルディエラが皮袋に手を出そうとすれば、ベイゼルは慌ててその酒を引ったくり、蓋を閉めてフィルドへと押し付けた。
「こいつはだーめ。まだガキだからっ。
フィルド、ほら、寝る時に飲めよ――じゃ、オレ等先に寝るけど、何かあったら起こせよ」
ルディエラは飲む寸前で酒を没収されたことに唇を尖らせ、それを見ながらフィルドは苦笑した。
子供といったところで、十も過ぎればこの国では食前酒や何やらと酒を口をすることは良くある話だ。ルディエラの不満も良く判る。
ふてくされるようにして薄い毛布にくるまったルディエラは、やはり酒を飲んでいない為だろう、ベイゼルとクロレルが眠りに落ちても、もそもそと動いてなかなか寝付けない様子を見せた。
「アイギル」
フィルドは声を潜めてルディエラの肩をつつき、苦笑しながら酒の入った皮袋を手渡した。
「あまり飲むなよ?」
一応釘を刺すように言えば、ルディエラはもそもそと上半身を起こし、嬉しそうに皮袋に口をつけた。
とぷりと聞こえる粘度のある水音、炎に照らされて濡れた唇がてらてらと光って、フィルドは小さなうめき声を上げて視線を逸らした。
あの唇に自分の唇を重ねあわせたいという欲求がうずき、その舌先から直接酒の味をからめとりたいと体が反応する。
――今、この場で二人きりであったら理性などぶっ飛んでしまったことだろう。
だが生憎とこの場には自分達のほかに二人の人間がいる。
いや、しかし寝ているし……キスくらいしても。
いやいやいや。
そんなことをしたらこの子供が暴れるかもしれない。前回してしまった時でさえ物凄く恨まれた挙句に復讐されたではないか。
視線を逸らしたまま自分の心臓を宥めるように胸元に手を当てていたフィルドだったが、突然――ルディエラの手がその手首にするりとまきついた。
「フィルドさん」
「な、なんだ?」
やましいことを考えていたフィルドは、ばくばくと心臓が更に鼓動を強めたのを感じながらルディエラを見下ろした。
「脱いで?」
――ルディエラは口元に嬉しそうな笑みを浮かべ、空いている手でおもむろにフィルドのシャツをズボンから引き抜き、期待に満ちた瞳でフィルドを見ていた。